「蔡英文は同性婚を支持します」―― LGBT政治からみる台湾総統選挙

1月16日、台湾で総統選挙と立法院選挙が実施された。総統選挙では最大野党である民主進歩党(民進党)の蔡英文主席が国民党候補を大差で破って当選した。立法院選挙でも民進党は68議席を獲得して過半数を上回った。これにより、陳水扁率いる前回の与党時代(2000-2008年)よりも安定した政権運営が可能になることが期待されている。

 

台湾の政治動向は東アジアの将来にも少なからぬ影響を及ぼすことから日本においても選挙結果は注目を集めたが、マスメディアの報道で「LGBT」イシューはほとんど黙殺されてしまった。本稿では、LGBT政治の観点から台湾の総統選挙および当事者運動の動向を考察する。

 

 

「蔡英文は同性婚を支持します」

 

2015年10月30日、蔡英文は自身のFacebookページで「同性婚を支持する」姿勢を表明した。「蔡英文は同性婚を支持します」と題した約15秒の動画を公表したのである。いわく、

 

「愛の前にはだれもが平等であり、蔡英文は同性婚を支持します。すべての人が、自由に愛し、幸福を求められるように。」

 

 

〔我是蔡英文,我支持婚姻平權〕

在愛之前,大家都是平等的。我是蔡英文,我支持婚姻平權。讓每個人,都可以自由去愛、追求幸福。──2015 台灣同志遊行 TAIWAN LGBT PRIDE 10/31(六)13:00集合,14:00出發集合地點/台北市景福門圓環西側(凱道旁)完整資訊:http://twpride.org/twp/

Posted by 蔡英文 Tsai Ing-wen on 2015年10月30日

 

 

総統選挙を2ヶ月後に控えた時期の公表であったことから、彼女の動画は台湾国内のメディアで大きくとりあげられた。台湾では2013年に同性婚法案を含む「多様性のある婚姻法案」(多元成家法案)草案が立法院へ送られており、LGBT運動でも同性婚の実現を推進する運動が急速に主流化しつつある。こうした状況を背景に、次期総統の最有力候補として注目された蔡英文による姿勢表明は、「アジア初の同性婚」の実現へ駒を進めるものとして世論の注目を集めたのである。

 

だが、蔡英文による姿勢表明は、LGBT運動内部では必ずしも歓迎を受けたとは言いがたい。「多様性のある婚姻法案」草案を起草したNGO(台湾パートナー権利推進連盟)の許秀雯(執行長)も、「蔡英文は2012年にすでに多様性のある婚姻法案に署名をしており、(2015年の動画公表は)3年前の姿勢をあらためて繰り返したにすぎない」とする冷ややかな声明を発表している。

 

すなわち、10月30日の動画公表による姿勢表明は総統選挙に向けたパフォーマンスでしかないと受けとめられたのである。事実、蔡英文が動画を公表した10月30日とは、性的少数者によるアジア最大規模のパレードとして国内外から注目を集める台湾LGBTパレードの開催日であり、彼女の動画はおそらくはその狙いどおりに「LGBTの権利を支持する総統候補」として英語圏のマスメディアで肯定的にとりあげられたのである(日本のマスメディアは鈍感にも報道を怠ったが、「LGBTメディア」は英語圏と同様の肯定的な記事を掲載した)。

 

 

台湾の政治エリートと「LGBT」イシュー

 

ここで、ひとつの問題が立ちあがる。つまり、台湾では政治エリートによる「LGBTフレンドリー」の姿勢表明が総統選挙に向けたパフォーマンスとして機能している、という事実だ。後述するように、台湾では2000年代後半からキリスト教系の民間団体を中心とした反同性愛/LGBT運動(バックラッシュ)が急速に勢いを増し、支持を拡大しつつある。そうした状況にもかかわらず、総統や市長をはじめとする政治エリートは「LGBTフレンドリー」を積極的に表明してきたのである。

 

日本ではほとんど知られていないが、その先駆者が2008年から総統を務めた馬英九(国民党)であった。馬英九は1998年の台北市長就任直後、「LGBTの公民権獲得を支持する」ことを目的に「台北LGBTフェスティバル」(正式名称「台北LGBT公民運動」)を開催し、当時台頭しつつあったバックラッシュ勢力と対峙しながらも「LGBTフレンドリー」な姿勢を貫き、選挙戦のたびに強調してきた

 

また、馬英九の後を継いで台北市長に就任した郝龍斌(国民党)も現市長の柯文哲(無所属)も「LGBTフレンドリー」を公言している。さらに、2015年には「LGBTフレンドリー」な柯文哲台北市長や陳菊(民進党)高雄市長林佳龍(民進党)台中市長の施政下で、同性パートナーを婚姻関係と認めたパートナー登記が開始している。

 

以上のことから、台湾の政治エリートは政党の差異にかかわらず、「LGBTフレンドリー」の姿勢を積極的に打ち出してきたということができる。もちろん、台湾でも性的少数者の人口比率は日本と変わらずマイノリティであると考えられるため、政治エリートの選挙運動にとって「LGBTフレンドリー」の表明が直接的な利益をもたらすと期待することはできない。

 

それでは、台湾の政治エリートと「LGBT」イシューをめぐる関係をどのように考えればよいのだろうか。さらに、台湾の性的少数者運動は今回の選挙戦をどのように受けとめ、あるいは介入したのだろうか。本稿では、前者の問いに答えるために、民進党が2000年に政権を奪取した当時に掲げた「人権立国」政策に注目して議論を展開する。そして台湾の性的少数者運動の選挙戦への介入の歴史をふり返りながら、後者の問いを考察したい。

 

 

民進党政権による「人権立国」

 

民進党は、2000年の総統選挙において国民党による長期に及ぶ独裁政治体制を打破して政権を奪取し、「人権立国」を宣言した。その後、2008年までの与党時代に「中華民国をもって21世紀における人権のあらたな指標にする」べく、「人権外交」などの手法をとおしてさまざまな「人権」施策を展開した。

 

陳水扁総統(当時)は2000年5月20日の就任演説で次のように述べている。

 

21世紀到来前夜、台湾の人びとは民主選挙という手法をもちいて歴史的な政権交代を果たしました。……私たちは自由と民主こそが普遍的で不滅の価値観であり、人類が理性をもって追求すべき目標であることを、神聖なる選挙をとおして世界中に証明しました。……

 

2000年の台湾総統選挙の結果は、個人や政党の勝利ではなく、人民の勝利であり、民主の勝利であります。世界の注目を浴びるなか、私たちはともに(旧時代の)恐怖や威圧、抑圧を乗り越え、勇気をもって立ちあがりましょう!……

 

中華民国は国際社会において欠くべからず重要な役割を果たしていくことができるでしょう。つよく結ばれた交友国と実質外交を継続し、さまざまな国際的NGOにも積極的に参与しましょう。人道や経済協力や文化交流など多様な方法をもちいて積極的に国際的イシューに関与し、台湾の国際社会における生存空間を拡大し、国際社会に復帰しましょう

 

さらに、国際的な人権擁護にたいしても積極的な貢献を果たしましょう。中華民国は世界の人権潮流の外に身を置くことはできず、私たちは「世界人権宣言」、「市民及び政治的権利に関する国際規約」、さらにはウィーン世界人権会議における宣言と行動計画などを遵守し、中華民国をあらたに国際人権体制の枠組みに入れていきたいと考えます。

 

そのため、新政権は、立法院に「国際人権規約」の批准を要請し、それを国内法化し、正式な「台湾人権規約」にしたいと思います。私たちは、国連が長期にわたって進めてきた主張を実現するため、台湾に独立運営の「国家人権委員会」を設立し、さらに国際法律家委員会ならびにアムネスティ・インターナショナルという二つのすばらしい人権NGOを招聘し、わが国のさまざまな人権保護政策の実施に向けての協力を依頼し、中華民国をもって21世紀における人権のあらたな指標にしたいと願います(強調は筆者による)。

 

台湾では1947年から87年まで世界的にも最長とされる戒厳令体制にあり、2000年の政権交代まで約50年もの長期にわたって国民党政府による一党独裁体制が敷かれていた。戒厳令時代には反政府運動やデモ活動などは弾圧の対象とされ、上述の就任演説の前段で強調されたように、旧時代の「恐怖や威圧、抑圧」は当時の人びとにとってリアルな実感をもって受けとめられた。

 

性的少数者の観点から言えば、戒厳令時代には男性が髪の毛を長髪にしたりスカートを履いたりしたまま外出するだけで「善良風俗を乱した」という理由で警察に拘束されることもあった(何春蕤・丁乃菲・甯應斌・王蘋, 2008,「同性戀、跨性別、SM、婢妾」香港序文書室座談)。また、2000年代初頭まで警察による臨検は合法的職務とされ、ゲイ男性やレズビアン、かれらが集まるバーやハッテン場などはしばしば取り締まりの対象とされた。性的少数者にとって警察は「人民の擁護者であるどころか、むしろその人権を圧迫し、蹂躙してきた」といわれるゆえんである(賴鈺麟, 2013,「台灣性傾向歧視之現狀」『兩性平等教育 季刊NO.23』: 15-6)。

 

1986年に結成された民進党が挑戦したのは、国民党によるこのような権威体制であった。民進党は戒厳令の解除とともに爆発的に台頭した社会運動のエリートを自陣営に取り込みながら90年代をとおして勢力を拡大し、2000年に政権を奪取することに成功したのである。

 

こうして政権に就いた陳水扁総統の施政下で、「人権立国」のためのさまざまな施策が展開された。たとえば、2000年10月には総統府に人権諮問グループが設置され、70年代に女性運動を牽引した呂秀蓮副総統を主任委員とし、弁護士や法学者、専門家、アムネスティ・インターナショナル台湾総会秘書長など、約30名からなる委員会が結成された。2001年7月には「行政院人権保障推進チーム」が設置され、2002年には『国家人権政策報告書』が刊行された。同性愛者やトランスジェンダーの権利擁護はこの報告書においてはじめて国家の人権課題として包摂されたのである。

 

民進党政権による「人権立国」は、2008年の政権交代を受けてふたたび与党に返り咲いた馬英九率いる国民党政権にも引き継がれた。ひとつ例をあげるなら、2011年には国民党政権下で「女子差別撤廃条約施行法(CEADAW)」が公布されている。1979年に国連で採択されたCEADAWは日本では「女子差別撤廃条約」として1985年に採択されたが(国籍法の改正や男女雇用機会均等法を推進)、台湾では約30年の「時差」を経て国内法化されたのである。そして、この「時差」が、台湾政治における「LGBT」イシューの位置づけを考察する際に示唆を与えてくれるのである。

 

というのも、台湾は、中華人民共和国との国際社会における「ひとつの中国」のポジションをめぐる争いに敗れて1971年に国連を脱退した結果、長年にわたって国連を基軸とする「グローバル・フェミニズム」のネットワークから排除されてきた歴史をもつ。そのため、90年代以降の国連復帰運動の盛りあがりや民進党政権による「人権立国」への転換を受けて、はじめて国際規範の国内化(ローカル化)が実現したのである。

 

2007年に陳水扁総統(当時)はCEADAWの加入書に署名したものの、国連の潘基文事務総長によって加入を拒否され、その結果、CEADAWは2011年の馬英九政権下で国内法化されるという複雑な経緯があった。すなわち、CEADAWの国内法化の歴史から、台湾の性政治は国際社会における国民国家としての位置づけやナショナル・アイデンティティに大きく影響を受けていることがわかる(なお、約30年の「時差」を経て国内法化されたCEADAWは、トランスジェンダーの脱病理化運動の根拠として活用されるなど、興味深い活用事例が台湾ではみられる)。【次ページにつづく】

 

 

 

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