2017.09.05

「あたりまえの日々を生きたいだけです」――福島の住民の小さな声を聴く

服部美咲 フリーライター

社会 #福島#不条理の壁を越えて

はじめに

東京電力福島第一原発事故が起きた2011年3月以降、放射線等の計測と公表が徹底された。現在でも福島県内全域にいわゆるモニタリングポスト(リアルタイム線量測定システム)が設置され、県の公式ホームページでも空間線量値がリアルタイムで公表されている。県内で収穫されたコメは出荷前に全量全袋検査を受け、土壌の検査も継続されてきた。

線量の計測とともに、農地の除染も徹底され、コメの出荷前測定で基準値100Bq/kgを超えるものは2015年から0袋となり、その他の流通する農産物も基準値未満であることはもちろん、検出されるものすらほとんどないという状況が達成されている。

こうした除染や生産の現場ばかりではなく、福島県民一人ひとりが未曾有の震災と原発事故から立ち上がり、新しい日々を歩もうとしている。今回はそんな住民の一部の声を伝える。

「福島県民は来るな」

突然投げつけられた言葉に、aquaさん(仮名・40代女性・福島県郡山市在住)は雷に打たれたように竦んだ。首都圏の巨大テーマパークの長蛇の列を予想した長男(小学校6年生)が、いわゆる「位置ゲーム」と呼ばれる、GPS機能を利用して仮想空間でユーザー同士がデータの交換をしながら遊ぶゲームを開始した直後の出来事だった。同じゲームをしていたらしい小学生が、同じ列の中から鋭い声を発した。

「福島県民、来るなよ!」

「あとから考えてみれば、子どもの言葉でしたし、深い意図はなかったのかもしれません」とaquaさんは振り返る。それでも母子はその「何気ない言葉」に強いショックを受け、その後混乱が長く尾を引いた。「悪意はなかったのかもしれない」「たまたまプロフィールに福島県としたユーザーが大勢ゲーム画面に表示されたのかもしれない」等のショックを打ち消す考えも浮かんだが、一方で「大人が日頃福島のことを悪く話している影響を受けたのかもしれない」「たまたま一人出会ったということは、見えない差別は想像以上に広がっているのかもしれない」とも思え、気持ちが落ち込んだ。長男は今もってこのときの体験を外では話しておらず、aquaさんが理由を訊くと「福島の友だちに言ったら、嫌な思いをするだろうから」と答えたという。

「私の6年が吹き飛ばされた」

福島第一原発事故当時、aquaさんの長男は幼稚園卒業間近だった。県外に親戚がいたり経済的に余裕があったりした家族は原発事故の直後に一時避難をしやすかったものの、そうではない家族は避難に踏み切れない場合も多く、情報が錯綜していた原発事故直後は、必ずしも不安が拭い切れないまま県内での生活を続ける若い母親も少なくなかった。

「放射線、こわい?避難する?」というaquaさんの質問に、長男は「怖いけど、友だちが皆ここにいるから、僕もここにいる」と答えた。その言葉を聞いて、「福島でこの子を育てよう」と覚悟を決めたaquaさんは、インターネットや書籍などで当時まだ少なかった放射線の情報を集め始めた。

そんな中で2011年の秋、「もともと人間の体には6000ベクレルくらい放射性物質が含まれている」と知り、「なんだ、私も放射線を出しているのか」と目から鱗が落ちるような感覚を味わった。それをきっかけにaquaさんは「わずかな線量に怯える必要はない」と気づき、多くの同じように不安を抱える人たちにそのことを伝えたいと考え、自身も放射線の勉強会などの準備に関わるようになった。

放射線の勉強を続けながらも、aquaさんの生活の中心は長男の成長だった。中部大学の武田邦彦特任教授やフリージャーナリストの岩上安身などの著名人までが福島の住民に対する心ない中傷を広めているという状況の深刻さを見て、「将来わが子が福島に生まれ育ったことをどう受け止めるだろうか」と不安を感じた。

そこで、今後県外に出ても、「福島に生まれてよかったのだ」と子どもが思えるように、震災と原発事故があっても変わらないふるさと・福島の文化を子どもに伝えていこうと考えた。2013年11月、東北各地の郷土色が顕れる「芋煮」を食べる「芋煮会」を郡山市で企画したところ、東京など県外からの参加者も集まった。aquaさんにとって、長男や福島の子どもたちと県内外の参加者が一緒に福島の郷土料理を囲む姿と、何より震災前と変わらず屋外で芋煮会を開催できたことが喜びと安心につながった。

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しかし、原発事故の後、他県のガソリンスタンドで「福島ナンバーお断り」と貼り紙があったという話や、「福島から一刻も早く避難するように」と呼びかける団体の言葉、また「福島で子どもを育てる母親は人殺しだ」などの中傷、さらには県外で福島から避難してきたことを理由にしたいじめのニュースにも触れ、知らず神経がすり減り、過敏になっていたのかもしれないと前置きした上で、「自分なりに頑張って、一所懸命に強くなろうとしてきたつもりでした。でも、あのたった一言で、私の6年が全て吹き飛ばされたような気がした」とaquaさんは小さな声で呟いた。

一般に、いじめや家庭内DVなどの慢性的な心的外傷を長期にわたって受け続けると、関連したわずかな刺激が引き金となって強いショック状態やうつ状態を引き起こすことが知られている(Herman, 1992)。また、福島県立医科大学の教授でPTSDを専門とする精神科医前田正治氏によれば、「人との関係性の中での傷つき体験は最も高頻度でPTSDを発症する」という。

大人が子どもたちのためにできること

福島県内では、病院をはじめとした住民同士での勉強会などの支えあいが活発に行われてきた。県南で小児科医院を開業する夫の傍らで2011年3月11日当日を迎えた桃山さん(仮名・60代女性)は、震災後1ヵ月の間、次々にかかってくる電話をとるたびに聞こえる若い母親の「病院は開いていますか」という緊迫した声が、「大丈夫、開けていますよ」と返した途端に明らかに安心して弛むのを聞き、「私たちが逃げずにとどまっているという事実だけで、これほど安心してもらえるのか」と感じた。

とはいえ、クリニックでは20代の若いスタッフも働いていたため、「次に何かあったら、スタッフには逃げてもらおう。私たちは町の人が全員逃げたら、最後に逃げよう」と夫と話したことを振り返る。同じころ、南相馬市原町区の原町中央産婦人科院長・高橋亨平医師が、「子どものいない町に未来はない」と言ってとどまり、子どもと妊婦の診察を続ける傍らで線量計測と除染を続けているということも知った。同じ医療関係者として桃山さんは「私たちができることは、ここを動かないことだと思いました」と語る。

そんな中、2011年7月に群馬大学教授が「原発が爆発していなくても、放射能がくるかもしれない」と言って作成した東日本全体の汚染図を、東京新聞が煽動的に報じたことに驚いてツイッターを始めた桃山さんは、多くの著名人や学者、政治家などがインターネット上で放射線についての誤った情報や煽動的な発言を拡散していることを知り、「私は現にここ(福島)にとどまって暮らしているのに」と強い怒りを感じ、大阪に住む息子に電話をかけた。

すると息子も「会社の商品が原料を福島から仕入れていないかと訊かれた」と話した。息子は「僕の両親は今その福島でがんばっているんだよ、と言いたかった」と悔しそうに言葉を継いだ。デマや誤った情報の影響は小さくなかった。電話を切った桃山さんは、「ここを動かず、子どもたちを馬鹿な大人たちから守ってやるのも、私たち大人の役目なんだ」と考えるようになったという。

信頼できる情報源を

「子どもが大人たちを気にして放射線への不安を口にできないことがある」と知り、そのことを気にしたaquaさんは、原発事故後しばらくして、「お母さんは福島の食材で普段ごはんを作っているけれど、それは不安じゃない?」と長男に尋ねた。すると「不安に思ったことはない。お母さんが僕に危険なものを食べさせるわけがないから」という答えが返ってきたという。

「カギになっているのは信頼なのだと気づきました」とaquaさんは振り返る。たとえ県内外すべての人が放射線について専門的な知識を身に着けることが難しいとしても、信頼に足る情報源を見分ける力は大きな意味を持つ。

福島においても、原発事故直後から放射線に関する正しい知識と自分なりの相場観を持ち、「全く不安に思わなかった」という住民は稀である。他県の住民と同様に「ベクレル、シーベルトという言葉も知らなかった」と当時を振り返る住民がほとんどだ。しかし、家族や子どもの健康や信頼を背負って必死に放射線について学び、この6年を生きてきた。

「構内で作業員が変死しているとか、原発構内に関する荒唐無稽なデマは笑って聞き流せるんです。俺たちはそれが嘘だと知っているし、それで十分」と、現在も福島第一原発構内で働く男性(40代)は語る。「でも、この地域で一所懸命生きてる住民に迷惑がかかるデマは絶対に許せない」と怒りを露わにする。

放射線について学び、またそれを伝えて将来子どもたちがいわれのない差別にさらされることのないように、福島に住む一人ひとりがたゆまぬ努力を続けている。しかし一方で、2017年8月6日に放送されたテレビ朝日の番組では、水爆実験被害を受けたマーシャル諸島の当時の状況と福島とを関連づけて陰惨な印象を与えようとするなど、報道の暴力ともいうべき行為が繰り返される。地震と津波、さらに原発事故の被害にさらされても、あきらめずに新しい日常を歩もうとする福島の住民は、その上に重ねて風評や流言による被害を今も受け続けている。

東日本大震災の後、多くの日本人が「当たり前の日常の大切さを再認識した」と語った。震災を生き延びた被災地・福島の住民にとっても、「当たり前の日常」はかけがえのないものである。そしてそれは決して脅かされてはならないものだ。

プロフィール

服部美咲フリーライター

慶應義塾大学卒。ライター。2018年からはsynodos「福島レポート」(http://fukushima-report.jp/)で、東京電力福島第一原子力発電所事故後の福島の状況についての取材・執筆活動を行う。2021年に著書『東京電力福島第一原発事故から10年の知見 復興する福島の科学と倫理』(丸善出版)を刊行。

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