マイナンバー制度をきっかけに日本のプライバシーを考える――アメリカとヨーロッパとの比較

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アメリカとヨーロッパのプライバシー哲学

 

国民ID制度は諸外国においても見られるが、その対応はアメリカとヨーロッパにおいて対照的である。アメリカでは、制限政府の観点からそもそも国家が個人に番号を付与すること自体に抵抗する個人の「自由」の思想が根強い。アメリカの社会保障番号は世界恐慌からの復興として歴史の偶然で生まれたものである。政府の私生活の介入から個人の「自由」を保障するためにアメリカのプライバシー権は発展してきた。

 

これに対し、ヨーロッパでは、ナチスがIBMと手を組み「パンチカード」を用いてユダヤ人を見つけだし、大量殺戮した歴史がある。そのため、その歴史を体験していない一部の北欧諸国を除き、ヨーロッパでは国家が個人に番号をみだりに付与することは人間の「尊厳」の観点から非難され、分野が限定された国民IDの運用にとどまっている。ドイツにおいて国勢調査が個人の情報決定権を奪うものとして憲法違反とされた判決は、個人情報を乱用したナチスの反省の上に立っている。また、イギリスでは2006年から開始された国民IDカード制度が、人権侵害的かつコストに見合わない制度であることから、2010年の政権交代を機に廃止された経緯もある。

 

つまり、アメリカでは自由の恵沢の系譜に連なるプライバシー哲学に立ち、政府から個人の「自由」を護るためにプライバシー権が発展してきた。これに対し、ヨーロッパではかつての個人情報を悪用した暗い過去の反省から人間の「尊厳」を保障するため、プライバシー権を確立してきた。このようなプライバシーの哲学の違いは現実のビジネスにおいて衝突を見せてきた。

 

EUでは個人情報保護の水準が十分とみなされない限り、EU域内から第三国への個人情報の移転を禁じている。グローバルビジネスにおいて、社員情報や顧客情報をEUから日本に移転することが制限されているのである。2015年10月6日、EU司法裁判所は、アメリカとの間で個人情報の移転を認めた協定を無効とする判決を下すなど、これまで以上に厳しい態度を示してきた。

 

これに対し、アメリカはTPP(環太平洋経済連携協定)を通じて、個人情報を自国に保全することを義務づける「データ・ローカライゼーション」を禁止するという対抗策にでた。アメリカが抱えるICT産業の促進と個人情報を各人が自由に取引できる環境整備の現れである。プライバシーの哲学の違いは現実のビジネスにおいて緊張関係をもたらした。(図4)大西洋岸でのデジタル津波はいずれ太平洋岸にも到達することになるであろう。

 

 

 図4 個人情報の利活用に積極的なアメリカと個人情報保護に厳格なEUの対比(「Le Monde, 4 juin 2013 p.19」より)


図4 個人情報の利活用に積極的なアメリカと個人情報保護に厳格なEUの対比(「Le Monde, 4 juin 2013 p.19」より)

 

 

日本のプライバシー哲学を考える時が来た

 

マイナンバー制度の利便性の側面のみを強調し、クレジットカード機能の追加、カジノ入館規制、オリンピック会場入館規制などにも個人番号カードの利用が検討されてきた。しかし、正確な税の徴収と社会保障の給付という当初の公平公正な社会の実現とは直接関係しない項目にまでマイナンバー制度を拡大することには慎重でなければならない。

 

さらに、国の財政の立て直しのために、そして公平公正な社会の実現のためにマイナンバー制度を導入したというのであれば、投じた予算以上のメリットを国民に提示することも必要である。マイナンバー制度は運用される前の段階でオリンピックスタジアム建設費並みの2000億円以上もの予算が投じられている。また、住基カードを引き合いに出せば、約666万枚(国民の約5.2%)しか交付されてこなかったし、住基ネットの費用便益は明らかにされていない。マイナンバーがもたらす国民へのメリットも冷静に考察する必要がある。

 

マイナンバー制度施行直前の2015年9月には任意ではあるものの預金口座、予防接種履歴、そしてメタボ検診情報にまで拡大する法改正が行われた。法律の附則には「特定個人情報の提供の範囲を拡大」や「民間における活用を視野に入れて」といった文言が入っており、今後の検討課題となっている。筆者は、今後も日本でプライバシー権の理念がないままの状態が続けば、マイナンバー制度が際限なく拡大し、いつか悪用され、医療情報や所得情報が売買されてしまうような日が来てしまうのではないか、という危惧を抱いている。

 

守るべきプライバシーの権利がはっきりしないからこそ、このようなマイナンバーの利用拡大の政策が次々と出てきたのではないだろうか。仮に守るべきプライバシー権の範囲が確定されていれば、マイナンバーを利活用できる範囲もおのずと決まってくる。漠然としたプライバシーへの不安を国民の間からもなくすためにも、マイナンバー制度の運用を機に、日本におけるプライバシー権の哲学を考えていくべきではなかろうか。

 

プライバシーというものは事後的に回復できる権利ではない。プライバシーに楽観的な人もいざ自分が個人情報により差別的取扱いを受けることとなれば、態度を改めるだろう。しかし、気づいた時にプライバシーが失われていてもそれを取り戻すことはできない。欧米の哲学を手掛かりとして、日本なりのプライバシーの哲学を求めつつ、今後のマイナンバー制度の運用を注視していきたい。

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

 

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