2016.02.24

シャーマニズムという名の感染病――グローバル化が進むモンゴルで起きている異変から

島村一平 文化人類学・モンゴル研究

国際 #モンゴル#シャーマニズム

今こそ訊こうじゃないか。(シャーマンの)精霊を呼んで道を訊ねようじゃねえか。
モンゴルの兄弟たちが、健康に暮らしていけるか訊こうじゃねえか。
我がモンゴルの全ての大地が大丈夫か、訊ねようじゃねえか。
借金や抑圧がなくなるかどうか、訊ねようじゃねえか。
大衆の貧困がどうなってるのか、泥棒はだれなのか、訊こうじゃねえか。
いねえよ。答えられる人間なんていねえよ。訊くのはやめな。
生前、賢くて人生に満足できなかった精霊を呼んで訊いてみろ!
(シャーマンよ)あなたは、政治家たちに訊くのはやめな!

(モンゴルのHip HopグループIce Top 「Am Asuuya(訊こうじゃねえか)」(2011)の歌詞より)

シャーマニズムという感染病?

「最近じゃ、どこの家に行ってもシャーマンがいる」

「うちの妹もシャーマンになったよ」

近年、こんな語りがモンゴル国の首都ウランバートルの市民たちの間で囁かれている。シャーマンはモンゴル語では「ボー」(女性の場合はオトガン)という。多くの場合「オンゴド」と呼ばれる精霊(多くは先祖霊)を憑依させる霊媒師のことを指す。また、シャーマンは、天や精霊のメッセージを伝える存在だと解釈されていることから、「オラーチ(メッセンジャーの意)」と呼ばれることも多い。

現在、モンゴルではそのシャーマンの数が劇的に増加している。現地メディアの情報によると、人口約300万人のモンゴル国において、その数は2~3万人に達していると言われている。シャーマンは首都ウランバートルを中心にエスニシティや年齢、ジェンダー、貧富に関わらず、日に日に増え続けている。驚くべきことに一般の人々のみならず、有名な俳優やミュージシャン、モデルといった人々から、果ては幾人かの国会議員にいたるまでシャーマンとなっている。こうした現象は、現地では「まるで感染病のようにシャーマンが増えている」と語られることも少なくない。

精霊となって語りかけるシャーマン ウランバートルにて2011年3月
精霊となって語りかけるシャーマン ウランバートルにて2011年3月

そのシャーマンたちの活動は、ときにはカルト宗教的ですらある。2010年の冬には、あるシャーマンが「今モンゴルで起きつつある干害を防ぐために18歳の少女の心臓が必要だ」と主張し物議をかもした。別のシャーマンは2011年の春に首都での大地震を予言し、それを信じた一部の市民が大挙して首都を脱出するという騒ぎも起きた。このシャーマンは「マヤ暦」に基づいて2012年12月23日に世界が滅びることを予言したが、その日が過ぎるまで「世界の滅亡」を信じる市民も少なくなかった。

また、あるシャーマンのイニシエーションにおいて師匠シャーマンが沸騰したアルコール蒸気の吸引を強要し、弟子が死にいたるという事件も起きた。また、高額なイニシエーション料金をとって師匠から弟子へ弟子から孫弟子へと次々シャーマンが生み出されていることから、マルチ商法ではないかという批判もある。

つまり、現代モンゴルにおいて、シャーマニズムは深刻な社会問題としてたちあらわれているのである。その一方で、現地の文化人類学者の“監修”の下、シャーマニズム情報誌が創刊され、ゴールデンタイムにシャーマニズムについての情報番組もテレビ放映されるなど、シャーマニズムは「モンゴルの伝統宗教」として社会的に認知されるようにもなっている。ここで問題なのは、モンゴルの人々自身も感染病のように広がるシャーマニズムの理由を図りかねているという点である。かれらがこんなにもシャーマニズムに傾倒する理由はいったい何なのだろうか。

「おまえは、ルーツにねだられている!」

そもそもチベット・モンゴル仏教が支配的な宗教であるモンゴルにおいて、仏教以前の“古い信仰”であるシャーマニズムが残っていたのは、フブスグル県のダルハド(人口約1万5千人)やヘンティ県・ドルノド県のブリヤート(人口約3万人)といった地方のマイノリティに限られていた。彼らは20世紀の社会主義による無神論を乗り越えて、密かにその信仰を維持してきた。そうした中、社会主義の終焉と同時にシャーマニズムがとりわけ活性化したのは、ドルノド県のブリヤート人たちの間においてであった。

ブリヤート人は、バイカル湖周辺地域に居住していたモンゴル系の集団である。20世紀初頭、彼らはロシア人による牧草地の収奪やロシア革命による混乱を避けて、集団で国境を越え、外モンゴル(現在のモンゴル国)や、旧満州(関東軍の支配地域)に移住、亡命を図った。しかしこうした移住行為が、スターリンによって、反革命的・日本のスパイだとされた。その結果、モンゴルに移住した男性人口のおよそ半分が逮捕されて銃殺刑に処されたのだった。翻って1990年代、社会主義が崩壊すると、彼らはこの1930年代の粛清(大虐殺)によって失われたエスニック・アイデンティティを取り戻すための装置としてシャーマニズムを選んだのである。

モンゴル国に住む多くのブリヤート人たちの間では、1930年代の血の粛清によって多くの男性を失った。その結果、外婚が密かに進み、現在ではロシア人やハルハ人、中国人などとの「エルリーズ(混血)」が多く含まれている。彼らは1990年代初頭の社会主義崩壊と急激な市場経済化による社会混乱の中、地域社会内部で「純血のブリヤート人ではない」とされ、魔女狩りのように差別や排除の対象となった。

こうした「混血」の人々の苦しみは、社会主義による宗教弾圧を生き延びた数少ないシャーマンたちによって、「ルーツにねだられている(偉大な先祖霊によってシャーマンになれと要求されている)」と解釈された。そこで混血の者たちは新たにシャーマンになることによって、偉大なブリヤート人のルーツを持つ「ブリヤート人」として、自らのエスニックなアイデンティティを取り戻していたのである。

ブリヤート・シャーマンの儀礼 2000年モンゴル国ドルノド県
ブリヤート・シャーマンの儀礼 2000年モンゴル国ドルノド県

こうしたブリヤート人たちの間で活性化したシャーマニズムは、2000年代中ごろから首都ウランバートルを中心に多くの地域に伝播しはじめた。ただし、現在多くの人々に「感染」しているのはブリヤートのシャーマニズムそのものではない。伝わったのは、個人に何らかの災厄が降りかかると「ルーツにねだられている」と解釈するブリヤート由来の説明様式(災因論)である。

シャーマンになった人々と話していると、本人の病気や交通事故、あるいは家族の病気などの災厄に対して、たいていの場合、病院に行って治療をしたり、平行して仏教寺院にいってラマに厄除けの読経をしてもらう。モンゴル仏教は、日本の神社が行うような厄除けの儀礼を行う。こうした厄除けの読経は、神道同様に料金表が出来上がっており、非常に形式的なものであるといえる。

とまれ、こうした努力にもかかわらず、状況が改善しない場合、あるいは新たに何か問題が起こってしまった場合、市民はシャーマンの元を訪ねるという選択を行う。このとき、直接シャーマンを人づてに探すパターンもあるが、シャーマン協会に問い合わせる場合も少なくない。中には自分の大学に所属する研究者の紹介でシャーマンに会い、シャーマンになるように薦められるというケースもある。そこで宣告されるわけである。

「おまえはルーツ(先祖霊)にねだられている。シャーマンにならないと死ぬぞ」と。

そもそもシャーマニズムは、世界中に見られる宗教現象である。一般的にいって、こうしたシャーマン成巫の契機は、巫病を伴う神秘的な体験によって超自然的存在からシャーマンになることを求められる「召命型」、特別な血筋で継承される「世襲型」、修行を通してシャーマン的な能力を身に着ける「修行型」の三つに大別される(佐々木 1984:20; 1992:249-272)。

これに対して、現代モンゴルにおいては、シャーマン成巫の契機が、従来のシャーマン研究の枠組みに収まらないといえよう。なぜなら現代モンゴルにおいて多くのシャーマンたちは、自らにふりかかった不幸や災いが、他者(別のシャーマン)によってシャーマンになる運命であると判断されてシャーマンになっているからである。言い換えるならば、災厄の説明原理がシャーマン成巫と直結している。こうした「災厄即シャーマン」という直結型の思考法が、モンゴルの感染するシャーマン現象の大きな特徴なのである。

現代のシャーマンは、当然にして氏族や村落共同体の運命を左右する呪術師でもなければ、何か特定の信者集団のために働く存在ではない。むしろ彼らは個人の苦悩の解決手段としてシャーマンとなっている。もちろん、シャーマンたちは師匠シャーマンを頂点とし複数の弟子シャーマンとその親族からなる集団を形成したりすることも少なくない。しかし、ひとたび「精霊のお告げ」が弟子シャーマンに下ると彼らは簡単に師匠と別れ、集団を飛び出して「個人営業者」となる。そういった意味においては、基本的にシャーマンたちは本人とごく一部の家族や友人のために活動するといってよい。

逆転する社会関係

とまれ、こうしたルーツ災因論がウランバートルに伝播した結果、病気や交通事故や仕事がうまくいかない、家庭内の不和といった悩みがあると、人々はほぼ自動的に「ルーツにねだられている」と発想し、シャーマンになる道を選択しているのである。

ウランバートルの市場にあるシャーマンの道具店
ウランバートルの市場にあるシャーマンの道具店

現在、新たにシャーマンとなった者たちは想像上の社会的地位を獲得することで、親族や信者から崇敬と畏怖の念を得ている。そして彼らに憑依してくる霊は、かつての「王侯貴族」や伝説上の英雄だとされることが多い。

例えば、30代の元ホテルマネージャーの女性Jの場合、自身に憑依してくるオンゴドがタイジ(清朝時代の王侯の爵位、旗長レベル)なのだという。そこで精霊はタイジの帽子と高価な男性用モンゴル靴、大理石製の嗅ぎタバコ入れを要求したのだという。こうした品物は家族や親戚が分担して購入することとなる。あるいは精霊が親族の中で特定の人物を指して、買わせるように指示する場合もある。彼女は以下のように語る。

「オンゴド(精霊)は尊敬されるのが大好きなのよ。とくにタイジであった精霊は大事にお茶や食べ物を出され、傅かれることを好むの。だから、トシェー(シャーマンに憑依する精霊の通訳)は重要。ちゃんと、精霊に敬意を表すことが出来ない人はだめ。あるとき、女性のシャーマンと二人で儀礼をやっていたら、精霊が入ってきて『人がいないな』と言ったのよ。彼は生前、貴族で多くの人に囲まれて生きていた人だからね」

もっと極端な例もある。20代の高卒の若者Qは、シャーマンとなることで「名誉教授」「博士」といった称号を名乗るようになった。彼は、両親が子供の頃に亡くなり、唯一の家族であった姉もなくなるという不幸を経験している。その後親戚の家に引き取られたが、病気のためにせっかく入った専門学校も中退した。そうした中で仕事も失い意気消沈していたが、ある日ダルハド族のシャーマンに出会い、シャーマンになる運命であることを告げられ、シャーマンとなったのである。現在、Qは30人近くの弟子シャーマンを束ねる頭領となっており、目上の者であろうと「おまえ(Chi)」と呼び捨てるほど尊大なふるまいをする人物なのだと聞いた。

そこで2011年春、そのQに会いにいった。玉座のような大きな椅子に深く腰掛けた彼は、初対面の私に対して「俺も博士だ。だが俺は、お前より上の教授なんだぞ」と名刺を投げ捨てるように渡した。そこには「国際シャーマニズム研究名誉教授、名誉博士」といった肩書が並べられていた。

そもそも「名誉教授」とは、一般的に大学を定年退職した後に贈られる称号である。「20代で名誉教授とは、すごいな」と思いながら話を聞いていると、シャーマニズム研究でアメリカR大学から「博士号」と「教授号」を取得したのだと自慢げに語る。そしてアカデミックガウンを羽織って撮影した写真を私に見せてくれた。そして「いいか。モンゴルのシャーマンは、世界で一番力があるのだ」と言うと、滔々とモンゴルのシャーマン自慢を滔々と語り始めた。

しかし彼の学位取得の記念写真の背景が自宅であることが不思議に思われた。そこでインターネットで調べてみたところ、そのR大学とは、金で学位を売るいわゆるディプロマ・ミル(学位捏造工場)であるとの情報がたくさん出てきたのだった。

逆転する家族関係

シャーマンになることで起こる社会関係の逆転現象は、家族内でも起こっている。すなわち一家の中にシャーマンが誕生すると、儀礼空間において親子関係や兄弟関係の年齢的な上下関係が逆転するのである。

例えば、仮に新しいシャーマンが若者だとしても、憑依してくる精霊が男性の場合ならば、「オウォー(おじい様)」と呼ばれる。女性が憑依してくる場合は、「ボーララー(おばあ様)」と呼ばれる。なぜなら、精霊たちはシャーマンの家族にとって、あくまで「ご先祖様」だからである。一方、「精霊」たちは、家族や親戚といった儀礼の参加者(精霊にとっては子孫)に対して、「バルチロード(幼子たちよ)」と呼びかけるのが一般である。

例えば、ウランバートルのスラムとして知られるゲル地区に住む30代の女性シャーマンTは、シャーマンとなったがゆえに実の両親から畏れられる存在となっている。ふだんの日常生活において、彼女は同居する両親に対して気を遣い、家事のほとんどをこなしている。ところがひとたびシャーマン儀礼がはじまり精霊が憑依するやいなや、彼女のふるまいは豹変したのである。

シャーマンとなった若い娘にかしづく両親
シャーマンとなった若い娘にかしづく両親

シャーマンの衣装を身に着けたT≒精霊はかしづく母親に対して、「おまえは、私のメッセンジャーである娘を無碍に扱った」といって、手にしたシャーマン・ドラムのばちと刀の柄で母親を殴打した。それに対して母親は抵抗するどころか「許してください、おばあ様」と平伏して謝っていた。

また、父親との不和に悩んでいた大学教授の息子がシャーマンとなることで、「偉大なシャーマン」であるとして父親にかしずかれるようになったという笑えない話もあった。

以上のようにシャーマニズムは、既存の社会関係の逆転を生み出している。しかし、それがゆえにシャーマンという存在を受け入れる人々の間では親族ネットワークが再構築される反面、受け入れない人々の間に関係性の断絶を生み出している。

現在、忙しいウランバートル市民たちの間では、かつての遊牧社会に見られた、親戚との日常的な交流は少なくなってきているといってよい。そうした中、近しい親族の中にシャーマンが誕生すると「おじい様が会いたい」と言っていると言われ、久しぶりに親戚が集まったといった話はよく聞かれる。そこで行われるシャーマンの儀礼は「まるで旧正月のようで楽しかった」と話す市民もいる。

しかしその一方で、親族の紐帯が分裂する場合もある。例えば、甥っ子(兄の息子)がシャーマンになったというある40代の男性(大学教員)は、むしろ兄の家族と関係が遠のいたのだという。彼は「赤ちゃんの頃からかわいがっていた甥っ子をなぜ「おじい様」として扱わなくてはならないのだ。私は甥っ子には会いたいが、『おじい様』には別に会いたくない」と話した。その結果、彼は兄の家にはあまり行かなくなったのだった。

ちなみにモンゴルでは、旧正月において一族の長老にお金を手渡す習慣がある。しかし、ひとたびシャーマン(=「おじい様」「おばあ様」)になるとその人物が仮に若者であっても、旧正月のような金銭の贈与が行われる。すなわち、シャーマニズムは従来の伝統的な年齢階梯による贈与のベクトルを逆転させているのである。こうした贈与ベクトルの逆転が伝統的な親族の紐帯に亀裂を生み出すのは、言うまでもないことである。

ある女子大生は、シャーマンになろうとした直前で家族の反対に会い、シャーマンになることを辞めている。彼女は、大学に入ってから学業がおろそかになり、バーやクラブに出入りするようになった。そうした中、兄が肝臓ガンとなった。それが自分の夜遊びによる不徳と関係しているのではないかと悩むようになった。そこで、大学の文化人類学の教授の薦めでシャーマンと会ったところ、自分の夜遊びも兄の病気もすべて、不幸の原因が「精霊にねだられている」からだと判断された。シャーマンのところに通い始めたが、病気の兄も含めて家族の猛反対にあい、家族関係が悪化した。数か月の後、結局彼女は家族の意見を受け入れて、シャーマンになることをやめたのだった。

家族の中からシャーマンが出ることを反対するのは、多額の費用がかかることも理由のひとつである。そもそも普通の市民が「おじい様」や「おばあ様」になるには、イニシエーションのために師匠シャーマンに多額の謝礼を払わなければいけない。また、シャーマン・ドラムや衣装、靴といった儀礼の道具を買いそろえるのに、200万~500万トゥグルク(約12万円から30万円)かかるといわれている。また、シャーマンに憑依する「おじい様」や「おばあ様」は、日常的に頻繁に家族や親戚に集まることを求める。そこでは、まるで旧正月のように祖父母と子供や孫が語り合う風景が展開される。その一方で「おじい様」や「おばあ様」は「幼子」たちに金品をねだるということも少なくない。

こうした現代モンゴルのシャーマニズムは、もはや伝統的な狩猟・牧畜社会を支える信仰形態ではないことは確かである。またイギリスの人類学者I.M.ルイスが唱えた、社会的に周縁の者がシャーマンになるという『周縁のカルト』といった概念でとらえきれない現象でもあろう。なぜなら、貧者や女性といった社会的弱者あるいは「周縁者」のみがシャーマンとなっているわけではないからだ。ウランバートルで立ち現れている現象は、むしろC.ハンフリーのいうような都市のコンテキストそのものでありながらもコンテキストを新たに創造するようなシャーマニズムのあり方であるといえよう[Humphrey 2002]。

グローバル化する競争社会とモンゴル人の「プライド」

現在モンゴルは、グローバル経済に巻き込まれることで経済成長を謳歌する一方で、拡大する貧富の差や大気汚染などの諸問題にあえいでいる。1992年の社会主義崩壊以降、急激な市場経済化によって社会経済が低迷・混乱した移行期を経験した。しかし2000年を前後して地下資源開発が本格化することによって、急速に経済発展をしはじめた。2011年にはGDP成長率が世界第一位の17.5%を記録した。こうした地下資源開発の多くは、グローバル企業の人と資金が流入することで成立しており、金や銅の埋蔵量において世界最大級といわれる南ゴビ県のオユートルゴイ鉱山も、英・豪系のグローバル企業リオ・ティント社が実質上の経営主体となっている。

その一方で、地下資源の利権に絡む政治家の腐敗が連日のように報道され、それに対する市民の不信感も最高潮に高まっている。さらにこうした急速な経済発展の裏側で貧富の格差の拡大が目立ってきている。首都ウランバートルでは、高級なタワーマンションや一戸建て邸宅に住み、新品のフェラーリやベンツ、ハマーといった高級車を乗り回す富裕層がいる一方で、明日のパンにも困るような貧困層も少なくない。

ここ数年はインフレ率が二桁で推移しており、物価は目に見える形で日に日に上昇している。また、首都の周縁のゲル地区と呼ばれるスラム街は拡大の一途を歩んでいる。そもそもゲル地区は、社会主義時代から存在したものである。しかし近年、地方から干害や寒害で家畜を失った遊牧民たちが、移動式住居ゲルを運んで移住してくることで拡大が進行している。

そうした中、現在のモンゴルでは、資本主義的価値観が急速に浸透する中、見栄えのする大型の自家用車や最新の携帯電話、高い社会的地位などを他者にひけらかすことによって、自らのプライドを満たそうとする傾向が非常に強くなっている。現代モンゴル社会は自らの象徴財や社会的地位を巡って常に他人と争う「プライド競争社会」であるといっても過言ではない。

ウランバートルの市民の会話に耳をそばだてていると「誰々がどんな高級車に乗っていた」とか、どんな「新しいスマートフォンを買ってみせつけられて自慢された」といった発話に出会うことが少なくない。

特に自動車は、携帯電話と並んで現代モンゴル人にとってのプライドを可視化する主要な象徴財であるといえる。現代モンゴル人は、少々燃費が悪くても大型の車に乗ることを誇りとする(注1)。ウランバートルにおいてもSUV系の大型車が多く、軽自動車はほとんど見かけられない(注2)。ウランバートル市の公共交通機関は、社会主義時代より路線バスとトロリーバスが中心であるが、市民の中には「公共交通機関は学生と貧しい人の乗り物」と理解する者も少なくなく、車を所有する者が公共交通機関を利用することはほとんどない。さらに「誰がどんな車に乗っているのか」という話題はウランバートル市民の間で強い関心の対象になっている。

(注1)こうした状況も最近では少し改善されている。2013年頃から燃費のいいトヨタのプリウスがウランバートルで多く見かけられるようになってきた。

(注2)モンゴル人が大型車を好む理由はウランバートル市を出ると舗装道路がほとんどないことにもよるが、古来より大きな体躯の見栄えの良い馬を持つことが遊牧民たちにとってのステイタスであったことも関係しているとも考えられる。

また、携帯電話にいたっては、高価な機種のみならず、電話番号までもが象徴財化している。具体的に言えば、取得した電話番号の頭数が99である番号は、インターネットにおいて100万トゥグルク単位の高額で取り引きされており、99番代の電話番号を持っているということ自体がひとつのステイタスとなっている。この9という数字は、モンゴルでは伝統的に最も吉兆な数字である。ある大学生によると「金持ちは悪い番号からかかってくると電話すら取らない」し、「若い女の子たちも出会った男たちの電話番号がいい番号かどうかを気にする」のだという。

学歴についても、現代モンゴルでは日本以上に学歴信仰が強く、大学名のみならず修士、博士といった学位が高ければ高いほど社会的地位は上昇する。さらに学位は外国、特にいわゆる先進国で取ればなおさら、その価値は上がる。アメリカやイギリス、日本の大学で博士号をとって帰れば、30代前半で即座に大学教授や政府高官に就任するといった例もよく耳にする。

こうした状況について、ある30代の女性会社社長は、「モンゴルで出世しようと思うなら、大学を出ているというだけでは全く不十分だ」と語る。本人は大卒であるが、大きな仕事を取ろうとしても、国の官僚たちやクライアントとなる大会社の社長たちは「修士ももっていないのか」と彼女を歯牙にもかけなかったのだという。そして彼女はこうつぶやいた。「早く外国で学位をとってこれ以上、プライドを汚されたくない」と。

こうしたプライドのことをモンゴル語で「ネル・トゥル」という。直訳すると「名前のポリティクス」という意味となる。まさに彼らは自らの「名誉」をかけてしのぎを削っているわけである。しかし、かれらのプライドの欲望が完全に満たされることは決してない。財産や社会的地位にのみプライドを見出す限りにおいては、際限なく「上には上がいる」からである。

とまれ、こうした競争に疲れ傷ついたかれらのプライドを癒してくれるのがシャーマニズムであった。たとえば、あるシャーマンに憑依してきた“先祖霊”は、妹が自慢げに持っていた高価なスマートフォンを「こんなものは本物のモンゴル人に必要ない」と破壊してみせることで溜飲を下げた。どうやら、シャーマンは韓国語通訳を職として比較的裕福な暮らしをしているこの妹を妬んでいたらしい。

また、ある女性歌手は売れなくなった頃から酒浸りとなったが、その後シャーマンへの道を歩み始めることで自尊心を取り戻した。シャーマンQが、「名誉博士」「教授」といった地位に必要以上にこだわるのも、こうした学歴信仰が背景にあると考えられる。そうした中、プライド競争社会であるウランバートルにおいて、シャーマンになることは、社会的地位を逆転させたり、象徴財を手に入れたりすることで、相対的に剥奪されたプライドを再獲得させる「力」として現前しているのである。

最近では、地下資源の開発が進む中、鉱山周辺地域においてもシャーマンの増殖が見られる。新たにシャーマンになっているのは、貧富の差が拡大する鉱山都市において鉱山の利権に預かれない貧しき者や、鉱山による環境汚染の被害にあっている者たちである[棚瀬・島村2015]。

シャーマニズムは、今もなお一刻一刻と人々に感染しつづけている。これに対してモンゴル政府は、国民が新規にシャーマンとなるのを規制することを検討しているという。しかし、問題はそこではないのは明らかであろう。なぜなら、感染するシャーマニズムは、急激な経済発展の陰で競争に喘ぐ人々の「苦悩のメタファー」に過ぎないのだから。冒頭に示したHIPHOPの歌詞は、そうした彼らの嘆きの声である。

※本稿は、拙著「シャーマニズムの新世紀―感染病のようにシャーマンが増え続けている理由」小長谷有紀・前川愛編『現代モンゴルを知るための50章』(明石書店、2014年)を大幅に改稿したものである

参考文献 

・Humphrey, Caroline 2002. The Unmaking of Soviet Life: Everyday economies after socialism. Ithaca and Cambridge: Cornell University Press.

・ルイス、I.M. 1985『エクスタシーの人類学』(平沼孝之訳)、東京:法政大学出版局。

・佐々木宏幹 1984『シャーマニズムの人類学』、東京:弘文堂。

1992『シャーマニズムの世界』、東京:講談社。

・島村一平 2009「ハイカルチャー化するサブカルチャー?:ポスト社会主義モンゴルにおけるポピュラー音楽とストリート文化」、関根康正(編)『ストリートの人類学(下)』国立民族学博物館調査報告81:431―461。

2011『増殖するシャーマン―モンゴル・ブリヤートのシャーマニズムとエスニシティ』、横浜:春風社。

2014「シャーマニズムの新世紀―感染病のようにシャーマンが増え続けている理由」小長谷有紀・前川愛編『現代モンゴルを知るための50章』明石書店、pp.280-285。

2015「感染するシャーマン‐現代モンゴルのシャーマニズムにおける逆転する社会関係、分裂する共同性、微分化するモラリティ」、藤本透子(編)『現代アジアの宗教-社会主義を経た地域を読む』、春風社、pp.187-244.

・棚瀬慈郎・島村一平(編) 2015『草原と鉱石:モンゴル・チベットにおける資源開発と環境問題』、明石書店。

プロフィール

島村一平文化人類学・モンゴル研究

滋賀県立大学人間文化学部准教授・博士(文学)。モンゴルのシャーマニズムをナショナリズムやエスニシティとの関連から研究してきた。その他の関心領域としては、ポピュラー音楽、現代におけるチンギスハーンを巡る言説や表象、鉱山開発による社会変容など。2013年度日本学術振興会賞、地域研究コンソーシアム賞、2014年度大同生命地域研究奨励賞をそれぞれ受賞。

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