2015.10.28

ラテンアメリカにおける「条件付き現金給付」政策――貧困削減と民主主義のジレンマ

高橋百合子 比較政治学

国際 #条件付き現金給付#ラテンアメリカ

現在、貧困や所得格差といった社会問題は、多くの国が共通して取り組むべき課題として認識されており、人々の関心も高まっている。

そうした世界的な潮流の中で、1990年代以降、ラテンアメリカ諸国が貧困削減のために実施してきた新たな取り組みが国際的な注目を集めている。メキシコやブラジルといった域内大国が、「条件付き現金給付(Conditional Cash Transfers、以下CCT)」という貧困削減政策を導入したのを皮切りに、他のラテンアメリカ諸国のみならず、アジアやアフリカにもCCTが普及しつつある。

ラテンアメリカは、世界的に見ても貧困や所得格差のレベルが高いことが知られているが、近年、その傾向に変化が見られる。国連ラテンアメリカ経済委員会が発表した最新のデータによると、1990年前後と2010年前後の数値を比べると、貧困と所得格差がともに減少していることが分かる。

人口に占める貧困層の割合について見てみると、域内平均で48.1%から28.1%へ減少し、所得格差の度合いの指標であるジニ係数については、0.531から0.496へと改善した(注1)。これらの変化は、部分的にCCT実施の効果によることが指摘されている。

(注)Economic Commission for Latin America and the Caribbean (ECLAC). 2014. Social Panorama of Latin America 2014. Santiago, Chile: ECLAC.  (最終閲覧日:2015年3月10日)

それでは、世界的に注目されつつあるCCTとは、どのような貧困削減政策なのだろうか。どのような経緯で、導入されるに至ったのだろうか。また、CCTの貢献と問題とは何であろうか。CCTについての理解を深めることは、貧困や様々な格差が重要な問題となりつつある日本を含む先進国にとっても、重要な示唆を与えると考えられる。以下、これらの点について考察してゆく。

条件付き現金給付政策とは?(注)

(注)ラテンアメリカにおけるCCT導入の背景や特徴については、次の文献で詳しく論じている。高橋百合子・青山さくら 2015「条件付き現金給付政策の発展-女性のエンパワーメント・ジェンダー平等の視点」『ラテンアメリカ時報』第57巻第4号、5-8頁。高橋百合子 2011「ラテンアメリカにおける福祉再編の新動向-「条件付き現金給付」政策に焦点を当てて」『レヴァイァサン』第49号、46-63頁。浜口伸明、高橋百合子 2008「条件付き現金給付による貧困対策の政治経済学的考察:ラテンアメリカの事例から」『国民経済雑誌』第197巻第3号、49-64頁。

新たな貧困削減政策であるCCTは、新自由主義経済改革と政治的民主化という、過去30年間にラテンアメリカで起こった重要な政治経済上の変化を背景として導入された。

1980年代初頭に、累積債務危機が同地域を襲った。国家破綻という未曽有の危機に直面した域内各国の政府は、米国を中心とする外国政府や国際通貨基金(IMF)といった国際機関から支援を受ける必要があった。

その支援の見返りとして、いわゆる「ワシントン・コンセンサス」に沿った改革を実施することが条件とされた。それは、財政赤字の削減、民営化、税制改革、補助金の削減、貿易・金融・為替の自由化などを内容としており、マクロ経済の均衡回復を目指して、域内各国は構造調整政策や新自由主義経済改革の実施へと踏み切ったのであった。

しかし、これらの改革は、失業の増加、実質賃金の低下、貧困の悪化などの社会的コストを強いることになり、生活水準の低下に苦しむ国民からの不満は高まっていった。

その一方で、1970年代末以降、ほとんどのラテンアメリカ諸国は、権威主義体制から民主主義体制への移行を遂げ、選挙や様々な政治参加を通じて、国民は自分たちの声を政治に反映させることが可能になった。こうした背景の下、域内平均で人口の約半数を占める低所得者層から、政府に対して格差や貧困への対処を求める圧力が強まり、貧困削減が重要な政治課題として扱われるようになった。

そして、新自由主義改革が課する厳しい財政制約に直面するラテンアメリカ諸国の政府は、限られた予算で、効率的かつ効果的に貧困を緩和する新たな方策としてCCTを考案するに至ったのである。

それでは、貧困削減を目指す新たな政策であるCCTとは、どのような特徴を持つのだろうか。

各国で実施されているCCTに相違点はあるもの、所得やサービスを直接的に移転することにより貧困家庭の所得向上を目指すという「短期的目標」と、子供に対して教育(奨学金支給など)、保健衛生(定期健診や予防接種の義務化など)、栄養(栄養補助食品の配布、栄養指導など)の面で総合的な補助を行うことによって人的資本を形成し、将来、経済的に自立できるように支援するという「長期的目標」を掲げる点は、あらゆるCCTに共通した特徴である。その他、CCTの一般的な特徴として、

・厳密な資力調査(means test)を行うことによって、本当に支援を必要としている家庭を見極め、受給資格を与える。

・個人ではなく、子供のいる貧困家庭に対して補助を与える。その際、母親が責任者として、現金やサービスの給付を受け取る。

・受益家庭の母親は、子供の通学や保健所での定期健康診断の受診を義務付ける「共同責任」を果たすことを条件に、CCTの受給資格を継続することができる。

ことが挙げられる。つまり、CCTは、本当に支援を必要としている人に限定して資金を移転するによって、公的財源の無駄遣いを防ぐ点で「効率的」に、そして、共同責任の義務遂行を条件に給付の継続を約束することによって、福祉依存を防ぐ点で「効果的」に貧困を削減することができる、と考えられているのである。

貧困削減効果についての賛否両論

1990年代にCCTが導入されて以来、CCTの政策効果については賛否両論が示されてきた。まず、世界銀行などの国際機関は、CCTについて肯定的な評価を行い、多くの開発途上国に対してCCT導入の支援を行っている(注)。

(注)こうした国際機関による肯定的な評価の一例として、以下の文献が挙げられる。しかし、同書は、CCTの貧困削減効果を認める一方で、CCTは包括的な社会保護システムとしては不十分であることも指摘している。Fiszbein, Ariel, and Norbert Schady. 2009. Conditional Cash Transfers: Reducing Present and Future Poverty. Washington, D.C.: World Bank.

ラテンアメリカ域内でも規模の大きいCCTである、1997年にメキシコで導入されたプログレサ(Programa de Educación, Salud y Alimentación, Progresa)や、ブラジルで2004年に開始されたボルサ・ファミリア(Bolsa Família)については、厳密な政策評価研究が行われてきた(注)。肯定的な評価は、主としてこれらの研究結果に基づく。

(注)メキシコのプログレサは、2002年にオポルトゥニダデス(Oportunidades)へ、2014年にはプロスペラ(PROSPERA)へと名称が変更されたが、政策自体の基本路線は変わっていない。

例えばプログレサについては、政策開始当初から、国際機関や国内外の研究者(主に経済学者)が参加する形で、外部評価が行われてきた。受益世帯を施策グループと比較グループに分けて抽出したサンプルを対象に、数回に渡って家計調査を行うことによって、プログレサの貧困削減効果について検証した。

その研究結果によると、CCTの施策によって、貧困家庭の子供たちの就学年数が長くなったり、初等・中等教育を終える子供達が増えたりした。また、子供の身体発育にも改善が見られた。さらに、貧困家庭の母親に共同責任遂行の義務を課することは、女性のエンパワーメントにつながったりするなど、CCTの副次的効果も指摘されている。

他方、CCTが貧困削減に及ぼす効果は限定的だとの見方もある。例えば、就学率や就学期間の改善は、必ずしも学力の向上につながっていないとの指摘がある。CCTにより学校へ行く子供の数が増えたが、学校設備の充実や先生の増員が相応に追い付いていないため、結果として、教育の質を保つことが難しくなり、子供の学力も伸び悩む子になってしまうのである。また、子供の教育水準が上がったとしても、それが職業機会につながらなければ、貧困家庭の子供が経済的に自立することは難しくなる。

こうした問題点の指摘は、CCTと職業訓練との連携の強化や、雇用機会を生み出す経済成長の促進など、CCTが取り組むべき今後の課題を示唆している。

貧困削減と民主主義の狭間で

上記のような限界を露呈しつつも、CCTが近年のラテンアメリカにおける貧困や格差の縮小に寄与したとの見解から、CCTについての好意的な見解が広まっているように見える。しかし、貧困削減という政策本来の目的を越えて、より広範に政治や社会に与える影響について考察してみると、CCTが民主主義の根幹を揺るがす危険性が浮かび上がる。

1970年代後半以降、ほとんどのラテンアメリカ諸国は民主化を果たし、現在では、自由で競争的な選挙によって、国民は自国の政治的指導者を選ぶ権利を持っている。そして、選挙で選ばれた政治家は、国民の利益を反映するような政策を形成、施行することが期待されている。

こうした代表制民主主義の原則にしたがうと、貧困層の割合が高いラテンアメリカでは、マジョリティを構成する貧困層の利益にかなった政策が行われることが予想される。ところが、貧困層の利益実現のために、CCTの貧困削減効果を高めようとする試みが、皮肉にも民主主義の原則と衝突する事態が起こっているのである。

まず、CCT受給者情報の管理とその情報公開が、貧困層の個人情報を保護する権利と抵触する可能性を指摘したい。CCTが効果を発揮するためには、厳密な資力調査に基づいて、本当に生活補助を必要としている貧困家庭を選別し、そうした家庭に現金給付やサービスを移転する必要がある。

この目的を達成するため、政府は、受給家庭の所得、生活状況、家族構成などを把握し、データベース化することによって、極めて個人的な情報を一元的に管理している。ところが、民主化の進展とともに政府に対する情報公開圧力が高まると、政府はこうした個人情報を公開する例が見られるようになった。

例えばメキシコのCCTを管轄する社会開発省(Secretaría de Desallorro Social)は、CCT受給者リストをウェブサイト上で公開している。これには誰もがアクセス可能であり、受給者のフルネームと支給額を閲覧することができる。

つまり、メキシコのCCT支給を受けているのは、どこの誰であり、いくら政府から生活補助を受けているかといった個人情報が公にされており、誰でも受給者を特定することができるのである。

この個人情報の公開について、受給者本人が承諾しているかどうかは定かでないが、この事例は、公的情報を公開する必要性と個人情報を保護する必要性との間で、どのように折り合いをつけるべきかという、重要な問題を提起している。

また、貧困層の割合が多いラテンアメリカでは、貧困削減を含む社会政策の財源が政治的動員に利用されてきたことが、マスメディアの報道、非政府機関(NGO)などの市民団体、学術研究によって指摘されている(注)。

(注)例えばメキシコの事例についての代表的な研究として、以下の文献がある。Fox, Jonathan. 1994. “The Difficult Transition from Clientelism to Citizenship.” World Politics 46 (2): 151-184. Magaloni, Beatriz. 2006. Voting for Autocracy: Hegemonic Party Survival and Its Demise in Mexico. New York: Cambridge University Press.

特に、選挙キャンペーン期間中に、政党(特に政権党)が貧困層をターゲットに、「自党に投票しなければ、補助を打ち切る」と脅したり、「自党が勝ったら、あなたに補助を与えよう」と宣伝したりと、社会政策を利用した買票行為に関する事例が多数報告されている。

こうした買票行為は、貧困層がどの政党もしくは候補者に投票するかを決める政治的権利だけでなく、必要最低限の生活を送るために公的補助を受ける社会的権利をも侵害することを意味する。その買票行為のターゲットを絞る際に、CCTの受給者リストが使われる可能性が指摘されている。受給者の諸権利を保護するためにも、受給者の個人情報公開には慎重になることの必要性が示唆される。

実際、CCTが買票行為に利用される危険性についてはメキシコ政府も自覚しており、様々な対策を打ち出している。例えば、メキシコでは今年の6月7日に中間選挙が実施されたが、連邦選挙機関(Instituto Nacional Electoral)と社会開発省は、買票行為から社会政策を保護することに協力して取り組むことを宣言し、2月末に協定書を締結した。

さらに、受益者に対しても、CCTを含む政府からの補助を受け取ることは国民の権利であり、誰に投票したかではなく、生活困窮度に応じて享受できるものであることを、広く伝える活動を行っている。

以上、CCTについて、その特徴と導入の背景、貧困削減効果に対する多様な評価、民主主義を阻害しかねない危険性に焦点を絞って、メキシコの例を中心に論じてきた。

まとめると、世界的に称賛される傾向のあるCCTであるが、計画通りにCCTを実施すると、貧困削減という政策目的は達成されるかもしれないが、貧困層の諸権利が侵害される危険性を孕むというジレンマを内在している。

貧困問題や格差社会とどのように向き合っていくのかという問題は、ラテンアメリカだけでなく、日本をはじめとする多くの国が直面する課題である。長い間、貧困や格差の是正に向けて様々な取り組みを行ってきたラテンアメリカの経験から、我々が学ぶことは多い。

プロフィール

高橋百合子比較政治学

神奈川県出身。コーネル大学 Ph.D.(政治学)。現在、神戸大学大学院国際協力研究科准教授。専門は、比較政治学・政治経済学・ラテンアメリカ政治。主な著作に、編著『アカウンタビリティ改革の政治学』(有斐閣、2015年)、共著書『ラテン・アメリカ社会科学ハンドブック』(新評論、2014年)、など。

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