テントの入口に響く声――南スーダンでみた誘拐、民族紛争、武装解除のもう一つの顔

シリーズ「等身大のアフリカ/最前線のアフリカ」では、マスメディアが伝えてこなかったアフリカ、とくに等身大の日常生活や最前線の現地情報を気鋭の研究者、 熟練のフィールドワーカーがお伝えします。今月は「最前線のアフリカ」です。

 

 

紛争地でのフィールドワーク

 

2010年から2013年にかけて、わたしは南スーダン共和国の村落部や都市部に暮らすヌエル(Nuer)と呼ばれる人びとの集落で、フィールドワークを行っていた。

 

パパッ…パパパパパパパパ……

紛争地近く、毎夜のように遠くから聞こえてくる乾いた銃声。日に日に大きく、激しくなってくるその音は、集落への襲撃が近いことを物語っていた。

 

「みてみて!ニャジャル(注)は大人のくせに銃が怖いんだってー!」

 

銃声が聞こえるやいなや、さっと自分の小さなテントに隠れてしまうわたしを見て、一緒に暮らしていた子供たちはよく笑い転げていた。

 

(注)筆者のヌエル名。ヌエル社会で暮らす外国人はヌエル語の名前を与えられることが多い。意味は「歩く少女(娘)」。

 

現代アフリカの紛争が近代化の産物であることが指摘されて久しい。資源獲得をめぐって台頭する複数の勢力、複雑化する紛争原因、国際社会の介入、宗教的背景・・・。こうした複雑な現実を、インターネットやテレビの報道はわかりやすく解説してくれる。しかしその一方で、こうしたメディアを通じてはなかなか伝わってこなかった紛争の側面がある。例えば、紛争の中を生きる「普通の人びと」の暮らしやものの見方、そして彼らがどのようにして自らを襲った困難な状況に向き合い、それを意味づけ、対処しようとしているのか。

 

確かに、このような側面を取り上げたところで、それが国際社会や国家が目標として掲げるような紛争解決や平和構築に直結するわけではないだろう。しかし、このようなアクターによる取り組みがなかなか実を結ばず、新たな対立や軋轢のもとになってきた状況を鑑みると、国際社会や国家と「普通の人びと」による現実認識のズレを明らかにする必要がある。

 

この観点から、ここではわたしが調査の中でみた紛争のもう一つの顔――なかでも誘拐、民族紛争、武装解除――とさまざまな勢力の間で奔走する人びとのものごとの捉え方や対処のわざを紹介したい。

 

なかには、日本で流通するアフリカの紛争に関する情報からは大きく外れるものや、モラルについて考えさせられる場面もあるかもしれない。これから描かれるのは、約19か月という短い調査期間中にわたしが得ることができたごく断片的な紛争の一場面であることをはじめに断っておきたい(注)。

 

(注)現代東アフリカ社会における紛争の動態や調査方法にかんしては、日本人研究者による長期のフィールドワークに基づいた微視的な分析が参考になる[e.g. 佐川2011、湖中2015、波佐間2015]。これらの著作から見えてくる現実は、いずれも既存のアフリカの紛争観に大きな問いを投げかけるものである。

 

 

調査地に向かう途中。見渡す限りのウシの「渋滞」。近年では、南スーダンの村落部では、ウシをはじめとする家畜をめぐる争いが凄惨化することも多い。(2011年11月筆者撮影)

調査地に向かう途中。見渡す限りのウシの「渋滞」。近年では、南スーダンの村落部では、ウシをはじめとする家畜をめぐる争いが凄惨化することも多い。(2011年11月筆者撮影)

南スーダンの村落部に転がる戦車。現在でも過去の内戦の爪痕は各地に残っている。(2013年1月筆者撮影)

南スーダンの村落部に転がる戦車。現在でも過去の内戦の爪痕は各地に残っている。(2013年1月筆者撮影)

 

 

悲願の独立達成とその後の紛争の勃発

 

東アフリカに位置する南スーダン共和国は、60年以上にもわたるスーダン内戦(1955-1972:第一次内戦、1983-2005:第二次内戦)の後、2011年7月、住民投票によって悲願であった独立を達成した。しかしその喜びもつかの間、独立直後から反政府勢力をはじめとするさまざまな勢力の間の武力衝突が相次いで生じた。

 

2013年12月以降、南スーダンの大統領と元副大統領の政治的対立とともに展開していった内戦は、大統領がディンカ(Dinka)という民族集団出身、元副大統領が冒頭のヌエル出身ということもあり、一部でディンカ対ヌエルという民族集団同士の対立というかたちをとるようになった。わたしが調査を行っているヌエルは、隣接する民族集団であるディンカに次ぎ、南スーダンで2番目に人口の多い民族集団であるとされている。

 

さまざまな規模で展開する紛争のうち、わたしが目の当たりにしたのは、特に2011年末から2012年にかけて南スーダンの村落部で凄惨化した家畜の収奪や女性・子供の誘拐をめぐる武力衝突と、2013年末に首都ジュバから各地へと広まっていった南スーダン内戦である(注)。

 

(注)ただし、いずれの調査も紛争発生により中断せざるを得なかった。2011年の紛争の際は、国際連合が手配したヘリコプターに乗って州都に緊急避難をした。わたしが村を脱出して3日も経たないうちに、その村の一部の集落は武装集団に襲撃され、300名余りが命を落とした。その後戦火は避難先の州都へも迫った。冒頭のエピソードはこの時のものである。南スーダン内戦が勃発した2013年末当時は、わたしは首都ジュバにいた。このときは在南スーダン日本大使館の助けもあり、チャーター機で隣国ウガンダに脱出することができた。

 

次からは、この中でわたしが垣間見ることのできた紛争のいくつかの側面を紹介しよう。

 

 

避難時にヘリコプターから撮影した襲撃前の南スーダン村落部の風景(2011年12月筆者撮影)。

避難時にヘリコプターから撮影した襲撃前の南スーダン村落部の風景(2011年12月筆者撮影)。

焼打ちにされる集落(2012年1月、写真提供South Sudan Bureau for Community Security and Armed Control)

焼打ちにされる集落(2012年1月、写真提供South Sudan Bureau for Community Security and Armed Control)

 

 

これも「誘拐」?

 

アフリカの紛争に関するニュースを聞いていると、女性・子供の誘拐やそれに伴う暴力・性暴力に関する報道が後を絶たない。しかし、わたしが目にした「誘拐」は、普段ニュースで耳にする誘拐とは異なる、少なくともわたしにとっては少々意外なものだった。

 

南スーダンの北東部に位置するジョングレイ州で2011年から12年にかけて発生した武力衝突では、家畜の略奪に伴う女性・子供の誘拐が深刻な問題とされ、またそれが紛争原因の一つともなっていた。

 

わたしのホームステイ先に、ニャディエン(仮名)と呼ばれる5、6歳くらいの女の子がいた。その家庭には、第一夫人、第二夫人とたくさんの子供たちがいたため、はじめ、わたしはニャディエンもそのなかの一人と考えていた。ニャディエンが、実は当時敵対していた民族集団の居住地から最近連れてこられた子供であることを知ったのは、わたしがその家に滞在しはじめてからしばらくたってからだった。なぜそれに気付かなかったのかというと、彼女は他の子供たちと一緒に遊びまわり、同じ食事をとって暮らすごく普通の子供に見えたからだ。

 

しかし、わたしのホスト・ファミリーのメンバーはニャディエンを「誘拐してきた」子供だとは決して言わなかった。彼らの説明によれば、ニャディエンはあくまでも「敵から取り戻してきた自分たちの子供」だというのだ。それより3年前、彼らは3歳になったばかりの自分たちの娘を「敵」に奪われた。彼らの考えでは、過去に奪われた自分たちの娘は6歳くらいになっているはずであり、それがニャディエンである可能性は極めて高いのだという。実際にはニャディエンがその娘とは限らないのだが、彼らの説明は全く言い訳じみておらず、淡々と事実を告げているように聞こえた。

 

南スーダンの農牧民・牧畜民の間で古くから行われてきた家畜、女性、子供の略奪や売買において、略奪された女性や子供は移住先の土地で男の妻や子供となる[エヴァンズ=プリチャード1978]。もともと血縁関係、つまり生物学的親子関係がさほど重視されないこの地域では、ニャディエンがそうであったように、こうした女性・子供も他の家族の成員と同様に扱われるのだという。

 

ニャディエンの様子を観察していると、ヌエル語の習得が他の子供たちに比べて遅れていることもあり、むしろ他の子供よりも大人たちに気にかけられているようですらあった。わたしとニャディエンは一緒にヌエル語を学んでいったが、すぐに彼女はわたしを追い抜いて流暢にしゃべれるようになってしまった。彼女は、翌年から新しい「兄弟」たちと一緒に、近くの小学校に通うのを楽しみにしていた。

 

当時、国際機関によって「誘拐」された女性や子供をもとの居住地へと返すという趣旨のプロジェクトが施行されていた。そんなプロジェクトを横目に、ニャディエンは「元の場所に帰るのはいや、ここ(にいるの)がいい」とそっとわたしに教えてくれた。

 

滞在中、似たような「誘拐」に関連する話もしばしば耳にした。こうした国際機関によるプロジェクトが進行する一方で、「現在(移住先)の夫の方が優しいし、前の夫よりも愛してしまった」、「誘拐先の方が(経済的に)豊かである」などの理由で「戻りたくない」と意思表明したり、誘拐先に戻ろうとしたりする女性がいるのだという。このような噂話がどこかから入ってくるたび、よくホームステイ先の婦人たちは「そういうことはよくあるのよね!」と笑いながら話していた。

 

もちろん、誘拐それ自体は正当化できない行為である。しかし、古くから家畜をめぐる襲撃とその報復攻撃が行われてきたこの地域では、このような現象は10年、100年単位の長期間に渡る問題として捉え直す必要があるかもしれない(注)。少なくとも、奪った側/奪われた側がはっきりしている短期的な事件を指す「誘拐」の一言では括りきれない側面があるのは確かである。

 

(注)ただし、たとえ家畜の略奪という古くから慣習的に行われている紛争であったとしても、過去のスーダン内戦中の小火器の流通や交通網・情報網の発達、そして民族集団関係の変化によって、襲撃の質自体が大きく様変わりしていることは考慮されるべきである。

 

 

新しい家族のもとで暮らすニャディエン(仮名)、その「弟」と筆者。(2012年12月撮影)

新しい家族のもとで暮らすニャディエン(仮名)、その「弟」と筆者。(2012年12月撮影)

 

 

「民族紛争」の脇で維持される絆――敵?それとも親しい隣人?

 

「誘拐」もそうだが、ある事象を理解しようとする際、わたしたちはそれを表現する言葉とそれにつきまとうイメージからなかなか自由になれない。アフリカの「民族紛争」と聞くと、わたしたちはなんとなく、民族Aと民族Bが対立している構図を思い浮かべる。しかし、このような二項対立的枠組みによってのみもたらされる理解は、しばしばより複雑な紛争の現実を覆い隠す。「民族紛争」の裏側では、こうしたものの見方では簡単にくくれないような、生き残るための人びとの戦略や葛藤が展開していることがある。

 

2013年末以降継続する内戦が一部でディンカとヌエルという2つの集団の間で「民族紛争」化したことは事実だが、それでもこの内戦を「民族紛争」や「部族対立」としてのみ理解するのは適切ではない。

 

ディンカとヌエルという隣接する2つの民族集団は、もともと言語や慣習などが似ており、両民族集団間での結婚も非常に多い。例えば、デュック(Duk)と呼ばれる両民族集団の境界地域に暮らす人びとは、「昼はディンカ語、夜はヌエル語を話す者たち」と表現されるほど、誰がどの集団に属しているのかわからない。というよりも、その違いは日常生活において問題にすらならない。こうした地域において、2つの民族集団は「困ったときはお互いさま」という相互扶助関係にある隣人・友人・親族同士である。

 

わたしのホームステイ先はヌエルの一家だったが、近隣住民はディンカ出身者しかいなかった。家にはしょっちゅうディンカの子供が出入りしていたし、日常的に調理道具の貸し借りなどが行われていた。わたしが滞在していた間、隣人同士のトラブルが全くなかったわけではないが、少なくとも、それらは相手が「ディンカだから」、「ヌエルだから」という理由での衝突ではなかった。【次ページにつづく】

 

 

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