「ゼロリスク幻想」とソーシャル・リスクコミュニケーションの可能性 

2011年3月11日に発生した東日本大震災と、それによって引き起こされた福島第一原発の事故は、1ヶ月以上経過した現在もなお、大きな余震や放射線漏れ、あるいは風評被害など、現在進行形のリスク要因としてわたしたちの生活を脅かしつづけている。

 

したがって、「今そこにある危機」をどう乗り切るかが重要な関心事となるのは当然だが、一方、一部では、「なぜこうなってしまったのか」に関する分析や考察が出はじめている。地震や津波が「想定外」の規模だったかどうかについては議論の余地があるらしいが、原発事故が人災であることは否定できないし、二度と繰り返したくないものであることもまちがいない。

 

わたしたちが何をして何をしなかったか、何がどういうふうに起きて現在の状況がもたらされたのかを検証していく作業には大きな意味がある。この手の話はえてして責任追及に関心が向きがちだが、それが重大なものであればあるほど、再発防止のための事実の把握や背景の分析に大きな力が割かれなければならない。

 

 

深刻な風評被害

 

なかでもいま個人的に気になっているのは、国内外で発生している風評被害だ。とくに今回は原発事故が関係しているため、被災地への観光だけでなく、被災地の産品への需要も大きな影響を受けており、また避難者への差別すら起きているという。

 

 

「地震・津波・原発事故に風評被害…「四重苦だ」」(朝日新聞2011年4月16日)

http://www.asahi.com/national/update/0416/TKY201104160158.html

福島第一原発の事故で風評被害が広がっている。被災地周辺の野菜や牛乳が敬遠され、がれきの受け入れで苦情が殺到した。子どもへの差別的な言動も報告された。放射能への誤解や過剰な警戒が原因だ。政府や行政は冷静な対応を呼びかける。

 

 

情報が錯綜する混乱した情勢のもとでは、ただでさえ誤解や無知にもとづく誤った風評が発生しやすい。なかには、意図的なデマが原因となっている場合もあるだろう。これまでとちがうのは、ネットやソーシャルメディアの発達によって、そうした風評の拡散の規模やスピード、可視化の度合いが増したことだろうか。

 

これをもって、ネットの「闇」の部分だとか、ソーシャルメディアの限界だとか論ずる向きもあるようだが、まったくまちがいとまではいえないものの、やはり筋ちがいといわざるをえない。これらはネット以前から存在し、人間のコミュニケーションに不可避的について回る、いわば一種の病理現象のようなものだ。問題はメディアではなく、人間の側にあるから、仮にネットがなかったとしても誤報やデマがなくなるわけではない。

 

総務省は4月6日、ネット上の流言飛語について、通信事業者等に対し、法令や公序良俗に反する情報の自主的な削除を含め、適切な対応をとることを要請した。

 

 

「東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語への適切な対応に関する電気通信事業者関係団体に対する要請」

http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01kiban08_01000023.html

総務省は、本日、電気通信事業者関係団体に対し、東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語について、各団体所属の電気通信事業者等が表現の自由に配慮しつつ適切に対応するよう、周知及び必要な措置を講じることを要請しました。

 

 

「流言飛語」の具体的な定義があきらかでないため、これが風評被害の原因となるさまざまなネット上の言説を含むのかどうかはわからないが、いずれにせよ、多くの場合、ネットは情報拡散のスピードとともに、収束までの時間も早めている。したがって、情報の流れを下手に抑制すれば、かえって収束までの時間を引き伸ばすことになり、逆効果になるおそれもあろう。もちろん、影響が大きくなれば実害が出るだろうから、野放しにしていいというものでもないが、規制強化と受け取られかねない動きはできるだけ慎むべきと考える。

 

 

1 2 3 4 5
シノドス国際社会動向研究所

vol.278 

・山本貴光+吉川浩満「人間とは衝動に流されるものである」
・熊坂元大「培養肉――クリーンミートあるいは現代のプロメテウス的産物」
・伊藤隆太「進化政治学と政治学の科学的発展――社会科学の進化論的パラダイムシフト」
・鈴木公啓「ひとはなぜ装うのか?」
・平井和也「新型コロナウイルスの世界経済への影響」
・石川義正「ミソジニーの「あがない」──現代日本「動物」文学案内(3)」