「演劇とすれ違う」その先に――劇団ままごと「シアターゾウノハナ」

「演劇とすれ違う」ための装置

 

横浜港の一角、赤レンガ倉庫の見える象の鼻パーク。道端に、「赤い丸に弓矢を打ってください」と書かれたパネルがある。通りすがった人がオモチャの弓矢でその的を射ると、周囲に潜んでいた俳優たちが突然現れて寸劇を始める……。

 

これは、劇団 ままごとによるTheater ZOU-NO-HANA(シアターゾウノハナ)の仕掛けのひとつで、「スイッチ演劇」と呼ばれている。

 

「演劇とすれ違う」をコンセプトに掲げるシアターゾウノハナは、こうしたスイッチ演劇や、フラッシュモブ的に始まるゾウノハナ体操、ツアーパフォーマンスなど、様々な仕掛けを施すことによって、象の鼻パーク一帯に「パフォーミング・パーク(演劇的公園空間)」を出現させようとしている。

 

 

 

 

 

ゾウノハナ体操に突発的に参加した人たち。撮影:池田美都

ゾウノハナ体操に突発的に参加した人たち。撮影:池田美都

 

 

いわゆる劇場の中であれば、観客と作り手とのあいだに「これから演劇が始まりますよ」という約束事が成立している。だが、劇場を一歩外に出れば、その約束事はもう存在しない。象の鼻パークもそうで、訪れる人たちのほとんどは息抜きや観光に来ただけで、演劇を目当てに来ているわけではない。

 

そうした多目的な広場に「演劇とのすれ違い」を生み出すにあたって、前述のスイッチ演劇はかなり有効に機能している。発動条件も簡単(太鼓を叩く、じょうろを傾ける、セーターをひろげる、サングラスをかける、ファミコンのBボタンを叩く……etc.)で、「あ、なるほど、これが演劇を発動する装置なのね!」と瞬間的に体感できるようなシンプルなつくりであることがウケている。あっという間に終わる上に、俳優たちが全力でホスピタリティを捧げているので、参加したことでいたたまれない(恥ずかしい)気持ちになることもない。それでいてその人の日常は瞬間的に破砕され、その演劇の一端を担ったという共犯関係を楽しむことができるのだ。

 

 

サングラスをかけると俳優たち(左から日坂春奈、名児耶ゆり)が「キャ〜! かっこいい〜!」と叫んで通りすぎていくスイッチ演劇。

サングラスをかけると俳優たち(左から日坂春奈、名児耶ゆり)が「キャ〜! かっこいい〜!」と叫んで通りすぎていくスイッチ演劇。

 

 

このシアターゾウノハナは2013年の春から断続的に行われており、今回の開催期間は2014年12月5日から23日まで。実はわたしもメンバーとして、『演劇クエスト・港のファンタジー編』という作品をつくるために参加している。劇団 ままごとの活動やこのシアターゾウノハナについては、これまでも何度か観察者的な立場から記事を書いてきた。今回はそこからさらに一歩踏み込んでしまったわけで、ためらいもゼロではなかったのだが、内部に入り込んだからこそ見えてきたこともある。ここではその、内とも外ともつかないような場所から、彼らの活動を紹介してみたい。

 

 

自律した多様なメンバーたちの集合体

 

シアターゾウノハナの30名を超えるメンバーを指揮しているのは、柴幸男(劇団 ままごと主宰)。ヒップホップを大胆に取り入れた『わが星』(09年初演)という演劇公演でセンセーショナルを巻き起こし、第54回岸田國士戯曲賞を受賞。中高生を含めた若者や、多くの同時代人たちに絶大な影響をもたらした劇作家・演出家である。あっと驚くような(ミステリー小説的な)構造を持ち、時空間を自由に飛び越えていく(SF的な)作風を得意としてきた柴は、かつては自分の作品をかなり細かくコントロールして作り込むタイプに見えた。

 

ところが、この象の鼻テラスでのクリエイションにおいては、柴は全体の動きを見守るだけで、個々のアイデアやその展開の仕方については、大部分を参加メンバーに委ねている。「スイッチ」「ソング体操」「ツアー&アドベンチャー」「クエスト」「ラジオ」「コタツ」「演劇」……などのチームごとにプロジェクトを進め、全体ミーティングで進捗状況の報告やフィードバックを行うというスタイル。前述のスイッチ演劇にしても、妥協のない、厳しくて細やかなダメ出しをしているのは、柴ではなく、スイッチチームリーダーの光瀬指絵であり、柴は時々それを見て感想やアドバイスを述べるだけだ(もちろんその意見は誰よりも鋭く的確だが)。

 

 

新作スイッチの演出指示を出す光瀬指絵。白シャツの柴幸男がそれを見ている。

新作スイッチの演出指示を出す光瀬指絵。白シャツの柴幸男がそれを見ている。

 

 

象徴的だったのは本番2日目。この日は柴が不在だったため、上演後のミーティングは他のメンバーのみで行われたのだが、かなり活発な意見交換がなされることになった。かといって誰かが暴走するわけでもない。発言力のある何人かが議論をリードしつつも、誰かの声が封じられるという空気もなく、意見を言いやすい自由なムードが生み出されていた。

 

これはとても新鮮なことに思えた。というのも通常の劇団システムにおいて、俳優たちへのいわば「ダメ出し権」を握っている演出家は、絶対的な権力者になりやすい。しかもその劇団の主宰を務めているケースがほとんどなので、公演や劇団運営に関するほとんどの決定権が演出家の手に渡ることになる。「灰皿を投げる演出家」というのは極端すぎるイメージだとしても、稽古場で暴力的な言葉が俳優たちに対して飛ぶことは、さして珍しくもないだろう。

 

しかしシアターゾウノハナは、そのような旧態依然としたトップダウンの権力システムを回避し、意識の高いメンバーたちによる、自由で風通しのよい集団を形成することに成功している。年齢やジャンル内でのキャリアによって傾斜的な関係が生じることもない(俳優たちはさすがに演じるのが得意なので、わざと咄嗟に「ボスと舎弟」などを演じて周囲を和ませたりすることはある)。仲良しこよしというわけでもない。今回初めて知り合ったという人も多いはず。ほとんど呑みにもいかない。本番が始まって2週目に、初めて何人かの有志で関内の立ち呑み屋でホッピーとモツを頬張ったのだが、それもたまたま呑兵衛が集まっただけのこと。演劇では恒例の「初日打ち上げ」もなかった。「ノミュニケーション」は特に必要とされていないのだ。

 

「来られる日に来てくれればいいです」という一種のフレックス制のようなシステムのため、全日程への参加が必須ではなく、参加時間や仕事量もそれぞれに差がある。しかしそれによって「あいつは俺に比べて働いてない!」などと不平不満が生まれるのも今のところは見たことがない(だから会社などでよくある、仕事しているのを他人に見せるなどの配慮は必要ない)。みんなそれぞれの仕事をして、キリのいいところまで作業が進んだらサッと帰ってしまう。あるいは自宅や事務所で内職をして、次の日にその成果を持ってくる。そしてそのクオリティは高い。

 

 

集団形成の4つのポイント

 

ではいったい、どのようにしてこの自律した集団性は維持されているのか? 思うに、その鍵となるポイントは4つある。

 

1つ目は「風通しの良さ」。先ほども述べたように、総合演出の柴幸男は多くを手放し、メンバーに委ねている。クリエイション期間中は、全体集合の時間はあるものの、あとはそれぞれ好きに過ごしてアイデアを形にしていく。散歩をしてもいいし、ごはんは好きな時間に好きな場所で食べればいい。象の鼻パークという、横浜開港の歴史に縁の深い絶好のロケーションは、圧迫感もなく、創造へのインスピレーションをかきたてくれる。

 

2つ目は「メンバーの多様性」。俳優やダンサーのみならず、演出経験のある人材も何人かおり、さらには音楽家やデザイナーなど、異ジャンルからもメンバーが招集されている。そのため、使われる言語もジャーゴン(内向けの言葉)にならないし、オリジナルの楽曲をつくるなど、できることの幅もひろがる。個々のプロフェッショナルな意識も高く、お互いへのリスペクトもある。

 

3つ目は「コンセプトの共有と練磨」。「演劇とすれ違う」や「パフォーミング・パーク(演劇的公園空間)を創出する」という大目的が、メンバーたちのクリエイションに推進力をもたらしている。もちろんズレは生じうるのだが、その都度ミーティングや稽古を重ねて修正していく。時間をかけてよりよいものを磨き上げていくということを、演劇に関わる人たちは体感的に熟知しているようだ。

 

4つ目は「楽しむということ」。たとえ見た目が軽やかなものであったとしても、創作するのは並大抵のことではなく、睡眠不足や焦り、その他の様々な困難に直面することになる。しかしどのメンバーにも、このシアターゾウノハナという場を楽しもう、というモチベーションがあり、だからこそ創造性を発揮できる部分があるように思える。柴幸男もそうだ。もしかすると彼こそが、この「演劇的公園空間」の出現を最も楽しんでいるのかもしれない。

 

 

全体集合時のミーティング風景。撮影: 池田美都

全体集合時のミーティング風景。撮影: 池田美都

 

 

以上は演劇にかぎらず、あらゆる集団組織についても当てはまることではあるだろう。だがこれだけでは説明できない、軽やかな力強さが、シアターゾウノハナには呼び込まれている。その秘密はおそらく、劇団 ままごとが昨年から何度も滞在している、もうひとつの港にある。

 

 

小豆島という場所

 

瀬戸内海に浮かぶ小豆島。オリーブや『二十四の瞳』などで知られる小さな島だ。劇団 ままごとのメンバー(作・演出の柴幸男、制作の宮永琢生、加藤仲葉、俳優の大石将弘、端田新菜)や、今や小豆島のミューズ的存在とさえ呼んでいいであろう名児耶ゆり、さらには山本雅幸らシアターゾウノハナの常連でもある何人かのメンバーたちは、昨年から何度もこの小豆島に足を運んでクリエイションを行ってきた。

 

 

小豆島にて。劇団 ままごととその仲間たち。撮影:濱田英明

小豆島にて。劇団 ままごととその仲間たち。撮影:濱田英明

 

 

少し大きな話になるが、「地域アート」という呼称が生まれて批判もされるくらい、巨大なアートフェスティバルをはじめ、東京を離れた場所でのアートの事例は、特にここ数年で注目を集めるようになった。東京での創作と発表が飽和しつつあるために、新たなフロンティアとして、観光とセットにした東京以外の土地での展開に活路を見出す流れが生まれているのだろう。現代アートとはやや文脈が異なるものの、演劇にもやはりそうした傾向はあり、東京を拠点に活動してきた演劇作家が、アーティスト・イン・レジデンス(滞在制作)によって地方都市で作品をつくって発表する、という事例は目立つようになっている。

 

アーティストにとってそれは、東京からの息抜き的な脱出になったり、新たな創作のインスピレーションや機会を得る貴重なチャンスになる。しかし逆に、東京文化圏で依拠していた様々な文脈がその土地の観客に通用しないという点では、いわば身ぐるみ剥がされた状態で、芸術との関わり方や生き方を強く問い直されることにもなる。つまり、ここには微笑ましい交流だけがあるわけではない。むしろアーティストは、みずからの存在意義を揺るがしかねない、大いなる葛藤に晒されることになるのだ。

 

小豆島でもそうだ。東京の小劇場での知名度はまったく通用しない。誰にも知られていない、縁もゆかりもない土地という完全アウェイの環境で、いったい自分たちに、そして演劇に何ができるのか? それを問い続け、実践し続け、結果として大きな手応えを得ているという経験が、ままごとのメンバーの創造性を高めているように思う。

 

この島でままごとの面々がどのような冒険をしてきたかについては、『小豆島にみる日本の未来のつくり方』という本に「寛容なるホスピタリティがつくる未来」と題してすでに詳しく書いたのだが、あえてひとことで何をしたかと(柴幸男本人の言葉を借りて)言うならば、まず彼らはかぎりなく「チンドン屋みたいな一味」になっていったのだった。【次ページにつづく】

 

 

紙芝居を披露する端田新菜。撮影:濱田英明

紙芝居を披露する端田新菜。撮影:濱田英明

 

 

 

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