イギリスの若者ムスリムたち――「市民であること」の要件としてのイスラーム

若者ムスリムと社会統合

 

現在のグローバル政治において、イデオロギーに代わり宗教が重要なテーマとなっている。とりわけ、1980年代を契機としたイスラーム化の広がりは、世俗化を旨とする近代化原理に支えられた政治・社会秩序を危うくするものとして、特に西欧社会において認識されつつある。2001年のアメリカにおけるテロは、そのような認識を世界の人々がまさに同時的に共有することとなるイベントであった。以来、イスラームをめぐる事件や出来事を、メディアを通じて日常的に目にするようになっている。

 

筆者は2013年4月から2015年3月までの2年間、イギリスで在外研究をおこなっていた。その間だけでも、ISIS(イスラーム国)の樹立と軍事展開(2013年4月〜)、ボストン・マラソン爆破事件(同年4月)、ウーリッジ兵士殺害事件(同年5月)、「トロイの木馬」陰謀事件(2014年3月)、ボコ・ハラム学校襲撃誘拐事件(同年4月)、タリバーン学校襲撃事件(同年12月)、「シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)」本社襲撃事件(2015年1月)、ISISに参加するためシリアに渡航した女子生徒(同年2月)など、イスラーム過激主義と結びつけられる数多くの事件が連日報道されていた。

 

こうした報道は、必ずしも過激主義をイスラーム一般と同一視するものではない。だが、イスラームは常に否定的な文脈の中で語られることで、西欧社会の「異物」として印象づけられている。とりわけ、若者のイスラーム化は社会不安を高めている。スカーフやヴェールを被る女性や髭をたくわえる男性は、若者のイスラーム化を表すとともに、西欧社会が代表する民主主義や自由といった価値からの離反を意味しているかのように解釈されている。

 

そうした中で、2005年のロンドン爆破事件の実行犯やISISへの参加者に見られる、「イギリス生まれの(home-grown)」テロリストの存在は、イスラームが社会を破壊し蝕む思想的・人口的「時限爆弾」あるいは「癌」のごとく、イギリスに広まっている証左として理解されている。それに対して、多くの政治家や論客は、「シティズンシップ」や「イギリス人らしさ(Britishness)」といった西欧社会の価値の共有を通じて、若者ムスリムの社会統合を押し進めようとしている。

 

しかしながら、こうしたイスラーム過激主義への過剰な注目は(理由のあることだとしても)、西欧社会に市民として居住し参加している、現代の若者ムスリムのよりバランスのとれた理解を妨げる危険がある。ヨーロッパには4,000万人以上(総人口の約6%)のムスリムが、そして、この記事が焦点を当てるイギリスでも約300万人(総人口の約5%)のムスリムが生活を営んでいる。イスラームは、西欧社会において、今や第二の宗教として深く根づいているのである。

 

したがって、彼女/彼らを西欧社会からの潜在的離反者として認識することは、倫理的な観点からのみならず、実態からも大きくかけ離れたものである。とりわけ、西欧社会に生まれ育った若者ムスリムは、「市民であること」と「ムスリムであること」を、独自のやり方で両立させているのである。

 

この記事は、100名を超えるイギリスの若者ムスリムの声を聞き取った筆者の視点から、その「やり方」、つまり、現代の若者ムスリムがその宗教性を維持しつつ、実際にどのように西欧社会に参加しようとしているのかを素描することを目的としている。その際、若者が社会への参加や統合のためにおこなっている「アイデンティティ・マネジメント」のあり方に着目している。

 

アイデンティティ・マネジメントとは、人々が与えられた環境に対処するために、アイデンティティを自己および他者に向けてどのように提示するのか、という点にフォーカスを当てる用語である。ここでは、イギリスの若者ムスリムが、社会や自身のコミュニティからの複数の期待(偏見やプレッシャー)に対応するのに、自身のアイデンティティをどのように理解・提示しているのかを明らかにするために、この用語を用いている。その点を、特に「<宗教/文化>の区別」と「知識」というキーワードを通じて解説していく。

 

 

<宗教/文化>の区別

 

若者ムスリムが用いているアイデンティティ・マネジメントの戦略の中で、もっとも基礎的な方策が、「宗教(イスラーム)の文化からの区別」である。これは、若者が自身のエスニックな文化的慣習や伝統から切り離す形で、イスラームを(再)定義するという事態を指している。より正確には、文化を否定的な準拠点として設定することで、イスラームを積極的なものとして、自己および他者に示すものである。たとえば、彼女/彼らは、イスラームを語る際、「文化と宗教は違うわ」「それは文化であって、宗教じゃないんだ」というフレーズを頻繁に用いている。そして、大概の場合、イスラームは肯定的なものとして、文化は否定的なものとして位置づけられている。

 

<宗教/文化>の区別は、実に幅広いテーマ——食事、礼拝の仕方、儀礼、服装、教育、結婚、女性の社会進出など——の中で目にすることができる。とりわけ、結婚をめぐる問題において、この区別は必ずといっていいほど持ち出されている。

 

イギリスのムスリムの多数派を形成しているアジア系の家族において、結婚は個人的な問題ではなく、家族の名誉と関わる重要なイベントである。そのため、結婚の時期やパートナー選びに、両親からの介入やプレッシャーが存在している。そうした状況に対して、インタビューをおこなった若者は、<宗教/文化>の区別を活用しながら対応している。

 

仕事を持っている多くの女性は、早い時期に結婚することへの家族の期待に直面している。それに対して、彼女たちは、キャリアを維持・追求するために、結婚をめぐるいくつかの社会的な期待やプレッシャーは、イスラームとは関係がないということを強調している。たとえば、ボランタリー・セクターで働いている28歳のバングラディシュ系の女性は、未婚状態であることに対して次のように述べている。

 

 

文化と宗教は完全に異なるものだわ。文化は、ずっと以前に結婚することを期待している。私はもう28歳。文化は、私を見たら、「オー、神様。この子は歳をとり過ぎてる」と考える。それは、文化が言っていることなの。……でも、イスラームは、「なんていうこと、彼女は28歳だわ。神様、彼女を殺してください。彼女は結婚していないのだから」なんてことは言わない。イスラームは、それ[=未婚]を否定的なものとして見ないの。

 

 

彼女は結婚していないことに対するコミュニティからのスティグマやプレッシャーを文化に帰属させ、イスラームはそうした社会的通念とは無関係だとしている。そして、イスラームへのコミットメントを示すことで文化や家族の期待に抵抗し、イギリス社会での自身のキャリアや生き方を肯定しているのである。

 

両親や親族が子どもの結婚相手(の候補)を決める「お見合い結婚(arranged marriage)」もまた、<宗教/文化>が持ち出されるテーマである。お見合い結婚の内実は多様であり、両親の出自の国からパートナーを呼び寄せたり、コミュニティの親族やモスクの友人と話し合い、子ども同士を引き合わせたり、あるいはモスクがストックしている履歴書(bio-data)から相手を選択することもある。

 

西欧社会においてお見合い結婚は、子どもの選択の権利を否定する、非民主主義的な婚姻様式として認識されている。こうしたコミュニティとホスト社会との社会的期待をめぐる板挟みの中で、若者は<宗教/文化>の区別を用いながら、その葛藤を回避する方策を編み出している。

 

自身の手でパートナーを探すことを望んでいる若者にとって、<宗教/文化>の区別は有効な戦略である。たとえばあるパキスタン系の20代前半の男性は、家族からのお見合い結婚の申し出に対して、「母さん。お見合い結婚は文化であって、宗教じゃないよ」と言い、断っている。また、あるバングラディシュ系の20代の女性は、「宗教と文化は違うの。お見合い結婚は文化だわ」と、家族に述べている。つまり、お見合い結婚は、イスラームの義務の一部ではなく、それゆえにそのような慣行に従うつもりはない、あるいはその必要がないと両親に訴えるのである。

 

こうした<宗教/文化>の区別は、西欧社会に生きる若者ムスリムにとって、三つの重要な意味を有している。第一に、イスラームに与えられた社会からの否定的なイメージや表象(たとえば、自律の否定、強制による結婚、女性への抑圧など)を文化に帰属させることによって、イスラームを民主的なものとして描き、それを自身のアイデンティティの重要な一部として取得することを容易にする点である。

 

西欧社会に生まれ育ったムスリムは、自身の文化的コミュニティと主流社会からの、二つの異なる社会的期待を満たすことが求められている。両者はしばしば対立するものとしてとらえられ、その間の葛藤を処理できない場合、アイデンティティの危機や、<イスラーム/西欧社会>という対立的区別に基づく反動的なアイデンティティ形成(過激主義or信仰の否定)を帰結することになる。

 

そうしたアイデンティティ形成をめぐる問題に対して、多くの若者ムスリムは、主流社会による否定的な評価からイスラームを守るために、文化をいわば「生贄」とすることで―つまり、否定的評価を文化に帰属させることで―、信仰を守り、それをアイデンティティの積極的な一部として組み込んでいるのである。

 

第二が、宗教をより上位の倫理的基準として設置することで、家族・親族・コミュニティの文化的期待をめぐる交渉の資源としてイスラームを活用するという点である。イスラームはコミュニティにとって、世代や文化的差異を超えて尊重されるべき行動規範であり、若者はそれをより民主的なものとして定義することを通じて、抑圧的な慣行を拒否するために動員しているのである。

 

第三に、この区別は、イスラームが西欧社会の価値やライフ・スタイルと両立可能であることを示すために用いられている。つまり、文化的価値から宗教を切り離し、<西欧社会——イスラーム>の距離を、<西欧社会——(家族の)文化>の距離よりも近く設定することで、西欧社会においてムスリムとして生きることに問題がないことを、自己および他者に向けて提示するのである。【次ページにつづく】

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.222 特集:沖縄

・仲村清司氏インタビュー「変わる沖縄——失われる心と『沖縄問題』」

・宮城大蔵「静かに深まる危機——沖縄基地問題の二〇年」

・北村毅「戦争の『犠牲』のリアリティー:当事者不在の政治の行く末にあるもの」

・神戸和佳子「『わからなさ』の中でいかに語り考えるのか——沖縄をめぐる哲学対話の実践から」

・山本ぽてと「沖縄トイレットペーパー産業史」
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