2016.06.30
観光はアフリカを救うのか? 「ブッシュマン観光」をめぐる矛盾と希望
シリーズ「等身大のアフリカ/最前線のアフリカ」では、マスメディアが伝えてこなかったアフリカ、とくに等身大の日常生活や最前線の現地情報を気鋭の研究者、 熟練のフィールドワーカーがお伝えします。今月は「等身大のアフリカ」(協力:NPO法人アフリック・アフリカ)です。
万能薬としての観光
「2016年に訪れるべき国」として、旅行ガイドブックのロンリー・プラネット社が発表したランキングによれば、2 位の日本をおさえてトップになったのは、ボツワナである(Lonely Planet 2016)。「人生を変える経験にあふれた」「比類なき旅先」だというボツワナ。どこにある国だろう。日本ではあまり知られていないかもしれないが、南アフリカ共和国の北隣に位置する。「砂漠と湿地が特異に組み合わさった野生動物の宝庫」と謳われるとおり、まさにアフリカの大自然が満喫できる地だ。
紛争や貧困のイメージで語られがちなアフリカを旅行先に選ぶことに躊躇を覚えるだろうか。しかしアフリカのなかでも政情が多少なりとも安定し、経済成長とともにインフラが整い始めた地域を旅行する人々は、近年、確実に増えている。1985年にアフリカ諸国の国際観光客到着数の合計は1000万人を切っていたが、2010年代にはその5倍、5000万人前後を維持するようになった。そのなかでも、サハラ以南アフリカの占める割合は増加している。
世界規模で急成長する観光業に対する期待は、アフリカでも高まるばかりである。国連の一機関である世界観光機構が、2002年のヨハネスブルグ・サミットを契機に「観光開発を通じた貧困削減プロジェクト」を開始して以来(World Travel Organization 2016)、アフリカ諸国を含むいわゆる途上国において、観光が経済を潤わせ、社会の安定を導くという考え方が定着するようになった。
世界銀行がまとめたアフリカの観光に関する論集は、アフリカで観光業が盛んになれば、雇用促進、インフラ整備、国内消費の増加や輸出産品の多角化のみならず、国家イメージの向上、行政改革の促進、エンパワーメント、文化や自然の保護に至るまで、大きな効果があがると述べている(Christie et.al 2014)。一石二鳥どころの話ではない。観光は、アフリカが抱えるあらゆる問題を一挙に解決してくれる「万能薬」だという。
そのなかでも注目を集めているのが、住民参加型観光(community-based tourism)とよばれる観光形態である。アフリカでは長らく、観光といえば、外国資本の企業が進める野生動物観光がメインで、その地域に暮らす人々は「自然」の一部として鑑賞対象になる以外は、鑑賞用に囲われた「自然」から排除されてきた。しかし、近年、このような観光形態に対する批判が世界的に高まり、地域住民が主体的に関与する新たな観光形態を求める動きがみられるようになってきた。
一方、広くアフリカの政治経済状況を見渡せば、民主化や地方分権化が進み、住民の「参加」が地域開発において重視されると同時に、新自由主義的な経済が浸透するなかで、従来は注目されなかった自然や文化でさえ商品化される土壌も整った。
こうして、政治や経済の主流から排除されてきた遠隔地の少数民族であっても、彼らの文化や居住地域の自然を観光資源としてとらえなおし、住民参加型観光を主体的に担うことができるようになってきた。そしてそのことによって、国内の不平等の解消、少数民族の貧困削減やエンパワーメント、自然資源や文化遺産の持続的な保全などが進むことに、大きな期待が寄せられるようになったのである。
雄大な景色と野生動物。私たちにはなじみのないエキゾチックな文化をもつ人々。一度くらいは、そんな光景に身を置いて、未知の人々と交流してみたい。そんな旅を経験したら、まさに「人生が変わる」何かを得られるかもしれない。そう思う人も多いだろう。そのうえ、そんな旅行を楽しむことによって、アフリカの抱える多くの問題が解決するのなら、素晴らしいことだろう。それは、一方向的な資金援助やボランティアによる支援だけでなく、ビジネスを通じた問題解決を評価する昨今のアフリカ開発の潮流とも共鳴する。果たして観光はアフリカを救うのだろうか。
ブッシュマン観光ロッジの成立
「今日も、来たわね。」ハーケが、甘ったるい紅茶を注ぎながら、つぶやく。耳を澄ますと、トラックの低い音が、鳥の声に混じって、確かに聞こえた。アカシアのつくる木陰で過ごすのんびりした昼下がり。雨季が来る前にしあげなきゃと、ハーケたちの手で新しい草に葺き替えられたばかりの伝統的な家屋が十数個ほど立ち並ぶ。その向こうには、南部アフリカで「ブッシュ(藪)」と呼び習わされる原野が広がっている。ボツワナの地方によくあるブッシュマンの小集落のように見えるけれど、実はここ、「ブッシュマン観光」を目玉とするロッジに勤める従業員用の居住地である。
ブッシュマンとは、コイサン系の言語を話し、南部アフリカ一帯で狩猟採集生活を営んできた人々の総称である(注1)。総人口は10万人程度といわれており、その約半数がボツワナに、残りが隣国ナミビアや南アフリカに暮らす。いずれの国においても、もっとも周辺化されたマイノリティであり、最貧困層を形成している。彼らが使える土地や資源は、古くは近隣農牧民の侵入やヨーロッパによる植民地化、最近では自然保護区の設立や商業農場の拡大、鉱山開発などによって、どんどん縮小してきた。同時に、開発政策のもとで、定住化が推進され、狩猟採集から農耕や牧畜、あるいは賃金労働への移行も推奨されている。もはや年間を通して狩猟採集だけで暮らしているブッシュマンは皆無といってよい。
(注1)もともとヨーロッパ系入植者が見下した態度で名付けた蔑称だが、数十の言語グループに分かれる彼らに共通する自称がないこと、そして近年では、歴史的経緯を踏まえたうえでこの名称を積極的に使用する動きもあることから、さしあたってここでもブッシュマンという言葉を使うことにしたい。
ハーケたちの両親や祖父母もかつては、このロッジの位置する県都ハンツィから200キロメートルほど西方に広がるカラハリ砂漠で遊動的な狩猟採集生活を営んでいた。しかし、1990年代後半になって、その地域が自然保護区であることを理由に、保護区の外に設けられた再定住地への移転を余儀なくされた。当時、小学生だったハーケは、それ以来、故郷には帰れないままだ。
その再定住地で2000年から人類学的なフィールドワークを続けてきた私は、最近になって彼女たちがしばしば「ロッジ」という言葉を口にし、そこに出かけていく様子を目にするようになった。ロッジでは何が行われているのだろう、彼女たちは何を求めて行くのだろうか。そんなことが知りたくて、2015年から、私はここで住み込み調査をさせてもらうことにしたのだった。
トラックの音はさらに大きくなった。出勤時間だ。着慣れたTシャツを脱ぎ、野生動物の皮でつくった昔ながらの衣服に着替えたハーケたちが歩き出す。10分もしないうちに、トラックが見えてきた。最後の仕上げのときだ。帽子と靴を脱いだハーケがにやりと笑う。「さ、これでブッシュマンの完成よ!」トラックからは観光客がぞろぞろと降りてきた。
このロッジを訪れる観光客の大半は、荷台を座席に改造した大型トラックでやってくる。オーバーランドとよばれるこのツアーでは、20人前後の観光客が同じトラックに乗り、南アフリカのケープタウンからザンビアのビクトリアの滝までを結ぶ南部アフリカ観光の黄金ルートを旅する。比較的手ごろな値段で、野生動物や自然景観、さらには民族文化なども効率よく楽しめることが人気の理由らしい。
実は、このロッジの位置するハンツィが観光ルートに入るようになったのは、ごく最近のことだ。ボツワナには多くの国立公園があるが、1966年の独立後長らく、観光客はほとんど訪れなかった。20世紀の終わりも近くなり、急成長したダイアモンド産業に支えられて国内のインフラが整うとともに、近隣諸国の政情が落ち着いたことで、ようやく黄金ルートが完成したのだ。
隣国ナミビアの首都から、ボツワナ最大の観光地となったオカバンゴ湿原を結ぶ道のりの中間地点にあたるハンツィは、観光客が一泊するには、ちょうどいい。そしてハンツィの周辺地域には、映画や写真を通じて欧米社会によく知られていたブッシュマンが生活していた。こうして、安定的に観光客が見込めるようになって以降、この地に「ブッシュマン観光」に携わるロッジが誕生し、2015年の時点で少なくとも9軒が営業している。ハーケたちの働くロッジは、オーバーランドツアーを積極的に受け入れることで、ハイシーズンにはほぼ連日20~60人の観光客が見込めるようになった。
賞賛されるブッシュの知識
ロッジに到着した観光客は、さっそく「ブッシュ・ウォーク」に向かう。これは、ブッシュを歩きながらブッシュマンの持つ野生の動植物に関する知識を学ぶもので、焚火を囲んだ「トラディショナル・ダンス」に並んで、「ブッシュマン観光」の定番アクティビティである。このロッジでは、みんなで輪になって自己紹介をするところから始まる。観光客の大半がヨーロッパや北米から来ている。ロッジで働くようになって、行ったことのない国の名前をたくさん知ったハーケは、「白人はみんな同じような顔をしているけど、それぞれ違う言葉を話して、違う場所に住んでるのよ!」と先輩ぶって私に耳打ちした。
続いて、ブッシュを歩きながら、数多の植物のいくつかをとりあげ、頭痛に効くもの、どこまでも走れるもの、赤ちゃんに恵まれるものなどの薬草としての効能を、演技を交えて説明していく。この豊かな知識が日常生活で役立つ機会は、開発政策の進行とともに減りつつあるとはいえ、ひとたびブッシュに出ればハーケたちの口からはよどみなく出てくる。
砂の上に残った動物の足跡を見れば、その読み方が解説され、砂の奥深くから根茎を掘り出せば、これは水分補給用、これは皮なめしに…とその用途が次々と披露される。観光客は感嘆の声をあげ、大きなカメラを向ける。フィナーレを飾るのは、火おこしだ。乾いた二本の枝をこすり合わせて火がつくと、拍手喝采だ。ハーケたちと一緒に歩くと、乾いて退屈なブッシュが、多彩で生き生きとした大地に姿を変える。時代遅れで意味のないものだと言われ続けてきたブッシュの知識が、ここでは称賛の対象になる。
動植物の知識を披露するのは、4、5人のブッシュマンで、さらにそれを英語で解説するガイドが1人つく。ハーケは小学校までしか出ていないけれど、ガイド兼マネージャーをつとめる同郷のポソは、専門学校で観光学を学び、大手企業の運営するロッジで数年働いた経歴を持つ。観光客を喜ばせるにはどうしたらいいか、彼が考え、ときにハーケたちを指導もする。
解説のなかでは、観光客の興が覚めない程度に実にさりげなく、いつもこんな「伝統的な格好」をしているわけではないことや、むしろ昨今では狩猟採集生活を続けることがむつかしくなっていることにも触れる。もともとこのロッジを始めたのは、この地に代々暮らす白人農場主だったけれど、彼が亡き後、実質的にロッジの運営に携わり、再定住地のブッシュマン・コミュニティとロッジとを結ぶ役割を果たしているのは、ポソなどの新しい世代のブッシュマンのエリートだ。
ブッシュ・ウォークが終わると、写真撮影が始まった。ハーケたちにとっても、ここで観光客と交流し、その様子を観察するのは面白い。「一緒に写真を撮った女の子、肩に蝶々の刺青があったわ。刺青をするのは、私たちだけじゃないのね?」「あの髭の男性が、私の肩に手をまわして写真を撮ったとき、奥さんは嫉妬してたわよ!」と、後々まで大笑いのネタにもなる。この時間帯はチップの時間でもある。チップは平均すると1グループにつき合計200プラ(注2)程度だが、ときに大層気前のいい人もいる。また親しみを込めて、タバコやお菓子、あるいは自分が身に着けていた衣類やアクセサリーなどを渡す観光客もいる。
(注2)2015年当時1プラは約10円であった。
集まったチップは、月末にみんなで均等配分する取り決めになっている。ハーケたちは基本給750プラに加えて、このチップの取り分、そして宿泊施設の草葺きや清掃などに支払われる賃金を合わせると、おおよそ月額2000プラ程度を手にしている。これは、再定住地の工事現場などで働いて得られる賃金の2~3倍である。そのうえ、食べ物や日用品なども支給される。ポソのように、ガイド兼マネージャーを務めれば、給金はハーケたちのさらに倍以上になり、かなりの高給取りとなる。
ブッシュ・ウォークのあとは休憩をはさみ、夕食を済ませた観光客に、焚火のまわりでトラディショナル・ダンスを披露する。ブッシュマンになじみ深い野生動物をまねた踊りもあれば、病気を治療する儀礼のための歌声も響く。夜が更けると、一緒に踊りだす観光客もいた。再びチップを集め、写真撮影をし、夜道を歌いながら帰る。次の日また観光客を乗せたトラックの音が響くまで、しばらく休息の時間だ。
観光に専念しないこと
次の日の午前中。「あと一週間したら、私たちは再定住地に帰るのよ。」とハーケが嬉しそうにしていた。「ここで働いている人たちは、3ヶ月ごとに仕事を続けるか、やめるか決めるの。」再定住地にいるよりも高収入が得られ、新しいことを学べて、伝統的な知識や芸能が実践でき、それが評価される。貧困と伝統文化の否定という苦難に直面するアフリカの少数民族にとって、なるほど、観光は希望の光のようだ。それなのに、多くが、3ヶ月あるいは6ヶ月で喜んでやめていく。しかも、ポソによれば、この3ヶ月制度ができたのは、ほかでもない働き手の希望によるものだという。いったいなぜだろう。
世界観光機関から2003年に出版された調査報告書には、このロッジも事例として取り上げられているが、やはりブッシュマンが数ヶ月すると「疲れてやめてしまう」と記し、この問題を乗り越えるためのトレーニングが必要だと指摘している(World Tourism Organization 2003)。たしかに、せっかくのエンパワーメントも貧困削減も、3ヶ月やそこらでは意味がないだろう。継続的に仕事を続けていけば、ハーケだって、たとえばポソのように「キャリアアップ」したり、高給を得たりできるかもしれないのに。ところがそのポソでさえ、「ずっとここにいる気はない。」と明言する。
「雨の季節がくるのよ、畑を耕さなきゃ。木の実も実るのよ。」「親族の様子も見に行かなきゃ。」「同じところにずっといたら疲れちゃうじゃない!」ハーケと同時期に仕事をやめる予定の人たちに、ロッジを離れる理由を尋ねれば、返ってくる答えはいろいろだが、共通していることがある。それは、一つのことに専念することが正しいことだなんて、ちっとも思っていないところだ。
彼女たちは、観光業が自分たちのあずかり知らないものに大きく左右されることを理解している。そもそも、よその国の政情が変わったり、道路が整備されたりしたからといって、急にやって来るようになった観光客だ。いつ来なくなるともしれない。実際、ひとたびテロや感染症のニュースが流れれば、アフリカへの観光客数など一気に落ち込む。観光客は気まぐれなものだ。
実のところ、気まぐれなのは観光業だけでない。カラハリのような乾燥地では、たとえ雨季でも毎年違う場所に違う量の雨が降るし、降らなければ採集すべき植物の生育は見込めない。狩猟の対象となる野生動物は当然、こちらの都合などお構いなしに、現れたり消えたりする。
ブッシュマンは、この地での長い暮らしの末に、自分たちの生きる世界がなんにせよ自分たちでコントロールなどできないものであることも、そこでうまくやっていくやりかたをも熟知している。生活の糧を得るためにいくつかの選択肢を保持し続けること。そして状況に応じて、変わり身はやく、それらのあいだを行き来すること。さらに互いに助け合える関係を築いておくこと(丸山2016)。ロッジは、たくさんの選択肢のなかの一つに過ぎないのだ。
ブッシュマン観光の矛盾と希望
そんなことだから、ブッシュマンはいつまでも貧困状況から抜け出せないのだと思うだろうか。先の報告書が指摘したように、彼らはもっとまじめに観光業に取り組むべきだろうか。しかし、考えてもみてほしい。そもそも、ブッシュマンの直面している問題は、この世界の構造的な不平等や偏りが先鋭化して現れたものだ。変わらなければならないのは、その世界のほうではないのか。
再定住地の賃労働に比べれば高額な月額2000プラの収入だって、日本円にして2万円程度。20日間のオーバーランドツアーの値段はその10ヶ月分だ。薬草の知識にいくら感嘆したところで、近代医療のほうが病を確実に治すという信念を観光客が曲げることはないだろう。
ロッジ運営の多くがポソたちの手にゆだねられているとはいえ、結局のところ、オーナーはかつてブッシュマンを追い出した植民者の末裔で、その私有地のなかにロッジは位置している。一方のハーケの故郷は、観光客が野生動物鑑賞を楽しむ自然保護区となって、立ち入りさえ容易ではないが、そうした自然保護区こそが観光の中心で、ブッシュマン観光のためだけにボツワナを訪れる人などほとんど見込めない。
グローバルな価値の転換も経済的な格差の解消も簡単ではないばかりか、ブッシュマン観光は数多の矛盾の上にかろうじてたっている。そして、ブッシュマンはそのことをよくわかっている。
あるとき、ブッシュ・ウォークの最中に現れた野生動物を思わず追いかけた同僚を、ポソは諌めた。観光客が帰ったあとで「あの肉はうまいんだ」と彼は小さく笑って続けた。「みんなブッシュマンの知識を知りたいと言う。でも、ブッシュ・ウォークで、狩猟はしない。観光客は動物が死ぬところは見たがらないし、政府は自然保護に反するといって狩猟を禁じている。僕たちにとっての一番のごちそうは狩猟肉だ。でもそのことよりも、野生動物のほうが大事だと、みんな考えているんだ。」求められている「異文化」とて、結局は主流社会に適合する「お行儀のよい」ものだけなのだ。
それでも、ロッジにかかわろうとするブッシュマンは絶えない。ハーケたちが帰っても、入れ替わりに働きにくる人はたくさんいる。しかも、よく見れば、従業員の居住地には、正規に雇用されている人たちの親族や友人なども、なんとなく滞在している。雇用者は20人前後だが、ときにそれと同じくらいの人数がここを訪れ、何をするでもなく、くつろいでいたりする。
その姿は、アフリカの至るところでしばしば見かける、幹線道路の脇になんとなく座っていたり、道行く人とおしゃべりしてみたりする人たちにも重なる。あるとき、そんな道路脇の光景を見ながら「あの人たちは何をしているんでしょうねぇ」とつぶやいた私に、同行していたベテランのアフリカ研究者がこんなふうに答えたことがあった。「あれは、吉報を待ってるんですよ。」
いろいろな場所に通じる道路と同じく、あらゆる人が行き交う観光の場もまた、吉報を待つ場にふさわしいような気がする。吉報は、不確実性の高いアフリカではとりわけ、いつどこからやってくるかわからない。努力すれば届くとも限らなければ、それが吉報なのかどうかさえわからないこともある。でも待っていれば、なにか新しい展開が望めることだってあるのだ。
観光の場では、再定住地の日常ではあまりないような、思いがけない出会いが訪れる。その結果、例えば、見たこともない上等なジャケットや、日常では考えられないような多額のチップを観光客からもらうこともあれば、別の観光業者にダンサーとして引き抜かれることもある。あるいはロッジで出会ったブッシュマンどうし、ときには観光客や観光業者とさえ、新しい友情や恋愛が生まれることだってある。そして、そのどれもがまだ生じていなくても、そんなことが自分にも起きるかもしれないという気配がある。
ロッジは、そこで職を得た人にとっても、あるいは居候している人にとっても、単に儲かるかどうかにとどまらない、どこか吉報の匂いがするところなのではないか。あやふやで不確かだけど、何か楽しいこと、珍しいこと、面白いこと。そして、もしかしたら人生を変えるかもしれないこと。そういうものを期待しながら、ブッシュマンはロッジに集まってくる。そういえば、冒頭のロンリー・プラネットの記事も書いていた。観光客だって「人生を変える経験」を求めて旅を楽しむのだ。ブッシュマンがそうしてはいけない理由はないだろう。
国連は来年2017年を「開発のための持続可能な観光の国際年」に定めた。貧困削減や開発などの効果を観光に期待する声はますます高まるはずだ。どうかそれが、貧しいマイノリティにはもはや「伝統文化」しか売るものがないと言わんばかりの、そして、貧困から脱却したいなら与えられた枠組みのなかでまじめに働けと言わんばかりの、乱暴な議論に帰結しないでほしい。はっきり言おう。観光は万能薬ではないし、アフリカは観光さえうまくいけば救われるわけじゃない。むしろ、そのことをとっくに見透かしながら、国際機関の期待などどこ吹く風で、観光業と軽やかにつきあうハーケやポソたち。彼女たちのそんな姿こそが、アフリカの未来を見通すカギとなるはずだ。
参考文献
・Christie, Iain and others (2014) Tourism in Africa : Harnessing Tourism for Growth and Improved Livelihoods. Africa Development Forum;. Washington, DC: World Bank
・Lonely Planet (2016) “Best in travel 2016”
・World Tourism Organization (2003) Sustainable Development of Ecotourism: A Compilation of Good Practice in SMEs. World Tourism Organization, Madrid
・World Tourism Organization(2016 )“Tourism and Poverty Alleviation”
・丸山淳子(2016)「それぞれの『生きていくためのやり方』:現代のカラハリ狩 猟採集社会において働くということ」中谷文美・宇田川妙子編『仕事の人類学:労働 中心主義の向こうへ』世界思想社. pp.151‒176
プロフィール
丸山淳子
津田塾大学准教授。博士(地域研究)。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科研究指導認定退学後、日本学術振興会研究員、同研究科助教を経て現職。現在、科研費プロジェクトとして「アフリカの少数民族による文化/自然の観光資源化と「住民参加」の新展開 」を進めている。主著として『変化を生きぬくブッシュマン:開発政策と先住民運動のはざまで』(2010年世界思想社)編著としてAfrican Study Monographs Special Topic: Indigenous Identities and Ethnic Coexistence in Africa African Study Monographs 36-1(2015年 M. Pelicanと共編)NPO法人アフリック・アフリカ副代表理事。ブッシュマンに関するエッセイなどを執筆(http://afric-africa.vis.ne.jp/essay/botswana.htm)