”グローバル・ジハード”と旧ソ連地域のエスノナショナルなイスラーム主義:ISの出現による競合・統合・内紛・瓦解・再編

はじめに

 

読者の中にはシリアやイラクを論じる際に中央アジアやコーカサスを持ち出すこと、あるいは、そもそも旧ソ連研究者が「イスラーム国」(以下IS)を論じることを奇妙に感じる方もいるかもしれない。しかし実は、現在、旧ソ連地域の住民がシリアやイラクで無視できない役割を果たしているという状況がある。

 

例えば、Soufan Groupの報告(2015年)によれば、2014年から2015年にかけてISにおける旧ソ連地域出身の戦闘員の数は3倍に増加しており、出身国別で見るとロシア(2400人)は、チュニジア、サウジアラビアに続く3位となっている。また中央アジア諸国出身者を足すと、その数は4400人に膨らむ。

 

加えて、旧ソ連地域出身者は、近年主要国で発生した急進的イスラーム主義者によるテロにも関与している。具体的には、トルコのアタチュルク国際空港(2016年6月)及びナイトクラブにおけるテロ(2017年1月)、先のサンクトペテルブルクの地下鉄爆破テロ(2017年4月)、スウェーデンでのトラックによる殺傷テロ(同月)などが挙げられる。

 

このような事実を前にすると、これまで十分に注目されていなかった旧ソ連地域の急進的イスラーム勢力の動向を理解することは、現在のシリア情勢、あるいはISなどの「グローバル・ジハード」運動の趨勢を理解する上でも重要だと言えよう。本論は、まさにこのような視点を提供すること、すなわち旧ソ連地域という「イスラームの辺境」におけるエスノナショナル(土着的)な急進的イスラーム主義勢力を分析することで、中東という「イスラームの中心地」を起点とするISをめぐる問題を考察することを目的にしている。

 

ISと旧ソ連地域出身の義勇兵の関係を考察する際に、ごく一般的に観察される不安や懸念は、冒頭に挙げたテロに見られるように、ISのイデオロギーや動員手段が旧ソ連ムスリム地域に浸透することによってテロリストが生まれたり、この地域が不安定化したりするのではないかというものである。

 

他方で、本論がこのような疑問に対して提示する回答は、むしろ、こうした懸念とは逆のものである。すなわち、本論は、ISなどの「グローバル・ジハード」運動がむしろ旧ソ連地域の土着的な急進的イスラーム運動を分断し、内紛に向かわせ、その結果として組織の崩壊や再編を招いていることを明らかにする。筆者は、これまでにもISと旧ソ連地域の急進的イスラーム主義勢力のアンビバレントな関係(動員対象が競合し、潜在的な対立関係を抱えているものの、完全に距離を置くことが困難な関係)を明らかにしてきたが(注)、本論では、それらの議論を土台に、その後の展開も踏まえつつ論じる。

 

(注)富樫耕介(2015)「『コーカサス首長国』と『イスラーム国』:なぜ『チェチェン人』がシリアやイラクで戦っているのか」『中東研究』第522号、pp.72-85 −(2016)「ユーラシアにおけるエスノナショナルなイスラーム主義運動の凋落」『PRIME』第39号、pp. 15-31

 

以下では、ISが旧ソ連地域にどのように浸透し、なぜ土着的なイスラーム主義運動がISに忠誠を誓ったのかを明らかにする。本論は、旧ソ連地域の急進的イスラーム主義組織が、ISに忠誠を誓うことで劣勢にある自らの組織に対する支援を獲得しようとしたことを明らかにする。次にISに忠誠を誓った後の急進的イスラーム主義組織の実情を扱う。ここでは、期待していた支援は得られずに、むしろ内紛に起因する諸問題で一層窮地に追い込まれていることを明らかにする。

 

では、なぜISは、支援を提供しなかったのかだろうか。ここでは、ISという組織が支援の「出し手」ではなく、「受け手」であるという特徴を捉えた上で、人的資源の供給地として旧ソ連ムスリム地域への働きかけを強めていたことを明らかにする。最後に、ISに忠誠を誓う過程で生じた内紛によって旧ソ連地域の急進イスラーム主義組織はその勢力を減退させ、残存する勢力が組織再編の動きを見せていることに触れる。そして、今後の展望を論じる。

 

 

1.旧ソ連地域へのISの浸透:競合から統合へ

 

ISは、その誕生以来、アル=カーイダとも対立を厭わない最も過激かつ攻撃的な言動で、他地域の急進的イスラーム組織をも惹きつけてきた。これは旧ソ連地域の急進的なイスラーム主義運動についても同様で、中央アジアの中心的なイスラーム過激派武装勢力であるウズベキスタン・イスラーム運動(Islamic Movement of Uzbekistan:以下IMU)は、2014年10月にその頭領のウスマーン・ガッジ(あるいはガーズィー)がISへの忠誠を表明した。IMUは、翌年8月には自ら組織の解散を宣言、ISが創設を主張するホラサーン州に加わるとした。

 

またチェチェン独立運動に起源を持ち、2007年に創設されたコーカサス首長国(以下、首長国)は、2014年12月にダゲスタン司令部がISへの忠誠を表明すると、2015年6月には首長国の「全司令官の名の下に」再度ISへの忠誠を表明した。これを受けてISは、コーカサス地域に新たな州の創設を宣言した。このように中央アジアとコーカサスに基盤を持ち、武力闘争を継続してきたイスラーム主義運動は、ISに事実上、吸収されることになったのである。

 

両組織(表参照)は、ペレストロイカ期に組織の起源を持ち、旧ソ連地域の代表的な急進的イスラーム主義組織である。両組織共にカリフ制国家の樹立を掲げるものの、土着的な要素を有し、IMUは中央アジア、首長国はコーカサスという地域・文化的同質性を基盤とし、エスノナショナルな紐帯によって成り立っている(しかし、IMUの拠点は2000年代以降、中央アジアではなくアフガニスタンやパキスタンにある)。このような伝統のある組織がISに忠誠を誓ったことは、ISの旧ソ連地域における浸透を示す大きな出来事であった。

 

筆者は、両組織のISへの統合は、両組織が存亡の危機に晒されている中で、「生き残り戦略」として採られた側面が強いことを指摘してきた。すなわち、首長国においては、その勢力減退をテロ件数の減少、戦闘員の死傷者数増加、ロシア軍による指導部の相次ぐ殺害などから観察可能であり、IMUにおいてはそもそも組織基盤が元来脆弱で、今まで自組織を庇護してくれる様々な同盟相手と組み闘争を継続してきたが、パキスタンの拠点を失うことで組織存亡の危機に陥ったことから明らかにした。

 

 

首長国とIMUの比較

表:首長国とIMUの比較

出典:富樫(2016,p.17)より

*表は、両組織(あるいは、その司令官の大部分)がISに統合する以前の両組織の特徴をまとめたもの

 

 

このように両組織の勢力が減退していく過程では、シリア危機やISの出現も少なからぬ影響を与えた。すなわち、シリア内戦の発生でこれまでIMUや首長国を支援していたディアスポラ組織がシリアのイスラーム勢力の支援に注力することとなり、またISが世界中の衆目を集め、新たな「グローバル・ジハード」運動の旗手として台頭することで首長国やIMUがこれまで連携していたアル=カーイダの正統性が揺らいだのである。これらに加え、ISが展開する広報戦略、義勇兵に支給する金銭等の高い動員力によって、首長国やIMUは自らの組織が基盤を置く地域においてすら十分な人材や資源を確保することが困難になった。

 

こうして勢力を減退させる両組織の中では、闘争を継続し、動員資源を確保するために自組織を解体し、ISの傘下に加わるべきだと考える勢力が出現したのである。首長国では、それは反主流派勢力であり、首長国指導部(主流派)は独自路線を追求した。この結果、個々の司令官がISに忠誠を誓うという形態をとった。逆にIMUでは、ガッジをはじめとする指導部、すなわち主流派がISへの忠誠を誓い、IMUという組織そのものを解体した(なお主流派/反主流派という分類は、質的特徴(指導部か否か)に着目した便宜的用法であり、その勢力の量的特徴(多数派/少数派)を捉えたものではない)。

 

 

2.ISへの統合の結果得たもの:組織の内紛と分裂、瓦解

 

自らの生存を担保し、闘争を継続するために自組織を解体・分断するという矛盾に満ちた決断をした両組織であったが、忠誠を誓った結果生じたのは、ISからの支援の確保やISの支部であることによる動員資源の担保などではなく、組織分裂に付随した問題が顕在化するという事態であった。

 

すなわち北コーカサスでは、首長国の分裂という好機をロシアは逃さず、首長国指導部に対する徹底的な殲滅作戦を実施した。首長国は、指導部を除き主要な司令官のほとんどがISに忠誠を誓ったため、ロシア側の殲滅作戦に十分に抵抗をする能力も有していなかった。これによって首長国は壊滅的な被害を受け、現在、組織としてほぼ消滅したのではないかと見られている。何故ならば、首長国指導者(アミール)であるアリアスハブ・ケベコフ(別名:アリー・アブー・ムハンマド)とマゴメド(もしくはムハンマド)・スレイマノフ(別名:アブー・ウスマーン・ギムリンスキー)がそれぞれ2015年4月と8月に当局によって殺害されて以降、後任の指導者が一向に選出される気配はなく、首長国を名乗るテロも発生していないからである。

 

ISに忠誠を誓った元首長国反主流派も厳しい状況にある。彼らがISに忠誠を誓ったのは、2015年4月だが、実際にテロなどの武力闘争を開始できたのは、同年末になってからである。翌2016年は、ISが対露ジハードを正式に宣言した年であり、確かにデータを見ると、テロの発生件数も武力闘争による当局側の死傷者数も2015年比で、それぞれ2倍に増加している(Кавказский Узелのデータ。死者数はグラフを参照。テロの件数は2015年が11件に対して2016年は23件である)。しかし、比較対象の2015年とは、首長国が劣勢に追い込まれる中でテロやそれに伴う死者数が最も減少した年なのである。しかも、同年末にはボルトニコフ・ロシアFSB(連邦保安庁)長官がISに忠誠を誓った首長国の主要な司令官26人のうち既に20人を殺害したと発表しており、IS支持勢力も劣勢に追い込まれていると見られる。

 

 

北コーカサスにおける武力衝突に伴う死者数推移(2010-2016年)

図2

出典:Кавказский узелより筆者作成

 

 

主流派がISに忠誠を誓ったIMUもISによる支援によって組織や活動を立て直すどころか、ISに忠誠を誓った結果生じた内紛によって、壊滅的な被害を受けた。IMUは、もともと首長国と異なり盤石な組織基盤はなく、拠点も転々としており、その都度、連携や同盟の相手を変えてきた。このため、運動の方向性を巡り組織分裂を繰り返しており、IMUから派生した組織も多数ある。テロに関しても、最盛期には年間200件以上のテロを実行した首長国と異なり、IMUが実行したとされるテロは決して多くない。

 

このようにそもそもIMUは、単体の組織として活動するというよりも連携する組織の庇護下で武装闘争を展開していた。IMUがパキスタン軍の攻勢によってワジリスタンを敗走し、組織存亡の危機に瀕していた時、彼らをアフガニスタンで受け入れたのは、2000年代に米国とのアフガニスタン戦争をIMUと共に闘ったタリバーンやアル=カーイダであった。両組織は、「グローバル・ジハード」運動の旗手を巡ってISと対立していたが、IMUはそのような最中にISに忠誠を誓ったのである。

 

これにより、IMUはタリバーン側から苛烈な報復を受けることとなった。いわば、タリバーンは、IMUの「裏切り」に対して、処罰を下すことでガッジらとの関係を清算しようとした。すなわち、タリバーンは2015年末にISに忠誠を誓ったIMUの頭領ガッジとIMUの構成員をザーブル州で殺害し、ソーシャル・ネットワーク上で死体を公開したのである。これ以降、ISに忠誠を誓ったIMUの活動は表立って見られない。ウズベキスタンで誕生し、中央アジアで様々なテロに関与、アフガニスタンでは米国と対峙した著名なイスラーム過激派組織であるIMUは、皮肉なことに、かつて同じ理念を掲げ、共に闘ったタリバーンによって殲滅されたのである。

 

このように首長国やIMUは、ISに忠誠を誓うことで恩恵や利益を得るどころか、深刻な組織分裂や内紛が生じ、その勢力の大部分が殲滅させられるという状況が生じたのである。ではなぜISは、コーカサスや中央アジアのエスノナショナルなイスラーム主義勢力の忠誠表明に対して十分な支援で返答しなかったのであろうか。【次ページにつづく】

 

 

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