世界で一人しか知らない歴史が目の前にあった

なにかに夢中になって眠れなくなったことはありませんか。今回登場する武井先生は、歴史研究が楽しすぎて夜中に何度も目が覚め、出産数時間前まで研究をし続けたほど。学部選択に悩む高校生に、最先端の研究をお届けする「高校生のための教育入門」。歴史ってそんなに面白いの? ユダヤ史を研究する武井彩佳先生に、歴史を学ぶ楽しさについてお話を伺いました。(聞き手・構成/山本菜々子)

 

 

ホロコーストのモノとカネ

 

――武井先生は『ユダヤ人財産はだれのものか』をご執筆されるなど、ホロコーストの生命や身体だけではなく、カネとモノといったテーマを扱っていますよね。それはなぜでしょうか。

 

人間はイデオロギーだけで人を殺せないと考えたからです。

 

よく、ナチスの支配下で洗脳され、ホロコーストに至ったと考えられていますが、政治的な信念だけで人を殺せるのか。そこまで強固な信念や信条を持つ人はなかなかないでしょう。隣の人の持っている土地が欲しいとか、あの人の役職がうらやましいとか、日常的な欲望の方が迫害のコアになっているのではと考えました。

 

実際は、ホロコーストは史上最大の「強盗殺人」でしたが、その側面についてはあまり語られていません。

 

たとえば、迫害から逃れるために海外へ移住したユダヤ人は、家や土地を安く買いたたかれました。また、ウクライナやリトアニアの森や谷でユダヤ人が射殺されたときも、彼らの衣服や装飾品は奪われ、処刑者のポケットに入ったり、闇市に並ぶこともありました。さらに、強制収容所でも手荷物は即座に奪われ、髪の毛までもがフェルト用品として利用されました。

 

このように、強盗殺人であったにも関わらず、なかなかモノやカネの話にはスポットが当てられません。会社なり株なり家なり、いろんな形態の財産を持っていたはずなのに、所有者が消えてしまった。じゃあ、いったいどこに消えてしまったのか。誰に吸収されてしまったのか、そしてどのように返還されたのか、考えはじめたのがきっかけです。

 

 

武井彩佳先生

武井彩佳先生

 

 

どのように返還・補償されたか

 

――どのように略奪され吸収されていったのかは、『ユダヤ人財産はだれのものか』をぜひ読んでもらうとして、大量に奪われた財産はどのように返還・補償されていったのでしょうか。

 

大きく分けて3つの対応に分かれます。

 

まず、ドイツでは、基本的に財産は返還されました。戦後約50年をかけて、個人財産や公共財産、相続人がいない財産などの返還に取り組んできたんです。東ドイツについては冷戦後に西側と同じような手続きで進められてきましたので、ドイツに関してはユダヤ人の財産は吐き出されたと言えると思います。

 

西ヨーロッパ諸国では、所有者が生存している場合は、個人財産は基本的に返ってきました。しかし、返還請求をたてる親類縁者がいない場合、各国でその社会に吸収されてしまいました。ドイツと比較すると返還はかなり甘いですが、それでもある程度はなされたと言えるでしょう。

 

一方、ドイツに侵略されたのち共産圏に入ってしまった東欧の場合は、基本的に返還がなされていません。例外的に一部の公共財産のみが返されました。一部の墓地やシナゴーグ、共同体の事務所などです。たとえばポーランドは330万人のユダヤ人のうち、300万人が殺されましたので、大部分の財産が社会の中に吸収されてしまったと言えるでしょう。

 

 

――相続人がいない財産はどのように処分されたのですか?

 

英・米・仏の西側連合軍は、相続人不在の財産を原資にして、ナチ犠牲者に補償しようと考えていました。しかし、ナチ犠牲者には、ユダヤ人だけではなく、共産主義者や同性愛者などの人々も含まれます。

 

実際、相続人不在の財産のほとんどはユダヤ人のものでした。というのも、ユダヤ人以外のナチ犠牲者の場合、本人以外の親族まで殺害することがなかったからです。だから、彼らの財産には相続人が存在しました。結果的に、残ったのは、ユダヤ人の財産ということになります。

 

そこで、相続人がないものに関しては、「ユダヤ民族」という漠然とした集団が権利を持つことになりました。ユダヤ人は集団としてホロコーストのターゲットにされた以上、ユダヤ民族が相続人となるという、非常に集団的な考え方です。ユダヤ人の相続団体がその受け皿になりました。

 

 

――「ユダヤ人」のような民族を相続人にすることに、論争はあったのでしょうか。

 

当然のことながら、どうして個人の財産に対して、「ユダヤ民族」といった超越的な上位集団が権利を持ちうるのかという疑問はあります。国際法の常識からしても、前代未聞です。

 

ただ、当時はそういった思想的なレベルの話を超えて、現実にホロコーストで住むところも着るものもなくなってしまった人が沢山いました。とにかく、現状に対処する必要があったんです。したがって、亡くなっている方のお金は、同じような運命だったけれど、生き残った人たちに使うことになりました。

 

 

被害者が加害者に!?

 

――パレスチナ問題との関連性はどのようにとらえていますか。

 

それは難しいですね。ホロコーストのお金がすべてイスラエルの「軍事力の強化のためだけに使われた」というのはあまりにも単純化しているでしょう。実際、多くのお金はホロコーストの生存者のために使われています。

 

ですが、パレスチナ戦争で獲得した土地にプレハブ住宅を建てたり、軍事的に重要な国境地帯でドイツの返還財産の一部が使われたのもたしかです。

 

とはいえ、これは当然のことのように思います。これから国家として生き残っていこうというときに、軍事的に重要な土地に人間が足りておらず、他方で難民が多く流れてきているのであれば、そこに居住地をつくるのは合理的でしょう。

 

ホロコーストの生存者の援助という観点からは、彼らがそこで生活を再建できれば良いわけですから、彼らがパレスチナ紛争の駒として利用されたと一面的に言ってしまうのは難しいと思います。

 

そもそも、ホロコーストで亡くなったのはヨーロッパのユダヤ人であって、イスラエルとはあまり関係がないのでは、という見方がありますが、ユダヤ人の側からすると、亡くなった同胞の財産を新たに同胞の中心地になったイスラエルに動かすことになんの矛盾もありません。それを非ユダヤ人がみると、問題があるように見えることがある。

 

 

――よく、追い出されたユダヤ人が、パレスチナで追い出す側になって……という語られ方がありますが、そう簡単には言えないということですね。

 

特に日本では、「犠牲者が加害者に転化する」という見方が強いように感じます。ホロコースト被害者のユダヤ人が、イスラエルの建国によって今度はパレスチナ人に対する加害者になったと。そこには、道徳的な問いが含まれていないでしょうか。「つらい思いをしたひとが、なぜこんなことをしてしまうんだろう」と考えてしまう。

 

たぶんそれは事後的な見方で、そこに当時生きていた人々にとっては有効な問いではない、と歴史の研究者としては考えます。じゃあ、当時彼らに他の選択肢はあったのかと問えば、思い浮かばないんですよね。

 

 

――東欧のホロコーストで、殺された人たちの衣類や装飾品を取引する様子が、ご著書で紹介されていましたよね。単純に「なんで一般の人たちもこんなことをしてしまうんだ!」と憤りを感じて精神論的な問題にして分かった気持ちになってしまうなぁと、ちょっと反省しました。

 

東欧の現地の人たちが、殺されたユダヤ人の衣類をくすねたり、闇市で売りさばいたり、それを買う人たちもいるわけですが、現代の私たちの感覚からすると、「なんでこんなこと」と思いますよね。

 

でも、流通しているモノがほとんどない時代に、どういった背景のモノなのかみんな認識しているんだけれども、売り買いするのは仕方ないという感覚が当時では普通だったと思うんです。だから、現在の道徳的な問いは、その環境・その場においては有効ではないでしょうね。

 

ただ、当時の状況においてはすべて正当化しうると言っているわけではありません。現実に自分がその場にいたら、死者の財産の売買は特異な状況だと認識できるのか、考えさせられます。

 

それでも、居心地の悪さはあると思うんです。実際、戦後に東欧では財産の返還請求を恐れて、帰ってきたユダヤ人を殺してしまうケースがいくつかありました。そのうしろめたさは、戦後処理を停滞させた一因でしょう。

 

これは、現在のイスラエル・パレスチナ問題にも言えます。パレスチナ難民の帰還を認めたら財産返還要求が当然ながらでてきますから、それが出ないような強硬策を取っている部分があると思います。

 

 

きっかけは少女漫画?

 

――先生はどのような高校生でしたか?

 

すべての意味で悪夢みたいな高校生でしたね(笑)。

 

 

――悪夢(笑)。

 

先生にとっても家族にとっても。自分も半ば悪夢……。英語や歴史は好きな一方で、数学は全くできない学生でした。日本史は漢字があまり覚えられなかったので、カタカナの多い世界史の方が好きでしたね。

 

それと、マンガが好きで『ベルサイユの薔薇』などで有名な池田理代子さんの『オルフェウスの窓』や、『女帝エカテリーナ』をよく読んでいたのも世界史に興味をもったきっかけでした。

 

『オルフェウスの窓』は、ロシア革命を背景に、ドイツに亡命している革命家と、男性のふりをして生きている女性の愛の物語なのですが、背景のスケールの大きさに圧倒されました。これを読むと、革命前夜のヨーロッパの雰囲気がよく分かります。

 

『女帝エカテリーナ』の方は、ドイツの貧乏貴族の娘がのし上がり、ロシア最強の女帝となる話ですが、男性遍歴もすごくて、数えきれないほど若い愛人がいたことで有名な人です。後に何かの面接で、尊敬する人は誰かと聞かれ、エカテリーナと答えたところ、ドン引きされた覚えがあります。

 

大学では文学部に進み歴史を勉強しました。

 

 

――西洋史に決めたきっかけはなんだったのでしょうか。

 

1989年のソ連崩壊ですね。当時は大学1年生だったのですが、これまで世界を2分していた勢力の片方が一気になくなったのにショックを受けました。ソ連っていったいなんだったのかと思い、崩壊後のソ連をシベリア鉄道で極東から旅をしました。列車の旅なので一週間お風呂に入れなかったのはきつかったですね。列車のトイレがあまりにも汚くて恐ろしく、極力水分・食料を取らずにモスクワまでいきました。

 

ユダヤ人の歴史について学ぼうと思ったのは、このような大学時代の旅行がきっかけです。私の中で、ユダヤ人はホロコーストの被害者だという認識でした。しかし、ドイツに旅行にいってみると、ユダヤ教徒のシナゴーグがあって、ユダヤ人たちが生活をしている。ホロコーストのような凄惨な出来事がありながら、どうしてこの場所で生きているのだろう? そう思ったのがユダヤ人に興味をもったきっかけでした。

 

もともと、日本における在日朝鮮人など、マイノリティの歴史に興味があったのもあります。

 

 

ベルリン。雪のホロコースト記念碑。

ベルリン。雪のホロコースト記念碑。

 

 

――在日朝鮮人ではなく、ユダヤ人を研究しようと思ったのはなぜですか。

 

距離の遠さと、ホロコースト後のユダヤ史は、日本では未開拓な分野であったことが決め手でした。

 

ユダヤ人は基本的に日本から離れた場所に住んでいます。そのため、より客観的に研究することができると思いました。ドイツ人だとホロコーストの罪悪感があって言いたいことが言えません。ユダヤ人だと、イスラエルをめぐる政治的な状況もあるので、都合の悪いことは言わないことが多い。日本人の立場だとしがらみもないので、何を言っても見逃してもらえる部分はある。とはいえ、自分がいつも戻ってくる場所は日本の排外主義や、歴史認識の問題です。日本のマイノリティの状況と重ねてみています。【次ページにつづく】

 

 

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