日本における政策形成過程をより民主主義的にしていくためのいくつかの提言

筆者は、この30年ぐらい、政策や政治に関係する仕事に関わってきた。より具体的には、東京財団や自民党等の政策シンクタンクの設立および運営に関わった。その後、東日本大震災の際、原発事故の調査のために、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)が国会に時限的につくられたが、この委員会の事務局に参加した。また、塩崎恭久議員の大臣時に、厚生労働省総合政策参与としても勤務する経験も得た。

 

こうした点から筆者は、政策シンクタンクの経験も含めて、議員経験なしで、政党、立法府、行政府、民間などの多様な立場で広い意味での政策に関わってきた、日本においては稀な存在だといってよい。そのような様々な経験を踏まえて、日本における政策形成の現実、および今後の可能性について論じていくのが、本稿の主旨である。

 

筆者も、学校の社会科や憲法の授業などで学ぶように、日本は民主主義の国であると元々考えていたし、信じていた。だが、上述のような経験をしてからは、「日本は、本当に民主主義の国なのだろうか」と疑問を持つようになった。

 

もちろん、憲法上は国民主権と定義され、立法・行政・司法の三権分立とされている。選挙で主権者の代表として立法に関わる者を選ぶ仕組みも、かたちの上では存在している。しかし、戦前の日本の政治体制の問題もあり、主権者である国民自身の地域や社会への愛着や意識の問題、行政中心の三権分立体制、国民の選挙への関わり方、議員の機能・役割などの多くの面に問題や課題があり、この国には民主主義という政治の枠組みはあるが、それが日本の政治の実態の中に落とし込まれていないのではないかと思わざるをえない。

 

そもそも民主主義とは、国民・市民・有権者がその社会を支配・運営すれば、いろいろな問題・課題はあっても、少なくも長期的には全体としてはよりましな運営が、他の政治制度よりは可能だというフィクションに基づいて構築されているものであろう。だが、そのフィクションは、当然に地域・社会・国により様々な違いがあるので、それらに応じたノンフィクションに昇華されねばならないのだが、日本では戦後その作業がどれだけ行われてきたかというと、非常に疑問を感じざるを得ない。

 

本稿では、「日本は民主主義の国か」という大きな問いに対して、政策形成の観点から考えていきたい。

 

日本は、この約30年間、政策形成を、行政・官僚中心から政治、とくに首相を中心とする政治家がリーダーシップを発揮し、官邸がイニシアティブをもって政策形成を行う仕組みに変えようとしてきた。その結果、総理を中心とした政治の側が、より強力にイニシアティブを発揮して政策形成を行えるシステムが構築されてきた(注1)。これはある意味で事実である。だが、その結果生じたのは、官邸に多数を占め、総理らの政治家を補佐する官僚(いわゆる「官邸官僚」)の影響力の増大と、それに伴う新たなる官僚中心の政策形成であった。

 

現政権の前の民主党政権時代は、行政・官僚中心の政策形成をドラスティックに変更することを試みた。だが、同政権の政権運営が稚拙であったこと、行政・官僚の力を抑制しようとしたが、それに代替できる仕組みや人材が不足・不備だったことなどのために、その試みは結局のところ失敗に終わった。

 

その失敗を受けて政権に返り咲いた自民党現政権は、その中心とする安倍晋三総理の志向もあり、政治の側が若干イニシアティブを取りながらも、政策形成に関しては必ずしも新しいビジョンもなく、従来型の行政・官僚を中心とするものに回帰した(注2)。

 

筆者は、行政や官僚の役割がないとか不要であるとは考えないし、むしろ現代社会においては官僚機構の存在なしには、政治は機能しないとも考えている。他方、官僚機構は縦割り主義や前例主義を土台に成立している。社会的には、その手法は意味があるが、現在のように社会の変化が大きい時代には、それだけでは時代のニーズに対応できない。

 

したがって、そのような手法を乗越えられるアプローチとの共存とバランスが必要となる。この問題とその改善策については、拙著「こうすれば日本の政治はもっとよくなる! 政治の政策能力向上のために『変える』べきこと」(αシノドス vol.252[「日本の政治の行方」]2018年9月15日)を参照願いたい(注3)。

 

本稿では別の観点から、論じていきたい。

 

まず議員内閣制を基にした内閣提出法案の容認と与党事前承認制の問題である。日本では、それらの仕組みが取られているために、行政・官僚が中心になって政策案や法令案を作成し、その成立のために行政・官僚が調整し(注4)、動き回ることになる。この場合、議員立法などを中心に、一部議員がその作成調整に動くこともあるが、とくに与党の場合、日本では内閣提出法案(官僚・行政が作成したもの)が多数を占め、予算も官僚が作成しているために、政策や法律の案は、官僚・行政抜きには回っていかないのが現実である。

 

しかも、そのプロセスは、基本的には官僚・政党・議員・関連業界団体等のインナーサークルの中で行われ、国民にはあまり知らされない(注5)。結果、与党の政治勢力を土台に、そのクローズドのプロセスで決まったことは、すでに結論がでていることになる。国会において政策案や法案が審議され、その時点で国民がいかに反対しても、その結論が変更されることはほぼないのである(注6)。つまり、日本では、国民は政策論議や政策プロセスに関わることが非常に難しいのである。こうした点からも、日本の政策形成は民主主義的でないといえるのである。

 

また日本の政治や行政は、民意をできるだけ的確に把握するためのチャネルや仕組みを持っているとはいえない面がある。それは、日本には民意を反映できる仕組みがないことを意味する。

 

何度も述べてきたように、日本は行政を中心とした政策形成の仕組みをとっている。それは、基本的に行政つまり各省庁に繋がる業界団体などを中心に情報を集約し、それに基づき政策案や法案をつくっていく仕組みである。第二次大戦後、日本がいまだ貧困に喘ぎ、その状況を脱し、より豊かになりたいという日本の方向性が比較的明快かつ単純であった際には、その手法で政策や法律を作成しても、それらは有効に機能した。

 

だが、官民(主に関連業界)癒着の問題と弊害が90年代以降指摘され、その関係性の維持が難しくなり、業界からの情報も入りにくくなった。しかも日本社会全体が豊かになり、国民や地域に多様な違いが生まれ、きめ細かな政策的対応が必要になると、その手法では国民のニーズに十分に応えられなくなった。

 

本来なら、その時点で、行政も、国民のニーズや考え・意向を把握する新たなる手法やチャネルの開発等を行うべきであったが、政治・行政改革の中それもできなかった。

 

また政治、とくに政党は、行政と比較すれば、本来は国民・有権者に近い存在のはずである。しかも、政治がより有効に行政・官僚機構をコントロールし機能させるためには、行政等のみの情報に依存するのではなく、国民・市民・住民の情報を独自に収集・集約してしかるべきあろう。だが、日本の政党は、所属の候補者や議員が独自にそれらを集約し政策や選挙に活かすことはあっても、組織的かつ継続的にそのような取り組みをしてきたとはいい難い(注7)。

 

付け加えると、極端にいえば、現在の日本では選挙以外に、国民・有権者の民意を反映できる機会や仕組みがほとんどないのである。その選挙も、民意を反映できるような形式にはなっているが、公職選挙もそうであるが、政党の代表を決める選挙なども、すべての政策の問題や課題を包括的に扱い、非常に短期間で行われ、場合により国会議員や候補者のみで決められることも多い。国民・有権者の民意を的確に把握したり、集約する機能を果たしているとはいい難い。【次ページにつづく】

 

 

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