2017.04.06

科学技術は軍事技術から切り離せるか

東京工業高等専門学校教授 河村豊氏インタビュー

科学 #軍事研究#安全保障技術研究推進制度#多用途技術#デュアル・ユース#軍民両用技術

将来防衛装備の開発に役立つと考えられる大学・民間の研究へ、防衛省からの資金援助が始まっている。多用途技術として、軍事面のみならず自然災害などの緊急時にも技術利用が期待される一方、日本学術会議はこれまで「戦争を目的とする研究には関わらない」という姿勢を示してきた。揺らぐ軍備と科学の関係。科学者が背負う責任とは。東京工業高等専門学校教授、河村豊氏に伺った。(取材・構成/増田穂)

軍事研究とは?

――そもそも、軍事研究とはどういったものなのでしょうか。

軍事研究とは、軍事戦略や戦術と直結する兵器・防衛装備や兵器の運用方法の開発を主目的に行う研究と説明できます。ただし、本来は軍事とは無関係に行っていた研究が、後になってから防衛装備の開発に転用されることもあるので、軍事研究にはこうした広範囲の研究も含みます。

最近は軍事技術に転用できる民生技術やその逆に民生技術に転用できる軍事技術の開発も行われています。こうした技術を「デュアル・ユース技術(軍民両用技術)」もしくは多用途技術と言いますが、こうした研究も広義に考えれば、軍事研究と言えるでしょう。

――かなり多くの研究が軍事研究と言えそうですね。

広義に捉えるとそうですね。しかし狭義には、軍事研究とは最初の段階から軍事を主な目的とした研究だけを指すという見解もあります。軍事技術には民生技術には還元できない特殊で専門的な領域があり、それを確保するには兵器メーカ・防衛装備メーカを維持しなければならないという考えに基づいています。1995年5月には経済団体連合会が「新時代に対応した防衛力整備計画の策定を望む」と題した提言の中で、「防衛生産・研究開発には、防衛専用の特殊な技術が必要」であると説明していますが、こうした技術研究のみを軍事研究とする考え方です。こちらの方が分かりやすく、混乱も少ないかもしれませんね。

もちろん兵器は単独の武器では成立しません。核兵器の場合で例えるなら、運搬するためのミサイル、誘導するための各種のセンサー、制御機器などのエレクトロニクス機器を含めた核兵器システムがそろうことで初めて機能します。こうした兵器のシステムに関する研究は、上記の専門的な軍事技術研究にあてはまるでしょう。

もう一つ、別の説明としては、研究の当初から防衛装備開発を目標においている研究は軍事研究といえるということです。具体例で考えれば、核分裂反応の現象を発見した研究は物理学研究であって軍事研究ではありません。しかしこれが、当初から爆弾開発を目標として、連鎖反応に必要なウラン235の臨界量や濃縮度などを求める研究の場合、こうした研究を軍事研究だとする説明です。

つまり、基礎研究か応用研究か、理論か実験かという内容では、軍事研究と非軍事研究の区分は出来ず、開発する目的を設定しているか、どのような目的を設定しているかによって区分が可能だということです。ちなみに、ある技術開発を目標にして行う基礎的な研究のことを、目的基礎研究と表現します。ですので、基礎研究であっても、軍事技術の開発を目的とするならば、それは兵器開発に関する目的基礎研究であって軍事研究を構成することになるでしょう。

強まる防衛省との関係性

――一昨年には防衛省が大学や民間で行われる基礎研究で防衛装備に関わるものに対し、資金援助の方針をうち出しましたが、それまでは民間での軍事研究というものは行われていなかったのでしょうか。

「安全保障技術研究推進制度」のことですね。2015年度からこうした委託研究制度が始まり、軍事と科学研究のあり方が議論を呼び起こしています。しかし防衛省と民間研究機関との間では2002年から、また大学との間では2008年から技術交流が行われていました。技術交流の目的は「技術の相互交流、技術リスクの分散的かつ効率的な研究開発の実施」にあり、双方の機関の間で研究資金のやり取りはせずに、「研究協力協定」を締結し、研究者間の情報のやり取りを許可するものでした。防衛省側からみれば、防衛装備開発のために外部の研究力を取り込むことが出来たわけです。

先ほどの軍事研究の説明を使って判断すると、この研究協力協定を結んだ大学等は、そこに所属する研究者が自覚するかしないかに関わらず、やはり軍事研究に取り組んでいたことになるのではないでしょうか。

――具体的にはどのような研究が技術交流を行っていたのですか。

例えば、当時の防衛省技術研究本部(後の防衛装備庁)航空装備研究所と宇宙航空研究開発機構(JAXA)との間で行われた、耐熱複合材技術に関する共同研究(2004年度)、防衛省技術研究本部艦艇装備研究所と海上技術安全研究所(NMRI)との間で行われた、艦船分野における共同研究(2008年度)などが、研究協力協定の事例です。大学との間で締結した協定としては、防衛省技術研究本部先進技術推進センターと帯広畜産大学との間で行われた、生物剤検知システム分野での研究協力(2008年度)、同先進センターと東京工業大学との間でのパワーアシスト技術分野での研究協力(2010年度)などがあります。締結件数は次第に増加しているようで、2013年度には14件,2015年度には23件であると報道されています(注)。

 

(注)「防衛省と研究協力が急増「軍学共同」15年度23件」東京新聞Web.2016年5月16日

――この技術交流制度に替わる新たな制度として出てきたのが「安全保障技術研究推進制度」ということですね。こちらも大学や民間による軍事研究を推進するための制度なのでしょうか。

ええ。安全保障技術研究推進制度の利用は大学、独立行政法人の研究機関(現在は国立研究開発法人)、民間企業の研究所等に所属する研究者を対象としていて、防衛省技術研究本部(当時)が作成した「平成27年度予算概算要求の概要」と題した資料には、「安全保障技術研究推進制度を活用することにより、独創的な研究の発掘、将来有望である芽出し研究の育成を行い、将来装備品への適用を図る」と紹介されています。

また2016年8月に防衛装備庁が公表した「平成28年度中長期技術見積り」でも、「将来的に装備品等の研究開発へ適用できる可能性がある基礎技術について安全保障技術研究推進制度(ファンディング制度)により発掘・育成し、その成果は優れた将来の装備品の創製のための研究開発において効果的・効率的に活用していく」と書かれています。つまり、安全保障技術研究推進制度は防衛装備品の創製を目的としていると明言しています。やはり、この制度も軍事研究であると言えるでしょう。

――どれくらいの資金援助が行われているのでしょうか。

資金の規模は、計画時点での予算としては初年度で20億円を要求しています。また、採択件数の想定は年間10~20件ほどで、研究期間は1年ごとに更新して最大3年間ですので、計画時点での予算規模は60億円と見積もられていました。

結果としては初年度分として3億円だけが認められ、2015年7月8日から2015年度分の公募が始まりました。約7分の1の予算でスタートしましたが,翌2016年度分には6億円,2017年度には単年度分が約12億円、かつ最大で5年間の研究費継続分に備えた国庫債務負担額の引当金総額として110億円が認められています。単年度分の研究費で考えると、毎年2倍ずつ増大していることが分かります。

――通常の研究助成との違いはどういった点なのですか。

最も大きな違いは、この推進制度が研究費の助成ではなく、防衛省側が設定した研究テーマに対する研究委託である点です。2015年度の応募では、防衛省の技術研究本部(当時)が提示した28件のテーマについて、申請者が独自の技術的解決方法を提案しました。例えば、テーマの一つに「昆虫あるいは小鳥サイズの小型飛行体実現に資する基礎技術」があり、8件の応募申請がありました。

基礎研究とあるので、実際の防衛装備を開発することが目的ではありませんが、公募要領に「研究の結果、良好な成果が得られたものについて、防衛省において引き続き研究を行い、将来の装備品に繋げていくことを想定しております」と目標が明記されており、将来の防衛装備を準備する研究です。

「戦争のための研究は行わない」

――民間による軍事研究が推進されている近年ですが、これまで日本学術会議は基本的には「軍事目的のための科学研究を行わない」という立場をとってきたと聞いています。

ええ。日本学術会議は1949年1月に創立しましたが、翌年の4月28日に開催された第6回総会で、「戦争を目的とする科学の研究には絶対に従わない決意の表明」を決議しました。抜粋しながら紹介すると、「創立にあたって、これまで日本の科学者がとりきたった態度について強く反省するとともに科学文化国家、世界平和の基礎たらしめようとする固い決意を内外に表明し」、そして「さきの声明を実現し、科学者としての節操を守るためにも、戦争を目的とする科学の研究には、今後絶対に従わないというわれわれの固い決意を表明」しています。

この声明は太平洋戦争において新兵器の開発に対して無批判に協力してしまったことや、科学者という立場で侵略戦争に加担してしまったことへの強い反省の気持ちからきたものだったとされています。

――戦時中、科学者たちはどのように戦争に関わったのですか。

戦時中の日本で科学者が組織的に動員されて軍事研究に加わるようになるのは、太平洋戦争が始まってから1年半ほど過ぎた1943年夏頃からです。陸軍や海軍の組織に動員された大学所属の科学者の場合、軍人である技術士官や軍属である技師の管理のもとで、補助的な研究人材として扱われていました。兵器開発の目標がどこにあるのかを含めて、知らされる情報も少なく、科学者が開発計画に主体的に関われるような機会はほとんどありませんでした。秘密主義、軍部中心主義の中で、多くの科学者は「部分研究」と名づけられたテーマを担当していたようです。

敗戦後には、このような経験をした多くの科学者、とりわけ中堅の科学者は、軍部の一方的なやり方に無批判に従ったことに対して、何らかの反省をしたのではないかと思います。つまり、日本独特の軍事研究動員の中で、戦時中に言論弾圧を受けたという体験や、無批判に軍事研究に関与してしまったという経験をした科学者がおり、彼らが中心となって、二度と軍事研究に協力すべきではないという声明が生まれたのでしょう。

その一方で、この時すでに、国家が戦争している時に科学者が軍事研究に協力したことに反省はいらないという反対意見もあったようです。つまり、「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意」という声明は、会員全員の総意ではなかったということです。

――防衛省からの資金援助が始まり、改めてこの理念が議論の的になっていますね。

ええ。この新たな軍事と学術研究の関係性のあり方をめぐっては、日本学術会議で検討会が開催され議論されて来ました。第1回の検討会では、現在の日本学術会議会長大西隆氏が、「日本国内における条件変化というのもあるので、現段階でこうした声明、考え方をどう捉えるのかというのは、当然ながら論点の1つであります」という問題提起をしました。

「条件変化」には、国際的な紛争や領土や防衛を意識させる出来事が続いていることも含みますが、武器輸出三原則が防衛装備移転三原則に変わったこと(2014年4月)、専守防衛政策と矛盾するような、集団的自衛権を行使できるようした安全保障関連法の登場(2016年3月)などが含まれていると考えられます。大西会長にとっては、安全保障技術研究推進制度もこうした「条件変化」の一つと映ったのかも知れませんが、この問題提起は、軍事研究から意識的に距離を取ってきたこれまでの理念を覆しかねないもので、多くの研究者に動揺を与えたように思います。

とはいえ、日本学術会議でこの理念のあり方が注目を浴びたのは今回が初めてではありません。例えば1966年には、日本物理学会が主催し、日本学術会議が後援して開催された半導体研究に関する国際会議に、アメリカ軍から資金が提供されていたことが報道され、この問題を巡って、日本物理学会の臨時総会が開かれました。この時には「日本物理学会は今後内外を問わず、一切の軍隊からの援助、その他一切の協力関係を持たない」という決議を行なっています。

また、1967年10月に開催された日本学術会議第29回総会では、こうした動きを受けて「改めて、日本学術会議発足以来の精神を振り返って、真理の探究のために行われる科学研究の成果が又平和のために奉仕すべきことを常に念頭におき、戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わないという決意を表明する」という内容を決議しました。この決議は「軍事目的のための科学研究を行わない声明」と題されていました。こうした文言からは、日本学術会議の理念は、日本物理学会にも受け継がれ、むしろ強化されたとも思えます。

一方で、議論の中で軍事研究禁止の理念が後退したこともありました。例えば1995年には、軍事研究を行う海外の研究者の日本での国際会議への参加めぐって議論が行われました。その結果、研究費が軍関係から出ていたとしても、軍関係者による研究報告があっても、その研究内容が明白な軍事研究でなければ、拒否しないというように変更しています。

こうしたことからも、学術研究と軍事研究の関係性は、常にそのあり方や解釈をめぐって議論が行われていたのだとわかると思います。ただ今回の場合は、大西会長の発言や、防衛装備開発の研究委託制度ということもあって、憲法9条を持つ日本において軍事研究を実施的に解禁したのではないかと受け止める人もいたかと思います。そうした意味でとても大きな衝撃を与えているのだと思います。

「防衛のため」ならいい?

――今回の議論では、防衛装備の研究であれば参加していいのではなないかという意見もあります。

最近のように、北朝鮮が核兵器や長距離ミサイル技術の性能を向上させていると報道され、また中国も防衛能力を高めていると聞けば、日本の防衛力は大丈夫か、もっと防衛費を増やし、軍事研究を促進すべきではないか、という気持ちに駆り立てられるのは当然だと思っています。結果として、攻撃的な兵器開発には反対でも、防衛のための兵器開発ならよいのではないかと思い悩むことはごく自然な流れです。

戦争を目的とする研究を否定する理念には賛成するし、軍事研究が学術の健全な発展を妨害するかもしれないことは承知している。しかしそれは、防衛力を向上させるための研究が必要でないという理由にはならない。そうした議論も可能だと思います。

あるいは、防衛目的の研究は、攻撃的な兵器開発ではないのだから軍事研究とは別に考えて、安全保障技術という名前にでもして研究すればよいのではないか、という意見もあるかと思います。

――防衛目的であれば、戦争を目的とする研究には入らないと言えるのでしょうか。

防衛技術と攻撃技術の区別が可能かという視点で考えると、事情は複雑です。事例で考えて見ましょう。例えば原爆は、攻撃ではなく防御の目的を持ってアメリカで開発されました。原爆開発を進言した物理学者のシラードは、ナチスドイツが原爆開発計画をスタートさせるという恐怖から、ドイツが先に原爆を開発して使用することがないように、先に開発すべきであると考えたようです。あくまで抑止、防衛が動機だったのです。

第二次大戦中に開発された、電波を利用して敵航空機の接近を探知するレーダーの開発の場合も示唆的です。敵が接近することを知る機能(探知機能)は防衛的と言えますが、レーダーには相手までの距離を正確に測定できる機能(測距機能)があり、これは先制攻撃の手段に使われます。このように、防衛か攻撃かを兵器そのもので区別することは困難で、運用で決まると考えた方がよさそうです。

――「防衛目的」と位置づけることが難しいのですね。

科学技術の両義性は、攻撃・防御だけではありません。確かに、防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」という名前からも分かるように、この場合の安全保障技術は防衛装備と同義語です。日本学術会議が、今年3月初めに公表した「中間取りまとめ」では、「軍事的安全保障研究」という表現でその性格を表しています。

しかし一方で、日本の科学技術政策やイノベーション政策の中枢機能を果たしている、総合科学技術・イノベーション会議は昨年、「安全保障に資する可能性がある研究開発」を目指し、自然災害やウィルス感染の拡大、テロに備えた装備・技術などを想定した研究開発を推進すると宣言しました。そして、これらの技術開発では、防衛省の協力が必要な技術、さらには実際に運用する場面が想定される自衛隊の協力が不可欠であるとして、防衛省や防衛産業界からの協力を求めています。

つまり、自然災害対策などに用いる技術の開発を行う際に、軍事技術と共通する技術を活用する必要があるのではないかという考えです。政府の方針では、これらを軍民両用技術(デュアル・ユース技術)という言葉で呼んでいます。

軍事的な技術ではなく、こうした自然災害などからの防衛技術ということならば、攻撃的な技術との区別が成り立つのではないかという問い立てがあるかもしれません。当然、災害予防に関わる安全保障技術の開発は必要なことです。新型インフルエンザや、さらに危険なウィルス感染に対抗するための技術は科学技術の平和利用といえるでしょう。しかし、こうしたウィルス等の感染力に関わる研究は、生物兵器への対策に止まらず、効果的な生物兵器そのものの開発に使われる可能性があり、実際にそうした懸念が指摘されています。

ここでも、技術や研究の側からは区別を付けることは困難で、何を開発しようとしているのかという目的、どのように使おうとしているのかという運用方法で区別するほかはありません。

防衛や安全保障のための技術が、いかに攻撃技術と密接に関わっているか、関わる可能性があるのかを考えると、防衛目的の研究は戦争のための研究ではないという議論は、想像以上に複雑かもしれません。

揺れる軍備と科学技術の関係

――安全保障技術研究推進制度の開始を受けて、日本学術会議では理念の見直しも含めて検討されていると聞きました。こうした議論を呼び起こす制度が今現れている理由は何だとお考えですか。

安全保障技術研究推進制度が登場した背景には、北朝鮮の核開発やミサイル開発など、近年の防衛環境の悪化があるとする見解もありますが、私の判断では、より長期的な変化の結果だと思っています。防衛装備開発に関わる新たな制度が登場するには、20年ほど前からの取り組みがあったと思うからです。

例えば、今回の安全保障技術研究推進制度は、2014年6月に閣議決定された『防衛生産・技術基盤戦略』に基づき検討が始まりましたが、こうした検討が実施された背景には、1989年の冷戦終結後の軍需産業界の再編の動きがあります。冷戦後、アメリカでは大幅な軍事費の削減や、一方で2000年代にはハイテク兵器の開発など、産業の再編が進みました。次第に日本にもその影響が及んだのです。

――具体的にはどのような経緯で今回の安全保障技術研究推進制度に至ったのでしょうか。

日本における軍事研究に関わる最初の変化は、先にも紹介した、1995年5月に経団連が提示した「新時代に対応した防衛力整備計画の策定を望む」という提言です。アメリカの防衛産業においても防衛費削減のもと再編が進む中で、日本の防衛産業について、「防衛生産・技術基盤が一旦崩壊すると、その再構築には多大な時間と経済的コストが必要になる」、それゆえ、日本政府としては、防衛予算の単純な削減に動くのではなく、基盤の維持・強化のための施策を実施すべきだとして、長期的な視野に立った防衛技術戦略の策定を政府に求めました。これは、2016年の『防衛技術戦略』を登場させる最初の提言といえます。

さらに2004年の経団連による提言では、「わが国では、従来、防衛技術と民生技術は、政策上、別個のものとして扱われがちであったが、今後は、防衛、民生を含めた広範囲の総合的な科学技術の向上とフレキシブルな対応能力の涵養」が必要であると述べ、軍事技術と民生技術をフレキシブルに扱う提言や、「防衛関連技術をタブー視することなく、安心・安全に関する技術開発のあり方やそのための資源配分のありかた、技術安全保障に関する方針などについて十分な議論が行われる必要がある」と、科学技術基本計画の中に防衛技術開発を加えることも提言しています。その後はより具体的な形で軍事技術に民生技術を取り込む必要性、科学技術政策に軍事技術に転用できる両用技術開発を加える必要性など、すでにアメリカで進められていた軍民融合という路線を提言してきました。

また、2014年11月にはアメリカが「国防イノベーション構想」で、防衛技術における技術的優位性を確保することで、相手の能力を相殺するという「第3のオフセット戦略」を示しました。以後の軍事研究は、こうした動きも取り入れ、防衛技術における「技術的優越の確保」と、優れた防衛装備品の「効果的・効率的な創製」という方針に結びついていきます。アメリカや中国は、軍における「ゲーム・チェンジャー」となりうる最先端の軍事技術をいち早く保有するため、研究開発に注力しています。こうした背景を受けて、日本でもこのゲーム・チェンジャーの開発競争に遅れをとらぬよう、軍事研究推進の動きに拍車がかかった側面があるでしょう。

――短期的な対外的安全保障に対する懸念だけではなく、冷戦以後の長期的なコンテクストで読み解く必要性があるのですね。

ええ。物事の登場には、歴史的なバックグラウンドがあります。なぜその事象が生じたのかを考えるとき、そうした長期的な文脈を振り返っておくことは、事態を冷静に分析するために必要ではないかと思います。

開発した技術の責任を背負う

――防衛省への資金面での依存が高まると、研究の自主性・自立性が損なわれるという懸念の声も聞きますが、なぜ学術研究は軍事研究から自立していなければならないのでしょうか。

大前提として、学術の健全な発展のためには、研究の自主性・自立性が欠かせない、ということがあります。人類のこれまでの科学知識の発展は、人々が知恵を出し合い、批判的な討論を重ねてきたことでもたらされたものです。閉鎖された集団、管理された集団、批判が許されない集団では、長期的にみた場合に、学問の発展、科学の発展が停滞してしまう。これは科学史の事例からも指摘できます。

軍事研究を進展させる手法として、目的基礎研究があることに触れましたが、目的基礎研究では研究に関わる科学者に対して進捗管理が行われる場合があります。これは短期間で結論を出して目標の実現に向う目的基礎研究のようなプロジェクト型研究には有効な手段ですが、同時に科学者の自主性や自立性に制限を加え、科学技術発展のための弊害になることも懸念されます。

アメリカの科学史家であるスチュワート W. レズリーは、その著『冷戦とアメリカ科学』(1993年)のなかで、科学者が軍事研究を目的とした政府と契約することで、軍事研究への関心が、幅広い知的好奇心に取って代わることの弊害を論じています。こうした懸念は、軍事研究を大規模に進めるアメリカ政府でも認識されており、冷戦期の核軍拡競争の時代においても、軍事研究を行う大学の研究施設を通常の大学キャンパスから切り離すなど、軍事研究の弊害を最小にする対策を取っているといいます。

――自由に発想し、批評できる環境こそが、科学技術の発展には欠かせないのですね。

その通りです。ただ、自由、自主性・自立性といっても、それは勝手気ままな権利ではありません。むしろ厳しい責任を科学者自身が背負うことを意味します。しかし今現在、すべての科学者がこうした厳しい責任を自覚しているのかといえば、その答えはノーと言わざるを得ません。

それでも現在、日本学術会議などが中心となって、科学者の自主性・自立性を踏まえて、研究者倫理、研究に関するガイドラインを作っています。法律による規制が整っていない問題でも、研究費の不適切な使用を防ぎ、研究データの捏造や不適切な流用などを防止する対策を、社会からの厳しい視線を自覚することで、科学者が作り出しています。

今回の軍事研究の問題の場合を、この研究者倫理の問題として考えると、結果責任を科学者が背負うことなのだと考えています。ロボット開発での結果責任を考えてみます。少し古い例になりますが、私の世代にとってロボットと言えば、鉄人28号、鉄腕アトムでした。さらに鉄腕アトムに登場するプルートゥを加えて、3種類のロボットを次にように分類してみましょう。鉄人28号は、テレビ番組で使われた歌にも出て来る、「敵に渡すな大事なリモコン」というように、使用者によって、「正義の味方」にも「悪魔のてさき」にもなります。一方、鉄腕アトムの歌詞には、「心ただし ラララ科学の子」とあるように、最初から正義の味方となっています。プルートゥはとりあえず、悪魔のてさきとさせてもらいましょう。

これからのロボットを開発する科学者が結果責任を負う必要があるとすれば、鉄人28号ではなく鉄腕アトムを生み出すように努力しなければならないということではないでしょうか。自分の研究が、その後にどのような物に転用されるのかは、科学者の責任ではないという態度は、鉄人28号を作りあげることと似ているからです。

科学者が果たすべき結果責任とはどのようなものなのか。こうした結果責任を科学者が自ら考え、背負うことを避けるならば、科学者は、社会からの特権とも言いえる、自主性・自立性をもつ資格を失うのではないかと思います。

プロフィール

河村豊科学史

国立高専機構、東京工業高等専門学校(教授)。太平洋戦争中に物理学者がどのように兵器開発に動員されたかについて、たとえば、旧日本海軍のマイクロ波レーダー開発や殺人光線開発の事例を通して調べてきた。また、科学史研究の延長として、現代の科学技術政策や、科学者動員の関心から、防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」などの「軍学共同」問題の分析を行っている。発表してきた論文については、以下でみることができる。http://researchmap.jp/read0111947/

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