2015.01.19

『シャルリー・エブト』襲撃――イスラーム過激派の事情

髙岡豊 現代シリア政治 / イスラーム過激派モニター

国際 #シャルリー・エブド#イスラム過激派

2015年1月7日、パリの中心部で風刺画新聞社『シャルリー・エブド』が襲撃され、同紙の風刺画作家、編集者、警官ら12名が殺害された。襲撃犯2名は、逃走・立てこもりの末、射殺された。同じころ、やはりパリで警官を射殺した後、ユダヤ教式食品販売店に立てこもった男が、店にいた4名を殺害した末に射殺された。

襲撃された新聞社が、イスラームを中傷する風刺画を再三掲載したとしてしばしば抗議や襲撃を受けていたことから、事件発生当初から、襲撃はムスリム、あるいはイスラーム過激派の犯行と疑われた。自由と寛容を旨とする西洋と、それを拒絶するムスリムという、お決まりのともいえる対立構図が描かれたのである。

さらに、実行犯の身元が判明すると、彼らのムスリム、移民の出自、貧困層などの属性から、事件についての論評はヨーロッパ在住ムスリムや移民と地元社会との関係、経済的格差の問題などへと広がっていった。

事件の実行主体・背後関係については、襲撃犯が「アラビア半島のアル=カーイダ」や「イスラーム国」との関係に言及したり、1月14日に「アラビア半島のアル=カーイダ」の幹部が、新聞社襲撃については自派の企画・出資・構成員による作戦であると表明する演説を発表したりした。

襲撃犯自身の情報発信を見るかぎり、イスラーム過激派としての彼らの教化の程度は低く、何らかの組織に属していたとしても、組織内での立場は「生還を期待しない作戦に起用する」ことができるほどに低いことが分かる。それでも、「アラビア半島のアル=カーイダ」が犯行声明を発表したことにより、事件はイスラーム過激派の代表格の組織が関与する、組織的・計画的な作戦だったと位置づけるべきものとなった。

ここで注目すべき点は、「アラビア半島のアル=カーイダ」をイスラーム過激派の代表的な団体と認めることはできても、同派がイスラーム共同体、ムスリム、ヨーロッパ在住の各種移民、貧困層を代表・代弁する存在だとは、どう贔屓目に解釈しても考えられないということである。すなわち、今般の事件の原因を分析し、今後の展望やとるべき対策についてより実用的な回答を求めるならば、思想・文明・社会について「大きな話」を論じるより前に、事件をイスラーム過激派の作戦行動として分析すべきなのである。

事件の動機 ―― イスラーム過激派の事情

イスラームや預言者ムハンマドに対する誹謗・中傷、ヨーロッパにおける信仰の実践への圧迫、先進国によるイスラーム共同体に対する侵略や収奪等、「アラビ半島のアル=カーイダ」と同派の支持者にとって、攻撃を正当化する理由は枚挙にいとまがない。しかし、これらを抜きにしても、彼らが先進国の報道機関を攻撃対象とすることは至極合理的な選択である。

この点を理解するためには、「アラビア半島のアル=カーイダ」、「イスラーム国」などのイスラーム過激派が、行動様式としてテロリズムを採用しているという点を押さえておくべきである。ここで言うテロリズムとは、ムスリムが銃や爆弾で暴力行為に及ぶ、という意味ではない。そうではなく、「政敵を屈服させたり、自派の主張や要求事項を広く世に知らしめたりするための手段として、暴力の行使かその威嚇を用いる」という政治行動の一形態を意味する。

イスラーム過激派にとって、民主主義とは、「アッラーの啓示以外の方法で統治を行う異教」なので、彼らが政治参加や平和的抗議行動のような、我々にとっての合法的な手段によって政治目的を達成しようとすることは考えにくい。それゆえ、イスラーム過激派にとっては武装闘争こそが唯一とも言える政治目的実現の手段となる。

テロリズムが政治行動の一形態としての暴力である以上、それにもとづくテロ作戦の巧拙は、作戦による破壊と殺戮の規模によって判断されるのではない。判断基準は、作戦がどれだけ社会的反響を呼ぶか、どれだけ実行者の政治的主張を広めるのに役立つか、である。より具体的には、作戦について報道機関がどれだけ時間と労力を費やして報道するかが、テロ作戦の成否を決めていると言っても過言ではない。

したがって、報道の自由を享受し、それに見合う取材・分析能力を持つ報道機関を擁する先進国の権益、なかでも報道機関自身が、テロ作戦の理想的な攻撃対象となる。なぜなら、そのような報道機関は、テロ作戦の実行者自身がとくに労力を費やすまでもなく、事件の原因や背景を類推し、実行者の目的や主義主張を忖度して長時間報道(=広報)してくれるからである。そのような意味で、『シャルリー・エブド』はうってつけの攻撃対象だったのである。

とはいえ、もちろん「アラビア半島のアル=カーイダ」には、今般の事件のような時期と対象を選んで行動を起こす、彼らなりの理由があった。じつは同派を含む「アル=カーイダ」という看板がイスラーム過激派とその支持者の間で持っていた威信や名声が、この1~2年の間に著しく低下し、彼らはその失地を挽回するための華々しい戦果を必要としていたのである。

こうした状況には、イラクやシリアで活動する「イスラーム国」の存在が関係している。2013年以来、「イスラーム国」は既存の国家を破壊し、国境を超越する活動を行ったり、「カリフ国」を僭称し、同派が占拠している地域で「イスラーム統治」が施行されているとの幻想を華々しく広報したりしてきた。これに対し、アル=カーイダやその関連団体はさしたる実績を上げることができなかったため、イスラーム過激派やその支持層の関心や、彼らが提供する資源や労力がアル=カーイダを離れ、「イスラーム国」に集中するようになってしまったのである。

実際、最近「アラビア半島のアル=カーイダ」は、全世界のイスラーム過激派に対し「カリフ」に忠誠を誓い、イラクやシリアへの移住を推奨する「イスラーム国」に対し、「戦列を割る行為だ」として批判を強めていた。イスラーム過激派の間で、誰が「ジハード」の主導権を取り、より多くの資源を獲得できるか、そしてそのために必要な威信を確立できるか、という競争が起きていたのである。そして、その競争で劣勢に立たされていた「アラビア半島のアル=カーイダ」を含むアル=カーイダの側に、先進国の報道機関を標的とする作戦を実施する動機が強く働いていたと言える。

イスラーム過激派にとってのフランス

その一方で、イスラーム過激派にとってフランスを含む欧米諸国は、単なる攻撃対象として以上の意味を持つ存在である。イスラーム過激派が活動する中東・アフリカ諸国の多くは、非民主的な統治体制の下、政権への批判や反対運動は声明の危険を伴うものですらある。そのような活動を営む人々や、非民主的な統治を嫌う人々にとっては、欧米諸国は身の安全を確保し、自由に活動をすることができる避難先である。

欧米諸国の側も、圧制や弾圧から逃れてくる人々を無下にすることはできず、こうした人々を積極的に保護しようとする国も多い。問題は、そうして保護された人々の中に、イスラーム過激派に類する思想的傾向の持ち主が少なからず含まれていたことである。

また、イスラーム過激派の実際の活動においても、欧米諸国はヒト、モノ、カネ等の資源を調達する兵站拠点や、広報活動の場としての機能を担っていた側面がある。たとえば、社会資本の不備や当局による言論統制が原因で、中東・アフリカ諸国では制約も多いインターネットを用いた広報活動については、欧米在住のイスラーム過激派の支持者が、ファンの一人としてイスラーム過激派諸派が発表する声明などをネット上で拡散させることにより伝播力が増している。

また、イスラーム過激派による資源の調達も、欧米諸国でヒトや情報の移動が容易になっていることから大いに受益している。イスラーム過激派には、ヨーロッパ社会とそこで享受できる自由に寄生して活動を維持している部分もある。

欧米諸国を兵站拠点として利用しているイスラーム過激派のもっとも顕著な例が、「イスラーム国」である。同派には、ヨーロッパ諸国からすでに数千人がイラク・シリアに潜入して戦闘に加わっているとされ、その一部が帰国して治安上の脅威となることが懸念されていた。しかし、より重要なのは、ヨーロッパ諸国でそれだけ大規模な人員の勧誘と送り出しを行うことができる「イスラーム国」のネットワークが機能しているということである。

また、襲撃事件の関係者として女性容疑者の名前が挙がっているが、この容疑者がやすやすとフランスを出国し、トルコ経由でシリアに向かったとされている事実は、「紛争地へと出て行く」者について、関係国の監視や取り締まりが依然として手ぬるいことを示している。

今般の襲撃事件では、実行犯の一人が「イスラーム国」に忠誠を表明する動画が出回っている。「イスラーム国」とアル=カーイダ諸派との関係は明らかな敵対関係に転じつつあるが、思想・組織上の教化の水準が低い末端の活動家の間では、資源調達などの活動のネットワークが重複・混合していることも考えられる。

いずれにせよ、イスラーム過激派にとって、欧米諸国は資源の調達先と位置付けられているので、資源調達のための活動やネットワークが取り締まりの対象になる結果につながる欧米諸国を舞台にした直接攻撃は、じつはイスラーム過激派にとって優れた戦術とは言えないのである。それでも敢えて攻撃を仕掛ける団体があるのならば、上に挙げた「アラビア半島のアル=カーイダ」のような動機や、個々の団体の中で攻撃対象の選択や優先順位の判断基準に変化が生じた場合となるだろう。

今後の展望

以上を踏まえると、ヨーロッパにおけるイスラーム過激派の活動は、いくつかの場面ごとに展望した方がよいであろう。第一の場面は、「イスラーム過激派による組織的攻撃が起こる場合」である。このような事態が生じるのは、ヨーロッパ諸国においてイスラーム過激派やそれに連なる人々に対する取り締まりや圧力が強まった場合である。

繰り返すが、イスラーム過激派にとってヨーロッパは資源の供給源であり、そこで地元の官憲と摩擦を起こすことは得策ではない。しかし、地元の官憲の側が出国規制や人員勧誘の取り締まり強化のようなかたちで資源の調達を妨げる行動に出れば、イスラーム過激派がヨーロッパから彼らの活動地へと送り出していた資源(とくに人員)がヨーロッパに滞留して衝突を起こしたり、資源調達を妨害したことへの反撃として組織的な作戦行動が企画されたりすることになるだろう。

一方、「イスラーム過激派による組織的攻撃が起こらない場合」は、イスラーム過激派による資源の調達を妨げないかたちで、彼らがヨーロッパ諸国内で作戦行動を起こすのを阻止するような対策が取られる場合である。具体的には、イスラーム過激派による資源の調達や送り出し、そのためのネットワークを損なうことなく、単にイスラーム過激派の活動地から戻ってくる者だけを阻止する、帰国の規制が強化される場合がこれに該当するだろう。

しかし、このような対処では、危険分子を域外に送り出し、ヨーロッパ内での攻撃の可能性を下げることはできるが、イスラーム過激派の取り締まりの負担や彼らの活動から被るであろう損失を別の場所に転嫁するだけに終わりかねない。

組織的な関与の有無や程度はさておき、今般の襲撃事件はフランスをはじめとするヨーロッパ諸国において、イスラーム過激派の活動に対する警戒感や取り締まりを強化するきっかけとなると思われる。それゆえ、今後の状況は「イスラーム過激派による組織的攻撃が起こる場合」により近い方向で推移するのではないだろうか。

短期的には、テロ作戦の危険性や犠牲者が増すことを考慮しなくてはならないが、これには今までヨーロッパ諸国がイスラーム過激派の活動の相当部分を、事実上放任してきたことから生じる代償としての意味がある。とくに、イスラーム過激派を賞賛し、彼らが発信する情報を拡散している人々を取り締まることは、ヨーロッパ諸国が誇る「表現の自由」と密接にかかわる難題である。

『シャルリー・エブド』等の襲撃事件を受けたヨーロッパ諸国が直面している問題とは、じつはムスリムや移民という他者との関係や、そこから生じる差別や格差という問題ではなく、自らの社会の中にある危険や矛盾を直視できるか、という問題なのかもしれない。

サムネイル「I am Charlie Hebdo.」Ben Ledbetter, Architect

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プロフィール

髙岡豊現代シリア政治 / イスラーム過激派モニター

中東調査会上席研究員。上智大学大学院外国語研究科にて博士号取得。在シリア日本国大使館専門調査員、財団法人中東調査会客員研究員、上智大学研究補助員を経て現職。専攻分野は現代シリアの政治、イスラーム過激派モニター。著書に『現代シリアの部族と政治・社会』。

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