「アッラーを立法者とする法(シャリーア)」からヨーロッパ近代法への問い――ジハードをめぐって

シャリーアという言葉は耳馴れていなくても、ハラールやハラル[*1]という言葉を聞いたことのある人は多いのではなかろうか。

 

たとえばハラールツアー。近年、目覚ましく増大する東南アジア、特にインドネシアやマレーシアからのイスラーム教徒の観光客に対する、イスラーム教徒のためのおもてなしが盛り込まれている。あるいは、ハラールビジネス。旅行業のほか、イスラーム教徒およびそのマーケットへの輸出入なども含めた商売である。エスニック料理好きなら、インド・パキスタン系、アラブ系、あるいはトルコ系などのレストランの店先やメニューにハラールの言葉を目にすることもしばしばであろう。

 

ハラールとは、「合法」あるいは「許されている」といった意味で、その対義語は、「禁止」「禁忌」を意味する「ハラーム」である。食べ物では、豚肉とアルコールがハラームとして、よく知られているが、殺人や盗み、利子や親不孝などもハラームに数え上げられる。それでは、何を基準に「合法」や「禁止」が決まるのであろうか。究極的にそれは、アッラーの意志である。何がハラールで、何がハラームなのかは、アッラーが預言者ムハンマドを通じて信徒たちに下した啓示、人智を超えたところからの命令に基づいて決められる。より具体的に言えば、聖典クルアーンと預言者ムハンマドの言行(スンナ)を根拠に決められるのである。

 

なお、アッラーからの命令は、5つの段階に分類されるのが普通である。義務、奨励、許容、回避、禁止、つまり「やらなければならないこと」、「やった方がよいこと」、「どちらでもよいこと」、「やらない方がよいこと」、「やってはいけないこと」である。ハラールは、「許容」に、そしてハラームは「禁止」にあたる。

 

法と道徳、法と宗教を分けず、すべての社会規範がそうした5つの段階に整理されながら一つの体系をなしているのが、シャリーア、つまりイスラーム法であると言うこともできる。

 

 

「権利と義務」の体系のもとで「ハラールとハラーム」を生きる人びと

 

いわゆるヨーロッパ近代法が、「権利と義務」を軸に構成されているのに対し、イスラーム法は、「ハラールとハラーム」を軸に構成されているとみることができる。

 

イスラーム教徒が大多数を占めるインドネシアからセネガルに至るユーラシア大陸とアフリカ大陸の低中緯度地域であっても、サウジアラビアやイランなどを除き、たいていの場合は、国家制定法のレベルでは、西洋近代法的なルールに従いつつ、同時に社会のレベルではイスラーム法にも従っている。つまり「権利と義務」の法体系と「ハラールとハラーム」の法体系という2重の法規範の状況が現出している。イスラーム教徒がマジョリティを形成しない諸国に住むイスラーム教徒の場合、圧倒的に強力なそれぞれの国家制定法秩序あるいは、社会秩序に晒されていることは言うまでもない。

 

とは言いながらも、現在、全世界で16億人とも18億人ともされるイスラーム教徒たちは、もちろん程度の差はあるものの、イスラーム法を意識しながら、また実際に従いながら生きている。この「ハラールとハラーム」の法体系が、日々5回の礼拝、金曜日の合同礼拝、貧者への施し、ラマダーン月の斎戒などの「義務」の実践に支えられていることは重要である。

 

近代法では、信教の自由の領域として法が関与しないこれらの行為ではあるが、イスラーム法においてこれらは、アッラーとの関係を律する信仰にかかわる領域に属する義務となる。ここでは、人間同士の社会的な関係にかかわる領域と斉一的により大きな体系の下に収められている。この義務の実践に伴って共同体の中に形成されるセーフティネットがあればこそ「ハラールとハラーム」の法体系が維持されるのである。

 

 

「アッラーを立法者とする法」の誤解されやすい現実

 

このようにシャリーアとは、アッラーの命令に基づく法あるいはその体系であり、したがって、しばしば「アッラーを立法者とする法」とされる。「アッラーを立法者とする」と聞けば、そこでは、神の思し召しがすべてで、民衆の良心や意思が反映されることはなく、人々は一方的に苦難と忍耐を強いられ、自由が一切封印された法の世界を想起するかもしれない。そしてそれが、今日のイスラーム世界の惨状や停滞を説明してくれるかのように思うかもしれない。

 

たしかに、テロ行為によって罪のない人々を巻き添えにし、内戦によって信者が信者の生命と日常を奪うといったことの背後に、彼らの後進性、狂信性、硬直性、閉鎖性があり、したがってそういった性質がすべて彼らの行動をより広範に規定するイスラームや、その法であるシャリーアに起因し、イスラームこそ諸悪の根源のように思われがちである。しかしながら、聖典クルアーンに尋ねればテロ行為とは、必ずしも、破壊行為を意味しないし、そもそも信者同志が殺し合うことも禁じられている。正義と篤信のために協力し合えと教えられている者たちが、篤信を伴わない自分本位の正義のために人々を惨情と窮乏に追い込んでいるのが現状である。

 

つまり、こうしたハラームな現実を生み出しているのは、イスラームの教えやシャリーアそのものではなく、むしろそれらの命じるところの実践を忘れてしまったイスラーム教徒たちなのである。

 

この惨状をイスラームの教えの忠実な実践の結果としてはいけない。教えのレベルからみればこれらは明らかにハラームであり、実践の欠如の結末であると言える。だからこそイスラームの教えが何を求めているのかの究明は、この事態を克服していかなければならない信者たち自身にとって喫緊の課題であると同時に、イスラームの正しい理解のためにも不可欠なのである。

 

[*1]ハラール(الحلال)は、アラビヤ語の単語。マレー・インドネシア語では「ハラル(halal)」となる。

 

 

 

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