2014.06.17

和解だけが救いの形ではない――『聲の形』作者・大今良時氏の目指すもの

大今良時×荻上チキ

情報 #聲の形#聴覚障害

現在、『週刊少年マガジン』で連載中の漫画『聲の形』は、読み切りとして2011年の『別冊少年マガジン』に初めて掲載された際に、小学校を舞台に、いじめを受ける聴覚障害者のヒロインをけなげに描くことに対する批判も含め、読者から様々な反応が生まれた作品だ。「なにがそんなにヤバいのかまだよくわからない」と語る作者・大今良時氏。大今氏は『聲の形』で何を描こうとしているのか、学校生活をどのように過ごしていたのか、荻上チキがインタビューを行った。(構成/金子昂)

嫌いあっているもの同士の繋がり

荻上 お会いできてうれしいです。『聲の形』は様々な読み方ができる優れた作品で、楽しんで読んでいます。特に、いじめの構造を端的に抉り出しているな、と思いました。多くのいじめ描写は、いじめっ子をわかりやすい悪者として描くことが多いんですが、いじめっこ/いじめられっ子というのは固定的なものでもないし、教室内の秩序の在り方によって、流動的に発生してしまうものなんですね。そして秩序のパターンが変わると、別の誰かがいじめられることになる。

この漫画は「いじめ漫画」というわけではないのですが、耳の聞こえないヒロイン・西宮硝子をいじめていた、もうひとりの主人公・石田将也が、新たないじめの対象になるという描写は、教室空間に肉薄しているなと。

ヒロインの西宮硝子
ヒロインの西宮硝子

『聲の形』が『週刊少年マガジン』に読み切りとして掲載されたときに、西宮が可愛くていじめられていて、けなげで……と描かれているのではないかとして、「障害者のあるべき人格を想定している」といった批判がネットの一部でありました。一方で、どストレートに障害と差別を描いていることからも、「問題作」として注目されましたよね。

僕は、最初はそうした議論にピンときませんでした。『聲の形』は、特定の登場人物ひとりのふるまいを、人の理想的な姿として「べき論」で描いている作品ではないからです。また、障害を描いたから問題作とも思いません。ただ、障害に関する描写が一般な少年漫画などで少ない中では、そうした受容をする人も一部でいるかもしれない、という意味でのフレーミングなのだとすれば、このような反応も、議論に馴染みのなかった人に届いたからだと思いました。

大今さんがこの漫画を描くと決めたときから、そういった反響があるとは、想定はしていましたか?

大今 いえ、なにがそんなにヤバいのかまだよくわかっていないです。

荻上 連載になってからは、主人公の石田と西宮の関係性だけでなく、いじめにかかわっていたそれぞれのキャラクターの人生が描かれていきますよね。

大今 最初は、「嫌いあっている者同士の繋がり」を描こうとしていただけなんです。そのふたりの間を思い浮かべると、たまたまいじめが挟まっていた。だから描いた。いじめを「売り」にしようとしていたわけではありません。描きたかったものを描くためには、いじめという行動が、発言が、その時の気持ちが、必要だったんです。

いじめっ子を単純に悪者として描くのでは、その立場にいる人に失礼だと思いました。『週刊少年マガジン』はたくさんの人が読んでいるので。だから全員のキャラクターに自分の感情が乗っていないといけないと思っています。読者には、学校の先生もいれば、いじめをした人もされた人もいると思うので、どのキャラクターについて解説を求められても、ちゃんと答えられるようにと思っています。

例えば、担任の竹内先生は石田にとっては嫌なやつですけど、とりあえず一度、小学校の先生についての本を買って、どういう生活をしているのかを知り、竹内先生にとっては何がツラいのかなどを私が感じられるようになってから描いています。

荻上 なるほど。本や映画といった資料は参考にしているんですか?

大今 たくさん参考にしました。もともとは、家族とか友達とか、周りの環境にあるものを極力使おうと意識して描きだしました。でも、身近なものを頼りに描きだすと、自分になにが足りないのかもわからない状態がほとんどです。だから、ひたすら映画を観たり、関係のある本、興味のある本を読んだりしました。

いじめ関係の本だと、連載前に『いじめの構造』(森口朗著・新潮新書)を読みました。最近では、『Bully』というドキュメンタリーに興味があります。NHKで放送しているのをちょっと観たんですけど。

荻上 『Bully』はアメリカの子どもたちのいじめについての映画ですね。ぼくが代表を務めている「NPO法人・ストップいじめナビ」で、監督のハーシュ氏の講演をセッティングしてお話を伺ったことがあり、彼らのプロジェクトの日本版として連携しようと動いています。あの作品は教材としても利用可能なのですが、いじめが日本特有のものでないことが分かりますね。もちろん、スクールバス内でのいじめとか、銃が関わる報復事件など、特徴が異なる点もありますが、日本のいじめを客観的にみるいい教材になると思っています。

西宮へのいじめが発覚し、一人悪者扱いされる石田とそれを制する竹内先生
西宮へのいじめが発覚し、一人悪者扱いされる石田とそれを制する竹内先生

評価されたいのはそこじゃない

荻上 ちなみに、ご自身はいじめの経験はありますか?

大今 見聞きするほどのひどいことは経験していないですね。悪口くらいなら言われていましたしイヤでしたけど、自分に原因があると思っていたのでしょうがないというか……。心の中で文章にできない感情を残したまま成長して、卒業して、とくに和解のやりとりもなく、その子たちといつもの関係に戻る。仲の良い子たちだったので、言ったり言われたりすること自体がありふれていて特別なイベントだとは思わなかったです。そんなことより、イヤなやつとか敵に意識が向いていました。

荻上 学校観も聞いてみたいんですが、学校は好きでした?

大今 小中学校は授業がとにかく嫌いでした。これをやっている間に、やりたいことができるなって。勉強も、点数や数字にしか反映されないことも、尊敬していない人に評価されることも嫌いでした。私が評価されたいのはそこじゃないって思っていましたね。

とにかく絵を描くのが好きだったんです。それだけはやけに楽しくて。いま思えば家庭環境もよくなかったように思います。部屋もすごく汚くて、教科書を広げられるスペースなんてなかった。自分で散らかしているんだからしょうがないんですけど。

荻上 好みがはっきりしていたんですね。掃除する時間はなかった?

大今 掃除しても掃除しても汚い家だったんですよね(笑)。あと当時の家は特別狭くて、物も多かったんで。漫画なんて部屋どころか玄関の外にはみ出していましたし。意識が散漫としている中で、絵だけは唯一集中できました。それだけが評価されることだって。

「敵」だった先生

荻上 先生はどうでした?

大今 小学校のときに熱血先生がいて、すごくいい人だと思っていたんですね。その前に担任だった先生が冷めて特別嫌いな人だったので、その熱さが心地よくて。熱いってことは、それだけたくさん叱るということなので、胸ぐら掴まれたりした人の中には、先生にいじめられたって感覚だった人もいるかもしれませんが。

まあでも……減点法なので……ましだったくらいですね……。前の先生が嫌いすぎたんです。子供の頃の私は、その先生のことを「元いじめっ子」だと認識していました。「○○くんが小学校の先生になるなんてねえ……」とか近所のおばさんから聞いていましたし、「お前なんて嫌いだ!」とずっと構えていました。大人になった今は、いじめの加害者や被害者に対して昔よりも複雑な思いを抱いていますから、その先生に対しても、ただただ「嫌い」というだけではありませんが。

ただ当時は、いろいろ露骨な嫌がらせもありました。教室の掲示板に今月は何を頑張るか紙に書いて貼らなくちゃいけなかったんですけど、私だけ永遠にオッケーがもらえなかったり。

荻上 特におかしなことを書いているわけじゃないんですよね?

大今 そうですね。私だけ「これはどういうことなの?」とかずっと聞かれて。結局、貼られませんでした。あとでみんなのを見てもなにが違うのかわからない。

あと可愛い子をひいきしていましたね。A子ちゃんって可愛い友達がいたんですけど、私を呼ぶときは「大今!」で、その子は「A子ちゃん」って呼んでたり。写生の時間にA子ちゃんと一緒に描いてたら、「A子ちゃんにだけ特別に描き方のコツを教えてあげるよ。茎はね、真ん中をちょっと濃くすると本物っぽくなるんだよ? 秘密だよっ?」とか言っていたり……。

荻上 うわぁ、それはきもいですね……。隣にいるのに、透明人間扱いされていますね。

大今 そうですねえ。同級生がクラスのリーダー格に嫌われていて、「○○ちゃんはおじさんとヤったらしいよ」とか悪い噂を流されていた時期があったんですけど、その先生が私とA子ちゃんのところにきて、「○○ちゃんの噂が流れているけど知ってる? 何をしたって聞いたの?」ってA子ちゃんに聞いて。

荻上 ああ、その子の口から言わせたいんですね……。

大今 ええ。「……男と女の関係になったって聞きました」ってA子ちゃんが答えたら「はい、そうですね」って。……嫌いでしたねえ。

荻上 その先生は「敵」だったんですか?

大今 「敵」でした。でも私だけだったと思います。イケメンだったので親たちの評判はよかったし、他の子たちもそんなに嫌ってなかったと思う。

大人が助けてくれるようには描きたくない

荻上 逆に、学校生活で明るい話ってありましたか?

大今 小学校は、無関心か嫌いな先生がほとんどでした。教室でなにかあっても、私みたいな無口な人は黙っているか、見ているだけか、逃げるか……。発言力のある人が善悪を決めていて、なにもできない感じでした。

でも、小6で初めて好きな先生ができたんですよ。こぶとりでもっちゃりした感じの男の先生で。話を聞いてくれたんです。とにかく勉強が嫌いで宿題をやらない時期もあったんですけど、その代わりにやっていたことをちゃんと見てくれる人でした。大人からみたら漫画なんて道楽だって片づけられるのはわかっていたんですけど、それしか熱中できることがなかったので……。「こんな絵を描いています」「こういう話を考えています」とか、そういう話を聞いてくれて、感想も書いてくれる。楽しかったですね。

荻上 『聲の形』に思ったのは、教師に対する期待値が低いなあということですね。親は子を守るものとして描いているけれど、先生は、無関心であったり、善意はあるんだけどちぐはぐだったりで、関係性を改善してくれる存在ではなく、悪化させるきっかけを与える「敵」として描いている。教室内の秩序に対してポジティブな影響を与える存在ではない。

先生をチラ見する子どもたち
先生をチラ見する子どもたち

よく「子どもは善悪の区別がついていないからいじめをするんだ」と言われますが、それは正確ではありません。それが一般社会では悪だと分かっているからこそ、大人に隠れて遂行するわけです。で、要所要所で、大人をチラ見する。どの程度までがセーフで、どこからがアウトかを確かめるわけですね。

先生が無関心だったり、余計なひと言をいったりすることで、いじめがエスカレーションしてしまう。あるいは、先生が特定の生徒をからかうなどして、ラベリングを積極的に行うこともある。そこまでいかなくても、いじめの発生確率をあげるストレッサーに対応できなかったり、通報手段を啓蒙しておかなかったりすれば、結果として放任してしまうことにもなる。大今さん自身は子供のころ、教師の役割に期待していなかったんですね。

大今 していないですねえ。生徒の人数が多いのもわかっているし、いろいろたいへんなのも伝わってくるからこそ、無関心も伝わってくる。無関心には無関心で返すしかないですし。子どもだったので、先生を思いやる余裕はありませんでした。

今回は、先生が救ってくれるようなものを描くのはやめておこうと思っています。大人がなにもしてくれないときこそ救いが欲しいものなので、大人が助けてくれるようには描きたくないんです。誰にも相談できないし、下手したらこのまま死ぬかもしれないって苦しい状況で、救世主のように助けてくれる人を露骨に描くのは違うかな、と。

cut1

学校が押し付けるキレイごと

荻上 同じ年齢、同じ地域に生まれただけで、全然違う者同士がいっしょくたにされるのが、教室空間ですよね。

大今 面白いですよね。嫌いじゃないですよ。

荻上 大人になるというのは、誰とでも仲良くするということじゃなくて、仲良くできる相手を選びつつ、無理だと思ったら自然に離れていくスキルを身に着けることですよね。でも、教師は子どもに「みんな仲良くしなさい」と言う。そのほうが管理しやすいからですけど。『聲の形』の一巻には、学校の閉鎖した空間が押し付ける妙なファンタジーが凝縮されていて、胸がえぐられつつ、ああいいなあって思います。

大今 私はああいうキレイごとは好きですよ。キレイごとを言ってくれる人がいなくなると寂しくなりますね。

完璧を求められないのはくやしい

荻上 原作のある前作『マルドゥック・スクランブル』と今回の作品では、やはり勝手が違いますよね?

大今 違いますね。どっちも楽しいです。『マルドゥック・スクランブル』は、小説の中にモチーフがたくさん出ているので、そこに引っ張られて描けるので描きやすかったです。でも難しかったです。主人公の女の子にモノローグがないし、発する言葉が「~なの?」みたいに質問か疑問ばかりだから人格がなかなか見えなくて。私が描いた「マルドゥック」が完璧だったのか、いまでもわからないです。

荻上 自信はあまりない?

大今 いやあ、もう、自信ないですよー。どのシーンも「なんでここをこんな風に描いたんだ?」って聞かれたらいちいち解説できますけど、それは面白いかどうかと関係がないので。「わかんねえよ、面白くねえよ」って言われたら、「すいません……」と言うしかないです。

荻上 『聲の形』もそうですけど、大今さんの画は、キャラクター同士の遠近感から、その関係性を一コマで説明する絶妙さがありますよね。「この構図やアングルでしか描けないだろうな」といつも思わされる。自然と描けてしまうものなんですか?

大今 うーん、わからないです。編集者さんにもらったアドバイスは常々思い出しながら描いていますね。場面転換したときは、なるべく俯瞰したコマを描くとか。パラパラっと適当に読む読者もいるので、ページをめくったときに最初に目につく左上には、派手な絵とか良い絵を持っていくとか。

荻上 かなりテクニカルな面を意識されているんですね。

大今 それはできればできるほどいいですね。どうあがいてもできないってときもありますけど。

荻上 週刊だとすぐ締切りが来ますから。無限に描き直すことができない。どこかで折り合いをつけないといけませんよね。

大今 いやあ、完璧を求められないのは、くやしくてしょうがないです。

荻上 大今さんにとって完璧ってどういうイメージですか?

大今 気にくわないところ、理解できないところがゼロの状態です。本当にこの表情は、セリフは正しいのか。自分で疑問に答えられないと駄目ですね。

荻上 すべてが緻密に構成されたと自分が確信できたとき。

大今 そうですね。それができなかったときは作画が崩れています。キャラがなにを考えているのかわからない状態で描いているので、変な顔していますよ。

荻上 完璧、というのは他の漫画家の方でも判断できなそうですね。他の方の作品は読みますか?

大今 あまり漫画は読まないんです。マガジンでも。いや、マガジンは面白いですよ(笑)。でも「引き寄せられたらいけない。自分が好きなものを見失ってはいけない。危険だ!」と思うため、読まないようにしています。影響されるのはわかっているので。頭の中のイメージが逃げてしまうかもしれない、と。

ただ自分の漫画とは遠い、ギャグ漫画とか、エロ漫画は読んでいますね。あとは映像作品とか。

大今良時さん
大今良時さん

アンチコメントで成長する

荻上 ネットでいろいろ議論されているじゃないですか。2ちゃんねるのスレッドとかの書き込みってみますか?

大今 がっつり見ますね。「見てるよ」とも言っているので。書き込みしている人も、大今に見られているのはわかっているんじゃないでしょうか。話題にされること自体は嬉しいですけど、読者のいち考察が、いつのまにか「公式」になる現象は嫌です。

荻上 それはどの漫画にも、映画にも小説にもありますね。読者には解釈の自由がありますが、裏を取らないままで作者の心情を決めつけたりは、やはり嫌ですね。そうした書き込みを見るときは、作品に反映しないように意識するものなんですか?

大今 私の中にあるものは曲げずに描きますし、逆に導かれることもあります。私よりもうまく文章にしてくれているものを見るのは嬉しいですね。でも、心に残るのって、アンチのほうなんですよね。

荻上 ああ、わかります(笑)。100のlike!よりもひとつのdisのほうが気になるし、何気に参考になる場合もある。

大今 そうなんですよ。絶賛コメントよりもアンチのほうが感情が伝わってきて気持ちがいい。「大今って漫画家は聴覚障害者が面白いと思ったから漫画にしたんだ」といった書き込みがあるのは、私がどうして書いたのかなにも言っていないのに好き勝手に書いているわけです。そういうもので埋め尽くされている世界は人を傷つけることもあると思いますが、書き込みをみるたびに、この漫画を描いていて幸せだと思うんです。

荻上 その読者にとっては、「障害はこうやって描くべきだ」という考えが強固だからこそ、そうしたものが作品に反映されていないことへの怒りを覚えるのかもしれない。その様々な反応にどうこたえるか。

大今 そうですね。「自分、育っているな!」って感じがします(笑)。

なにも解決しない物語が好き

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荻上 2巻以降で、小学校時代が過去のものになり、読み切りでは描かれなかった小学校以降の物語が始まりました。過去と折り合いをつけていく物語として進むのか、恋愛ものとして読める漫画になるのか、気になります。

大今 うーん。私も悩みながら描いています。主人公と一緒に生活している感じなので、あるべき姿がまだ全然わかっていないですね。

荻上 描きはじめた段階で、着地点は見据えているものですか?

大今 なんとなく見えています。ただ読者が満足してくれるか正直わからないので、反応を見ながら変えるかもしれないですけど。

荻上 逆に、描かないと決めているものもあるんですよね?

大今 ええ、決めています。具体的なことは言えないんですけど、「和解することがもっとも正しいことだ」みたいな描き方はしたくないなあ、とは思っています。和解できたらできたで素晴らしいことですけど、できなかった場合にどうするのか、救いはあるのかを描きたいです。

荻上 ああ、それは、「それでこそ」という気がします。「それぞれの物語」を描いている多声的な描写で進んできたものが、例えば「石田と西宮が恋人になりました、よかったね、ちゃんちゃん」って描いた場合、いままで描かれてきた絶妙な距離感が、恋愛の成就というゴールのためのプロセス、背景に過ぎなかったんだ、となる危険性もある。それを求めている読者もいる中で、とてもプレッシャーを感じていらっしゃると思うのですが(笑)。

大今 そうなんですよー。恋愛漫画として描いたら捗ると思います(笑)。やっぱりわかりやすいものが求められてもいるとは思うので。誰と誰がくっつくか考えながら読むのは、面白いに決まっていますよね。ただそういう話じゃないと示しているつもりです。読者サービスもいれたりはしますが……。

荻上 そのあたりは、媒体によって制約条件って違いますよね。月刊誌、青年誌、週刊誌、それぞれ描けるものが違う。『週刊少年マガジン』だからこそ、描けるもの、描けないものもある。

大今 私はディズニーやジブリのような子どもが観る作品が好きなんです。尊敬しています。本当に素晴らしい。あそこを目指していればとりあえず上手に運転できると思っています。

荻上 子どもを読者として想定しつつ、制約の中で、どこに着地させるか。

大今 何も解決しない、すっきりしない状況が一番苦しいので、そこに救いを与えたいと思っています。もしかしたら自分が救われたいと思っているだけなのかもしれないんですけど。

荻上 他に好きな作品ってありますか?

大今 「リトル・ミス・サンシャイン」って映画が好きです。あの映画から半分は教わったくらい。なにも解決しないんですよ。ケンカとトラブルばかりの家族で、おじいちゃんが死んじゃったり、夢がかなわなかったりするんです。

荻上 素晴らしいロードムービーですよね。旅を通じての和解、有るべき形への回帰、みたいな結末を上手に避けていますよね。旅の目的は達成されないんだけど、それでも車は進んでいく、みたいな。

大今 達成されなかったことで伝わるものもあって。描かないことで浮き立つものもある。そういうものが表現されている映画だと思います。きっとあの家族は、これからもいつものように喧嘩しているんだろうな、って。

荻上 それでも物語は終わる。「続きが見たい」と「結末が見たい」とで連載の読者を引っ張っていく中で、やはりエンディングの形は……悩みですね。

大今 いやあ、エンディングを描き終えたら、「これはエンディングじゃない!」って言われちゃうかもしれないなあ……。

荻上 「打ち切りだろ!」とか(笑)。

大今 消化不良だって言われるかもしれないなあ、いやだなあ。こわいなあ……。

荻上 どうやって描かれるのか期待しつつ、いまの高校生になった登場人物が、今後どういった関係になっていくのかも楽しみにしています!

プロフィール

大今良時漫画家

1989年生まれ。『聲の形』作者。『聲の形』で第80回新人漫画賞を受賞し、冲方丁原作の『マルドゥック・スクランブル』(全7巻)で連載デビュー。2013年より、新人賞受賞作のその後を描く形で『聲の形』の連載を開始。

この執筆者の記事

荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

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