キュレーションサイト事件の背景

構造を考える

 

DeNAの健康・医療キュレーションサイトWelqのスキャンダルは、DeNAの持つ他の8つのキュレーションサイトすべてを閉鎖する結果になった。さらにヤフーやリクルートなど他のキュレーションサイトも記事の見直しに動いていている。これだけ多くの企業がかかわっていたとなると、特定の企業あるいは担当者の固有の問題ではなく、構造的な問題があると考えた方が良いだろう。言い換えれば特定の個人・企業の「資質」が引き起こした事件ではなく、普通に行動していれば誰もが引き起こす「構造」のある事件だということである。本稿ではこの構造的な問題を考えてみよう。

 

指摘されている問題点は二つある。ひとつは質の悪い記事が量産され、それらが検索の上位を占めてしまっているという事である。もうひとつは他社の著作物の無許諾利用いわゆるパクリが行われているという事である。以下、順に検討する。

 

 

競争の単位が記事かメディアか

 

まず、信憑性の低い、質の悪い記事が量産されたのは検索エンジン対策のためと考えられる。検索エンジンで上位に来るためには、その時々の旬のキーワードに合わせて記事を素早く量産し、頻繁に更新する必要がある。そのためには少数の専門家にじっくり記事を書いてもらうのは費用的にも時間的にも引き合わず、多数のアマチュアライターを動員したほうが効率的である。かくしてその時々のキーワードを示し、ある程度マニュアル化して多数のアマチュアライターに素早く書かせるという策がとられることになる。その結果、記事の質が下がっていく(注1)。

 

(注1)検索エンジン最適化、ならびに記事の質がさがったことについては次を参照。井指啓吾 「DeNAの「WELQ」はどうやって問題記事を大量生産したか 現役社員、ライターが組織的関与を証言」BuzzFeed 2016/11/28

https://www.buzzfeed.com/keigoisashi/welq-03

「元welqライターからの告発」http://cwhihyou.exblog.jp/24972121/

 

このやり方について、記事の質についてメディアとしての責任感がないと批判する人が多い。確かに旧来の新聞・テレビ・雑誌などのメディアには、書かれた記事の質を担保する機能があった。その機能を放棄し、質については我関知せずの立場をとり、信頼性についてはすべてライターに丸投げする姿勢は、従来のメディアの立場から見ると無責任きわまりないように見える。

 

このような事態が生じた理由として、ウエブメディアのメディアとしてのモラルのなさ、利益優先の姿勢をあげる人がいる。それもあるであろうが、ここにはそれにはとどまらない構造的な理由がある。それはネット上では競争の単位が記事でありメディアではないことである。

 

従来型のメディアの場合、○○新聞、週刊××のような形で記事はパッケージ化されて売られているので、消費者は読む記事を選ぶ前にどのメディアを選ぶかの選択を行う。その場合、質の良い信用できる記事を載せているメディアを選ぼうとするので、企業が市場競争に勝って読者を得ようとすれば記事の質にこだわらざるを得ない。既存メディアの場合、市場競争のなかで読者を得ようとすれば自然と信用のおける質のよい記事を書くことになる。

 

これに対して、ネットでは検索で表示されるのは個々の記事でありメディアではない。ほとんどの読者は検索結果の1ページ目のタイトルを見て、気になった記事をクリックしていくのであり、どのサイトに載っているか、つまりメディアがどれかをあまり気にしない。ならば競争のなかで読者を得ようとすれば、質に目をつぶっても検索1ページ目に入る記事をつくることが最優先課題となる。既存メディアもウェブメディアも同じように読者を獲得する市場競争に「真摯に」まい進する。しかし、競争の単位が異なるため、結果として方向が異なってくる。

 

言い換えてみよう。新聞等の既存メディアの場合、仮に企業がモラルを喪失し、徹底的に利益追求したとしても、記事の信用性・質に配慮せざるを得ないメカニズムが競争自体に組み込まれている。記事を選ぶ前にメディアを選ぶ段階が入るためである。これに対し、ウエブメディアの場合にはそのメカニズムがなかった。ウエブメディアで記事の質に配慮させる力が仮にあるとすれば、個々の企業と個人のモラルだけである。そして圧倒的な利潤の前に常にモラルは弱いものである。

 

このように質を犠牲にしても検索エンジンの最適化が図られたのは、ネット上では評価の単位がメディア単位ではなく記事単位だったという違いがあるからと考えられる。

 

 

改善策:読者の見る目と検索エンジンの複数化

 

この状態を改善するにはどうすればよいか。素直に考えると競争の単位として記事だけでなくメディアも加えることが望ましい。まず、多くの人が述べるようにネット上のウエブメディアも記事の質の管理に乗り出すことである。実際そのような方向が報道されている。ただしこれに加えて、読者の側も記事単位ではなくメディア単位で見るようになる必要がある。検索結果にはURLのサイト表示があるので、読者がそのサイト名を見てクリック先を選ぶようになればよい。目端のきく人はすでにやっていることでもある。

 

ウエブメディアの質重視への方針変更を読者が感知し、クリック先の選択基準にどのメディアの記事かを加えれば好循環が生まれ、事態は望ましい方向に動いていく。しかし、読者が変化を感知せず、従来どおり記事のタイトルだけ見てクリックするなら事態は変わらず、市場競争の結果としてやがて元に戻ってしまうだろう。事態が改善されるかどうかはウエブメディア側の努力と読者側の反応が好循環を作り出せるかどうかにかかっており、それがこれから問われることになる(注2)。

 

(注2)読者の側の問題を指摘する記事としては、杉本りうこ「検索結果を疑わない人は、DeNAを笑えないー悪質サイト問題は「氷山の一角」だ」 東洋経済2016年12月05日、http://toyokeizai.net/articles/-/148032

 

より根本的な改善策は、検索エンジンが複数存在することである。現状では検索エンジンが実質的にひとつしかなく、その1ページ目になるかどうかで天と地の差が出ることが、今回の騒動の背景にある。検索エンジンが5つあって同じシェアをとり、それぞれ個性的な検索結果を出しているとしよう。5つのなかのどれかに載ればよいのであるから、検索エンジン対策もそのぶん緩和される。5つのサイトですべて1ページに載るのは難しく、そもそもある特定の検索エンジンの対策に全力をあげて1ページ目に来たとしても、5つのうちの一つに過ぎないのでその効果は1/5にとどまる。5つあれば、なかにはそもそも記事ではなく、メディア単位で検索結果を表示するエンジンも出てくるだろう。

 

Googleに対抗しうる検索エンジンなど出るわけがないという意見の人もいるかもしれないが、この点は検討の余地がある。一般にユーザ数が増えるほどユーザの便益が増える現象(ネットワーク外部性)があると独占が成立かつ維持されやすい。WindowsやAndroidなどのOS,WordとExcel、YouTubeやFacebookなどが典型で、いずれも新規参入は困難である。しかし検索エンジンの場合、ユーザ数が増えると広告主の便益は増えても、ユーザの便益は増えないのでネットワーク外部性はない。Googleの検索エンジンが独占に近くなっているのはネットワーク外部性によるではなく、規模の経済や技術蓄積など別の理由であり、その理由によっては新規参入が可能かもしれない。私見を述べさせてもらえれば、まだ望みはある。【次ページにつづく】

 

 

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