近藤誠氏の『ワクチン副作用の恐怖』に対する批判とその先

実感しにくいワクチンの効果

 

ワクチンの効果は実感しにくい。インフルエンザワクチンを例として考えてみよう。成人の季節性インフルエンザワクチンの有効率は40%~60%程度である(1)。ざっくり50%として、ワクチンなしだと100人中20人が発症する集団に、ワクチンを接種すると、発症を半分、つまり10人に減らすことできる。逆に言えば、ワクチンを接種していても100人中10人はインフルエンザを発症する。

 

この10人は「せっかくワクチンを接種してもインフルエンザに罹った。ワクチンには効果がない」と誤認しうる。一方、ワクチンのおかげでインフルエンザを発症しなかった10人は効果を実感できない。ワクチンを接種しようがすまいが発症しなかったであろう80人の中に紛れてしまう。

 

有効率の高いワクチンなら効果を実感できるだろうか。麻疹(はしか)ワクチンの有効率は高く、93%~97%だとされている(2)。集団におけるワクチンの接種割合が高ければ麻疹は流行せず、理論的には根絶も可能である。日本における麻疹の報告数は1990年代には年間数万人であったが、2009年以降は数百人以下までに減少した。2015年には麻疹の土着株がいない排除状態だと世界保健機関(WHO)に認定されており、以降の日本の麻疹患者はすべて輸入症例もしくは輸入症例からの感染である。

 

数字の上からは麻疹ワクチンの効果は明らかだが実感はそうでもない。周囲に麻疹患者がいなくなったのは有効率の高いワクチンのおかげであるにも関わらず、「麻疹になんかめったに罹らないからワクチンは不要だ」などと主張する人が出てくる。

 

実際の効果と実感が乖離していると「ニセ医学」に付けこまれやすい。たとえば、固形がんに対する抗がん剤治療がそうだった。副作用は強く、生存期間の延長は数ヶ月間程度であった。副作用に耐えてもがんが縮小するのは一時的で、いずれはがんが進行して命を落とす。患者や家族が、がんの進行による症状を抗がん剤の副作用だと誤認することもある。「抗がん剤は効かないばかりか命を縮める」と主張するニセ医学本は複数ある。

 

その代表的な著者が近藤誠医師だ。元・慶應義塾大学医学部専任講師であり、独自の「がんもどき理論」に基づいて「がん放置療法」を勧めている。『患者よ、がんと闘うな』『がん放置療法のすすめ 患者150人の証言』『抗がん剤は効かない』などの著作がある。抗がん剤は固形がんに効かない(延命効果もない)との主張に留まらず、症状がないうちは手術すらせずに放置せよという近藤誠氏の主張は、医学界の標準的な見解とはきわめて異なる。

 

抗がん剤治療が生存期間を延長することは臨床試験で証明されており、だからこそ標準医療として採用されているが、実際の効果があっても実感を伴わなければ近藤誠氏の嘘はばれにくい。しかし、近年は抗がん剤治療も副作用対策も進歩し、がんの種類によっては数年単位での延命も可能である。ソーシャル・ネットワーキング・サービスが発達し、標準医療を受けつつ社会生活を送っているという進行がん患者の声も届きやすくなった。「抗がん剤は効かない」という嘘は通用しなくなりつつある。

 

 

『ワクチン副作用の恐怖』、数々の間違い

 

さて、2017年11月、近藤誠氏は『ワクチン副作用の恐怖』(文藝春秋)を出版した。これまでもワクチンについて否定的な主張はあったが、一冊丸ごとワクチンというのは初めてだろう。ワクチンに副作用があるのは事実だ。しかし同時に利益もある。ワクチンを接種すべきかどうかは、副作用などによる害と利益を比較して判断しなければならない。

 

がんに関する近藤誠氏の著作において、単なる間違いや一般の読者に誤解させるような表現が多数みられた。『ワクチンの作用の恐怖』も同様である。いちいち指摘していたらきりがないが、いくつか指摘しよう。

 

日本では2016年10月にB型肝炎ワクチンが定期接種となった。それまでは感染している母親から出生した児や、感染者のパートナー、医療従事者などに限られて行われていたワクチン接種が、原則としてすべての乳児が対象となった。近藤誠氏は定期接種化の目的を正しく理解していない。

 

母子対策の実績から見て、B型肝炎ワクチンは有効でしょう。ただし日本では、母子対策が成功したため、乳幼児のキャリアーはごく少ないので、定期接種の目的は主として、思春期以降に性行為で感染することの予防になります。(P190)

 

「B型肝炎ワクチンの定期接種の目的は、性行為で感染することの予防が主である」という近藤誠氏の主張は誤りである。それならば、思春期にワクチン接種をするはずだ。乳児のうちにワクチン接種をする目的は母子以外の家族内感染や保育園等での水平感染の予防である(3)。小児期にB型肝炎ウイルスに感染すると慢性化しやすいことが考慮されてのことだ。

 

B型肝炎母子感染防止事業によって小児のB型肝炎キャリアが激減したというのは事実。しかしながら、だからといって小児期のB型肝炎ウイルス感染に対して何も対策をしなくていいことにはならない。

 

ワクチンで予防する意味があるのは、ウイルスキャリアーが多くて、性行為で感染する可能性が高い場合です。ワクチンに積極的なフィンランドを含めた北欧諸国も、全国一律に接種するのは医療経済行為が低いため、定期接種化を見送っています。(P191)

 

フィンランドが一律のB型肝炎ワクチン接種をしていないというのは事実であるが、フィンランドのみ言及するのはフェアではない。世界中で乳児に対する一律のB型肝炎ワクチン接種(ユニバーサルワクチネーション)を行っていないのはフィンランド、イギリス、ノルウェー、アイスランド、デンマークなどの数カ国のみである。

 

最近になってユニバーサルワクチネーションを導入した国もある。2008年にアイルランド、2011年にオランダ、そして2016年に日本である。WHOのサイトにあるB型肝炎ワクチンの接種割合の地図を引用する。95%もの国が一律接種を採用している。この地図は2016年のものなので日本はまだ白いが、2017年には青く塗られることになる。

 

 

図01

 

 

いろいろなワクチンの導入に積極的なWHOが、B型肝炎の接種制度を勧告するのは、キャリアー率が一%以上の場合です。(P191)

 

誤りである。1992年にWHOは一律接種を推奨しており、現在でも同様の方針である。WHOのポジションペーパーには「すべての幼児に対する一律のB型肝炎ワクチン接種は世界中の国家予防接種スケジュールの不可欠な部分になるべきである」と記載がある(4)。感染者の割合の低い国でも幼児期の一律のワクチン接種が優先されるべきで、感染した母親から生まれた児にのみワクチン接種を行う方針は、選択肢にはなるものの部分的にしか有効ではない可能性があるとも指摘されている。

 

一律接種が推奨されている理由は、母子感染以外にも小児期に感染機会があり慢性感染の要因になっていることと、B型肝炎ウイルスに感染している高リスクの妊娠女性はしばしば妊婦検診を受けないことからである。だから、アイルランドやオランダや日本が定期接種になったのだ。

 

他方で定期接種化したら、その率を減らせるというデータは皆無でした。(P191)

 

誤りである。B型肝炎ワクチンの定期接種後にキャリアー率が減った事例はいくらでもある。というかすでに述べたように、乳幼児全員を対象にした一律接種が世界の標準である。一例として台湾を挙げよう。台湾はB型肝炎が多い国であったが、世界に先駆けて一律接種を導入した。以降、定期的にHBs抗原陽性割合(キャリアー率とほぼ同じ)の調査を行っている。一律接種を導入後にB型肝炎感染者の割合が減少すること、ワクチン世代の年齢が上がるにつれて高年齢層でもB型肝炎感染者が少なくなることが明確にみてとれる。

 

 

図02

 

 

英国の研究でも、米国の研究でも、B型肝炎ワクチン接種によって多発性硬化症の発症率が高まっています(Neurology 2004;63:838, Autoimuunity 2005;38:295)(P155)

 

B型肝炎ワクチンと多発性硬化症の関連を示した研究があるというのは事実である。しかしながら一方で、B型肝炎ワクチンと多発性硬化症には関連がないとする研究もある。たとえば、カナダのコホート研究(5)、アメリカ合衆国のコホート研究(6)、アメリカ合衆国のコホート内症例対照研究(7)、フランスの症例対照研究(8)。また、6つの研究を統合したメタ解析ではB型肝炎ワクチンと多発性硬化症の関連は認めなかった(9)。B型肝炎ワクチンは多発性硬化症を引き起こさないというのが現在のコンセンサスである(10)。

 

以上、B型肝炎ワクチンに限定してすら、これだけの誤りがある。他のワクチンについても誤りを指摘していったら、もともとの本よりも分量が多くなる。しかしながらどれだけ誤りを指摘したところで、ワクチンの効果を実感できず近藤誠氏をすでに支持している人たちには届きにくい。ワクチンの安全性や効果を示すデータは無視されるか、製薬会社が捏造したものなどと考えられてしまうだけかもしれない。

 

 

医療に関する情報は人の命を左右する

 

誤りを指摘するのとは異なるアプローチが必要で、医師の立場からは、個々の患者に対して丁寧に診療し信頼を勝ち取るぐらいしか思いつかない。ワクチン接種後になにか良くないことが起こったとき、ワクチンのせいかもしれないと患者が感じるのは自然なことである。医療者は患者の話をよく聞いて適切に対処しなければならない。患者がニセ医学になびく原因の一つが不適切な慣行医療にある(副作用対策の不十分な抗がん剤治療が「がん放置療法」を招いたように)。医療のレベルを上げることがニセ医学対策になる。

 

私は、私自身が受けたいと思う医療を患者さんに勧めている。ワクチンについてもそうだ。インフルエンザワクチンは毎年受けているし、B型肝炎ワクチンは医学生のときに接種した。近藤誠氏の著作の出版に関わった人たちはどうか。氏の主張、たとえば「がんは治療せずに放置せよ」を実践しておられるのだろうか。

 

出版社をはじめとしたメディア関係者にもお願いしたいことがある。医療に関する情報は人の命を左右する。我々医師が安易に処方した薬が人を殺すことがあるのと同様に、あなたがたが安易に発した言葉が人を殺すことがある。その責任を自覚していただきたい。

 

(1)https://www.cdc.gov/flu/about/qa/vaccineeffect.htm

(2)https://www.cdc.gov/measles/vaccination.html

(3)小児感染免疫.2009;21(2):149-157

(4)http://www.who.int/immunization/topics/WHO_position_paper_HepB.pdf

(5)Neuroepidemiology. 2009;32(4):257-62.

(6)Nat Med. 1999;5(9):964-5.

(7)N Engl J Med. 2001;1;344(5):327-32.

(8)Arch Pediatr Adolesc Med. 2007;161(12):1176-82.

(9)J Neurol.2011;258(7):1197-206.

(10)https://www.cdc.gov/vaccinesafety/concerns/history/hepb-faqs.html

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

 

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