2012.07.23
「70後」が中国に「公共」をつくりだす ―― 民間のチェンジ・メーカーたち
2012年7月1日より、広東省では全国に先駆けて民間のNGOの政府への登記の規制が緩和された。民間人の集会や結社に敏感な中国では、広東省の試みは画期的な出来事だ。2008年の四川大地震を契機に機運が高まった中国のボランティア熱は、ここ数年間でおおきく発展しており、全国各地で貧困地区支援や社会的弱者支援、環境保護などさまざまな看板を掲げる大小無数の公益団体が活動をはじめるようになってきている。
なかでも、広東省は慈善活動が活発な香港に近く、海外の華僑とのネットワークが太いという地域的特性があり、中国国内でもNGO活動がもっとも活発な地域である。広東省が民間NGOの活動を認める方向に舵を切ったことは、中国の民間パワーの台頭を象徴する動きといっていいだろう。
これまで中国では、NGO組織が政府への登録を申請しても何年もかかったり、より登録しやすい地域を探して登録するといった状態であり、大部分のNGOが政府に正式に登録していない「灰色身分」であった。広東省の多くのNGOにとって正規「白色身分」になることは、法人として免税の優遇を受けられるということ以上に、ある日突然、政府によって強制的に活動中止に追い込まれたり排除されたりするリスクがなくなる、という安心のほうがおおきい。
「70後」が下の世代をリードする
広東省政府がNGO組織の存在を認める方向に動いたのは、省のトップである汪洋書記の英断であると伝えられている。
東莞に張坤さん(1946年生まれ)という一人の男性がいる。彼は1989年から個人で湖南省鳳凰県をはじめとする広東省近隣の貧しい地方の、家庭の貧困が理由で学校に通えない児童をもくもくと支援してきた。坤おじさんの活動は長年だれも関心をもたず、2005年からずっと政府にNGOとしての登記を申請し続けているが、「寄付の強要の疑いがある」ということで申請を拒まれてきた。
昨年前半、広東省のテレビや新聞が坤おじさんの活動に注目。報道をつうじて彼の活動を知った汪洋書記が「政府は良いことをしようとしている人を助けるべきであって、その障壁となるべきでない」として、NGO組織の登録の門戸を広げることが決定したのだった。
広州在住の映像ディレクター黄さん(1970年生まれ)は、この決定を舞台裏で後押しした一人である。大学卒業後、彼は広州のテレビ局に勤務していたが、テレビ局では何をどう伝えるべきか決められていて現場の作業者に自由はない。映像の中で自分のメッセージを発信していきたいと決意して2004年に独立した。
2006年には坤おじさんの活動に密着し、のべ2か月間にわたって歩いて山を越えなければいけないような貧しい村で撮影を行った。撮影された映像はインターネット上で公開するほか、テレビ局勤務時代の人脈を活かし、テレビの公益活動のドキュメンタリー番組にも提供されている。テレビに限らず「南方都市報」や「新快報」といった広州で購読者が多い新聞も、公益活動についての専門ページを設けており、こうしたマスメディア全体の民間の公益活動の盛り立てと、彼らとの連携が黄さんの活動に刺激を与えている。
同世代あるいはそれより上の世代の独立起業した人たちがマンションや高級車といったステータス消費に向かうなか、黄さんは元ハンセン病患者の暮らす村や、草の根NGOの活動の映像を撮影するため、90年代製のクーラーの壊れたシトロエンのハッチバックで、真夏の広東省のあちこちを駆け回っている。
「お金には代えられないものを追及したい」「社会のために貢献したい」。こうした人たちは中国の中間層に増えてきているようだ。もちろん、みながみな純粋な動機というわけでもないらしい。興味深いのは、いろんな人に会ってインタビューをしてみると、黄さんのような70年代生まれより上の年齢層で、成功して豊かで安定した生活をおくっている人たちは「相手が喜ぶ顔をみると自分の心が満たされる」、「経営者仲間のつきあいで活動に参加している」といった、自己本位の動機で公益活動に参加している人の割合が高い。
これに対して、70年代生まれの公益活動に参加している人たちは、貧富の格差、人権問題など、中国社会が抱える数々の矛盾に真剣に取り組もうとしている人がおしなべて多いのが特徴だ。70年代生まれより若い世代「80後」「90後」もこれに続いているが、社会経験の豊富さや人脈を活かし「70後」がこうした活動をリードしている。
「公共の不足を民間が補う」のは中国社会の伝統
羅さん(1979年生まれ)もそうした社会の矛盾のはざまで苦しんでいる人たちを助けようと活動している一人だ。広州の大学卒業後、外資系企業で財務の仕事をしていた彼女は、結婚し、妊娠中にインターネットの出産準備と子育てサイトで情報収集をしていたのだが、そのサイトが彼女に転機をもたらした。
そのサイトの中に、恵まれない子供や難病をかかえる子供を支援するための寄付を募るページがあるのだが、これに関心を寄せるようになったことがきっかけで、羅さんは2007年から公益活動に参加するようになった。最初のうちは、資金集めのためのバザーなどにボランティアとして参加する程度だったが、2009年からは仕事を辞めて、北京に本部のある難病の子供の治療支援をするNGOの広東地区の代表者として、本格的に活動に取り組むようになった。収入は、以前はホワイトカラー層の中でも中の上だったが、現在は工場労働者と同じくらいの金額だ。
中国では近年、都市だけでなく農村でも医療保険制度が整ってきているが、収入額とそれにみあった保険料のちがいから、都市と農村では保険でカバーされる医療の範囲が異なる。農村の医療保険ではごく基本的な治療や薬品しかカバーされないのだ。農村の人たちは子供が重い病気にかかると先進医療技術の整った都市の病院にやってくるのだが、重い心臓病、小児ガンなど高度な医療や長期間の治療を必要とする病気の場合、医療費のほとんどは保険でまかなわれず、彼らの年収の何十倍もの額になってしまう。
医療費が支払えないがために、治療の継続を断念し、助かる命が助からないケースも少なくない。羅さんたちは、このような子どもの命を一人でも多く救うため、貧困家庭の難病や重度の火傷を負った子供、あるいは早産など緊急の手当を要するケースを金銭的、精神的にサポートする活動をしている。
ただ、中国では都市と農村では他者と接するときの人々の意識や行動、つまり社会性がおおきく異なっているのが現実。羅さんによれば、農村の人たちは力のある人や面倒を見てくれそうな人に依存する傾向が強いのだそうだ。このため、NGOのスタッフが金銭的負担や医師とのコミュニケーションを手伝ってくれるとわかると、すべて頼ってしまう。支援しても不幸にして助けることができなかった場合、自分のこととして感情をコントロールできず、ボランティアスタッフが十分に尽力しなかったからだ、と責任追及することもあるという。
このような活動は精神的な負担がとてもおおきいと羅さんはいう。もともと彼女は無宗教だったのだが、2010年にキリスト教に入信。毎週教会に通い、信仰を心の支えとして活動を続けている。
羅さんたちの団体はいってみれば、医療保険サービスの不足の問題を民間の寄付を募ることによって解決する活動をしているのだが、「公共の不足を民間が補う」というのは中国社会の伝統でもある。
昔、王朝が中国を支配していたころ、庶民にとって国家権力はもっぱら税金を取り立てるだけの存在で、各地の知力・財力・仁徳のある人物が公共工事や教育、貧困者救済を担ってきた。これまで中国政府は人々を個人単位で管理すると同時に、公共サービスも提供してきたが、経済の発展によって生じた歪みや問題の蓄積によって、政府の公共対策は不十分であると感じる人が増えてきているのが事実だ。そこで、かつての中国のように、公共の不足を自分たちで何とかしようとする人たちが現れはじめている。
一時的で過激な抗議行動から遠ざかって
鄭さん(1977年生まれ)は、ゴミ分類を推進するNGO活動を本格的に始動しはじめている。じつは彼は、2009年に広州市番禺区の新しいゴミ焼却施設建設計画に対して地元で抗議行動が起こったときに、先頭に立って活動したメンバーの一人だ。このときの抗議行動は海外のメディアも注目し、鄭さんには日本の新聞社から取材の申し込みがあったのだそうだが、当時は政治的に敏感だったため、取材を断ったのだという。
もともと鄭さんは大学で工学を学び、建築関係の仕事をしていたのだが、2009年の抗議活動を経験したのち、環境保護活動への関心が高まっていった。2010年にNGOを立ち上げ、インターネット上で北京や上海といった別の都市で環境保護活動に取り組んでいる民間NGOと交流をはじめた。そうした環境保護活動をしている民間団体の全国会議が2011年に広州で開催されたのが大きな刺激になり、ゴミ分類活動推進の準備をはじめたのだった。
中国の大都市ではここのところゴミ問題への関心が高まっていて、北京や広州など大都市ではゴミ袋の有料化もはじまっている。こうしたことが追い風になり、彼らの開催するフォーラムに広東省政府の環境保護部門の担当者にも参加してもらうなど、官の力もうまく取り込んで、いままさに活動を展開しはじめている。
マスメディア、宗教、抗議行動。これらはいずれも中国では完全な自由がなく、やや敏感な領域である。中国の公益活動家は、ある人たちはそこから出発し、ある人はそこに行き着く。少し皮肉な話でもある。
日本を含めた海外のマスコミは、中国の社会問題に注目する際、声高に抗議の声をあげたり、真っ向から政府を批判したりする意見に注目しがちである。しかし、鄭さんのように一時的で過激な抗議行動から公益活動に転向し、人々の支持をあつめ、政府の力も利用しつつ、持続的に社会を変えていこうとする人もいる。これもまた中国の今日の姿であるし、いまや、そうした社会活動こそ、中国のメインストリームになろうとしているのだ。
2012年7月12日から14日まで、深圳で中国初の全国規模の「公益・慈善交流展示会」が開催された。約500もの民間NGOや政府系慈善団体、企業が出展していたが、出展募集には約2,000件の応募があったという。深圳の地元紙の公益活動担当記者の話では、深圳市だけで、大小さまざまな民間NGOがおよそ3,000も存在するという。
こうした草の根NGOの多くは、ここ1、2年に立ち上げられたものがほとんどであり、多少過熱気味である感も否めない。今後は、淘汰が進んでいくものと思われるが、この先、全国規模の有力な民間NGOがどんどん台頭してくるだろう。一元権力国家である中国で、今まさに新しい社会的な中間集団が芽生えようとしている。
プロフィール
西本紫乃
1972 年広島県生。中国系、日系航空会社勤務などを経て、2007年~2010年外務省専門調査員として在中国日本国大使館に在籍。現在は広島大学大学院社会科学研究科博士後期課程在籍中。専門は中国メディア事情、日中異文化コミュニケーション。著書に『モノ言う中国人』(集英社新書)。