『日本のいちばん長い日』――昭和天皇、終戦の物語【PR】

戦後70年の節目となる今夏、太平洋戦争の終結を控えた当時の閣僚たちを描いた、『日本のいちばん長い日』が公開される。鈴木内閣はいかに戦争を終わらせようとしたのか。終戦のおけるラジオの役割、「上から目線」の歴史を知る意義とは? 思想史研究者・片山杜秀と、荻上チキが語りあった。(※なお本記事には映画の内容に関するネタバレが含まれております)(構成 / 若林良)

 

 

東条英機という戦争のアイコン

 

荻上 今回は本映画を通じて、戦後70年という節目において、「終戦の日」前後を語る意味をお話できればと思います。片山さん、作品はいかがでしたか。

 

片山 ものすごく押し詰められていますね。濃密で力のある映画だと思いました。ハリウッド的な、撮影と編集の力を感じさせる作品です。臨場感のあるカメラ・ワークと、息もつかせぬカット割りで畳みかけてゆく。

 

情報量はかなりあるんだけど、説明的ではない。怒鳴るような台詞が多いと思うんですが、その勢いで持っていく。歴史のお勉強というよりも、勢いのあるドラマとして保ってゆく。そこに傾注している。劇映画だから当たり前なんですが。面白く、あっという間に終わってしまう。この時間でよくこれだけ話を入れ込んだものです。

 

荻上 地味な話のはずなんですが、テンポよく展開していきますからね。深刻な対話を展開する人物の表情を撮り続けているのに。

 

 

(C)2015「日本のいちばん長い日」製作委員会

(C)2015「日本のいちばん長い日」製作委員会

 

 

片山 岡本喜八監督による『日本のいちばん長い日』(1967)でしたら、海軍大臣の米内光政や外務大臣の東郷茂徳にもかなり比重が置かれていたんですけど、本作は、陸軍大臣の阿南惟幾、総理大臣の鈴木貫太郎、そしてなんと言っても昭和天皇。「終戦決定過程」についてはこの三人にかなり的をしぼって、他の人は脇役、もしくはその他大勢的な扱いで、その割り切り方も大胆です。

 

前半は鈴木内閣成立から「聖断」によるポツダム宣言受諾まで、一気呵成に行きますけれども、とにかくすべてが濃密です。さっきも申しましたように勢いで観られるようになっていますが、この人だれ? この台詞はどういう意味? とまじめにこだわりだすと、けっこうたいへんですね。

 

岡本版『日本のいちばん長い日』はテロップやナレーションを多用して、ニュース解説番組みたいに、いちいちを分からせる手続きを細かく踏んでゆきますけれども、原田版はドラマが成立すればいいということで押し切ってゆく。いちいち説明しないで、どんどん流してゆく。

 

仮に台詞の細かな意味合いが観ていて即座に取れなくても、物語のベクトル、あるいは登場人物のキャラクターが伝われば、その台詞はドラマとしては生きてくるので、そういう方向で割り切って、成功していると思います。

 

しかし、岡本版では顧みられず省かれていた、歴史の名場面や名台詞はほんとうにたくさん入っていますよ。たとえば、阿南陸相が閣議のさなか、陸軍省に電話をする場面がある。反乱計画を押さえ込むために、実際の閣議とは違う嘘の内容をわざと伝えるところですね。

 

迫水久常内閣書記官長が「終戦の詔勅」に、多くの官僚たちの精神的師であった安岡正篤に特に書き加えて貰った文言を入れようとして失敗する場面もちゃんとある。

 

東条英機が土壇場も土壇場で昭和天皇に「さざえの身と殻のたとえ」をして敗戦後も日本の軍隊が残るようにと懇願し天皇が応答するという、私にとってはかなり手に汗握ってしまう場面まである。

 

「特攻隊の生みの親」大西瀧治郎も岡本版よりも出番があります。岡本版の拾えていない大事な歴史の情景が信じられないほどたくさん組み込まれているのです。時間は詰められているのにね。

 

それから阿南の盟友の安井藤治国務大臣とか、思わぬ人物にかなりスポットが当たっていることにも驚かされます。そして後半の軸は、当然ながら陸軍青年将校グループの反乱ですね。

 

荻上 青年将校たちのクーデターは確かにサスペンス的でしたね。もしそこをクライマックスとして演出するなら、前半の登場シーンを増やし、将校らのバックグラウンドを描くこともありえたでしょう。そうしたら、また違うドラマになったのでしょう。

 

たとえば、上官に褒められたとか、ちょっとした成果をあげて達成感を覚えたと言った具合に、いかにして軍国青年と化していったかを語るわけですね。

 

でも、そうしたドラマ化には禁欲的でした。複数の思惑を持つ者同士の群像劇を通じて、敗戦への道筋がいかに不安定な意思決定の上に成り立っていたかを描くのが焦点になっていたからでしょうね。

 

片山 その辺りは、時間との兼ね合いもあって難しいところですね。たぶん原田監督は、東条英機を悪役として実際の歴史よりも膨らませることで処理しようとしたのでしょう。東条的価値観に青年将校は呪縛されていたと。

 

私は、青年将校たちの導師であった東京帝国大学の平泉澄教授が出てきた方がいいと個人的には思いましたけれども、そうすると映画も長くならざるをえない。そこで東条の悪役イメージを強調して、ある意味、単純化して強行突破している。

 

この映画は、最初に映る登場人物が、天皇でも阿南でも鈴木でもなく、脇役の東条なんですよね。東条が重臣会議で強硬な態度に出て、鈴木貫太郞の後ろ盾になる、海軍の岡田啓介と派手な口論をする。そこから始まる。

 

荻上 確かに、東条自体はキャラクターとしては後景に位置づけられていますが、それでも冒頭で東条を映すのは、アイコン的に重要ですよね。たとえば、ドイツを舞台にした映画で、画面にヒトラーや鍵十字が冒頭で一瞬でも映っていれば、その映画が第二次世界大戦を扱っているのだということが瞬時に分かる。この映画も、まず東条を映すことで、戦争末期の話なのだということがまず分かる。そのうえで、鈴木貫太郎らをメインに据える。でもこれは重要な配置です。

 

 

http://www.sankakuyama.co.jp/podcasting/endo.html

(C)2015「日本のいちばん長い日」製作委員会

 

 

終戦におけるラジオの役割

 

荻上 終戦時においても、東条英機が政治の中心的位置にあったと思っている人は意外と多いと思うんですよ。国内でも、国外でも。ドイツにおけるヒトラーにあたるのは誰かを探すという発想なのかもしれませんが。

 

映画を見ていて、終戦を迎えたのが鈴木貫太郎内閣であるということ、「聖断」と玉音放送の関係、8月15日にクーデターもどきが起きようとしていたこと。この三つは、日本では当たり前のことではあるんですけど、対外的にはもしかしたらマイナーな事実なのかもしれないなと思いました。ちなみ玉音放送の制作過程においては、情報局総裁であった下村宏の役割は外せませんね。

 

片山 今回の映画では端役的な扱いでしたが、彼はかなりのキーパーソンですよね。岡本喜八監督による『日本のいちばん長い日』では志村喬が演じていたのですから。

 

荻上 ラジオのもつ役割は、映画中ではわりにさらりと紹介されていたと思います。国の中枢にいた人たちの物語なので、ラジオを聞く大衆、国民の側からの描写はほとんどない。その点、国民がラジオをいかに受容していたかを補足で考えると、映画の意味はよりわかってくるのではないかと思います。

 

当時はテレビがありません。大衆にとってのメディアといえばまずラジオでした。開戦の日の正午、その由がラジオで発表されましたけど、その時にはラジオを聞く心得が国民に述べられています。「ラジオの前にお集まりください」という題のものですね。次のようなものです。

 

 

いよいよその時が来ました。国民総新軍の時が来ました。政府と国民がガッチリと一つになり、一億の国民が互いに手を取り、互いに助け合って進まなければなりません。政府は放送によりまして国民の方々に対し、国家の赴くところ、国民の進むべきをはつきりとお伝え致します。国民の方々はどうぞラジオの前にお集まりください。

 

放送を通じて政府の申し上げますることは政府が全責任を負ひ、卒直に、正確に、申し上げるものでありますから、必らずこれを信頼して下さい、そして放送によりお願ひ致しますことを必ずお守りください。御実行下さい。

 

 

この他、ラジオは常時つけっぱなしにしておけ。特定の時間には大事なニュースがあるから、特にラジオの前に集まるように。ラジオで述べたことは信頼し、そこで命じたことは実行せよ。公共施設では、拡声器を通じてラジオを流せ。そうしたことを言っていたわけですね。そうやってみんながラジオで戦局を確認するという状況が確立されて、戦争を通じてラジオの普及率が高まっていった。

 

玉音放送のときは、「明日は大事な放送があるから集まれ」というアナウンスがありました。普段からラジオの前に集まれ、つけっぱなしにしろということを言っていたにも関わらず、改めてこのような確認をしたということは、国民に「何か重大な発表があるんだ」という、戦々恐々とした感情を与えたであろうと思います。

 

しかしながら、そこで流れた玉音放送は大抵の国民にとっては意味不明のものでした。まず、ラジオや音声の質が悪く、ほとんど聞き取れない。聞きとれたとしても、中身が難しい漢語でよくわからない。そして、天皇陛下の声を初めて聞いたという畏れおおさで心も震えていると。

 

たとえば手記なんかを読んだりすると、天皇陛下の声が聞こえたという段階でみんな万歳三唱を始めてしまって、肝心のラジオが聞こえない状況になっていたとか、そういうエピソードもあります。

 

片山 天皇の声だとは分かっても、中身については分からなかった人が多かったようですね。

 

荻上 ええ。様々な証言を見ても、はっきりと中身を理解して聞けた人はほとんどいないでしょう。下村はもともと玉音放送を進言していたんですが、それは通りませんでした。ラジオを通じて陛下の声を流すということへの抵抗感や、下村が慎重派であることへの猜疑もあった。

 

下村の描写は少ないのですが、慎重派の人物が、ラジオの玉音放送を収録するにあたって暗躍をしたことがわかると、補助線としてより楽しめるでしょう。多くの国民にとって戦争は、ラジオによって始まり、ラジオによって終えられたのです。

 

片山 それはラジオのパーソナリティーをやっている荻上さんからの重要なメッセージであると思います。国の運命を決する最終段階が、ラジオ放送を阻止できるかできないかということになる。

 

荻上 そうですね。将校らの行動は、命令系統を変えるとか、陛下に拝謁して直訴するといったものではなくて、「玉音放送を止める」という発想ですからね。将校たちが、いかにラジオの役割を意識していたかということがうかがえます。

 

片山 その意味では、今回の映画だとせめて安井国務相くらいには下村情報局総裁にも出番を与えて欲しかったかなあ。岡本版の方が下村の比重は高かったですね。原田監督は岡本版を意識せざるを得ない形で撮っているから、そこは変えたかったのかもしれません。

 

この映画にも下村は出てきますが、放送の意義を説く重要人物というよりも、「遺書を用意してますか」という台詞ばかり言う、極端に性格的な脇役にされています。下村は実際、当時健康にも自信がなくて、さかんにそう言っていたようなんですが、そこが大日本帝国の終焉の物語にいいと、原田監督の拾いたくなったところなのでしょう。

 

荻上 下村に関しては、こんなエピソードがあります。8月14日のクーデターの時、つまり玉音放送を止めるために監禁された時に、下村は昭和天皇に一対一でお会いした際のメモを持っていて、それを破り捨てたんですね。そこには、昭和天皇による、誰が戦争犯罪人として罪が重いかというような重要な証言も含まれていた。

 

もしそうしたメモが明るみに出たら、戦後の歴史も変わったでしょう。しかし下村は、将校らにメモを見られまいと、鼻をかむふりをしてメモを鞄から出し、ポケットに突っ込んでからトイレに行って、ゆっくりちぎりながら流した。

 

片山 書類を処分すると言えば、原田版にも岡本版にも共通するのは、陸軍省で書類を片っ端から焼却する場面です。ああやって肝腎なものは消えてしまって、そのあと、かなりいい加減な記憶と捏造によって、生き残った者に少しでも都合のいい歴史が作られて、われわれもそれを教えられてしまうということなんでしょうね。【次ページにつづく】

 

 

 

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