紙切れや包装紙に詩を書いて――障害者の自己表現は自由でハッピーなのか?

2020年の東京パラリンピックを前にして、障害者アートに注目が集まっています。「世間の価値観にとらわれない自由な自己表現」が魅力だと言われる障害者アート。その歴史を紐解くと、社会の偏見を乗り越え、内面化しながら、表現せざるを得ない人々がいました。学部選択に悩む高校生に、最先端の学問をお届けする「高校生のための教養入門」。今回は、ハンセン病療養所で生まれた文学作品や、精神科病院のアート活動を研究している荒井裕樹先生にお話をうかがいました。(聞き手・構成/山本菜々子)

 

 

障害者が文化をつくっていく

 

――荒井先生のご専門はなんでしょうか。

 

「障害者文化論」と名乗っています。でも、こういった名前の講座が大学にあるわけではありません。「障害をもつ人が文学やアートを通じて自己表現することの意味」について考えてみたいと思っているのですが、既製の学問にはあてはまるものがないので、4年くらい前から勝手に名乗りました。

 

障害者のことを考える学問は、「医学」や「福祉学」が中心ですよね。多くの場合、「障害者に関わることを勉強したい」という人は、まず医学・看護学・福祉学に進みます。でも、障害者が生きるフィールドは医療や福祉の世界だけじゃありません。文化や芸術に関わることもたくさんあります。

 

病気や障害をもっていると、生き方が制限されたり、人生の選択肢が限定されたりすることがあります。でも、そういった逆境を逆手にとって、面白いことをやったり、新しいことをやったりする人がいる。その「人のエネルギー」みたいなものに注目したいので「障害〈者〉文化論」と、「者」という一字にこだわっています。

 

 

――障害をテーマにした文学作品を扱うというよりは、障害者が生みだした自己表現にスポットを当てているのですね。興味を持ったきっかけはなんですか?

 

もともとは学校の教師を目指していました。高校生のときに「神戸連続児童殺傷事件」が起きて、ものすごく衝撃を受けたんです。進学先を決める時も、少年法専門の弁護士になるか、学校現場の教師になるか、悩みに悩んで教師を選びました。教師の方が「子どもたちが生きる日々の現場」に近いと思ったからです。

 

ですが、学部在学中に自分は学校と言う空間が苦手なことに気がつきました。「みんなと同じ課題をやる」のとか、「課題のための課題」とか無理なんです(笑)。学校が苦手な先生なんて、船に弱い漁師みたいなもんです。

 

 

――それは致命的ですね(笑)。

 

自分自身も、学校に馴染めなかった子どもでしたね。勉強は苦手だったし、それ以上に嫌いでした。小学生の頃は夏休みの宿題を一度も提出したことがないし、国語や算数のドリルも一冊も終わらせたことがない。小さい頃はチックの症状が激しくて、それをからかわれたりしていたから、学校は苦痛でしかない場所でした。だから、そういった生徒の気持ちを推し量れる教員になれるんじゃないかって、一時は本気で思いましたけど、やっぱり苦手なものは苦手なんですよね(笑)。それで研究職に方向転換したんです。

 

もともと社会問題に興味があったのですが、国語の教師になるための訓練しかしていませんから、大学院では国文学研究室に入りました。入ったゼミナールの課題で、たまたま北條民雄(1914-1937)を扱うことになったんです。北條はハンセン病という病気を患っていて、隔離された療養所で小説を書いていました。興味本位で彼がいた療養所を訪ねたことが、研究者としてのはじまりです。

 

その療養所で山下道輔さん(1929-2014)という方に出会いました。山下さんはご自身ハンセン病を患って12歳で療養所に入った方です。患者たちが生きた歴史を伝えるために、療養所の中で「ハンセン病図書館」を切り盛りしていました。ハンセン病の研究をする人にとっては大変な有名人です。

 

その山下さんが「隔離の文化」という言い方をしていたんですよね。この病気の患者たちは、社会で壮絶な差別や迫害を受けてきている。そういった経験をもつ人たちが、療養所という限られた空間で何十年と生活を共にする。そうすると、療養所のなかで独特の人間関係や生活習慣や文化風習ができあがる。それが「隔離の文化」だと。その言葉が印象的で、そういった世界を突きつめて考えたいと思ったのが「障害者文化論」の原型です。

 

 

障害者の自己表現はハッピー?

 

――「隔離の文化」とはどういう意味なのでしょうか。

 

それがよくわかるハンセン病関連の資料をいくつかお見せします。これ、なんだかわかりますか? ハンセン病療養所の中で使われていたお金です。「園券(園内通用券)」と言います。むかしのハンセン病療養所では、患者が入所するとき日本銀行券をこの園券に替えさせられたんです。1952年まで使われました。

 

 

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――療養所なのに、お金が必要なんですか?

 

療養所といっても、みんな安静にしていたわけじゃなく、病気の軽い患者たちは園内で仕事をしたりしていました。その作業賃にも園券が使われていたんです。園内には店もありましたから、そういった買い物にも必要なんです。これは「拾銭(10銭)」と「五拾銭(50銭)」で、ブリキみたいな金属でできています。療養所や時代によって、園券にもいくつか種類があって、額の大きい紙幣もあります。

 

あと、患者の逃走を防止するためでもありました。だから、園券自体が患者たちの尊厳をひどく傷つけるものでもあったんです。

 

この園券が使われていた療養所では、2回「偽造事件」が起きた記録があります。これ、当時のことを覚えていた方から直接伺ったことがあるんですけど、園券を「遊園地の入場券」と偽って、外部の印刷所で「偽造」した患者がいたんだそうです。部屋の屋根裏に隠していたところ、職員に見つかって療養所内の監房に入れられてしまったようですが。したたかというか、なんというか……。

 

 

――……想像以上にパワフルですね。

 

むかしの療養所では患者への人権侵害も行われていたので、生活環境としてはひどいところだったと思います。でも、すべての患者たちが24時間365日ずっと泣いていたわけじゃない。患者同士の友情があり、愛情があり、したたかさがあり、それぞれの人生のドラマがあったんです。一色に染まらない患者像を丁寧に見ていくことが大切です。「個人」への興味関心って大事なんですよ。でないと、「どうしてこの人は療養所で生きなければならなかったのか」という、根本的な問題が見えてこない。

 

あと、これはなんだと思いますか?

 

 

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――着物をきていますね。「絵葉書」ということですが……、歌舞伎役者のポストカードが療養所の中で人気だったとか?

 

そう、歌舞伎ですけど、役者をやっているのは全員ハンセン病の患者です。東京にある多磨全生園という療養所には、むかし劇場があって、患者たちが歌舞伎座を作っていました。自分たちで娯楽を生みだしていたわけです。

 

娯楽のない時代でしたから、療養所の外からも人が来たという話を聞いたことがあります。記録を見ると、1回の興行の入場券が2000枚くらい刷られているので、かなり大きなイベントだったようですね。それが療養所の広報用の絵はがきになっているんです。

 

 

――隔離された世界から飛び出す可能性が、文化にはあったのですね。障害者文化論の視点から作品を見る上で重視しているのはどこですか。

 

「その人が生きるために必要な作品を、その人自身が生みだしていく」というエネルギーみたいなものに興味があります。あと、生みだされた作品が媒介になって、その人を取り巻く周囲との関係性が変化することがあるので、そういったところも興味があります。

 

いじめられていたり、差別されていたりする人は、自分を表現するのが難しいんですよね。痛いことや苦しいことは、そもそも言葉になりにくい。何十年と苦しい思いをしてきた人に、「どんなご苦労があったんですか? 手短にお話しください」って言っても無理です。

 

それから、弱い立場にいる人が被害を訴えると報復の危険があります。だから、声を挙げることが難しい。でも、だからこそ表現したいし、せずにいられない、ということがあります。

 

患者たちの表現への情熱は、ぼくたちの想像を超えるものがありました。1950年代になって、患者の生活を補助する慰安金が支給されるようになったんですけど、それを注ぎ込んで文芸同人誌をつくった人たちがいました。

 

「そんなことしてないで衣服や食事を整えろよ」と思う方もいるかもしれません。でも、「食べること」よりも「書くこと」に情熱を傾けた人たちがいたということですね。ちなみに、その雑誌をつくった人たちは、ずっと後に「らい予防法違憲国家賠償訴訟」(2001年原告勝訴)の中心的な人物になりました。

 

 

『おねがひします鉄砲を』

 

――「障害者アート」には、「世間の価値観に縛られない自由な自己表現」というイメージがありますが、本当のところはどうなのでしょうか。

 

そんなにハッピーなことばかりじゃないですね。「自由な自己表現」という言い方は、半分はあっていて、半分あってない、という感じです。

 

大学院を出てポストドクターをしていた時期に、精神科病院のアトリエのお手伝いをしていたんですけど、そこで知り合った男性からこんな話を聞きました。ずっと女の子の絵を描きたいと思っていた。でも我慢していた。精神科への入院歴も通院歴もある自分が女の子の絵を描いていたら、犯罪を起こすんじゃないかと警戒されたり、心配されたりするに決まっている。だから、描くのを我慢していたというのです。

 

弱い立場にある人の方が「自分は社会からどう見られているか?」を意識しなければならないことが多いんです。社会の「偏見」や「イメージ」を敏感に察知して、自主規制している人は、世間一般のイメージよりはるかに多いですね。

 

たとえば、むかしのハンセン病患者が書いた詩を紹介します。現在では適切な表現ではない言葉も出てきます。たとえば「癩病院」の「癩」というのは「ハンセン病」を意味する当時の呼称。「支那」も中国を意味する当時の言葉です。歴史的な資料であることを考慮して、そのまま紹介します。

 

鉄砲 鉄砲!

機関銃 機関銃!

ひとつみんなで血書の

嘆願書をださうぢやないか!

とんできた米鬼には

支那のヘロヘロ飛行機さんには

日本のどこへきても

日本人のゐるところなら

たとへ癩病院の上空までが

かたく守られてゐるといふことを

思ひしらせてやるために――

ダ ダダ ダツ ダダダ

鉄砲を下さい!

機関銃をおさげねがひたい!

鉄砲と機関銃をおねがひします!

どうか どうか

おねがひします鉄砲を!

(三井平吉『おねがひします鉄砲を』第6連)

 

この詩が発表されたのは1943年10月なので、アジア・太平洋戦争の真っ直中ですね。日本の戦況が苦しくなっているころです。当時、ハンセン病療養所では患者たちの文学作品を対象にしたコンペティションがあって、この詩もそれに応募されました。

 

はじめて読んだときは衝撃でしたね。だって、患者が「戦争に協力させてください!」と叫んでいるわけですから。

 

 

――うーん。あの空気に同調していたのかと複雑な気持ちになります。

 

戦争に行けなくて肩身のせまい思いをしていた患者たちが、どんな心理状態に置かれていたかが、なんとなく想像できる詩ですよね。

 

当時は、戦争に協力することや、国家に奉仕することが一番価値のあることだったわけです。でも、病人や障害者は働くことができないので、そういった価値観に満ちた社会では迫害される。

 

社会が極端な価値観に傾斜してしまうと、その価値観に沿った生き方ができない人が迫害される。迫害された人はそれ以上いじめられないために、なんとかその価値観を身につけて、それ以上迫害されないようにしようとする。そうすると、その偏った価値観がますます正当化されていく。

 

この詩は、そんな「負の連鎖」の行きつくところを表していると思います。コンペティションに応募されたものですから、「こういう詩を書けば、社会の人から認めてもらえる」という意識が働いていたはずです。

 

当時、「戦意高揚」のための文学作品は社会にあふれていました。でも、ハンセン病療養所は隔離施設だったので、いわば「隔絶」した場所です。そういった場所でさえ、こういった風潮に染まっていた、とも言えるし、隔絶した場所だからこそ、社会の価値観が凝縮したかたちで表れてしまうことがある、とも言えます。

 

 

――社会から隔絶されているからこそ、「自由な自己表現」ができるわけではないのか。表現と社会との関係について考えさせられますね。

 

そういえば、以前、あるハンセン病療養所で古老のお話を聞いていた時、療養所で行われた「徴兵検査(兵隊に適した身体をしているか確かめる検査)」の話を聞かせてくれました。もう認知症がすすんでしまっていて、何を聞いても「さぁ…どうだったですかねぇ…」という感じなんですけど、5分に1回くらいの頻度で急にキリっとした顔つきになって、「あなた、お若いようですけど「徴兵検査」知ってますか!?」って、はっきりした口調になるんです。

 

どうやら、その人は療養所で徴兵検査を受けたようで、その時の恐怖を語るわけです。「戦争に行かされる恐怖」じゃないですよ。「“戦争に行けない人間”=“国家に奉仕できない役立たず”という烙印を押される恐怖」です。それを何度も何度も繰り返すんです。

 

その恐怖がどのようなものだったのかは、いまのぼくたちにはわかりません。むしろわかるような社会にしてはいけないんです。そのためにも「その恐怖は、どうすれば現在の言葉に翻訳できるのか」ということを、文学畑のぼくは考えるわけです。【次ページにつづく】

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シノドス国際社会動向研究所

vol.220 特集:スティグマと支援

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・内田良「児童虐待におけるスティグマ――『2分の1成人式』を手がかりに考える」

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