3人の母と息子たち――サンプル「ファーム」劇評

「成熟と喪失」から約半世紀、日本の「母」は今

 

小劇場演劇の中の「母」が気になりだしたのはいつからだろう。

 

演劇は目の前に人間の身体があるというのが他ジャンルにない特徴だ。だから、魅力的な俳優を見るのが楽しみの一つである。時には2メートルといった至近距離から、彼ら彼女らをどんなにじろじろ見ても怒られない。

 

俳優たちはもちろん役を演じているが、じっと彼女ら彼らの身体を見ていると、いろんなものが役をはみ出てくる。彼らが演じる「お話」にしてもそうで、表面上のお話の下には別の、様々なお話が隠されており、彼らの身体を通してそれが泡のように浮かび上がってくる。

 

数年前から、その何重にもなった「お話」の中心に、かなりの割合で「母」がいることに、否応なく気づかされるようになった。ことに男性作家の書いた、家族劇の要素がわずかでもある作品は、ほぼ全部そうだと言ってよい。それは母親という役割の人であったり、他の人物が担う母性であったりする。中には母親という役柄の人が登場せず、登場人物のセリフにも一切、母が登場しない作品もあるのだが、そんな場合ですら、家族間の人間関係の見えない焦点には不在の母がいたりする。

 

前回シノドスに掲載したレビューで取り上げた演劇ユニット「鳥公園」の「空白の色はなにいろか?」で、主宰の西尾佳織は女性の立場から男性の身勝手さを批判し、挑発をしていた。その批判や挑発を受けて日本の男性について考えていくと、その結節点にはやはり、母という存在が浮かび上がってくる。母は男性を生み育てる女性だからだ。ことに父親が仕事に忙殺され、存在感が薄いことが多い日本の家庭では、母親が圧倒的なパワーを持って子どもの上に君臨する。子どもの成績に一喜一憂し、勉強させることでその将来に影響を与えようとする「教育ママ」はその代表例だ。そして男性は、大人になってからの男女関係において、かつての母親との関係を何らかの形で反復することになる。

 

戦後を代表する文芸評論家だった江藤淳は代表作『成熟と喪失』で、戦後日本の小説の中の母と息子の関係を分析し、母子密着の傾向がある日本社会における男性の成熟の課題について論じた。私はたまたまこの本の出版年と同じ1967年(昭和42年)の生まれなのだが、この本に影響を受け、評論活動の一つの指針としてきた。

 

『成熟と喪失』から47年が経った。女性の社会進出が進み、平等の要求が突きつけられている2014年現在、日本社会の男女関係はどうなっているだろうか。それは、日本の母はどうなっているのか、という問いと本質において重なる。そして、現時点の日本の母の姿は、小説ではなく演劇、特に現代を鋭く反映する小劇場演劇においてこそ、鮮明な形で浮かび上がっている。シノドスに掲載する劇評では、小劇場演劇における男女関係と家族を中心的なテーマとして想定しているが、その中でも母は問題の焦点になるはずだ。

 

 

3人の女性に表象される「多様な母」

 

今回取り上げる劇団サンプルは、劇作家・演出家・俳優である松井周が主宰する団体である。松井は、ねじくれた奇妙な物語を通じ、従来の人間観を更新していく作品を発表し続けてきた。日本の演劇のまさに最先端を担う劇作家・演出家として、ニューヨーク・タイムズ紙の演劇欄で半ページのスペースを割いて紹介されたこともある。

 

松井の生み出す物語の最大のテーマは家族であり、特に母子関係に焦点を当てた作品が多い。演劇界の芥川賞と言われる岸田國士戯曲賞を受賞した「自慢の息子」(2010年)は、密着した母と息子が軸となる話だった。また昨年の作品「永い遠足」では、父を殺し母と交わったギリシャ悲劇の「オイディプス王」の物語をベースとしながら、父殺しは起きず、母子相姦だけが行われるという実に日本的な物語となっていた(筆者によるこの作品の評が小劇場レビューマガジン・ワンダーランドに掲載されている http://www.wonderlands.jp/archives/24691/#more-24691)。

 

松井は間違いなく、母子の密着関係に深い関心を寄せている。小劇場の劇団は、ほとんどの場合、劇作家・演出家を兼ねる主宰と、ほぼ同世代の俳優たちで構成されている。サンプルもその例外ではないが、正式の劇団員ではないものの、母親役を演じる年配の女性(羽場睦子)が常連として作品に参加している。年配の女性の出演自体、小劇場演劇ではかなり珍しいことだが、羽場が舞台の上で体現する「うっとうしい母性」はサンプル作品のトレードマークの1つとなっている。

 

今回の作品「ファーム」では、母親を演じるのは羽場1人ではない。「ファーム」は男女が3人ずつ、合計6人の登場人物で構成される劇だが、3人の女性(戯曲上の役柄名では「母」(町田マリー)、「ゾーン・トレーナー」(野津あおい)、「老婦人」(羽場睦子)はなんと全員が母の表象を帯びているのだ。

 

主人公逢連児(オレンジ)(奥田洋平)の母親である「母」は言うまでもない。「ゾーン・トレーナー」というのは、戯曲では「男」(金子岳憲)とクレジットされているスーパーの店長が頼る怪しげなスピリチュアルの導師なのだが、外見はバーのマダム風で、「男」には「ママ」と呼ばれ、悩み多い「男」を時に優しく、時に突き離すようにして導いていく。また「生まれ直しの儀式」という秘儀を持っているが、これは「ゾーン・トレーナー」がクライアントの母、クライアントが自らの父親を演じながらセックスをすることで、無意識レベルから自己を更新できるというものである。「老婦人」は、逢連児の身体を使って培養されている事故死した犬「啓太」(ただし、培養しているのは眼球だけなのだが)の「お母さん」(飼い主)として登場し、逢連児に対しても、母親的な愛着を示す。やがて逢連児の妻となり、作品の最後では逢連児の細胞から作った受精卵を宿し、文字通りの母親となるのである。

 

この3人の母親のうち、中心にいるのはやはり逢連児の「母」である。逢連児は遺伝子組み換えにより誕生した特異体質の子どもで、異常に成長が速い。作品の冒頭では実際の年齢は小学校高学年に相当するぐらいだが、外見や知能は三十代の成人男性である。「母」も三十代なので、この2人は親子でありながら、同じ年齢ぐらいに見える。「母」は家庭を顧みないバイオ・テクノロジーの科学者である「父」(古屋隆太)に愛想が尽き、パートをしているスーパーの店長(「男」)に乗り換えようと思って、離婚を持ちかける。

 

 

「ファーム」より奥田洋平(左)と古屋隆太 撮影:青木司

「ファーム」より奥田洋平(左)と古屋隆太 撮影:青木司

 

 

母親は3人の男(「父」「男」と逢連児)の関係の輪の真ん中にいる。それぞれから異なる形で愛され、執着されている。「母」が3人の男のうち2人と共にいる場面が3種類(「父」と「男」、「男」と逢連児、逢連児と「父」)、用意されているのだが、そこでは2人の男は必ず、とげとげしい雰囲気になる。「母」の女性としての愛を競い合う「父」と「男」は当然なのだが、逢連児にとっても「父」や「男」は「母」の愛情を奪うライバルに他ならないのだ。

 

「母」を演じる町田マリーは、自分が女性であることを最後まで手放さない今どきの女性を見事に演じている。ノースリーブのワンピースも女性らしさを強調している。特に素晴らしいのが声だ。舞台女優は基本的に鍛えられた強い声を持っているが、町田の声は弱さや線の細さを感じさせ、それが女性らしさを効果的に表現している。実際には町田の声は会場のどこにいてもよく聞こえるし、最後までかすれることもない。だから「弱さ」はあくまで印象に過ぎないのだが、その印象こそ効果的なのだ。

 

「母」と逢連児は、「父」が不在(年に1度連絡を寄越す程度)の家庭で、極めて密接な関係を築いてきた。「母」が女性として魅力的であることは、逢連児にとっても嬉しいこと(男の子は「きれいなお母さん」が好きなものである)だが、同時にライバルが出現して母親を自分から奪っていく不安にも脅かされることになる。最愛の「母」が、同時に自分の最大の不安源でもあるという世界に逢連児は住んでいるのである。

 

 

左から金子岳憲、野津あおい、町田マリー 撮影:青木司

左から金子岳憲、野津あおい、町田マリー 撮影:青木司

 

 

 

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