パッと見、大差ない教育政策を読み解くために――5つのテーマ・3つのキーワード

6月22日公示、7月10日投開票の第24回参議院議員選挙。選挙権年齢が18歳以上に引き下げられてから最初の投票となります。シノドスでは「18歳からの選挙入門」と題して、今回初めて投票権を持つ高校生を対象に、経済、社会保障、教育、国際、労働など、さまざまな分野の専門家にポイントを解説していただく連載を始めます。本稿を参考に、改めて各党の公約・政策を検討いただければ幸いです。今回は教育政策の観点から、社会学者の仁平典宏氏にご寄稿をいただきました。(シノドス編集部) 

 

 

1.はじめに

 

教育は、若い人にとって、比較的関心が高い分野だと思う。今年4月の18~19歳への調査でも、「政治で力を入れてほしい」と思う分野では、景気・雇用、社会保障についで、3番目に高かった(「朝日新聞」2016年4月8日)。

 

しかし、今回の選挙では(でも?)、教育は大した争点になっていない。めだつところで奨学金の充実、そして幼児教育の無償化くらいか。しかもこれらは、ほとんどの政党がかかげている。だから、どこに投票しても同じという気分になる。

 

しかし、各政党の政策を細かく読んでいけば、わりと大きな違いがあることも見えてくる。「どんな社会の中に教育を位置づけていくのか」についての根本的な違いといってもいい。

 

「その違いは何か?」ということを考えながら、次の5つのテーマを取り上げてみたい。「奨学金と大学教育」「幼児教育」「いじめ」「不登校とフリースクール」「道徳教育/政治教育」である。そしてこれらのテーマを、「社会的投資」「機会の平等」「同調性/多様性」という3つのキーワードで見ていきたい。

 

「社会的投資」というのは、文字通り、教育を社会にとっての投資と見る考え方だ。教育にはコスト(費用)がかかる。それを税金でまかなうには、社会にとってどういう利益があるのか、という視点も必要になる。

 

ところがこの考え方は、あまり人気がない。「教育は金じゃない」「教育の価値は数では計れない」と言われる。それは全くその通り!だからこそ、数字で計れるところくらいは、ちゃんとデータを見て考えようというわけだ。特に、「奨学金」や「幼児教育の無償化」はお金の話なので、そのこと抜きでは成り立たない。

 

「機会の平等」というのは、私たちが生きる社会の、一番基本にある考え方の一つである。生まれる家庭は誰も選べない。だから社会の責任で少なくともスタートラインは同じにする。経済的な理由や属性的な理由で、教育の機会が妨げられないようにする。これは少なくとも先進国の顔をするなら、守るべき大原則とされる。

 

ところが、日本では、この原則が実現しなくなっている。今年4月に発表されたユニセフの報告(UNICEF,2016, Fairness for Children)によると、日本の子どもの格差は、調査された41の先進国の中で8番目に悪い。悪い方でトップテン入りである。また日本の子どもは6人に1人が貧困状態にあり、これもすさまじく深刻だ。

 

これは理念的に許されないだけでなく、先の「社会的投資」の考え方からしても、将来才能が花開くかもしれない子どもが、お金がないために十分な発達や進学ができないことは社会の損失である。この問題に、各政党はどう取り組もうとしているのか。

 

「同調性/多様性」については、長い間、日本の学校や教育は、同質的で多様性がないと言われてきた。今も、スクールカーストやいじめ、学校の管理といった問題や息苦しさは、まわりに合わせた方がいいという意識(同調圧力)から生まれると言われている。

 

このような観点から、同調圧力が生み出す問題としていじめ、そこから脱出する条件としてのフリースクール・オルタナティブスクール、同調を作り出すもしくは解除する条件としての道徳教育や政治教育を、強引に一つの節(4節)で論じてみようと思う。(本来外せないマイノリティ教育や多文化教育、ジェンダーをめぐる教育、障がい教育については、字数と力量の不足から正面からは論じられなかった。この点お詫びしたい。)

 

その前に、以下では、2節で「奨学金と大学教育」、3節で「幼児教育」を扱う。これらは、今回の選挙でも大きく取り上げられているので長めに書いた。関心あるところから(だけ)読んで頂いても大丈夫である。

 

 

2.大学進学に税金を使う意味はあるのか?――奨学金と大学教育の効果

 

「大学は自腹で行くもの」説

 

今回、教育関連の政策で一番話題となっているのが大学に行くための奨学金についてだろう。

 

自民党は、現在の有利子奨学金(利子をつけて返す貸与奨学金)制度を無利子奨学金(利子の付かない貸与奨学金)にすることと、返さなくていい給付型奨学金の制度を作ることを「検討する」と言っている。

 

民進党、公明党、共産党は、無利子奨学金制度に加え、給付型奨学金を「作る」と言っている。さらに共産党は大学授業料をタダにすることをめざし、とりあえず10年で半額まで下げると約束している。

 

一方、おおさか維新の会は奨学金については目立った政策はない代わりに、大学を無償化すると言っている。

 

このように、今回は、どの党も大学の奨学金の充実や授業料の値下げを約束している。それでは、どの政党に投票しても同じなのか? それともなにか違うのか?

 

結論からいうと、自民党のもとでは、あまり大きくは改善しないと思う。教育に金をかけないこのしくみ自体、長い自民党政策のもとで作られてきたものだし、それを変える力は中からは出てきにくい(「政策の経路依存性」が働く)。

 

また、教育行政学者の村上祐介が述べるように、今の安倍政権自体、教育にお金をかけない政権でもある(注1)。

 

(注1)村上祐介2016「第二次安倍政権の教育政策――「お金をかけない教育改革」の是非」https://synodos.jp/education/17176

 

だが、ここで問いたいことはその先にある。有権者は、あるいはこれを読んでる方は、本当に変えたいと思っているのだろうか? 大学進学や大学教育に税金を使ってもムダだと思ってはいないだろうか?

 

そう聞くのは、日本は「大学は自腹で行くもの」という意識が、世界でも珍しいほど強いからだ。社会学者の中澤渉の分析に見るように、日本では、「収入の少ない家庭の大学生に経済的な援助を与えること」を、政府の責任で「ない」と答える傾向が、先進国の中でもダントツで高い。自己責任の国と呼ばれるアメリカよりも高い(注2)。

 

(注2)中澤渉2014『なぜ日本の公教育費は少ないのか――教育の公的役割を問いなおす』勁草書房

 

よって、「自民党はちゃんと大学進学を支えないかも」といったところで、「だったら自民はやめよう」となるのか、「だからこそ自民がいい」となるのかは、どちらもありうる。

 

「大学は自腹で行くのがあたりまえ」という理由の一つは、義務教育とちがって、大学は「自分の好きで行くんでしょ」とか「自分だけのために行くんでしょ」と思われがちだからである。つまり、それが社会のために役に立つと、あまり思われていないからではないか。

 

よってここで考えたいポイントは、「大学進学や大学教育を、公的に支える意味はあるのか?」「それは社会にとってどういう効果があるのか?」ということである。はじめに、日本の大学進学を支える奨学金制度が、かなりまずいことになっていることを、確認しておきたい。

 

 

日本の大学進学がブラックなことと、それが世界的に見ておかしいことについて

 

日本の奨学金制度の大きな特徴は、公的な給付型奨学金(grant/scholarship)がほぼないということである。給付型奨学金とは、返さなくていい奨学金のことである。海外では、奨学金といえば、返さなくていいものを指す。

 

ところが日本で「奨学金」と呼ばれているのは、返さなくてはいけないので、海外では「教育ローン」(education loan)にあたる。しかも最大の奨学金制度である日本学生支援機構の「奨学金」は、利子をつけて返さなくてはならないため、卒業後大きな借金となり、十分な収入がないと、返済で生活が苦しくなる。現在、返済を延滞する人は30万人以上にものぼる(2014年度末)。

 

こういうリスクがあるので「奨学金」という名の教育ローンは避けたい。でも、親にもあまり頼れない。親も不況や雇用の悪化で収入が減り、仕送り額が減っている。そうなると、アルバイトで、授業料や生活費をまかなう人が多くなる。これでは大学で集中して勉強できない。また、稼がなきゃいけないという状況は、バイトなのに正社員並みのノルマを課される「ブラックバイト」の原因にもなりやすい。

 

これに追い打ちをかけるのが、高い大学の授業料である。国公立大学の授業料は値上げが続いている。大学全体の8割を占める私立大学はさらに授業料が高い。国は、私立大学にお金をかけないためである。その結果、経済的に一定以上豊かでないと大学進学できない状況になっている。(注3)

 

(注3)以上、詳しくは、大内裕和2015『ブラック化する教育』青土社など

 

これがいかに異常かということを、国際比較のデータで見ておこう。

 

図1は、国公立大学の授業料と、公的な教育ローン・奨学金をもらっている大学生の割合を示したグラフである。縦軸が国公立大学の平均授業料、横軸が教育ローン・奨学金を得ている大学生の割合を示している。

 

日本は、ぽつんと一つだけ、左上に位置している。これは大学の授業料が高い上に、公的な奨学金(教育ローンも含む)も利用しにくいという最悪の位置だ。ちなみに、日本の場合、大学の大半は私立大学なので、平均授業料はこれよりずっと高くなる。

 

 

図1 国公立大学の平均授業料と奨学金・教育ローンを受けている大学生の割合の関係 OECD, 2010, Education at a Glance 2010: OECD INDICATORS, Table B5.1、B5.2、Chart B5.3より作成

図1 国公立大学の平均授業料と奨学金・教育ローンを受けている大学生の割合の関係
OECD, 2010, Education at a Glance 2010: OECD INDICATORS, Table B5.1、B5.2、Chart B5.3より作成

 

しかも繰り返しになるが、日本の公的な奨学金は、給付型がなくて貸与の教育ローンしかない。そんないびつな状況なのも、先進国の中で日本だけである。図2はその状況を示している。大学生がもらっている奨学金(金額)について、給付型(青)なのか貸与型の教育ローン(オレンジ)なのかを比率で表したものだが、もう日本だけ絵的におかしい。

 

 

 図2 高等教育機関の学生への財政支援における公的な給付型奨学金と教育ローンの比 OECD, 2010, Education at a Glance 2010: OECD INDICATORS, Table B5.3より作成

図2 高等教育機関の学生への財政支援における公的な給付型奨学金と教育ローンの比
OECD, 2010, Education at a Glance 2010: OECD INDICATORS, Table B5.3より作成

 

このような状況だからあたりまえなのだが、大学に行かない/行けない傾向も出てきた。大学進学率は、他の先進国が順調に伸びている中、日本は順調に伸び悩んでいる。先進国(OECD諸国)の大学進学率の平均値は、1995年から2010年の間に37%から62%に伸びているが、日本の大学進学率の上昇は31%→51%であり、だいぶ差をつけられてしまった(OECD, 2012, Education at a Glance 2012)。

 

つまり、日本は「大卒者の少ない国」に向かっている。

 

 

「大学進学なんてプラスにならない」のか?――社会的収益率の観点から考える

 

さて、いよいよ本題に入っていきたい。このような構造ができてしまった背景には、自民党の政策だけでなく、「大学は自腹で行くもの」と考える人々の意識があった。その意識は、大学進学は、別に社会にとってプラスにならないという意識とつながっている。

 

だが、本当に大学教育は「プラスではない」のだろうか?矢野眞和は、経済学の観点からこれを否定している(注4)。

 

(注4)矢野眞和2015『大学の条件―大衆化と市場化の経済分析』東京大学出版会

 

「プラスかどうか」を測る基準は多くあるし、経済的利益(お金)という観点はその一つでしかない。個人的には、お金ではない価値について、小一時間ほど話したい。しかしお金については、多くの有権者が気にするわりには、あまり教育論議では語られない。ここでは、あえてお金の観点から考えよう。

 

大学進学がプラスになるかどうかは、「個人にとって」か「社会にとって」かによって違う。はじめに、「個人にとって」大学進学がお金的にプラスかどうか見ていこう。というのも、「大学なんて行ってもムダ」「Fラン入るくらいなら専門学校行ったり働いたりした方がいい」と言われることが多いからだ。

 

これが本当かについて、大卒の収益率という考え方をもちいて見てみたい。大卒の収益率とは、大学に行くための費用(授業料・入学金+大学に行かない4年間で稼げるはずの収入)を投資額と捉え、それがどれくらいの、大学に行ったことで得られる利益(大卒の生涯賃金―高卒の生涯賃金)を生むか、計算するものである。

 

計算にはいくつかの方法があるが、詳しくは矢野の本を読んでいただくとして、結論から言うと大学進学は8.7%の利子率と同じ投資だということである(矢野、前掲書、150ページ)。

 

今時、そんな高い利子の投資案件は存在しない。銀行の長期金利はいくらだったか? 矢野は、学力の低い人が行く大学の利子率についても計算し、やはり十分に高いことを示している(矢野、前掲書、167ページ)。「大学なんて行ってもムダ」と簡単に言えないことが分かる。

 

今のは、個人にとっての利益の話だった。だがそれは、社会にとっての利益にもつながる。年収が高いということは、それだけ払う税金も高いということだ(累進税の場合は特に)。税金は国に入るために、個人が高い年収を稼ぐようになることは、国にとっても財政的にプラスだ。

 

国にとってみた時、大学生1人にかける税金よりも、将来、その人が稼ぐことで入ってくる税収が高ければ、投資としての効果が大きいことになる。それを計るのが社会的収益率である。矢野はこれについても計算を試み、6%以上の収益率があることを示している(矢野、前掲書、180ページ)。

 

特に私立大学に対しては、国はお金をかけていないので、家計の授業料負担は厳しい。一方で、国は丸儲けとなっている。

 

「政府は、所得の高い大卒者が1人増えると、生涯で1258万円の税収入増になる。……にもかかわらず、その学生に支給される私学助成金は60万円ほどにすぎない。」(矢野、前掲書、180ページ)

 

さすがにこれはひどい。奨学金を拡充する時も、国は「お恵み」という意識でやってほしくない。そもそも大学生(特に私立大学生)から、国はボッタクリすぎているともいえるからだ。

 

 

機会の平等と経済成長

 

大学進学の経済学なメリットは、給料を増やしたり、税収を増やすだけではない。格差を抑え、経済成長をうながすという役割もある。ここでのポイントは、技術革新への対応である。

 

産業革命以降、機械化などの技術革新は、人びとの仕事を奪うとおそれられてきた。確かに機械化は、単純な仕事を減らしていった。でもそれに対して人間は、教育で知識やスキルを増やすことで、高度化した技術を使いこなす仕事を新たに作っていった。例えばパソコンという技術革新は、タイプライターを打つ仕事をなくしたが、代わりにITを使いこなすスキルや知識を教えることで、システムエンジニア(SE)の仕事を増やした。

 

技術革新が進めば、人間もその分、教育拡大することで対応する。日本以外の先進国で、大学進学率が順調に伸びている背景には、このような技術革新と教育の追いかけっこ(race)がある。

 

ところが、国が大学教育にお金をかけないと、技術革新を使いこなせる人材が育たない。そのため経済における生産性が下がる。また、高学歴の人は高いスキルを身につけて安定した仕事につけるが、進学できない人は就職のチャンスも減り、格差が広がってしまう。これを「スキル偏向型技術革新論」といい、最新の経済史の重要な成果である(注5)。

 

(注5)Claudia Goldin & Lawrence F. Katz, 2010, The Race between Education and Technology, Harvard University Press

 

たとえば、アメリカでは、1980年代頃から大きな格差が問題になっているが、この背景には、国が大学教育にお金をかけなくなり、一部の人しか大学に行けなくなったことがある。それによって、技術革新に対応できる人が足らなくなって経済は停滞し、大卒の人と高卒の人との間の賃金格差が広がってしまった。

 

このように、経済がグローバル化し、技術革新も進んでいく中で、一部のお金のある人しか大学進学できないことは、機会の平等をこわすだけでなく、経済的にもマイナスなのである。

 

日本ではこれまで、仕事のためのスキルは入った会社で教える「OJT」とよばれる方法が一般的だった。だから、ここで紹介した「スキル偏向型技術革新論」はピンと来ないかもしれない。だが、OJTが前提としていた終身雇用がだんだん減っていく中で、大学の役割はますます大きくなっていくだろう。以上が、「投資」という側面から見えてくることである。

 

 

大学教育に「投資」をする政党はどこか?

 

教育を「投資」として捉えている政党はあまり多くない。教育に経済はそぐわないと思っているためかもしれない。

 

その中で、自民党の文書では、教育は「投資」として位置づけられている。だが、その政策が詳しく見ると、本気で「投資」と思っているのか疑問だ。大学教育の予算を抑えるという方向ばかりが目立つからである。

 

例えば、国立大学に対しては、平たく言えば、教員の給料を抑えることと、学部や大学間で競争させ、一部のところにだけお金をつけるという意味のことが書かれている。これでは、全体の底上げにはつながらない。

 

さらに、私立大学については、国が支えるとは書かれておらず、民間からの寄付でなんとかしろということが強調されている。そして、経営が悪化したところは潰すとしている(注6)。

 

(注6)自民党/政務調査会「総合政策集2016 Jファイル」

 

繰り返すが、日本の大学進学率は、先進国の中でも低い水準にある。それなのに自民党の政策の基本は、全体の底上げではなく、「選択と集中」と呼ばれる大学の絞りこみである。これは「学びたいという意欲を持つ全ての子供たちが進学できるよう」にするという公約との間にズレがある。いくら奨学金を広げても、これでは大学の方が弱っていくからだ。

 

この「選択と集中」は、自民党政権のもとで10年以上進められてきた。その間、自然科学・工学研究などの論文数は伸び悩み、大学教育に金をかけている外国にどんどん追い抜かされている(注7)。大学の人件費を減らしたため、研究者も減り、研究も伸びなくなっているためだ。

 

(注7)文部科学省『科学技術白書』平成25年度

 

それでは自然科学や工学、さらには職業と直結した実学にだけ金をかけて、文系の学部はつぶせばいいのか? これも今の自民党政権で進められている動きだが、今のサービス経済の時代は、ひと昔前の産業化の時代とはちがって、理系の発展だけで成長できる時代ではない。

 

欧米では文系も含めた総合的な学術の政策が目指されている(注8)。このような世界の流れとも逆行している。

 

(注8)リベラル懇話会2016「リベラル懇話会政策提言書(5.教育分科会)」4頁

 

自民党と対局にあるのが共産党で、大学教育に対し一番充実した政策を約束している。だが「機会の平等」や「教育を受ける権利」ということが重視されている一方、「投資」という視点には乏しい。教育とお金はそぐわないと考えているのかもしれない。

 

しかし多くの税金を費やす以上、大学教育への公金投入がどのような社会的利益を生むのかという見通しも、有権者として気になるところではある。

 

いずれにせよ、一見、似かよっている各政党の政策を評価するために、大学教育は何の役に立つのか、という観点から考えることは重要だ。もちろん、大学教育は経済的価値だけでなく、いろいろな価値がある。OECD(経済協力開発機構)の分析によると、平均余命、政治参加率、社会参加率、生活満足度の向上なども教育の社会的成果である(矢野、前掲書、182ページ)。

 

経済的な理由で進学できない人が「かわいそう」ということだけが、奨学金を充実させる唯一の理由ではない。教育の役割をどのように捉えているのか、それを通して社会をどのようにしていきたいのか――そこへの理解の深さが、各政党の本気度とも関わってくる。【次ページにつづく】

 

 

シノドスのサポーターになっていただけませんか?

無題

 

vol.230 日常の語りに耳を澄ます 

・荒井浩道氏インタビュー「隠された物語を紡ぎだす――『支援しない支援』としてのナラティヴ・アプローチ」

・【アメリカ白人至上主義 Q&A】浜本隆三(解説)「白人至上主義と秘密結社――K.K.K.の盛衰にみるトランプ現象」

・【今月のポジ出し!】吉川浩満「フィルターバブルを破る一番簡単な方法」

 

vol.229 平和への道を再考する 

・伊藤剛氏インタビュー「戦争を身近に捉えるために」

・【国際連合 Q&A】清水奈名子(解説)「21世紀、国連の展望を再考する」

・【あの事件・あの出来事を振り返る】桃井治郎「テロリズムに抗する思想――アルジェリア人質事件に学ぶ」

・末近 浩太「学び直しの5冊<中東>」

1 2
シノドス国際社会動向研究所

vol.230 特集:日常の語りに耳を澄ます

・荒井浩道氏インタビュー「隠された物語を紡ぎだす――『支援しない支援』としてのナラティヴ・アプローチ」

・【アメリカ白人至上主義 Q&A】浜本隆三(解説)「白人至上主義と秘密結社――K.K.K.の盛衰にみるトランプ現象」

・【今月のポジ出し!】吉川浩満「フィルターバブルを破る一番簡単な方法」