2015.05.14

マニラのスラムにみる生き延び方――相互依存・賄賂・コネ

日下渉 政治学・フィリピン研究

国際 #スラム#マニラ

私は、2002年から1年間、マニラ首都圏ケソン市のスラム地域に住み込みつつ、街頭で露天商と共にマンゴーなどの果物を売って暮らしたことがある。貧困層の生活世界と政治意識を内在的に理解したいと思ったのがきっかけである。スラムの住民は、就業機会の乏しい農村を後にして、マニラにより豊かな生活を夢みてきた移住者とその子供たちだ。様々なリスクや困難に付き合いながら、それをしなやかに切り抜けていこうとする彼らの姿に、私は強く印象づけられた。

フィリピンの国家は、もとより人びとの生を保障しない。たしかに、富裕・中間層は私立の病院や学校から質の高い社会サービスを享受できる。だが、公立の病院や学校は劣悪で、貧困層は十分な医療や教育さえ受けられない。もちろん失業手当もない。そうしたなか、貧しい人びとは自らの力で生を切り開き、守っていくことを強いられてきた。こうした状況は、日本とは大きく異なるように思われる。「フィリピンは貧しい途上国で、先進国の日本とは全く違う」。多くの人びとが、長らくそう信じてきた。

しかし、今日のポスト福祉国家の文脈において、日本とフィリピンでは、奇妙にも同様の問題が生じているように思う。かつて高度経済成長期の日本では、国家の福祉制度と企業の終身雇用制に守られ、私たちは善き生のために、ある程度安心して自己決定を行うことができた。しかし、今日では、福祉制度の後退と「自己責任」言説の高まりと共に、競争から脱落することのリスクが高まり、私たちの生の自由は切り詰められつつある。私たちは、国家に生の保障を頼れない状況のもとで、いかに善き生を模索していけるのだろうか。

本コラムでは、フィリピンのスラムで暮らす貧困層の生活実践に焦点を当てて、今日の困難な社会を生き抜くための方途について考えてみたい。

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スラムの相互扶助

スラムで私は、街頭販売で3人の子供を養うフィリピン人夫婦と一緒に暮らした。住民のすることは何でもしてみたが、その生活にはすぐに慣れた。バケツ一杯の水を1ペソで近所から買って、トイレと水浴びを同時に済ますことも上手になった。大量のゴキブリやネズミや悪臭も気にならなくなった。台風の大雨の時には、澱んだ洪水に胸までつかりながら家具や子供たちを安全な場所まで移動させた。仲間たちとマニラ湾に行って泳いだこともある。誘われた酒もたいてい断らなかった。ただ酔ってケンカを繰り返す連中もいたので、彼らが泥酔している時は避けた。滞在中には3人が酒場のケンカで死んだ。

一見するとスラムの生活は、明るいし楽しそうだ。女性たちが洗濯をしながら井戸端会議に興じ、穴のあいた服を着た子供たちが裸足で走り回っている。小金の手に入った男たちは、道端で酒を呑み交わす。若者たちはバスケットボールやギターに熱中している。家々の扉も日中は開かれたままで、近隣の住民が出入りしている。プライバシーはなかったが、寂しさや孤独感を感じることもなかった。日々の食い扶持を稼ぐ必要のない私にとって、スラムの生活は快適だった。

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だが、住民たちの生活は貧しく、様々なリスクに晒されている。病気や失業、家族の葬式などで急な出費が生じても、お金に事欠くことも多い。しかも、スラムは基本的に不法占拠地で、住民の主な収入源も街頭販売などのインフォーマル・セクターだ。そのため、彼らの住居や露店は、いつ国家から強制取り壊しされてもおかしくない。また、スラムの中でも貧しい者は、河川沿いや込み入った裏路地の奥にある安価な住宅に住んでいるが、洪水や火事が起きた時には命を失いかねない。

様々な生活の困難に対処するには、食料や金を融通し合ったり、有益な情報を共有する相互扶助が有効である。だがスラムでは、住民たちが表面的には笑顔でやりとりしながらも、陰では酷く誰かの悪口ばかり言っていて、辟易することも少なくなかった。フィリピンの農村部では土着的な信頼のネットワークが濃密なのに対して、このスラムではまだ様々な地方から移住してきた第一世代が多く、相互不信が顕著だった。

しかし、よくよく観察していると、彼らはどんなにいがみ合いながらも、困窮した者にせまられれば、文句を言いつつ支援の手を差し延ばしていた。近所で窃盗をはたらいた若者も、他人の金で毎日酒ばかり飲んでいる無職者も、裏ではこっ酷く非難されながらも、それなりに居場所をもって悪びれもせずに生きていた。日本では、しばしば完全な同調を強いられ、そこからはみ出ると排除を強いられるのとは対照的に、ここではグレーゾーンが大きいのだと理解した。さらに彼らは、相互扶助のネットワークを強化すべく、スラムで出会った隣人らを子供の洗礼、堅信式、結婚に立ち会う宗教的な代父や代母に迎えて、儀礼親族関係(compadrazgo)を拡大していた。

賄賂と票の非公式な制度

ただし、貧困層同士の相互扶助も、彼らの住居や露店を破壊しようとする国家の強権の前では限界がある。フィリピン政治は、エリート支配によって特徴づけられてきた。だが、貧困層は法に抵触する生活をしぶとく守り続けている。なぜ、政治的に脆弱なはずの貧困層が、エリートの支配する国家の法をかいくぐり続けられるのだろうか。

その答えは、貧困層が法に抵触する生活実践を国家に黙認させるべく、末端の役人を集合的に買収しているからである。この実践は非公式ながら制度化されており、彼らはこれを「賄賂システム」(lagayan system)などと呼ぶ。不法占拠地に新しく住居を建てる者は、末端行政の役人、警察、地権を持つと主張するシンジケートなどに「賄賂」もしくは「みかじめ料」を支払い、それを黙認させる。貧困層は、こうして土地と住居を「所有」し、その一部を「売却」したり、後から移住してきた者に家屋の一部を貸して収入を得る。

街頭販売にも同様の慣行がある。スラムの住民にとって、街頭販売は参入が最も容易な生業のひとつである。しかし、大量の露天商は交通渋滞の原因となるし、正規の事業税やテナント料を支払っている公設市場の商人の不満を招くので、地方政府は露天商を規制しようとする。これに対して、露天商は、自ら組織化して毎日数10ペソほどの会費を徴収し、地方政府と中央政府の様々な部局や、警察などに賄賂を払って街頭販売を黙認させる。露天商組織が毎週支払う賄賂の額は、数百から数千ペソの間で幅があり、メンバーの数やリーダーの交渉力が反映される。

こうした賄賂システムは、搾取的にみえるかもしれない。だが、貧困層は脅されて支払っているわけではないし、その額は安くはないが搾取的と言うほどでもない。貧困層からすれば、賄賂によって都市で暮らすための住居と生計手段を得られるメリットは大きい。賄賂システムは、貧者が国家の法制度を侵食して生活を築くための武器なのだ。

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彼らのもう一つの武器は、票である。有権者人口の多数派は貧困層であり、政治家にとって選挙で当選するためには彼らの票が決定的に重要となる。選挙時になると候補者は競ってスラムを練り歩き、住民に無料診察、薬、食料品、香典などをばら撒く。テレビやラジオでは、「貧困層派」であることをアピールする候補者の広告ソングが繰り返し放送される。貧困層はここぞとばかりに、候補者に現金をねだったり、政治家のオフィスに押しかけて家族の病院代などを貰ったり、大統領候補の遊説に参加して弁当を食べながら芸能人のショーを楽しんだりする。

やがて政治家との貧困層との間には、選挙での支持と様々な資源がやり取りされる非公式な制度が作られる。スラム住民のなかには政治家と住民の橋渡し役がいて、住民の様々な要望を政治家に伝え、他方、政治家は彼らを通じて票の取りまとめをはかる。また、露天商や輪タク運転手の組織などは、特定の政治家への投票を約束して、もし彼らが当選すれば生計を保障させようとする。貧困層は、こうした関係を「コネ・システム」(palakasan system)と呼び、いざという時の頼りの綱として活用しようとする。

貧困層は法を遵守していては、都市で生きていけない。そのため彼らは、公式の組織や明確なイデオロギーをもたずとも、集合的に協働して「システム」と呼ぶ非公式な制度を打ち立てて、公式の制度を国家の底辺から侵食し、自らが生存できる隙間を作り上げてきた。

貧困層に対する排除と包摂の試み

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他方、国家リーダーや中間層の組織するNGOは、こうした非公式な制度の蔓延をフィリピンの発展に対する障害とみなして、貧困層に対する介入を行う。介入の方法は、大きく二つある。ひとつは、貧困層を「正しく」政治に参加し、法を遵守する「市民」へと包摂しようとするものである。もうひとつは、貧困層の政治参加や不法な生活基盤を排除しようとするものである。

中間層は、貧困層が政治家からばら撒かれる金やイメージに操作されて、非合理にも腐敗した政治家を選出してきたためにフィリピンの発展は妨げられてきたのだ、と考えている。そのため、中間層の一部はNGO活動を通じて、貧困層に「正しい」投票を教えることで、選挙政治を改善しようする有権者教育を行ってきた。しかし、貧困層からすれば、彼らは自らの利益や尊厳を守ってくれそうだと考える候補者を吟味して投票しているので、有権者教育の目的は的外れである。こうした齟齬のために、有権者教育の効果は芳しくない。そのため、苛ついた中間層のなかには、教育の程度や住居の合法性を投票の要件に課して、貧困層の選挙権を制限しようと提案する者もいる。しかし、政治家の権力基盤は貧困層の票なので、彼らがこうした提案を導入することはない。

都市統治をめぐっては、NGOがロビー活動によって法制度を改善し、貧困層の生存基盤を公的に保証させようとしてきた。こうした包摂的な実践は、法の支配という国家や中間層の要請と、生存という貧者の要請の対立を調停しようとするものである。これはある程度成功し、不法占拠者が低利で土地を購入できる制度や、一部地域の街頭販売を合法化する制度が整えられた。しかし、前者は地価の高騰化と再開発の波の中で、十分に実施されていない。後者の実施にいたっては、賄賂システムに既得権益をもつ役人や政治家によって無視されている。

貧困層に対してより冷淡な中間層は、不法占拠者や露天商を都市における無秩序の象徴だと批判して、国家による不法占拠家屋や露店の取り壊しを支持する。政治家は票田として一部のスラムを囲い込んで温存する一方で、こうした声に乗じて、民間セクターによるショッピング・モールや分譲地への再開発計画が浮上した不法占拠地を取り壊してきた。河川沿いの「危険地域」からの住居撤去や、道路拡張に伴う取り壊しも多い。賄賂によって地方政府や警察に「保護」された露天商も、都市美化や交通渋滞解消を掲げる国家リーダーによってしばしば排除されてきた。

強制排除によって生存を脅かされた貧困層は、左派組織の協力を得てしばしば街頭デモで異議を申し立てる。だが、より見込みのある抵抗手段は、お馴染みのコネと賄賂の戦術である。貧困層は、政治家とのコネに訴えて強制排除の一時停止を請願したり、露天商であれば、賄賂で強制排除チームから事前に情報を得て、取り締まりの間は隠れておこうとする。強制排除は、こうしてコネや賄賂に訴える貧困層の抵抗活動を助長するので、逆説的にも非公式な制度を強化する傾向をもつ。このように、貧困層に対する包摂も排除も、非公式の制度を除去することに失敗してきた。

非公式な制度の両義性

ここで紹介したような非公式な制度は、政治腐敗に他ならず、貧困層の役に立っても社会全体の利益を損なっている、というのが一般的な理解だろう。しかし、物事はより複雑で、非公式な制度は、貧困層と社会全体の利益に対して両義的な意味をもつ。

非公式の制度は、貧困層のみならず、社会全体に対しても重要な役割を果たしている。たとえば、コネ・システムなくしては、貧困層は選挙政治でより周縁化されてしまい、彼らの利益は看過されるだろう。また、賄賂システムなくしては、生存を目指す貧困層と法を実施する国家の緊張関係は、深刻な暴力を引き起こしかねない。いわば、非公式の制度があるからこそ、公式の制度は貧困層を包摂してまがりなりにも機能しているのであり、もし非公式の制度を完全に除去すれば、選挙や法の支配といった公式の制度も破綻して深刻な混乱が生じるだろう。

もっとも、非公式の制度には、法や選挙といった公式の制度による本来の機能を歪めるだけでなく、貧困層が公式の制度のもとで安定した利益を享受する可能性を妨げる側面もある。賄賂システムから利益を得る政治家や役人は、貧困層を非公式かつ非合法な状況に押し留めようとする。またコネ・システムは、政治家による貧困層への一時的かつ恣意的な「ばら撒き」を助長して、体系的な再配分政策の制度化を妨げる。貧困層は自律的な資源に欠いているために、今の生活を守り、より良き未来を引き寄せようとする実践が、こうしたジレンマを招いてしまっているのである。

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壊れない社会のために

実は、こうした問題は、今日の日本社会にとっても他人事ではないようだ。というのは、経済的利益を理由にした原子力発電所の再稼動や、財政赤字を理由にした公教育における教師数の削減といった、喫緊の利益のために長期的な利益を犠牲にしかねない決定や提案がやたら目に付くからである。個人のレベルでも、非正規雇用が増大する一方で、国民年金の納付率が減り続けている。マニラのスラムでも日本でも、今を生き延びなくてはならないという切実な要請が、未来を不安定化するジレンマを生み出している。ただし、両者の置かれた文脈と、その困難な状況を生き抜こうとする方法は大きく異なる。

今日の日本では、新自由主義のもと、厳しい生存競争を勝ち続けることを要請されている。こうした過酷な競争は、落伍者を生み出さざるを得ない。しかし、互いの生を支え合う社会的紐帯は、すでにズタズタになっており、セーフティネットは脆弱だ。しかも競争のストレスは、異なる世界観をもつ他者を怨嗟する独善的な正義の言説を強めている。こうして社会が断片化すればするほど、社会秩序を人びとの手で自発的に維持するのが難しくなる。それに歩を合わせるかのように、国家も企業も「改革」の名のもとに国民や従業員を統制する制度と道徳の厳格化を進めている。もともと近代日本は、あらゆる公式の制度が精密かつ円滑に機能する社会を作り上げてきたが、それをいっそう厳格化することで、制度の崩壊を防ごうというのであろう。

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たしかに、競争と統制の強化は、一時的には競争力の向上や社会秩序の効率性に寄与するかもしれない。だが、それは、人びとのストレスや生き苦しさの増大と、互いの生を支え合う相互依存の破壊という犠牲と引き換えに得られるものであろう。そのため長期的には、社会をいっそう断片化、硬直化させ、人びとが偶発的なリスクを受け止めながらも生き延びることを可能にする社会のしなやかさを蝕んでいるように思う。

他方、フィリピンのスラムでは、慢性的な貧困状況のなかで、もともと見ず知らずであった者たちが、互いに反目しながらも、最低限の生存を保障し合う相互依存を新たに作り出していた。また、政治家や役人に集合的に交渉して、コネ・システムや賄賂システムといった国家の統制から自律的な秩序を自生的に作り上げて、生の保障をより強固にしていた。たしかに、賄賂やコネによって今日を生き抜く生存戦略には、公式の制度による生の保障の実現を阻害するジレンマがある。だが、公式の制度による生の保障を期待できない状況で、何よりも今日の生存を優先するのは決して非合理ではない。彼らは、あえてリスクを呼び込む投企的実践を繰り返しつつ、他者と相互依存しながら自律的な制度を作り上げることで、偶発的なリスクに柔軟に対処しつつ、より豊かな生を目指してきた。

こうした相互依存と非公式で自律的な秩序は、目覚しい経済成長や公的な制度の効率性に寄与しないし、未来の不確実性も克服できないだろう。だが、今日の不確実で困難な社会を生き抜いていく際に、フラフラと低空飛行しながらも墜落はしない、よりしなやかでレジリエンスのある社会の創造には寄与するかもしれない。

プロフィール

日下渉政治学・フィリピン研究

名古屋大学大学院国際開発研究科准教授。専門は政治学とフィリピン研究。1977年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、九州大学大学院比較社会文化学府博士課程単位取得退学、京都大学人文科学研究所助教等を経て、2013年より現職。博士(比較社会文化)。主要著作に、「秩序構築の闘争と都市貧困層のエイジェンシー――マニラ首都圏における街頭商人の事例から」『アジア研究』53(4):20-36頁(2007年、第6回アジア政経学会優秀論文賞受賞)、『反市民の政治学――フィリピンの民主主義と道徳』(法政大学出版局、2013年、第30回大平正芳記念賞、第35回発展途上国研究奨励賞)など。

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