「ただ祈る、ということを肯定したい」――美術家・椛田ちひろが描く世界

世界に参加するための理屈

 

荒井 椛田さんがおっしゃる「個」の感覚、それがないと、そもそもアートや文学って成り立たないですよね。『生きていく絵』(亜紀書房)という本を書いた動機も、実はそこにありました。とにかく「“そこにいる人”の自己表現」に向き合ってみたい、というのがテーマでした。椛田さんがこの本をとても好意的に読んでくださって、嬉しかったです。

 

椛田 ひとりの人間が絵を描くことについて、この根源的な問題に、ここまでまっすぐに、真摯に向き合った本を読んだのは、おそらくはじめてだったと思います。繊細な問題を、誤解なく丁寧に伝えようとされているのが、読んでいてよくわかりました。

 

荒井 実はそこを批判する人もいました。アートを職業にしている人とか、職業とまではいかなくても、大きな意味で「表現する側」の立場にある人は、すごく好意的に読んでくれました。でも「アート好き」というか、「受けとる側」の立場の人には「荒井の解釈がうるさい」と言われてしまいました。

 

ただ、ぼくは解釈しているつもりはないんです。伝えたいのはそこじゃない。ある事情を持った人が、表現をしながら自分を描き変えていった。その事実やプロセスを伝えたかったんです。

 

椛田 とくに第二章では、読みながら涙が出たほど、ひどく心が揺さぶられました。表現する人はきっと好きというか、共感する内容だろうなと思います。

 

荒井 ぼくが研究の世界に入って「文学」や「障害者文化論」というものに興味をもったのは、学生時代にハンセン病療養所で出会った一枚の紙切れがきっかけなんです。シワシワになった紙、たぶん薬包紙かなんかだと思うんですけど、それが丁寧に伸ばしてあって詩が綴られていたんです。どうやら戦前の患者が書いたものらしく、療養所に住むおじいさんが保管していました。

 

当時の療養所の生活はとても貧しかったので、紙さえ十分にはありませんでした。そんな中で詩を綴っていた患者がいた、というのが衝撃だったんです。詩を綴っても病気が治るわけでもなければ、療養所から出られるようになるわけでもないのに。そしてもっと驚いたのは、その紙を大切に残しているおじいさんがいたということ。そのおじいさんは、ある人間が生きていたという重みを、その紙と言葉から感じ取っていたわけです。

 

人間の存在の重みが、一見粗末な紙切れの上に刻み込まれている。表現されたものから、表現せずにはいられなかった人間のこと――どういった境遇にあって、どういった経緯でその詩を綴り、どういった思いを込めようとしていたのか――それらを想像してみる。学生時代は療養所の図書室で、そんな風に誰が書いたかもわからない詩や小説ばかり夢中になって読んでました……って、いま熱くしゃべりながら思ったんですけど、「表現者側」として、こういう風に作品をみられるのって、うっとうしいですか?

 

椛田 えっ……! いまパッと思い浮かんだことを正直にお話すると、「うっとうしい!」って思ってしまいました(笑)。

 

荒井 あはは。

 

椛田 伝えたいと言うより、共有したいという言い方のほうがしっくりくるのかもしれませんね。「薬包紙の物語」もそうなんだと思います。この人は共有したかったんじゃないかな。私の物語について、私ではない誰かと。

 

「私の物語」が「あなたの物語」、言い換えれば「観る人の物語」として共有されていくこと。これって、私たちの住む世界の成り立ちそのものと深く通じてるんじゃないかって気がします。ずっと昔に死んでしまった人たちの記憶が共有される物語、つまり歴史となって、いまの世界はつくられてる。この世界は死者の記憶で出来ている。いずれは私も死者です。

 

荒井 確かにそうかもしれません。その患者が残した「薬包紙の物語」に出会ったおかげで、ぼくの人生という「物語」は大きく変わってしまったわけですから。「ある人の物語」が時空を超えて、どこかの、誰かの、物語を変えてしまう。それが作品というものが持つ力なのかもしれないですね。

 

そうすると、椛田さんにとって、「どこかの、誰か」と出会うための展覧会は、やっぱり特別な重みがあるんでしょうね?

 

椛田 絵を描くこと、絵を見せることは、世界に参加するための私なりの理屈なんです。

 

 

見えているのに見ることができない

 

荒井 椛田さんは3.11の直後に、「震災」や「津波」をテーマにした作品を制作されていますね。しかも半年の間に4つのインスタレーションを作ったという話を聞いて驚きました。ものすごい密度ですよね。

 

椛田 その量はさすがに疲れました(笑)。

 

荒井 震災直後にオープンスタジオ、つまりアトリエを公開して、制作過程から観客の目にふれるような形で制作しようと考えてらっしゃったとお聞きしました。当時、周囲の人たちからの反応ってどうでしたか?

 

椛田 スタジオが被災して使えなくなってしまい、このオープンスタジオは結局のところ実現しませんでしたが、印象的だったことがあります。

 

震災翌日の12日にはやろうと決めて、14日に「大震災に死ぬ人々の前で美術は有効か」(注:ジャン・ポール=サルトル「飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か」からの引用)というオープンスタジオをやりますって、ツイッターで呟きました。不謹慎だっていう反応は、予想はしていましたけど、ありましたね。その一方で、こういう試みは大切だという励ましもたくさんありました。そうやって励ましてくれた人の中には、津波のために肉親を失ったかもしれない人もいて……(後日、無事が確認されました)。

 

とにかく様々な反応がありました。まだ作品を見せることすらしていない状態であれほどの反応があったのは、たぶんあの時だけだと思います。美術には追いつけないたぐいの、言葉の持つ速さを体験しましたね。それは純粋に面白いと思ったけど……当時のあの空気は……あんまり好きじゃなかったです。

 

荒井 確かに、社会全体の空気感が違いましたね。

 

 

《不詳》 2011年、鏡に透明樹脂で描画、各900 x 900mm 写真:加藤健 提供:武蔵野美術大学 ギャラリーαM「成層圏」より

《不詳》
2011年、鏡に透明樹脂で描画、各900 x 900mm
写真:加藤健 提供:武蔵野美術大学
ギャラリーαM「成層圏」より

 

《不詳》 2011年、壁に2000食分のレトルト食品用アルミパックで描画、可変 写真:加藤健 提供:武蔵野美術大学 ギャラリーαM「成層圏」より

《不詳》
2011年、壁に2000食分のレトルト食品用アルミパックで描画、可変
写真:加藤健 提供:武蔵野美術大学
ギャラリーαM「成層圏」より

 

《目をあけたまま閉じる》 2011年、鏡に樹脂で描画、400 x 400 mm 写真:長塚秀人 提供:アートフロントギャラリー アートカフェGBOX「SIFT←311 3.11以後の9人の現代アート」より

《目をあけたまま閉じる》
2011年、鏡に樹脂で描画、400 x 400 mm
写真:長塚秀人 提供:アートフロントギャラリー
アートカフェGBOX「SIFT←311 3.11以後の9人の現代アート」より

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.222 特集:沖縄

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