2014.09.02

防災教育の最前線――「自ら考える」防災訓練の試み

秦康範 社会安全システム・災害情報

社会 #震災復興#防災訓練#安全教育

「グラッときたら」

「火の始末」と答える人はほとんどが40代以上、「おはし(おかし)」や「おはしも(おかしも)」の約束が頭に浮かぶ人は、30代前半以下の方だろう。

地震対策の中心が火災対策だったのは、1923年関東大震災の教訓にさかのぼる。98件の火災が発生し、約21万棟が消失,死者・行方不明者数は10万5千人に上った。犠牲者の大半は火災による焼死だった。住民は大八車に家財を満載して避難しようとして、各地で大渋滞を引き起こし、荷物に引火して被害を拡大させた。

しかし、今日では揺れを感知して自動的にガスを遮断するマイコンメーターがほぼ100%普及しており、慌てて火を消す必要が無い。逆に火を消そうとして火傷や転倒するなど、揺れの最中の消火活動自体が危険とされるようになっている[*1]。以前は合理的で意味のある標語だった火の始末も、現在ではマイナス面が大きいとされている[*2]。

[*1] 文部科学省科学技術・学術審議会:地震防災研究を踏まえた退避行動等に関する作業部会報告書,2010年5月( http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu2/sonota/1294461.htm

[*2] ただし、このことは震災時の火災リスクが小さいことを意味しない。2013年12月に公表された中央防災会議による首都直下地震被害想定では、都心南部直下地震により約43万棟の焼失が想定されており、大都市の密集市街地における出火防止対策の強化は重要な課題である。中央防災会議 首都直下地震の被害想定と対策について(最終報告)http://www.bousai.go.jp/jishin/syuto/taisaku_wg/pdf/syuto_wg_siryo01.pdf

「おはしも(おかしも)」は、押さない、走らない(駆けない)、しゃべらない、戻らない、の頭文字で、阪神・淡路震災以降、消防庁による教育安全指導のガイドラインに紹介されたことから、防災教育の標語として全国に普及した。当初は、「おはし(おかし)」だったが、津波による避難の原則である「も(戻らない)」が後に追加された。筆者は、防災教育の現場で当たり前になっている「おはしも」を含めて、見直すべきだと考えている。

危険を予測し、回避する能力を高める防災教育

東日本大震災を受け、文部科学省[*3]は今後の防災教育の考え方と施策の方向性として、自然災害等の危険に際して自らの命を守り抜くため「主体的に行動する態度」を育成すること、そのために「自らの危険を予測し、回避する能力を高める防災教育の推進」を打ち出した[*4]。

[*3] 文部科学省 東日本大震災を受けた防災教育・防災管理等に関する有識者会議:中間とりまとめ,2011年9月(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/sports/012/toushin/1311688.htm

[*4] この背景に釜石の軌跡がある。釜石市の学校に通う小中学生全生徒2926人中、学校を休んでいたなどの5人を除く全員が津波から逃れた事実と、多くの犠牲者が出た鵜住居地区にある釜石東中学校、釜石小学校の生徒・児童らの積極的な避難行動は、国内外から賞賛を受けた。

こうした中、筆者は山梨県防災教育アドバイザーとして、小中学校の防災教育に関わる機会を得た。本稿では、従来の型どおりの防災訓練の問題点を指摘し、いかにして「自らの危険を予測し、回避する能力を高めるか」の解決策の1つとして、筆者が取り組んでいる「自ら考える」防災訓練をご紹介したい。

学校における安全教育における標語

防災教育に関わるようになり、教育委員会の指導主事[*5]の方々から、「防災教育で何か良い標語はありませんか」と問われた事は、強く印象に残っている。なぜ標語という言葉が防災教育と関連するのか、非常に不思議に感じたからだ。

[*5] 都道府県または市町村の教育委員会から任命される専門職員。ほとんどは教育委員会に出向している小中学校の教員である。

調べてみると今の教育現場には、多くの標語があふれていることを知った。例として東京都教育委員会作成している安全教育プログラム[*6]に載っている標語を見てみよう(表1)(かな等は原文のまま)。「いかのおすし」には、思わず吹き出しそうになってしまうが、大真面目にこれらが指導されている。

[*6] 東京都教育委員会:安全教育プログラム,2013 (http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/pickup/p_gakko/anzenkyoikuprogram.htm

こうした状況に違和感を覚える人は筆者を含めて少なくないだろう。そして、その違和感は、「標語を徹底することに、どれだけの意味があるのか」という疑問に起因しているのではないだろうか。

いきなり結論になってしまうが、筆者はこのような標語による安全教育に対して非常に懐疑的である。それは標語が悪いというよりも、標語の背景が共有されないまま標語が示す行動を徹底することは、安全教育の本来の目的である「身の安全を守る」ことに必ずしも結びつかないと考えるからだ。

例えば、「おはしも」を例に考えてみよう。太平洋側の海水浴場に出かけているときに、巨大地震に遭遇したとする。東海地震をはじめとする南海トラフの巨大地震では、場所によっては5分から10分程度で津波が来襲する。「おはしも」を徹底したら命を守ることができるだろうか。大声で地震が起きたことを知らせないといけないだろうし、少しでも標高の高い安全なところを目指して、全力で走って逃げないと助かる命も助からないはずだ。

当たり前のことではあるが、災害に遭遇する状況に応じて発生する危険は異なるし、とるべき対応も変わる。この当たり前のことを理解し、的確に判断できるような能力を養うことが、「危険を予測し、回避する能力を高める」防災教育であると筆者は考えている。

(表1 学校における安全教育における標語(出典:東京都教育委員会2013))
(表1 学校における安全教育における標語(出典:東京都教育委員会2013))

従来の防災訓練

一般的に行われている地震を想定した防災訓練は、おおよそ以下のようなものだろう。授業時間中に、教頭先生による「ただいま地震が発生しました」との校内放送に始まり、机の下に隠れて、その後「地震が収まりました。ただちに校庭に避難しなさい」との放送を受けて、防災頭巾やヘルメットをかぶり、廊下に整列して、校庭に集合する。

いくつかの学校を視察し、指導主事の方々とも話をしたが、校庭参集後に校長先生が児童・生徒にする講評は、「参集時間」と「私語の注意」が主だった。「おはしも」により、「走らない」ことを徹底しながら、「前回は5分15秒かかりましたが、今回は4分・・・」のように参集時間の早さを問題にする点がそもそも理解できなかった。また、大騒ぎしているわけでもないのに「私語」を注意していたことも気になった。つまり、防災訓練の善し悪しを、参集時間や私語の有無で評価することは、「身の安全を守る」という観点から妥当性があるとは思えないからである。訓練のやり方そのものを見直さないといけないと強く認識した。

上記のような例は特殊なのかどうか、筆者が所属する大学の学生(山梨県外出身者含む)に、小中学校の防災訓練についてヒアリングを行った。その結果、ほとんどの小中学校で行われている防災訓練は、上記に挙げた内容であった。多くの学校では、訓練の日時は事前にアナウンスされていて、中には「今日は雨だから訓練中止」という例もあった。地震は天気を選ばないわけだが、雨に濡れるからということもあるだろうが、学校の多くは「上履き[*7]」のまま校庭に参集することにしていることもその原因だろう。いずれにしても、何のための訓練かと言わざるを得ない。

[*7] 筆者はこの「上履き」のまま避難することをあまり意味がないと考えている。下駄箱での滞留を避けるためだと思われるが、校庭での待機が長時間に及んだり、高台へ走って避難したりするケースを考えれば、「下履き」の方が圧倒的にメリットが大きいだろう。靴を履き替える時間を惜しんで、校庭に参集する合理的な理由が見つからない。

こうして従来の防災訓練で実施されていることを1つ1つ見直していくこととした。まず、大震災の場合には停電することが多い。そうすると、そもそも校内放送が使えない。つまり、校内放送が使えないことを前提とした連絡手段を使わないと、本番を想定した訓練とは言えない。次に、そもそも校庭に参集しないといけないのかということ疑問が、関係する校長・教頭先生から出て来た。至極当然の疑問だと思う。筆者は、「校庭に参集する目的は、1つは一同に会することにより安否の確認をスムーズに行うため。もう1つは余震などによる二次災害を防止するため。しかし、学校建物の多くは耐震性が確保されており、一般の建物に比べ転倒する家具や什器も少なく、建物内の安全性は高い。大雨や大雪、校庭が液状化した場合など、校庭に参集する事が安全では無いケースも考えられ、必ずしも校庭に参集する必要は無い。」と回答した。こうして防災訓練をゼロベースで見直そうという取り組みを始めることになった。

緊急地震速報システムを使った実践的な防災訓練

文部科学省の事業の一環で、筆者が関わることとなった小中学校には緊急地震速報システムが導入された。緊急地震速報を活用し、効果的で意味のある防災訓練を行うことが、私に与えられた課題であった。後述する「自ら考える」防災訓練を実施する上で、大きな揺れの前に猶予時間を与えてくれる緊急地震速報は、非常に良いツールと言える。なぜなら、猶予時間は数秒から長くても十数秒程度しかないため、自ずと普段から地震に遭遇した際の対処方法について考えておくことが重要になるからである。そして、それはすなわち「危険を予測し回避する」ことにつながる。

訓練を行うに当たって私が最初に行ったのは、教員の認識を改めることだった。学校現場に外部の人間が入ることはあまりない。いくつかの訓練を視察する中で感じたことだが、整然とした問題の起きない訓練を見せないといけないと考える教員は少なくない。そのため、まずお願いしたことは、「課題が見つかる訓練が良い訓練」で「失敗しない訓練は意味が無い」ということを理解してもらった。後に、ある校長・教頭先生からは、「課題が見つかる訓練が良い訓練であり、失敗しても良いとの指導をいただいて凄く楽になった」とのコメントをいただいた。学校現場には真面目な性格の人が多く、訓練は成功して当たり前との認識が広がっている中で、「課題が見つかる訓練が良い訓練」との共通認識を持つことは非常に重要だと考えている。

もう1つお願いしたのは、教員自身も訓練に参加することだった。教員が訓練の評価者となって、地震の揺れに襲われても平然と子ども達に注意し、評価者になることは、本番の地震の際にはあり得ないからだ。教員自身が率先して避難行動を行い、自身が負傷しないことが非常に重要であること、教員自身が本気で訓練に参加することが生徒・児童にも伝わるということを説いた。

訓練を行うに際しては、事前に子ども達には緊急地震速報の仕組みについて、授業時間以外でアラームを聞いた場合には、その場その場で身を守る行動を取るよう指導をしてもらった。子ども達には、訓練の実施日時は事前に知らせないこととした。いわゆる抜き打ち訓練である。

まず従来の防災訓練と同様、授業中に実施した。訓練の結果は予想通りだった。従来の教頭先生の「ただいま地震が発生しました」という校内放送が、緊急地震速報に代わっただけなので、子どもたちの対応は何ら変わらなかった。授業中で教員の指示がある中、素早く机の下に隠れた。地震が収まったとの放送の後は、従来の訓練と何ら変わらないスムーズなものとなった。

次に、授業中ではない掃除や休み時間など、授業中以外に実施した。その結果、いくつか課題が見えてきた。掃除の時間のため、椅子をひっくり返して机の上に載せた状態で、教室の前方に机が寄せられた状況だった(写真1)。緊急地震速報の突然のアラームに生徒の多くは驚き、とっさにどう行動して良いかわからない。その後、机の下に隠れようとする生徒や、廊下で右往左往している生徒に向かって教室に入るよう指示する先生の姿があった。

(写真1 掃除の時間での訓練の様子(中学校A))
(写真1 掃除の時間での訓練の様子(中学校A))

写真1ではどういった危険が考えられるだろうか。大きな揺れによって机の上の椅子が飛んでくることが想定され、机の下は決して安全とは言えない。むしろ、積極的に机から離れた方が良い。教室後方は大きな空間が空いているし、廊下には倒れるような物が置かれていないため、窓から離れれば教室よりも廊下の方が安全と言えるだろう。

休み時間では、生徒の行動はより多様であり、多くの課題が見つかった。図書室には多数の子ども達が居たが(写真2)、隠れる机がいっぱいで、机の下に入れない子どもが右往左往した。転倒や本の落下の恐れのある、背の高い本棚の近くに避難する子どもも居た(写真3)。隣の教室に遊びに行っていた子どもが、自分の教室に戻って自分の机の下に隠れたり、1階の遊び場で遊んでいたある学年の児童は、アラームを聞くや2階にある自分たちの教室に向かって駆けだした。階段を駆け上がっている頃に、ちょうど地震の揺れが到達した。

(写真2 休み時間の図書室:避難行動を開始したところ(小学校B))
(写真2 休み時間の図書室:避難行動を開始したところ(小学校B))
(写真3 休み時間の図書室:本棚の前に避難する子ども達(小学校C))
(写真3 休み時間の図書室:本棚の前に避難する子ども達(小学校C))

緊急地震速報は、大きな揺れに襲われるまでのわずかな時間を我々に提供してくれるシステムだ。従って、アラームを聞いたその場その場で、身の安全を確保する行動を直ちに取ることが基本である。そうした指導は、事前に子ども達になされていたが、従来の防災訓練が徹底され過ぎていたために、このような子ども達の行動につながったと考えられる。また、「おはしも」を大きな声で連呼しながら、揺れが収まった後にどうしたらよいか困っている低学年の児童や、必要な声がけさえもしてはいけないと考え、目で合図し合う中学生も確認された。ここで紹介した事例は、都市部の規模の大きい学校や山間部の小規模な学校において複数の学校で見られ、決して特殊なものではないと考えている。

また、トイレの中に居る子どもにはアラームが聞こえなかったり、発達障害の生徒がパニックになって行方不明になるなど、事前に予告しない実践的な訓練だからこその課題が次々と見つかった。

以上の結果から言えることは、1つは多くの子ども達にとって防災訓練は、「自分の教室の自分の机の下に隠れること」になっていたということ、もう1つは状況に応じて的確な避難行動を取る応用力がほとんど養われていなかったということだ。緊急地震速報により得られる猶予時間は、大きい揺れの場合は数秒から長くても十数秒に過ぎない。無駄な動きをする余裕は一切ない。従って、訓練の結果がもし本番だったらと考えると、現状の課題は決して小さいとは言えないだろう。

防災訓練をやりっぱなしにしないことは非常に重要である。訓練後に、子ども達には、アラームが鳴ったときにどこに居て、その場でどのような危険が起こると考え、どういった行動を取ったのか、簡単な振り返りシートを記入してもらった。また、教員から何かしらの正解となる行動を教えるのではなく、子ども達同士でお互いの行動の良かった点や良くなかった点を議論させ、どのような行動が望ましかったか、気づきを重視した指導を依頼した。

「自ら考える」防災訓練

先に述べたような防災訓練を筆者は、従来の防災訓練のアンチテーゼとして、「自ら考える」防災訓練と呼びたい。特定の標語を丸暗記させ、繰り返すことにより身体に覚え込ませる従来の防災訓練は、状況が変化した途端に応用が効かない。

筆者は大学生を対象とした授業の最初に、必ず「グラッと来たら」と尋ねることにしている。ほぼ例外なく皆「机の下に隠れる」と答え、「近くに机が無かったら」と再度尋ねると黙り込む学生を何人も見てきた。こうした大学生も、ある意味従来の防災訓練を徹底した結果であるわけだが、この延長に文部科学省の有識者会議が提言している「主体的な行動」や「危険を予測し、回避する能力を養う」ことにつながらないのは明らかであろう。

筆者が関わった小中学校では、校長・教頭先生方の積極的な協力もあり、より実践的な訓練が行われるようになっている。繰り返し行う事により、生徒・児童の判断力や行動力は確実に高まることが確認された。保健室に隠れる子どもや負傷した子ども(写真4)を準備して、安否確認や救助体制の検証が行われ、校舎内に児童が残っていないことを確認する態勢ができていないことが判明し、マニュアルの修正につながった例もあった。校長・教頭先生以外の教員には一切予告せずシナリオも知らせない、教員自身が本気で取り組む、そういった防災訓練が徐々に浸透している。

(写真4 休み時間:避難途中に階段で転倒し歩けない児童(小学校D))
(写真4 休み時間:避難途中に階段で転倒し歩けない児童(小学校D))

「おはしも」については、しゃべらないことが目的化してはいけないことが理解され、必要な声がけは積極的に行うべきと指導方法も変わった。ある中学校では、場合によっては走ることを認めても良いのではという意見が出た。また、訓練後に実施してもらった振り返りシートや訓練映像による事後指導についても、その効果が教員間で認識されるようになった。

訓練の企画については、校長・教頭先生が毎回担当するのでは無く、持ち回りにした方が良いといった前向きな意見や、教員主導の防災訓練から児童・生徒の主体性を高める訓練方法への移行について議論されるなど、「課題を出す」訓練の重要性が理解され、学校として防災訓練のPDCAサイクルが確立しつつある。

おわりに

本稿では「自ら考える」防災訓練について筆者の取り組みを紹介した。大阪教育大学付属池田小学校の事件以降、事件や不祥事が発生する度に、学校現場には分厚いマニュアルが作成され、内容はどんどん複雑になり、標語が増える結果となっている。皮肉なことは、複雑なマニュアルを作れば作るほど、本来の目的である「身の安全を守ること」が見落とされ、応用が効かない生徒・児童を生み出す状況に陥ってはいないだろうか。東日本大震災において、迅速な避難の判断ができなかったために児童・教職員ら84人が犠牲となった大川小学校の悲劇は、学校教育現場における問題の縮図のように筆者は感じている。

忙しい学校現場において、新しい試みを行うのは容易ではない。まずは毎年実施している防災訓練を手始めとして、実践的な内容に変えていくことを提案したい。イベント型の訓練を行っている小中学校は少なくないが、本稿で紹介した防災訓練は、実は緊急地震速報が導入されていなくても実施可能である。「自ら考える」防災訓練の取り組みが広がることを期待している。

繰り返しになるが、「身の安全を守る」ことこそ最優先させるべきことであり、状況に応じて「身の安全を守る」行動は1つではない。過剰なマニュアル整備や、特定の場面における行動を指南する標語の徹底は、かえって状況に応じた臨機応変な対応を困難にさせる危険がある。

学校で地震に遭遇する確率は、休日や夏休みなどは学校に居ないと仮定すると、わずか2割に過ぎない。授業中に限定すればもっと低くなる。だからこそ、いつどこで地震に遭遇しても慌てず、的確な行動ができるような心構えと日頃の訓練が大切なのである。

最後に、筆者に防災教育に関わる貴重な機会を提供いただいた山梨県教育委員会、甲府市教育委員会、貢川小学校、富竹中学校、道志村教育委員会、道志小学校、道志中学校、身延町教育委員会、下部小学校、下部中学校、忍野村教育委員会、忍野小学校、忍野中学校の関係者の皆様に心より感謝申し上げる。

(本記事は3月15日配信α-synodos vol.144「3.11を振り返る(後編)」からの転載記事です。ご購読はこちら → https://synodos.jp/a-synodos

プロフィール

秦康範社会安全システム・災害情報

兵庫県出身。1972年生。山梨大学地域防災・マネジメント研究センター准教授。東京大学大学院工学系研究科社会基盤工学専攻博士課程修了。人と防災未来センター、防災科学技術研究所、東京大学生産技術研究所を経て現職。博士(工学)。専門は社会安全システム・災害情報。最近の関心は、持続的な地域の安全安心活動の推進と、長期的な災害リスクの低減。

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