2016.08.02

特集:時代を映すファッション

荻上チキ責任編集 α-Synodos vol.201

情報 #αシノドス#時代を映すファッション#α-synodos-vol-201

1.元山文菜氏インタビュー「どうせ目立つなら、かわいい格好をしよう――バリアフリーとファッション」

障害のある女性向けフリーマガジン『Co-Co Life☆女子部』編集長でライターの元山文菜さんに、障害当事者のファッションと恋愛についてお話を伺いました。

元山氏
元山氏

◇「一歩外に出る」きっかけづくり

――今回は、「こころのバリアフリー」を目指すコミュニティサイト『Co-Co Life☆女子部』(以下、ココライフ)編集長でライターの元山文菜さんに、「障がいをもつ女性のファッション」についてお話を伺います。最初に、ココライフの活動について教えてください。

障がいをもつアラサー女子をターゲットにしたフリーマガジンを作成しています。全国で約480拠点の設置場所で配布しているほか、電子ブック版も配信しています(バックナンバーはWebサイトで読むことができます)。

コンセプトである「こころのバリアフリー」とは、障がいをもつ人もそうでない人も心のバリアを取り払って関わりあおう、ということです。障がいのある女の子も当たり前のようにおしゃれを楽しんだり、活躍できるような社会の実現を目指しています。

障がいをもつ女の子に多いのが、コンプレックスを気にしてついつい家にひきこもりがちになってしまうことです。「外出をしてもできないことが多いし……」とネガティブになってしまうんですね。ココライフは、そんな女の子たちに「ちょっと外に出てみよう」「障がいがあってもおしゃれしていいんだ」と思わせるきっかけをつくりたいと思っています。

そして、誌面に登場するモデルはみんな障がいのある女性たちです。企画・編集を担当するスタッフも障がい当事者が中心となっています。そもそもの成り立ちとしては、読者だけでなくスタッフ自身も活動を通してどんどん外に出ていこうと立ちあがったメディアなんです。

ココライフ14

――テーマもファッションや美容、恋愛、旅行、食べ歩きなど、一般の女性誌らしい内容になっています。こうした内容で障がいのある女性向けのメディアって他で見たことがないです。

そうですね。とくに障がい当事者のファッションや美容を扱うメディアはほとんどありませんでした。おしゃれで、かつ機能性もクリアされているファッションというと、雑誌などを読んでいてもなかなか情報が入ってきません。

私自身も変形性股関節症という下肢の障がいがあり、以前は外出時に杖をついていた時期がありました。今でも重い荷物は持てませんし、ヒールのある靴は履けません。

でも一般のファッション雑誌を開くと「おしゃれは足元から!」という見出しでヒールがバンバンバン、と並んでいたりする。そういうのを見ると、心がポキっとなってしまうんですね。「モテるには背筋を伸ばして歩きましょう」なんて書かれているのを見ると、まっすぐ歩けないのに……と落ち込んでしまったり。……つづきはα-Synodos vol.201で!

2.井上雅人「日本の洋裁文化と民主主義」

 

日本のファッション文化やものづくりの根底にある価値観とはどのようなものなのでしょうか。井上さんは「戦後日本のファッションは民主主義への理解の結果として形成された」と指摘します。

◇戦後社会の身体

日本人にとって洋服は、戦後の服である。そして洋服には、戦後社会の価値観が染みついている。戦後社会の価値観とは、「民主主義」のことと言っていい。もちろん、それはカギカッコ付きの「民主主義」であり、それがどのような「民主主義」なのか、そう簡単に説明できるものではない。だからこそ、「民主主義」の価値観が染みついた洋服について考えることは、とても重要になる。

しかしそもそも洋服と言うくらいだから、染みついているのは西洋の価値観なのではないか、という指摘もあろう。それは、半分当たっているが、半分間違っている。日本人が洋服を着るようになった頃、西洋社会には、もう十分な近代化の歴史があった。洋服は、西洋からやってきたというよりは、近代社会から、しかも大衆化のうねりの中で大きく変貌を遂げつつある近代社会からやってきたのだ。

それは女性の服の話で、男性の衣服は違うのではないか、という指摘も、半分当たっているが、半分間違っている。男性の仕事着としてのスーツは戦前の日本の社会でも定着していたし、19世紀の市民社会の価値観を反映したスーツを、戦後社会の産物と考えるのには無理がある。

しかし、19世紀的なスーツは、戦後社会のサラリーマンたちのためにデザインし直され、大衆の着る大量生産品として生まれ変わっている。それに何よりも、男性が日常生活の中で、それまでの和服を脱いで洋服を着るようになったのも、戦後のことである。

戦後社会の価値観が染みついているのは、洋服に限らず家電や自動車だってそうではないか、という指摘については、その通りであると答えよう。というよりは、そういった戦後社会的な物質文化の中心に、洋服は位置しているのだ。それがなぜ、中心と言えるのかは簡単なことである。

衣服とは、人間そのもののデザインであり、衣服には人間がどのような存在であるかが反映されているからだ。人間の物質生活における物たちが、人間に使用されるためにあるのであれば、物の体系の中心に人間がおり、人間をどのようにデザインするかが中心的な課題になることは、当たり前なのだ。

戦後の社会も70年が経過し、多くのことが変わった。日本のものづくりも、転換を求められている。しかし、染みついた価値観を無理やりに落とそうとしても、うまくいくはずがない。それよりは、その価値観を見つめ直し、修正すべきところは修正し、比類ない精度にまで研ぎ澄ましていく方が余程いいだろう。

そのためにも、その中心になる衣服について再考することは不可欠である。それにはまず何よりも、洋服が日本の社会の中で、どのように形成され、どのような価値を染み込ませてきたのかを紐解くことが必要な作業になる。……つづきはα-Synodos vol.201で!

3.五野井郁夫「戦後日本の社会運動とファッション」

六十年安保から反原発運動、反ヘイト運動、SEALDsまで、社会運動史のなかのファッションを振り返り、社会に対する意思表示としてのファッション、人々を動員するイメージ戦略について考えます。

◇社会運動とファッション

近年、日本でリベラル系の社会運動が急速にファッショナブルになってきている。

担い手たちには社会運動をデザインする発想が見受けられる。自分たちが街中で人々にどう見えるのか、街にとけこむルックとはなにか、どうすればマスメディアが取り上げるのかという、『スペクタクルの社会』(ギー・ドゥボール)に対する意識のあらわれだ。

それは現在でもしばしば散見される、「正しいことを主張しているのだから、ダサくても許される」という、オールドレフトや街宣右翼たちの慢心とは無縁である。もちろん、これまでもそもそも社会運動というものの担い手が若者であった時分は、若者たちはその時代の最先端の服装に身を包んで社会運動に参加していた。

したがって、デモや抗議行動の冬の時代には若者の参加が少なくなり、参加者は年齢層が中高年以上になるため、ファッションに無頓着か、中高年がかつて若者だった時代の服装に留まっている場合もある。だが、過去の運動を見ていくと、社会運動とそのファッションの変遷は、じつは若者の参加の有無だけにとどまらない。

ひとは誰しも古典古代から「自己自身に気を配ること(epimelēsthai sautou)」はできたが、衣服を自由に選んで着ることができるようになったのは、身分制から解放され人権と平等がある程度達成された近代になってからのことだ。

近代以降のファッションとは身体の拡張であるとともに、また社会に対するもっとも身近な批評的態度であり意思表示ともなっている。

以下では現代まで、日本の社会運動史のなかでファッションという表現形式がどのように変遷してきたのかを振り返ってみたい。

◇一般化と尖鋭化

第二次大戦後メーデーが復活してほどなくしてさまざまなデモや抗議が巻き起こった。とりわけ象徴的な意味を持ったのは1960年の六〇年安保である。その主体は労働者と学生だ。白い半袖ワイシャツとトラウザーズ、あるいは学生服やワンピース、ブラウスとスカートにハチマキやタスキなど、そのまま職場や大学から駆け付けたスタイルである。

国会議事堂に突入したデモ隊と警官隊衝突時のメディア報道は、在京新聞7社が「暴力を排し民主主義を守れ」と共同宣言を出すなどデモ批判に舵を切った。それでも60年代はまだ社会運動に対する社会イメージは硬化していない。六〇年安保の翌年に社会党はプラカードのコンクールを行うなど、社会との接点が保たれていた。

デモに危機感を持った岸信介総理が、デモに参加しない「声なき声」のほうに耳を傾けると述べた際には、画家の小林トミが非暴力で誰でも入れる「声なき声の会」を呼びかけた。のちにベトナム反戦運動につながる平和的でゆるやかな組織だ。

その後、政治運動とデモは七〇年安保までの間、一般化と尖鋭化、換言すればポップ化とセクト化の二方向へと進むことになる。……つづきはα-Synodos vol.201で!

4.後藤絵美「悔悛した芸能人女性たちとヴェール――信仰とファッションが交わるとき」

イスラーム文化の国々で強制ではなく自発的にヴェールを着用する人々が増加したのはなぜなのか。その背景の一つとして、エジプトの芸能人女性たちに起きたある変化に注目します。

ここ数十年、世界各地でヴェール着用を選択するムスリム女性の数が増加した。この現象を、エジプトの「悔悛した芸能人女性たち」に光をあてて眺めてみると、何が見えてくるだろうか?

「ムスリム女性のファッション」と聞くと、ヴェール姿をイメージする人が多いのではないだろうか。このイメージは、実は、比較的新しいものである。ヴェールをまとうムスリム女性の姿が注目されるようになったのは1970年代以降のこと。

1979年の「イスラーム革命」後のイランや、1990年代のターリバーン政権下のアフガニスタンなど、女性に一定のヴェールの着用を義務づける国家が新たにあらわれたことや、エジプトやインドネシア、欧米諸国などの各地で、自発的にヴェールをまとうムスリム女性の数が増え始めたことがきっかけだ。

政治的権力や家父長的慣習による女性に対するヴェール着用の強制が非難される一方で、注目されてきたのが「自発的なヴェール着用」である。女性たちは、なぜ自らヴェールをまとい始めたのか。

この問いに対してしばしばいわれてきたのが、ヴェールは、宗教的に保守的な社会の中で、女性が自律し、主体性を獲得するための手段や戦略だった、という説明である。「よきムスリム女性」というイメージを喚起するヴェールをまとうことで、女性たちは比較的自由に外出することができ、教育や就業の機会を得て、自己実現をはかることができたというのだ。

一方、すでにある程度の自由を謳歌し、自己実現を果たした後にヴェール着用を選択したという女性たちもいる。たとえばエジプトの芸能人女性がそうだ。以下では、彼女たちに注目する中で、自発的なヴェール着用者の増加という現象の背景について、その別の部分を浮かび上がらせてみたい。

◇芸能人女性の「悔悛」という現象

エジプトはアラブの大衆文化の一大中心地である。ポップ・ミュージックや娯楽映画など、アラビア語のヒット作品の大半はここで生み出されてきた。エジプトの芸能界で活躍する人々は、常に注目され、ファッションやライフスタイルの流行の最先端を担ってきた。

その華やかな世界の中で異変が起き始めたのは1980年代はじめのことだ。ある人気女優が突然、ヴェールをまとい、銀幕から退いたのだ。以来、40人以上の著名な女優や歌手、ベリーダンサー、アナウンサーらが、キャリアの途上でヴェール着用を決意し、引退したり、活動の場を変えたりしてきた。こうした女性たちは、宗教的な語彙を用いて自らの行為を説明し、宗教活動への積極的な参加を見せたことから、「悔悛した芸能人女性たち」などと呼ばれてきた。……つづきはα-Synodos vol.201で!

5.片岡剛士「経済ニュースの基礎知識TOP5」

今回も注目の経済ニュースをピックアップしていただきました。日銀追加緩和、安倍政権の経済対策、米英の経済政策、G20財務相・中央銀行総裁会議、下方修正が続く世界経済見通しについて解説していただきます。

日々大量に配信される経済ニュースから厳選して毎月5つのニュースを取り上げ、そのニュースをどう見ればいいかを紹介するコーナーです。

例年よりも遅い梅雨明けを迎えた関東・甲信地方ですが、梅雨明けと同時に夏本番といった天候で、今年も暑い夏になりそうです。そして7月も経済に限らずイベント目白押しで「熱い」月であったと思います。今回は、下方修正が続く世界経済見通し、G20財務相・中央銀行総裁会議、米英の経済政策、安倍政権の経済対策、日銀追加緩和についてみていきましょう。

◇第5位 下方修正が続く世界経済見通し(2016年7月19日)

今月の第5位のニュースは、国際通貨基金(IMF)が19日に改定した世界経済見通しについてです。2016年の世界経済成長率は3.1%と4月時点の見通しから0.1%ポイント引き下げました。

成長率の引き下げは、先月23日に英国のEU離脱の国民投票の結果を受けてのものですが、IMFは英国のEU離脱の影響次第で2.8%まで減速する可能性がありえると述べています。これで2016年の世界経済の成長率はリーマン・ショックから1年後の2009年以来の低成長に陥る蓋然性が高まりました。

報道によれば、IMF経済顧問兼調査局長のオブストフェルド氏は「成長期待の低下が消費・投資の減退につながり、潜在成長率そのものを押し下げている」と説明したとのことです。政府・中央銀行の経済政策が必要な局面です。

IMFによる日本の実質GDP成長率の見通しをみると、2016年は0.3%と今年4月の見通しから0.2%ポイントの下方修正となりました。円高や株安が影響しているとのことです。2017年は0.1%と0.2%ポイントの上方修正となりましたが、消費税増税が延期されたことが理由です。

今後予定されている経済対策の内容いかんではさらなる成長率の拡大が見込まれるとIMFは補足していますが、円高基調が続くという前提の下では、まともな経済対策なくしてはゼロ近傍の成長率しか達成できないだろうという認識を日本に対して持っている模様です。筆者もこうした認識は正しいと感じています。

いずれにせよ、世界経済の減速が見込まれる状況では、各国は国内需要を喚起する経済政策が必要となります。IMFの見通しはこうした主張をさらに強化したものと言えるでしょう。……つづきはα-Synodos vol.201で!

プロフィール

シノドス編集部

シノドスは、ニュースサイトの運営、電子マガジンの配信、各種イベントの開催、出版活動や取材・研究活動、メディア・コンテンツ制作などを通じ、専門知に裏打ちされた言論を発信しています。気鋭の論者たちによる寄稿。研究者たちによる対話。第一線で活躍する起業家・活動家とのコラボレーション。政策を打ち出した政治家へのインタビュー。さまざまな当事者への取材。理性と信念のささやき声を拡大し、社会に届けるのがわたしたちの使命です。専門性と倫理に裏づけられた提案あふれるこの場に、そしていっときの遭遇から多くの触発を得られるこの場に、ぜひご参加ください。

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