2014.11.21

「いい絵本」って何だろう?

tupera tupera(絵本作家)×荒井裕樹

文化 #しろくまのパンツ

荒井裕樹さん(障害者文化論)と「いろいろなアーティストの話を聞きに行こう!」というシリーズ。第6弾となる今回は、『しろくまのパンツ』『パンダ銭湯』が数々の絵本賞を受賞して、いま最も注目を集めている絵本作家のtupera tuperaさん(ツペラ ツペラ:亀山達矢さん・中川敦子さんによるユニット)にお話をうかがいました。身近だけれども、実はとても奥が深い絵本の世界。お二人が考える「いい絵本」の条件とは? tupera tuperaさんの大ファンだという荒井さんと語り合ってもらいました。(構成/金子昂)

絵本を選ぶ「親目線の期待」

荒井 今日はお忙しいところ、お時間を作っていただいてありがとうございます。図々しくも、アトリエにまでお邪魔してしまいました。「はじめまして」とご挨拶しなければならないのですが、わが家では毎晩のように、3歳の息子とtupera tuperaさんの絵本を読んでいるので、なんだかはじめてお会いする気がしません。

中川 ありがとうございます。

荒井 子どもに絵本を買うときって、純粋に「楽しい」「面白い」というよりは、「これは子どものためになるかな」「これを読んで、こういう子どもになってほしいな」なんてことを考えてしまうことが多いんですよね。「道徳心をはぐくむ」とか「学習効果」とか、そこまで大げさではなくても、「親目線の期待」みたいなものを込めて、子どもが読む本を親が選んでしまう。正直、私もそういった動機で息子が読む本を選んでしまうことがあります。

でも、tupera tuperaさんの絵本はちょっと違うんですね。まず、読んでいて単純に楽しい。そして、とにかく絵が綺麗です。お二人が最初に手がけられた『木がずらり』(ブロンズ新社)なんて部屋に飾っておきたいくらいですね。まさに「絵」の「本」という感じがします。

それとtupera tuperaさんの絵本には「男子」の発想がありますよね。それも「中学男子」的な発想です(笑)。『うんこしりとり』(白泉社)なんてまさに(笑)。

亀山 「うんこしりとり」は中学生のとき一人でよくやっていたんですよ。ぼくにとって絵本作りは、駄菓子屋に集まってお菓子を食べたり、公園で自分たちが考えた遊びをしたりしていた小学生の感覚の延長線上にあるような気がします。

荒井 この「男子」的な世界観がちょっと織り交ぜられているところが、私には心地よいんです。というのは、絵本ってやっぱり「お母さんが読む」ことを前提に描かれているものが多いような気がするんですね。息子に読み聞かせをしていても、「うーん……」と、ちょっとした違和感を飲み込みながら読む本もあります。

でも、お二人の本は、男親である私でも読むのが苦しくない。そこが、お二人の絵本が気になり出したきっかけです。ですので、今日はお会いできることを本当に楽しみにしていました。

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tupera tupera さんのアトリエにて

「多くの目」で読む絵本

荒井 子育てしてると、本当の意味で「親と子が等しく楽しむ」ことって、意外に少ないんですよね。

私はバラエティ番組が好きで、何気なく見ていると、隣で息子も見ていることがあります。それで私が笑っていると一緒に笑うんですね。タレントが何を言っているのかなんてわかってないはずなのに。たぶん、楽しそうな私を見て、息子も楽しんでいるんだと思います。逆に息子がディズニーの映画なんかを楽しそうにみていると、私は映画の内容には興味はないんですけど、やっぱり楽しくなる。

「楽しそうな親」を見て子どもが楽しんだり、「楽しそうな子」を見て親が楽しむことはたくさんあります。でも、子どもと親が同時にポンッて楽しめる瞬間は少ない。

中川 言われてみるとそうですね。私たちにも7歳の娘と2歳の息子がいるんですけど、息子がおかしなことをやっているのを娘と見ながら笑う瞬間ってけっこう好きですね。「いま同じ感覚が通ったな」っていうのは嬉しい。

荒井 親と子が同じ方向をみて、同じように楽しんだり、夢中になったりすることって、実は珍しいことかもしれませんね。tupera tuperaさんの絵本を読んでいると、そういった瞬間があるんですね。

『いろいろバス』(大日本図書)のなかで、バスに乗り遅れそうになって必死に追いかけるカメがいますよね。息子に「このカメはバスに乗れたのかな?」って何気なく聞いたら、「乗れなかったよ」って断言するんです。「えっ? なんで?」って聞いたら、終点についたバスからいろいろな乗客が降りてくるシーンがあって、そこにカメがいない。だから「ほらいないでしょ?」って。

亀山 ああ、それ、みんな悲しむんですよ。

荒井 なんか得意げにいわれてちょっと悔しいので「途中のバス停で降りたかもしれないじゃん!!」って言い返しました(笑)。まさか、絵本の内容をめぐって自分が3歳児とそこそこ本気で言い合うとは思いませんでした(笑)。

亀山 そういう反応が返ってくるのが一番うれしいですね。

荒井 ちょっと語弊があるかもしれませんが、tupera tuperaさんの絵本って「不便」なときがあるんです。わが家は共働きで、私も妻も、正直かなり精一杯の毎日を過ごしています。それで、どうしても子どもをかまってやれないときに「時間稼ぎ」として絵本やDVDを使うんでけど、tupera tuperaさんの絵本だと「時間稼ぎ」にならない。

中川 ああ、呼ばれちゃうんですね。

荒井 そうです。「一緒に読もう!」「これなーに?」って。絵本のなかに細かい仕掛けがいくつもあるので、一人で読むよりも二人で読んだ方が発見が多くて面白い。なるべく「多くの目」で読んだ方が面白い絵本ですね。

『いろいろバス』の原画
『いろいろバス』の原画

0歳から100歳まで楽しめる

荒井 絵本って裏表紙に「ひとりで読むなら○歳から。読み聞かせるなら□歳から」という形で「対象年齢」が描かれてるものが多いですけど、tupera tuperaさんの絵本ってその表記がないですね? それは意識して書いていないのですか?

中川 対象年齢を書かないのは半分意識していますね。

亀山 ぼくたちはよくワークショップを開くんですけど、そのときも対象年齢は決めてません。

荒井 ああ、よくありますね。「参加資格:○○歳までのお子様」とか。

中川 「6歳まで」って書いてあると、「なんで7歳は駄目なんだろう?」って思っちゃう。

亀山 性格上、主催者にチラシ作りをまかせるんですけど、できあがるチラシにはだいたい「小学校6年生まで」「親子同伴で」とか書いてあるんですよね。それは面白くない。社会と一緒だと思うんですけど、いろいろな人がその場に集まって、コミュニティができて、そして離れていくから楽しいんだと思うんです。先に参加者を限定しちゃうのはもったいない。

あと、子どもは勝手に楽しんでくれるので、大人にこそ楽しんで欲しいんですよね。おじいちゃんやおばあちゃんも大歓迎です。

荒井 背広でネクタイのおじさんとか?

亀山 来てくれたら最高ですね~。その横で子どもが作ってたりしたらなお面白い。人って「年齢」も含めて個性ですから、変に限定しちゃうのはつまらないと思います。たまにカップルが参加してくれたりして、「なに作るー?」とかイチャイチャ話しながら作っていて楽しいんですよ(笑)。

荒井 いろいろな要素をもった人たちがごちゃごちゃっと混じっている方が、化学反応みたいに予想外のものが生まれそうで面白いですね。刺激もあるでしょうし。

亀山 絵本もそうです。誰が誰と一緒に読むのかがわからないから面白いんですよ。読んでくれる人、読まれる人によって、作品が変化するのが楽しいなあと思っているし、結局絵本はどういう読み方してもいいものだと思う。

荒井 絵本も、子ども「だけ」に向けて描いているというわけではないんですね?

亀山 そうですね。

荒井 実は、そこをお聞きしたかったんです。tupera tuperaさんは絵本を描かれるときに「子どもはこうしたら楽しむだろうなぁ」というような「子どもの感性」みたいなものをどれだけ意識していらっしゃるのだろう、と思っていたのですが……。

亀山 意識はしないですね。というより、できないですね。

中川 以前は「絵本は子どものためのもの」と思われていたと思いますが、いまは絵本好き女子がブームになったり、絵本雑誌が出版されていたり、大人向けの絵本も出版されていますよね。絵本は子どもだけのものじゃない。だから、私たちが絵本を作り始めるときも「絵本は子ども向けのもの」という感覚がもともとなかったんです。

亀山 そもそも、ぼくたちはいろいろな活動をしていくうちに、なんとなく「絵本」というものにも着地しちゃったって感覚があります。絵本がどうしても作りたかったわけじゃなくて。

中川 いろいろなつながりの中で、結果的に絵本に辿り着いたんです。

絵本という媒体はとても面白くて、活字の本と違って0歳から100歳の方まで、国籍も越えて同じように楽しめますよね。画家の場合、自分の絵を見せる機会って気軽には持てないと思うんですけど、絵本の場合は小脇に抱えて「はい、どうぞ」ってプレゼントできちゃうんですね。いろんな人とコミュニケーションがとれる、すごくいいツールなんです。【次のページにつづく】

「先のこと」は考えずにやってきた

荒井 先ほど「絵本に着地した」とおっしゃっていましたが、そもそもアートの世界に入ろうと決意したのはいつ頃だったのでしょうか?

亀山 決断した瞬間ってないんですよ。美大を卒業してから3年間はふらふらしていたんですね。卒業して1年目にイタリアに留学しました。

荒井 なぜイタリアに?

亀山 なんとなくかっこよさそうだったんですよね。あと美術史のことはよく知らないのに、ルネサンス発祥の地だし、イタリア料理もおいしいしって。でもあんまり面白くなかったので3カ月で帰ってきました。

中川 「日本が一番いい」って言って帰ってきたんですよ(笑)。

亀山 帰国してふらふらして、卒業から3年経った26歳のときにtupera tuperaというユニット名を決めました。「さあどうしようか」って感じではじめて、どうあるべきか、なにをすべきかってことは一切考えずにこれまでやってきました。

でも、出版社に「持ち込み」はしないってことは決めていたんです。なんか面白くないんですよね。結果的に気の合う編集者と知り合うことができるならいいんですけど、お互いに興味がないもの同士で時間を使うのはいいことじゃないと思う。

荒井 「持ち込み」って、しんどいんですよね。

中川 「持ち込み」した時点で上下関係がついてしまったら、それはちょっと違うと思うんです。もちろん「作家」だから編集者よりも上っていうのも、なんか違う。

亀山 ぼくたちも、編集者も、同じ立場で楽しく遊んでいるような感じで仕事してきたんです。最初からどんな作品を作るか決めないで、共感してくれる人と出会って、一緒に楽しく遊びながら、どういう方向の作品を作るか決めていく。これまでそうやって、先のことなんて考えずにやってきました。

荒井 以前亀山さんが、仕事で遊び心を大切にするためにも、なるべくストレスを抱えたくないとお話になっていて、「あぁ、亀山さんという方は、きっとストレスでご苦労された経験があるだろうなぁ」と思ったのですが……。

中川 ない(笑)。

亀山 そう、ないんですよ。ストレスを感じたのは高校受験のときと、大学受験で2浪したときですね。

中川 その高校も厳しいところだったからつまらなかったみたいなんですね(笑)。

亀山 かなり厳しい男子校だったんですよ。受験予備校みたいな。先生がものさしで頭髪検査したり、スポーツも勉強も有名で、制服も学ラン詰襟。とにかくあまり楽しくありませんでした。ぼくが卒業して1年後に共学に変わったんですよ。制服もかわいらしいブレザーに変わって、しかも数年後には西野カナってシンガーまで現れて(笑)。

荒井 あはは(笑)。

亀山 今年の夏には、野球部が甲子園決勝まで進んで、アルプススタンドがうつるたびに「あぁ、やっぱり共学がいいなぁ」ってイライラしちゃって(笑)。まあ、最終的には心から応援しましたけど(笑)。

荒井 今日、はじめにご挨拶させて頂いた瞬間から、亀山さんも中川さんも「なんか、やわらかい方だなぁ……」と密かに思っていました(笑)。私はこうやっていろいろと人に会いに行く仕事をしているんですけど、実は筋金入りの人見知りなんです。でも、お二人とお話させていただいていると、とても気持ちが軽くなります。この空気感から、お二人の作品の遊び心が生まれてくるんですね。

単純に「楽しい」ことも大事

荒井 私は、これまで「障害」とか「心の病」をもっている人たちのアート活動のことを考えてきました。そこで感じたのは、社会の中で立場の弱い人たちの方が「純粋に楽しい」とか「ただ単にやりたい」といった動機で何かをする機会が少ないということなんですね。

障害を持っている人たちが絵を描くと、本人はただ絵を描きたいだけなのに、周囲が「リハビリですか?」「所得に繋がるんですか?」って「目的」や「利益」をとても気にするんです。さっきの「親目線の期待」ともつながる話ですが、子どももそういう立場に置かれる場合が多いような気がします。

中川 絵本評論家みたいな方のなかには、単純にゲラゲラ笑って終わりっていう絵本に、「それでいいの?」と思っている方はいますね。

亀山 うちらは言われがちだよね。中身がないって言われたら、まあそうなんだけど。

中川 単純に「楽しい」とか「笑える」ということに何かプラスしたいんでしょうね。「楽しくて勉強になる」みたいな。私たちも別に「面白いことが重要だ」ってことを強調するわけでもないんですけど。

読むだけでトイレの仕方を覚えられるようになったり、「手を洗いましょう」「歯を磨きましょう」っていうメッセージが自然に染みるような絵本というのも、それはそれで、とても意味があるものだと思います。ただ、私たちには作れません。

亀山 表現の方法に「正しい」「正しくない」とか、絵本は「こうあるべき」「こうあるべきでない」とかってないと思うんですよね。

そういえば、最近嬉しい話がありました。70歳くらいのお母さんが、90代でもう眼球しか動かせないようなおばあちゃんに、『パンダ銭湯』(絵本館)を読ませたらしいんですね。そしたら「ぶっ!」って噴出したらしくて。おばあちゃんも「まさか、パンダが……」って思ったんだと思うんですけど。

絵本って、単純にそういうのがいいなって思っています。

荒井 『パンダ銭湯』の、パンダの目の鋭さをぜひ皆さんに見ていただきたいです。あと、どこかの会社が「サササイダー」を商品化してくれないかな、なんて思っています(笑)。

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『パンダ銭湯』のラフ
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『パンダ銭湯』の原画

「いい絵本」の条件は?

荒井 制作についてお聞かせ下さい。お二人は、基本的には「貼り絵」で作品を作られていますよね。貼り絵という表現方法のメリット・デメリットってなんでしょうか?

亀山 「ダイナミックさ」が出しにくいかな。

中川 筆でグワッ!と描くときのスピード感は出せないですね。そういう点はデメリットですけど、でも二人で作業するという意味では、貼り絵は都合がいいかな。

私たちは別に試行錯誤の末に貼り絵にたどり着いたわけではないんです。でも、結果的に二人で作業するのには向いていましたね。私が鼻を作っているときに、亀山が目を作れますし、最終的にそれぞれのパーツを貼りつけるとき、「これじゃないな」って思ったらいくらでも差し替えられるので。

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「貼り絵」の素材

荒井 いろいろな素材を使っていますよね。一枚の紙の上に、異質な存在がたくさん集まって一つの絵を作っているところが面白いなぁと思いました。

中川 布とかチラシとか、いろいろ使っていますよ。『アニマルアルファベットサーカス』(フレーベル館)のときは、ちょっとノスタルジックな海外のサーカスみたいにしたかったので、洋書をいっぱい集めそれを切って作りました。

亀山 だんだん貼り絵になれてきましたね。昔の作品をみると、「いまはこうつくらないよな」ってものばかりです、良くも悪くも。

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『かおノート』(コクヨS&T)の原画

荒井 ご自身の作風が変わってきたと感じますか?

亀山 作風だけじゃなくて、何事も変わっちゃいますからね(笑)。【次のページにつづく】

荒井 『木がずらり』や『魚がすいすい』(ブロンズ新社)なんかのジャバラ絵本の貼り絵は、ものすごく細かいパーツが無数に貼られていますよね。「描き込む」みたいに「貼り込む」感じですね。

たくさんのパーツが貼り込まれている作品って、どういった瞬間に「完成した」っていう手応えが感じられるんでしょうか?

亀山 あのね……「はやくやめたい」って感じることがありますね。

荒井 えっ!

亀山 「はやく終わりにさせてあげたい」というか「したい」というか。制作の作業自体が楽しいわけじゃないのかもしれないですね。「できあがった瞬間」が楽しいんですよ。

中川 そうかな? 私は制作に入ったときの方が気は楽だな。

亀山 ぼくはアイディアを出すときが一番楽しいですね。そのあとは、「はあ、作らざるを得ないなあ……」って感じ。『パンダ銭湯』も、思いついたときはものすごく興奮したけど、実際に作り始めたら「はやくできあがらないかなぁ……」って仕方なく作ったんですよ。

中川 カメ(注:亀山さんのこと)がそんなにいやだとは思わなかった(笑)。

亀山 「いや」ってわけじゃないよ。アイディアを思いついたときの興奮度が最高潮かな。実際の制作作業に入ったら、キャンパスに向かって夢中でボクシンググローブを打つようなアーティストにはとてもなれないですね。

中川 確かにそういうアーティストになれないかもしれない。

亀山 ああ、あと作品が完成して、出版社宛てにヤマト運輸の伝票を書いているときに、再び最高潮がやってきますね。最終コーナーを曲がり切ったマラソン選手みたいな。

荒井 あはは(笑)。

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中川 私は制作中が一番作業に専念できます。子育てとか制作以外の仕事もあって、いつもに何かに追われ気味の中で、制作中だけはこれだけに集中できるんです。

荒井 ちなみに、特に好きな作業ってありますか?

中川 私は色を決めるときと、レイアウトを考えるときが好きです。ページをめくったとき、次にどういう色がきたら綺麗かなあ、とか。選択肢は無数にあって、組み合わせやレイアウトが少し違うだけで印象は全然違うので。

荒井 作業の中で失敗ってされることってありますか?

亀山 あまりしないよね。以前は多かったですよ。描いては捨てて。

荒井 失敗を楽しむアーティストもいますよね。

中川 私たちは嫌いだよね。やり直しになると、「なんてこっちゃ!」って顔面蒼白になる(笑)。

亀山 ぼくらは、ひとつずつパーツを作って、レイアウトを考えて、「これでいい!」と納得のいく状況になってから貼りつけるので失敗って少ないんですよ。もちろんひとつひとつのパーツを作るときは、失敗してポイッと捨てていますけど。

荒井 素材との偶然の出会いみたいなものは?

中川 あります。偶然見つけたテクスチャだったり、雑誌だったり。それ以外は自分たちが思い浮かべているものを、こつこつと積み上げていく、わりと建設的で真面目な作業という感じです。

荒井 ちなみにtupera tuperaさんにとって「いい絵本」の条件って何ですか?

中川 単純に「綺麗なこと」とか「面白いこと」とかです。

荒井 どういったものが「綺麗」なんでしょうか?

中川 ひとつの画面が素晴らしいときです。

例えば散歩していて、ウィンドウに飾られているワンピースを綺麗だなって感じるのは、色合いが綺麗だったり、あるいはワンピースを着たマネキンが帽子をかぶっていて、その全体が綺麗だったりするからですよね。そういう一枚の絵としての綺麗さがすごく重要なんだと思います。

亀山 (中川さんを指して)色校正すごく厳しいです。印刷所が泣いちゃうくらい(笑)。

中川 綺麗な原画を印刷に反映するのって難しいんですよね。再現できない色もあるし。もちろん印刷のよさというものもあるんですけど、自分が納得できるまではいろいろと注文をしてます。

亀山 ぼくは年々こだわりがなくなっているんですよね。絵本って、いろんな可能性を捨てながら見開き15ページに落とし込まないといけないので、出来上がったときは「できた! 完璧だ!」じゃなくて、「こうなっちゃったんだ……」みたいなちょっとへこむ感じがありますね。

だから、すべての作品が100%ってわけじゃないんですけど、「こうなったんだし、まあいいか」って思うようにしています。いろんな人がいて、好みも違いますよね。生み出したものは生み出したものってことで、いいかなって。

なんでも受け入れていきたい

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荒井 お二人で制作されていて、意見が合わなかったり、それこそケンカになったりすることってあるんでしょうか?

亀山 仕事でケンカになるのは唯一アイディアの部分です。まあしょうがないですよね。アイディアを出した人間は頭の中でイメージができあがっているので。

中川 色や表情については、お互いに指摘されて直すことはあっても、ケンカはしないです。カメがアイディアを出すことが多いんですけど、それに私がブレーキをかけると怒るんです(笑)。まあ面白くはないですよね、テンションあがっていますし。

亀山 本当に核心めいたところは何を言われても無視して押し通しています。そこだけは譲れない。

荒井 もともとはお一人で活動されていたわけですよね。自分個人の名義で作品を作ろうって思うことはないんですか?

中川 それは思いません。

亀山 最近は複数の仕事を別々にこなしたり、一人でやったものもtupera tupera名義でだすことも増えました。とくに中川が妊娠・出産中のときは、ぼくが一人でやってましたから。

中川 そのときは「一人でやっちゃってずるいな」って気持ちはあったんですけど。

亀山 最初はtupera tuperaでずっとやっていくつもりじゃなかったので、自分の名前で作れないことにコンプレックスがあったんですけど、いまはどうでもいい。

中川 もうずっとtupera tuperaでやってきたし。

亀山 ある程度、もうどうしようもないって思ったら楽になりましたね。

中川 自分たちで作った紙だけしか使わないで貼り絵をやるのが「tupera tuperaらしさ」だって思っていた時期もあったんですけど、いまはなんでもありになってきました。それでも溜まってきた作品を振り返ると、「自分たちらしさ」って出てくるんだなあって思います。

荒井 いま「自分たちらしさ」という言葉がでてきたので、この連続対談企画でみなさんに聞いている質問をさせてください。「tupera tuperaさんにしか作れないもの」ってなんですか?

中川 ……。

亀山 …………ない。

荒井 (笑)。

亀山 ないよね。

中川 うーん(苦笑)。

荒井 じゃあ、ちょっと質問を変えますね。さっき中川さんが、振り返ってみたら「自分たちらしさ」が出ているとお話になっていましたが、結果的に「tupera tuperaさんだけが表現しちゃうもの」って何だと思いますか?

亀山 ………タコですね。

一同 (笑)。

亀山 結果的にタコばっかり作っちゃう。

中山 表現しちゃうもの……なんでしょうね……。作っている人はみんなその人にしか作れないものをつくっているんだろうし……。

荒井 「自分たちらしさ」って、たまに辛くなると思うんですよね。

中川 そうですねえ。他の作家さんをみても「またこれか。もっといろいろやればいいのに」って感じることもあります。私たちは10年くらい、二人でぶつかったり、偶然の掛け合いから生まれたものを拾い上げたりしながら作品を作ってきたんですけど、良くも悪くもそれに慣れてきちゃったので、私たちもそう思われているのかもしれない。

だからこそ、ワークショップを開いてみたり、こうして荒井さんにお会いしてみたり、舞台やテレビといったもともとやるつもりはなかった仕事も受けて、違うものを作りたいなあって考えていますね。こういうと、なんだか「他人まかせ」みたいですけど(笑)。

亀山 どんなアーティストも、なんだかんだいって一人では作っていないと思います。ぼくの場合、まず中川と一緒に作っていますし、そもそも自発的に作ることってあんまりないんですよ。出版社から「絵本を作りませんか」「こういうテーマでどうですか」って話をもらってから考えるんです。みんなが周りにいて、いろんなものがシャッフルされて出来ていくので、一人で作っている感覚がないんです。

中川 もちろん頭の中でいろんなアイディアはひらめくんですけど、それをキャンパスにひたすらぶつけていくタイプではないです。

亀山 二人の間で閉ざしてないで、どんどん広げていくタイプだと思います。なんでも受け入れて、それを自分たちなりに解釈して作りたいって思っているので。tupera tuperaにしか描けないってものを作れているとはとても思えません。

荒井 「貼り絵」って、絵具と違って色と色が混ざらない表現技法ですよね。どんなに小さな紙片でも自分の色と質感を主張していて、存在感を発揮しています。一枚の紙の上に混ざり合わない個性がいくつも散らばっていて、でも、全体としてきちんと調和した世界を作っているところが面白いです。お二人の、いろいろな刺激をどんどん受け入れていくという発想自体が、すごく貼り絵的ですね。新刊の『tupera tuperaの手づくりおもちゃ』(河出書房新社)もとても楽しみです。

……最後にひとつお願いしてもいいですか? いつも子どもに読み聞かせしてる絵本を持ってきたので、サインください(笑)。

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プロフィール

tupera tupera絵本作家、イラストレイター

亀山達矢と中川敦子によるユニット。絵本やイラストレーションをはじめ、工作、ワークショップ、舞台美術、アニメーション、雑貨など、様々な分野で幅広く活動している。NHK Eテレの工作番組「ノージーのひらめき工房」のアートディレクションも担当している。主な著書に、「木がずらり」(ブロンズ新社)「かおノート」(コクヨ)「やさいさん」(学研)「パンダ銭湯」(絵本館)など。絵本「しろくまのパンツ」で第18回日本絵本賞読者賞、Prix Du Livre Jeunesse Marseille 2014 (マルセイユ 子どもの本大賞 2014 )グランプリ、「パンダ銭湯」で第3回街の本屋が選んだ絵本大賞グランプリを受賞。http://www.tupera-tupera.com/

この執筆者の記事

荒井裕樹日本近現代文学 / 障害者文化論

2009年、東京大学大学院人文社会系研究科修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、東京大学大学院人文社会系研究科特任研究員を経て、現在は二松学舎大学文学部専任講師。東京精神科病院協会「心のアート展」実行委員会特別委員。専門は障害者文化論。著書『障害と文学』(現代書館)、『隔離の文学』(書肆アルス)、『生きていく絵』(亜紀書房)。

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