2013.06.03

文系? それとも理系? いや真ん中系。 ―― 「科学史」とは何か

科学史家・隠岐さや香氏インタビュー

情報 #教養入門#科学史#アカデミー

「科学史」という学問を知っている高校生はどのくらいいるのでしょうか? 「科学」の「歴史」を扱う科学史は、決して知名度の高い分野ではないと思います。「いったい科学史ってどんな研究をしているんですか?」「科学だから理系科目? それとも歴史だから文系科目?」そんな疑問を、大学に入るまで「科学史」をご存じなく、また「理系と文系がわかれていること」に苦しめられてきたという科学史家・隠岐さや香先生にぶつけてきました。(聞き手・構成/金子昂)

理論の中身を直接研究する「学説の歴史」

―― 最初に隠岐先生のご専門である科学史はどのような研究をしているのかをお教えください。

社会学者の筒井淳也さんが「社会学はなにか」という質問に対して、「どう答えても他の社会学者から違うと言われてしまう」とお話になっていましたが(*)、科学史も同様で、ひとによって言うことが違うんですよね。例えば、わたしはフランス語圏の研究を行っていますが、英語圏とフランス語圏の研究者でも言うことが違います。ただ、おおまかに「学説の歴史」「思想の歴史」「制度の歴史」「文化の歴史」の4つにわけてお話をしたいと思います。

(*)わたしたちが生きる社会はどのように生まれたのか 計量社会学者・筒井淳也氏インタビュー https://synodos.jp/intro/352

もっとも基本的で、理系の方でもやられることの多い「学説の歴史」は、科学の内部の歴史とも言われていて、「万有引力の法則はどのように発見されたか」「ある理論は、他の理論をどのように生み出したのか」といった研究をします。

具体的なお話をするとわかりやすいと思うのですが、例えば地球の周りを太陽が周っていると考える天動説と太陽の周りを地球が周っていると考える地動説の歴史を知るために、コペルニクスやケプラー、ニュートンといった人物が、いつ、どんな発見をしていたのか、誰と誰がどんな論争をしていたのかなどを、さまざまな資料、それこそ手紙のやりとりレベルまでこと細かにみていくのが、学説の歴史です。

学説史は、次にお話する思想史と違って、当時の人々の宗教観や価値観をさほど考えずに、理論の中身を直接研究することができるので、理系の人にとっては一番わかりやすいようです。

宗教観や価値観を調べる「思想の歴史」

二つ目の「思想の歴史」は、科学の思想や哲学の歴史を研究する分野です。

コペルニクスが書いた『天体の回転について』には、「この本は、宇宙の本当の姿を語っているのではなく、計算の道具としてつじつまのあう理論を提示している」という趣旨の言い訳が書かれています。これはコペルニクスの友人である神学者のオジアンダーが書き足したと言われているのですが、どうしてオジアンダーがこのような文章を付け加えたのかというと、当時はキリスト教の考え方と違う地動説について書いた『天体の回転について』は、それだけで出版を禁止される恐れがあったために、「決して聖書に書かれている内容を否定するものではないよ」と言い訳しなくてはいけなかったんですね。

言い訳を書き足したオジアンダーはどんな思想をもっていたのか。当時はどんな宗教観があったのか。そしてコペルニクスは本当にオジアンダーが書いたように考えていたのかを知るために、史料を調べていく。そんな分野です。

社会のルールと科学の歴史「制度の歴史」

三つ目は「制度の歴史」。これは、科学についての制度や教育の歴史を研究する分野です。わたしの主な研究テーマでもあります。

「制度」と言われてもピンとこない高校生もいるでしょうから、最初に制度についてお話します。イメージしやすいように簡単に説明をすると、制度とは皆さんの社会生活を形作っている共通のルールだと思ってください。いまみなさんが通っている高校は、いったいいつからあったのでしょうか? またどうして高校はあるのか、なぜ科学や数学や世界史が教えられているのか。理系と文系にわけられているのはなぜか? どこかの時代で作られたルールがあり、それにあわせていろいろな組織や文化が出来ているわけです。そう考えると、「制度」をイメージしやすいと思います。

400年前には「科学者」という言葉はありませんでした。細かな話をすると、言語ごとの分析になりいろいろあるのですが、複雑なので割愛します(笑)。科学者がいなかったとなると、いまでいう「研究所」では、いったいどんな人が働いていたのでしょうか? またいつから科学者が職業になったのか。いまのように大学や国の機関が研究を行うようになったのはなぜか。制度の歴史ではこういった研究を行うんですね。

それからジェンダーの問題もこの分野ではよく扱います。昔は女の人が入れない学校も多くありました。少し科学史からズレて、当時の結婚制度やライフスタイルの問題など、別の問題に触れなければならないこともあります。女性に関する史料は集めるのが難しいために、他の領域も視野に入れながら研究をしなくてはいけないんですね。

―― 制度の歴史って、国が「この研究をしろ」「危険な研究はしてはいけない」といって設けたルールの歴史を研究するのかと思いました。

確かに研究内容へのコントロールもこの分野に入りますね。

例えば、ロシアやプロイセンにあったアカデミーは、王様が研究内容にかなり介入した例があるようです。アカデミーについてはあとでお話をしますが、いまでいう研究機関だと思ってください。とにかく当時のアカデミーは、誰を呼ぶかを王様が決めていたり、禁止されている研究もあり、必ずしも自由に研究できたわけではないんです。

実験の規制もありました。気球の開発が行われた18世紀のフランスでは、気球を飛ばすために許可を申請しなくてはいけませんでした。街中で勝手に気球を飛ばされてしまったら、いつ引火して落ちてくるかわからないので怖いですよね。

学説史についてお話したときに、科学の内部の歴史と言いましたが、制度の歴史は、科学の外部の歴史と言えると思います。「科学の社会史」と言った方がイメージしやすいかもしれません。ただ「社会史」という言葉は広すぎるので、「制度」という言葉を使っています。また、「外部」といっても先ほど言いましたように、制度が研究内容に影響を与えることもあるので、そういう場合は学説の歴史や思想の歴史ともつながってきます。

科学が巻き起こしたムーブメントの歴史「文化の歴史」

―― 最後が文化の歴史ですね。

はい、この分野は、集団の暗黙の決まりごとのようなものや、文学や映画、社会現象、場合によってはニセ科学・疑似科学の歴史も含めた、科学が巻き起こしたムーブメントの全体を扱います。「文化の歴史」は面白いのでわたしは好きなのですが、日本ではあまり研究者が多くないんですよね。

以前、戦前・戦時中の日本人が科学兵器にどんなイメージを持っていたか、少年雑誌に出てくる空想的な科学兵器などから調べた研究発表を聞いたことがあります。民衆のもつ科学のイメージは、当時行われていた科学者による研究をみるだけではわかりませんよね。学問的な意味では科学と言えないかもしれないけれど、「科学」と呼ばれるようなものをすくい取ることが科学の文化史の一つの側面だと思います。

あとはニセ科学・疑似科学と呼ばれる歴史研究も面白いんですよね。頭蓋骨の形で人格の傾向がわかるという、いまでは占いにしか見えないようなものが、「骨相学」という学問として大流行した時代があります。いまでもイギリスの床屋さんに、頭に地図のようなものが描かれた白い彫像が置かれていることもあるくらい流行していたんです。なぜこういった、ニセ科学・疑似科学が流行ったのかを研究するものこの分野ですね。それから、いまだとライトノベルにでてくる科学を研究するのも科学の文化史でしょう。まだ始まったばかりですが、今高校生の方が大学に入る頃には面白い結果が出てくるのではないかと期待してます。

―― 科学に関する歴史研究ならなんでもできるんですね。

そうですね。ただ科学史はつねにバラバラになる危険と隣り合わせなんです。

科学の思想の歴史は、当時の宗教観について考えるので、それは宗教学の領域だともいえるでしょう。先ほどもお話しましたが、制度の歴史も社会史と考えることができます。

科学史を研究しているわたしも、物理学の研究者より、18世紀の貴族文化を研究している人の方が話が通じやすいんです。科学史はそれだけ、文化研究や歴史、哲学などに吸い寄せられる危険がある学問なんですね。

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「科学史」は真ん中系

―― なるほど、お話を聞いていると、科学史は理系というよりは文系よりの学問なのかな? と思ったのですが、実際はどうなんでしょうか?

大学によって文系っぽい授業をしているところも理系っぽい授業をしているところもあるので、真ん中系なんだと思います(笑)。一般教養と言えるかもしれません。

だから「好奇心をもったら、気軽に勉強できるよ」と高校生には伝えたいです。ただ先生によって教える内容はだいぶ違うので気をつけてください。例えば理工系の大学では、さまざまな定理であったり、電磁誘導の歴史であったり、数学の方程式がさらっと展開されるような授業のほうが好まれるでしょうから、わたしのように制度の歴史を研究している者は授業がやりづらいかもしれませんね。

あと電気通信大学で授業をされている佐藤賢一さんは、江戸時代の数学を研究されているので、試験に江戸時代の図形問題を出されると聞きました(笑)。文系の方はきっと、そんな問題をみたら「ぎゃーっ!」ってなると思いますが、電通大ならそれが面白いんだって学生もたくさんいるんでしょう。

一方で、数式なんてみるのも嫌だけど、「科学ってなんだろう」、「科学と文化ってどんな繋がりがあるんだろう」、「宗教とどんな関係があるんだろう」といった疑問を持っている人にも科学史は面白いと思います。「ダーウィンの進化論が、人種差別や女性差別に影響があった可能性がある。ダーウィンの追随者が普及させた説が、文明の発展段階の話に繋がり、植民地主義を正当化した」といった話をすると、目をキラキラ輝かせる学生もいるんですよね。そんなのどうでもいいって人もいますが(笑)。

このように、文系理系のどちらからでも勉強ができるのが科学史なんです。

どうして理系と文系にわけられているんだろう?

―― 隠岐先生はどうして科学史の研究を始められたのでしょうか?

わたしは大学に入るまで科学史のことを知りませんでした。

もともと高校生のときに、文系に進むか理系に進むかずっと悩んでいました。物理が好きだったので理系に進みたかったんだけど、理系科目のテストを受けるとなぜか緊張してしまって問題が解けなくなっちゃうんです。テストが終わった後に問題を見返すと「なんであのとき解けなかったんだろう?」と思うんですけど……。テスト中に、なんらかの発作みたいなものが起きていたのかもしれません(笑)。それで不安になってしまって、高校二年生までいた理系のクラスから、文系のクラスに移ったんです。

大学もそのまま文系の学部に入りました。それでも、好きだった物理に対して未練たらたらで。当時、相対性理論についての授業が開設されていたので、担当の先生に「文系ですが授業を受けさせてください」と直接お願いをして、授業を受けたこともありました。理系と文系にわけられていなければ、こんな風に苦しまなくて済んだんじゃないか。どうして理系と文系にわけられてしまっているんだろう。その答えがわかるんじゃないか、自分を苦しめたものの正体がわかるのではないかと思って科学史に飛び込んだんです。

でも、結局その問題には取り組めませんでした。いまになってどうして取り組めなかったのかがわかってきたのですが、とにかく話が複雑すぎるんですよね。そもそも「文系」と「理系」という言葉がどういう意味なのか、言葉の問題を考えなくてはいけません。文系・理系という言葉は、それが実際には何を意味するのかを明確にするのが、意外と難しいんです。英語と日本語でもわけかたが同じではないし、フランス語でもまた違う。自然科学の歴史と比べると、いわゆる文系である社会科学・人文科学の歴史はまだわかってないことも多い。ですから、この問題は卒論で書けるようなものではないと思って。

社会構造の変化を科学アカデミーの歴史からみる

―― ぼくも数学と文学が好きな中高生だったので、なぜ理系と文系にわけられたのかすごく興味があります。いまはどのような研究をされているのでしょうか?

わたしは18世紀フランスの科学アカデミーについて研究をしています。もう少しわかりやすくお話をすると、「科学者」という職業が、いつどのように生まれ、社会の中で認められていったのかといった研究ですね。

現代の先進国といわれる国は、科学的な知識をもった専門家集団が、官僚機構や市民から選ばれた政治家と協力しながら社会を作っているところが土台になっていると思います。この原型は、18世紀につくられました。国家と科学の関係は、アカデミーの歴史を追うと見えてくる。そしてそれは職業としての「科学者」が生まれる歴史でもあるんです。

―― 基本的な質問で申し訳ないのですが、「アカデミー」ってなんでしょうか……?

簡単に説明することがとても難しいのですが、アカデミーとは、パトロンが才能のある画家や才人に「お金をあげるから好きなことをやっていいよ、そのかわりわたしが知りたいことがある場合は協力してね」といって保護した「お抱え子飼い学者集団」の発展したものだと思ってください。フランスにはいろいろなアカデミーがあって、科学以外に、画家や舞踏家、文筆家のためのアカデミーもありました。

科学アカデミーの場合、初めの頃は、退役軍人や自称自然哲学者などわけのわからない人たちも多くいたんですね。もちろん一部にはいまでも評価されている数学者もいました。それが100年くらい経つうちに、気がついたら、いなくてはならない集団になっていて、パリの公共事業に使われるようになっていった。

例えば橋を作ろうとしても、それまではどの専門家に聞くとは決まっておらず、近くにいた「橋の作り方を知っているよ」と主張する人に教えてもらったり、職人であったり、「数学もなにもできないけどもう何年も橋を作ってきた」という人に作ってもらっていたのに、徐々にアカデミーに所属する人が使われるようになったわけです。

その内に彼らは、専門家と呼ばれ、のちに科学者・研究者と呼ばれるような集団になる。つまりいまの科学者は、その集団の末裔ともいえるわけですね。このように、いつから専門家や科学者、研究者と呼ばれる人たちが、社会の中で重要な立ち位置を占めるようになったのか。その社会の構造の変化を、アカデミーを通じてみていこうという研究をわたしはしています。

当たり前と思っていた「科学」が違ったものに見えてくる

―― 科学史の面白さはどこにありますか?

いままで当たり前と思っていたことが、研究していくとひっくり返ってしまうことが多いところでしょうか。

ご存じないかと思いますが、「女の子は数学に向いていない」という言説が流行った時期がありました。わたしはその言説に苦しめられた世代の人間です。いったいどうして女子は数学に向いていないと考えられているのか。実際はどうなのか。そもそもなんで理系の大学に女子が少ないのか。科学史の研究を進めていくと、そもそも女性は大学に入れてもらえなかった時代があることを知る。そうやって歴史的な経緯を丁寧に解説してもらうと、「なるほどな」と納得できるようになるわけです。

あと、自然科学では数学を使うことがあたりまえとされることが多いのですが、3、400年前には、数学を前提としない自然科学の伝統があったんですよね。当たり前と思っていた科学像が、歴史を知ることで、違ったものに見えてくることは純粋な驚きや面白さもありますし、個人的には少し気持ちが楽になりました。

それから他の分野との繋がりも面白いです。わたしは科学史と別に、思想家のミシェル・フーコーの影響を強く受けている人間です。フーコーは、心を病んだ人がいるから精神病院が出来たのではなく、それまではなかった「精神の病」という概念が作り上げられていったことで精神病院が出来たのではないかと、ものごとを逆に考えました。

特にフーコーの生きた20世紀半ばには、ある人が正常なのか異常なのか、ということを科学が一方的に権威として決めてしまうような傾向がありました。それで彼は心理学や人類学、精神医学といった科学に不信感を抱いていたんですね。念のためつけくわえると、フーコーは、物理や数学は信頼していたので、反科学であったわけではありません。

科学史にふれて、「なるほど、確かに科学をそのように見ることもできるんだ」って思いました。物事から距離を置いた視点からみると、それまで自分を縛っていた価値観から自由になれたりします。そういった視点はいまでも社会をみるベースになっていますし、面白いと感じます。

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「役に立つ」ってどういうこと?

―― 最後に、高校生にメッセージをいただけますか?

そうですね、迷ったら一度、科学史をのぞいてみるといいよ、でしょうか。

道に迷って科学史にくる人って多いんですよ。わたしの同級生でも、陶芸家になった人もいたりして(笑)。大学をでてから医者になり直した人もいました。

本当は「社会にでたときにこんな風に役立つよ」なんて言えたらいいのかもしれませんが、わたしは社会に目が向かない人間で。物理も文学も好きなのに、理系と文系にわけられているせいで、わたしの知的好奇心が引き裂かれていましたし、ジェンダーの問題もありました。とにかくわたしにのしかかってくる社会が重くてたまらなかった。

むしろ科学史について「これって社会で何の役に立つの?」って疑問をもったらとりあえず来てほしいですね。科学史を勉強するうちに、そもそも、その問いかけ自体が、社会や時代、自分の使っている言語のあり方などに縛られたものなのかもしれないと思うようになったりします。

例えば、日本語の「役に立つ」は個人にとって実利的かどうかという意味で使われやすいですが、ラテン語の「役に立つこと」を意味するutilitasは、共同体のためという概念が入っているんですね。その意味では都市の共同生活を美しく豊かにする芸術や音楽も「役に立つ」わけです。つまりあなたが「これって何の役に立つの?」と日本語で問いかけたとき、すでに日本語という言語に考え方が縛られてしまっている可能性がある。

最近は、一生懸命、自分のやっていることが役に立つかを知りたがってる人が多いなって感じます。でも、その気持ちから少し距離を置いて、日本語の「役に立つ」が、どういう歴史的経緯を反映しているのか、考えると見えてくることもあります。

例えば学校教育における「科学」の扱われ方を考えてみましょう。日本では科学を技術と一緒に扱って、実利的に「役に立つ」もの、「実学」として捉える人が多いのだけど、それは19世紀に西洋諸国に追いつくために、産業や軍事にすぐに使える分野から力を入れて学んでいった歴史が影響しているようです。

そして、そういうやり方が成果を上げた部分はもちろんありますが、一方では「役に立つことをしなければ」という呪いのような強迫観念になったり、人々の視野を狭くしてしまったりしたところもあると思うんですね。

今もきっと、そんな「役に立つ」の呪いにかかっている人はたくさんいると思うんです。「役に立たないといわれているものが好きだけど、これでいいのかな」って思っている人は多い気がする。ですから「役に立つ」かを考えることに疲れたら、科学史をのぞいてみたらいいんじゃないかと思っています。もしかしたら、自分なりの答えが見つかるかもしれません。

科学史がわかる! 高校生のための3

インタビューで話し忘れたのですが、一般的に「科学」といった場合、「自然科学」(Natural Science)のことを指します。そして自然科学にはいろいろな分野があります。皆さんが高校で習っている物理、化学、生物、地学などというのはそれぞれ「自然科学」を構成する諸分野です。言い換えれば、「自然科学」は高校でいう「理科」のことです。

以下では科学史(自然科学史)の入門書ということで、なるべく自然科学のさまざまな分野を扱っている本にしぼりました。

両方とも、古代から現代までの科学の歴史について書かれた科学史の教科書です。大学の授業の雰囲気に一番近いかもしれません。

橋本氏の本は自然科学が哲学からはじまったということや、古代中国の天体観測の話や、魔術ブームと科学の関係など、世界のいろいろな地域や文化を通じて科学が今の姿になるまでの経緯がよくわかる本です。

中島氏の本は、科学と技術(モノ作り)の関係を多く扱っており、産業革命との関わりや、現代の環境問題についての記述が詳しくなっています。「科学とは何か」に興味がある人は橋本氏の本から、「科学は何をしてきたか」に興味がある人は中島氏の本から始めると良いでしょう。

英国BBCが放映した科学史ドキュメンタリー番組の内容ダイジェスト本。「宇宙」「物質」「生命」「エネルギー」「人体」「脳」というテーマ別に、科学がどのように歴史と関わってきたのかが美しい画像と共に語られています。科学が社会に引き起こした素晴らしい発明から悲惨な出来事までしっかり描かれていて、視野を広げてくれます。また脳神経科学、バイオテクノロジーなど、最近発展してきた新しい分野がカバーされているのが特徴です。ただし、順を追って科学の発展を理解するのには少し不向きかもしれません。雑学を仕入れて楽しみたい人向き。

科学史の有名なエピソードを紹介しながら、よくある誤解を解きほぐしていくための本です。というのも、科学の歴史は「えらい人がすごい発見をした歴史」のようになってしまうことが多く、その結果、いい加減に伝わって誤解されているエピソードが多いのです。「科学はヨーロッパから生まれたのか?」「コペルニクスは地動説を証明したのだろうか」などのテーマや、江戸時代の日本の話やコンピュータの歴史など、いくつかのトピックについて深く知ることが出来ます。読者層は高校の理科の先生や理系の大学生をターゲットにしていますが、本格的な科学史研究を知りたい人は読んで後悔しない本です。

他にも、もし分野ごとの詳しい歴史が知りたければ、「物理学史」「生物学史」「化学史」「天文学史」(または「地学史」)「数学史」「医学史」などをキーワードに検索してみてください。また、自然科学全般を扱った本としては、伊東俊太郎、中山茂、広重徹、村上陽一郎といった著者の本が古典として知られていて重要です。これらの著者については科学史家有賀暢迪氏もこのページ(URL: http://www.ariga-kagakushi.info/introduction/textbook.html)で初心者向けの本紹介を行っていますので、関心があれば是非ご覧ください。

(2013年3月14日 渋谷にて)

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プロフィール

隠岐さや香科学史家

東京都出身。東京大学大学院総合文化研究科博士課程満期退学。博士(学術)。フランスの社会科学高等研究院(EHESS)留学後、日本学術振興会特別研究員(PD)、東京大学特任研究員、玉川大学GCOE研究員を経て広島大学大学院総合科学研究科に所属。准教授。

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