2017.01.20

「社会調査」をやってみたいと思ったら――面白くてマネしたくなる『最強の社会調査入門』編著者に聞く

前田拓也×秋谷直矩×朴沙羅×木下衆

情報 #新刊インタビュー#最強の社会調査入門

2016年を象徴する「今年の単語」に、“post-truth”(ポスト真実)が選出された。客観的な事実がないがしろにされる時代――そんな中、豊富な体験談ともに、16人の社会学者が社会調査の極意を伝授した『最強の社会調査入門』(ナカニシヤ出版)が注目を集めている。地に足をつけながら社会を知るためにはどうしたらいいのか? 前田氏、秋谷氏、朴氏、木下氏、4人の編著者にお話をうかがった。(聞き手/山本菜々子)

「聞いてみる」「やってみる」「行ってみる」

――みなさんはどのようなことを研究されているのでしょうか?

前田 わたしは、「自立生活」という暮らしかたをしている身体障害者と、かれらの生活を日常的にアシストする介助者とのやりとりのなかから、障害者と健常者の関係性のありかたを検討してきました。その際の調査手法としては、具体的には、調査者であるわたし自身が実際に介助を「やってみる」という、参与観察と呼ばれる方法を採ってきました。

秋谷直矩さんは、日常生活での「移動場面」における相互行為秩序に注目して研究されています。たとえば、歩行時の身体管理の仕方や見知らぬ人への声のかけ方、立ち止まって他者と話すやり方などの行為にはそれぞれ、場面に合った「適切なやりかた」があります。それらに注目して、人びとの社会の理解の仕方をエスノメソドロジー・会話分析のアイディアをもちいて明らかにしようとしています。

朴沙羅さんは、在日外国人の移動の歴史について研究されています。とくに、ご自身のルーツでもある在日朝鮮人の、親戚をはじめとした人びとの「昔の話」を聞いて、集めて、その聞いた言葉がどういう状況に裏付けられていたかをさまざまな資料と照らし合わせながら検討するいったように、聞き取り・インタビューという方法を採ってこられました。

木下衆さんは、高齢者介護、とくに認知症患者の方への介護を中心に、調査を進めてこられました。認知症患者ご本人やそのご家族、介護・医療専門職の方々との間の相互行為の展開を、医療社会学的な観点から分析されています。いわゆるセルフヘルプグループの1つである「家族会」に参加して、その場でどのようなやりとりがなされているかをつぶさに記録し、検討する方法を採ってこられました。

このように、当然ながらわたしたち編者自身、なんらかのかたちで社会調査にかかわってきましたし、また、16人の執筆者全員が、社会調査、なかでもとくに「質的調査」をおこなってきたと言うことができます。

――『最強の社会調査入門』の副題には「これから質的調査をはじめる人のために」とあります。「質的調査」というのはどのようなものですか?

前田 これは社会学者自身もじつは渋々ながら使っている分類法だったりもするのですが、社会調査には、「量的調査」と「質的調査」があります。ものすごく簡単に言ってしまえば、「数字を使う」調査が量的調査、そして、 “それ以外” の、「数字を使わない」調査が質的調査だと、まずは考えてしまってよいです。

質的調査は、多くの場合、なにかを調べようと思ったときに、どこかしら具体的な「現場」に出かけていって、そこでだれかのはなしを聴いたり、自分の目で見て観察したり、自分の足で歩いてみたり……といった、いわゆる現地取材とか「フィールドワーク」とか呼ばれる営みが前提になっていることが多いですね。

質的調査、とくに「現場に出る」系の調査を、この本ではさしあたって、「聞いてみる」「やってみる」「行ってみる」というふうに分類しています。

まず、人にはなしを聞くこと、いわゆるインタビューという方法を採用するタイプの調査法を「聞いてみる」と分類してみました。まずは社会調査、「取材」と聞いてまっさきに思い浮かべるのがこの方法かもしれませんね。

近いところで言えば、自分の家族・親族にはなしを聞く場合もあれば、もちろん、自分の問題関心に適してそうな人をなんとか探してわざわざ聞きに行くこともあります。この本では、そうした、すでにある人間関係のなかでインタビュー相手を探す事例から、それまでの自分にとって知らない場所に踏み込んでいってインタビューを実施する事例まで、広く扱っています。

つぎに、関心の対象となる人びとの暮らす社会で、実際にかれらとおなじように暮らしたり働いたり過ごしたりすることで、その社会のことを知ろうとするタイプの調査法を「やってみる」としました。

たとえば、障害者介護やホステスの仕事がどんなものなのか知りたければ、調査する人自身が実際にその現場で働いてみるのが「手っ取り早い」し、その世界の「内側」から見ることができるようになるのではないか、という方法ですね。

そして、まずはそこへ行ってその場に身を置いてみることからはじめようとする調査法を「行ってみる」と分類してみました。とりあえずその場に「身を置いてみる」という方法。調査の方法としては、これがもっともシンプルなやりかたかもしれませんね。だれかに仲介してもらって、いままで足を踏み入れたことのない場所に迎え入れられることもあるでしょうし、すでに出入りしていて、見知っている場所に、あらためて「調査モード」で行ってみることだってあるでしょう。

もちろん、「話を聞く」ためにはしばしばその場に「行ってみる」ことが必要だったりするわけですし、「やってみる」ためにはまずは「行ってみる」ことからはじめる必要があるとも言えるわけですから、これらの営みを、厳密に切り分けることはできないのですが。

また、これらすべてについて、「◯◯してみる」という言いかたがなされていることからもわかるように、質的調査は、調査をとりあえずやりはじめてから、その後にすべきこと、考えるべきことを練っていくことができるという特徴もあります。質的調査は、「やりながら考えていく」ということが「あり」な方法なんですね。当初想定していた方法がうまくいかなかったので途中でやりかたを切り替えてみた、といった例も、この本のなかではいくつか取り上げられています。

数字を使った調査は、データの集めかたから分析までの手順があらかじめしっかりと決まっていますし、それを身につけさえすれば、基本的にはだれでもおなじように調査をおこなうことができるという強みがあります。けれど、「まずはじめてみる」までのハードルが高いですし、いったんはじめてしまうと後戻りができません。アンケート用紙は、いったん配ってしまえばもうどうすることもできませんからね。

このように、「いきなりはじめられる」、そして、「やりながら修正していくことができる」という意味で、質的調査は、「数字を使う」調査よりはハードルが低いかもしれません。けれど、そのハードルの低さが、そのまま「成果」の出しやすさ──論文やレポートといった、「書く」という着地点──を保証するわけではありません。それとはまたべつに、「どうすれば社会学になるのか」をしっかりおさえておく必要があります。この本は、むしろそこまでを視野に入れて社会調査を学ぶべきだという立場に立っています。

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調べるべき対象は日常のなかにある

――本の目次には「仕事/働き方を扱いたかったら」「身近な人を扱いたかったから」というような、タグがついていますね。大学生がテーマを選ぶ上で、おすすめの目のつけかたや、陥りがちなことなどあれば教えてください。

前田 先にも述べたように、質的調査は、フィールドワークに “でかけていくこと” がしばしば前提になっています。

でも、「行ってみた」はいいけれど、そこで “なにをやればいいのかわからない” ということが少なくないんですよね。最近では、大学でも、「座学」よりも「体験重視」型の教育として、「フィールドワーク」が積極的に用いられることが増えました。大学生の行動範囲や、接触できる人たちというのはたかが知れているわけですし、学校を出てしまえば、より一層固定された世間で生きていってしまう可能性が高まります。ですから、学生のうちに “でかけていく” 機会を積極的につくっていくこと自体は基本的によいことだとは思います。

一方で、「現場」に行ってカラダで感じればよいのだ! 理屈や知識なんて必要ない! まずは体験だ! などという、どこか根性論めいた物言いがまかり通ってしまいがちでもあることには注意が必要です。たしかに、「現場」に出ること自体はとてもたいせつですし、けっしてその価値を低く見積もってよいわけではないのですけれど、かといって、「体験」にだけ価値を置き過ぎる態度も、やはり考えものです。「現場」に行くことそれ自体になにか価値があるわけではないですよね。

ですから、どこに注目してなにを取り出そうとするのか、ということを、すぐにではないにせよ、いずれはっきりさせるつもりで「現場」に望まないことには、「ただそこにいる」ことに満足してしまってなにも見ていない、あるいは、ちゃんとなにかを見たことになっていない、ということが起こりえます。

また、しばしば陥りがちなこととして、たとえばわたしたちが、どこかへでかけていって、とりあえずなにかを調べようとすると、 “つい数を数えてしまう” んですよね。でも、現場に行っても、そこでやっていることが、何人いた、何個あった、何回起こった、といったふうに、「数を数える」ことだったら、それは量的調査ですらない、なんだか中途半端な調べものになってしまいます。

そこでわたしたちは、調べるべき対象はあくまでも、”自分たちの日常のなかにある” という視点を強調したいと思います。

なにか「どこかへわざわざ出かけていくこと」だけが社会調査だと思っていたり、自分の普段の暮らしとは縁遠ければ縁遠いほど高尚だとか社会的意義があるとか思ったりする必要はありません。

また、今までの自分にとって縁遠かった世界にあえて「行ってみる」ような調査を選んだとしても、「ふつうじゃないこと・もの・シチュエーションのなかで起こっているふつうのこと」に注目することが肝心です。

たとえば、空気が薄くなったり、風邪をひいて鼻が詰まったりしてはじめて、自分が呼吸していることに気づかされるように、その場にいるその人にとってなにがふつうなのか、ということには、ふつうじゃない状況になってはじめて気づくことができますよね。そんなふうに、”ふつうじゃないこと” を通して結果的にあらわれる “ふつう” や “あたりまえ”に照準をあわせることを意識してみてほしいです。

そういう意味でも、この本に「読んでみる」というカテゴリーが設けられていることはたいへん重要です。わたしたちは日々、さまざまな文字や映像を含めたテキストを読んで暮らしています。

しかしわたしたちは、どのようにしてそのテキストを「読めている」のか、なぜうまく「読める」のかというのは、考えてみれば不思議なことです。これもやはり、わたしたち自身の日常をフィールドにしながら「わたしたちがふつうにやっていること」に注目するという方法の1つであると言えます。

というわけで、この本は、「こんなことも社会調査なんだ」と「こんなことが社会学したことになるんだ」ということがわかってもらえるものになっているはずです。良くも悪くも、「ああ、肩肘張らなくてもこんなのでいいんだ」と思ってもらえればいいなと思いますね。

なにをもって「社会学」となるのか

――テーマが決まったとして、単純に「質的調査」と言っても、「聞く」「やる」「行く」「読む」と様々な方法がありますよね。どの方法をどんな基準で選べばいいのでしょうか?

朴 ううん、どうでしょう。まずテーマが決まって、次に調査方法を考えよう、なんてことは実際のところ、なかなか想像しづらいです。 この本に載っている人たちの調査方法は、どれも、テーマ(問題意識や興味・関心)と無関係ではありませんよね。

たとえば、私は、自分の親族に聞き取りをすることから調査をスタートさせていますし、東園子さんは、まずは自分自身が宝塚歌劇のファンであり、ご自身がすでに「好きなもの」「どっぷりと浸かっているもの」を対象に調査をされています。こんなふうに、すでにいま自分が置かれた状況を前提として、そこから調査を始める人もいます。

また、「ホステスの仕事」に関心をもち、調査のためにみずからホステスになってしまった松田さおりさんや、大阪は岸和田の「だんじり祭り」に関心をもち、実際に祭りに参加して地車をひいてみることにした有本尚央さん、「高齢者介護を担う家族」に関心をもち、「家族会」と呼ばれるセルフヘルプグループに参加することにした木下衆さんなどのように、興味のある場所や人を見つけ、一定程度目的をもってそこへ行く人もいます。

アルビノと呼ばれる遺伝性疾患の当事者である矢吹康夫さんは、ご自身が日本アルビニズムネットワーク(JAN)というコミュニティをつくった人です。このなかで、個人化され、社会的な文脈になかなか位置づけられてこなかった当事者の「あるある」を聞き取りました。このように、調査する場所や人のつながりを自分で作ってしまう人もいます。

あるいは、興味の対象を絞り込んでから、調査、とくに文字資料に特化した調査をすることもあるでしょう。牧野智和さんであれば、雑誌記事、ビジネス書、実用書。小宮友根さんであれば、公文書、とくに刑事裁判の判決文です。これを「読む」ことを通して、わたしたちがどんなふうにして社会を経験し、理解しているのかを読み解こうとします。

全員に共通しているのは、テーマと方法とが切り離されていないということです。何を知りたいかということと、どうやってそれを知ることができるのかということは、同じ1つのことではないかと思います。

もちろん、まず「方法」を先に決めてから、そのあとに「問い」を探すような状況も、もしかするとあり得るかもしれません。

インタビューしてみたい!でも何を? フィールドワークやってみたい!でもどこに? という状況ですね。大学で社会調査の実習をするときも、そうなるかもしれません。この本の場合ですと、平井秀幸さんの、刑務所での調査のケースが参考になるでしょう。国家施設である刑務所での調査は、矯正局の協力なしには実現できませんが、平井さんたちは、当局からの提案・リクエストによって、先に対象も方法もほぼ限定されているなかで調査をおこなう必要がありました。これは、たとえば大学生が、ゼミや実習のなかで調査をおこなう際に、教員のほうからフィールドや方法を限定され、なおかつグループで調査を実施する必要がある場合にも参考になると思います。

私自身も「インタビューしてみたい(してこないといけない)!でも誰に?何を?」という状態からテーマを探しました。私が一番困ったのは、自分が何を知りたいのかよくわからなかったことです。そういう時は「私はなぜこの対象を面白いと思うのだろう?」と考えると、自分の知りたいことが何なのかがわかりやすくなったような気がします。

ですので、私からの回答は「テーマと方法は同じものなので、テーマが見つかれば大体の場合に方法も見つかる。方法だけ見つかってテーマがわからない時は「私はこの対象(人・場所・物事・やり取り)の何に興味を惹かれているのだろう?」と考えるといいかもしれない、というものです。

――「ホステスをすること」から「会議で紙を配ること」まで、様々なテーマがあり、調査方法も多種多様です。なにをもって「社会学」になるのでしょうか? 共通しているものはなんですか?

秋谷 社会学はその名のとおり「社会」を研究対象とする学問分野です。しかし、「社会」という概念はたいへん多義的なものですから、「社会を研究対象とするのが社会学だよ」というだけでは十分に説明できているとは思われないでしょう。そこで、「秩序」と「規範」という2つのキーワードを用いて説明してみたいと思います。

まず「秩序」とはなにか。ここではさしあたって、「なにをすることが適切なのかを知っている状態」のことである、としましょう。ここで言う「適切」とは、「他人からとがめられないようなやりかた」とでもしておきましょうか。

一方で、わたしたち一人ひとりが「ここではこうするのが適切だ」「これはこう理解するのが適切だ」というふうに、自分が「適切」だと思っていることが、それ以外の人びとにもつねに同じように共有されているとはかぎりませんよね。

実際のところ、わたしたちの日常生活には、他者も自分と同じ「適切さ」の基準を持っているということを前提として振る舞った結果、どうにもギクシャクしてしまったり、にもかかわらず、その場その場でなんとかつじつま合わせをしようとしたり、ときにそれもうまくいかずトラブルになったり……といったことが無数にあるのではないでしょうか。

このような無数の他者との相互のやりとりをじっくり見ていくと、わたしと他者のあいだで「適切であること」とはどのようなことなのか、ということが立ち現れてくるわけです。これを「規範」と呼びます。そして、このような「規範」が成立している状態をもって、「秩序だっている」と言います。

では、元の質問に戻りましょう。なにをもって「社会学」となるのか。

それは、ここまでで述べたような「秩序」と「規範」の存在と、「わたしたちが実際に、あたりまえのようにやっていること」との結びつきを記述することを通して、そのありさまを明らかにすることだと言えます。

「秩序」と「規範」を見出しうる場面や状況は、それこそ人間が活動するところであればどこにでも見出しうるものです。それは、調査の対象になっている人たちにとっての「ふつう」がどんなものなのか、どんなふうに成り立っているのかに注目することによってそれが可能になることが多いです。

「会議の場で紙を配る」というおこないが、どんなふうであれば「いつもの感じ」にスムーズにいくのか、また、「いつもと違ってしまう」のか。あるいは、ホステスが、「男性客からのハラスメントをうまくあしらう」とき、どんなやりかたであれば「うまくいっている」のか。

このように、「会議で紙を配る」という極めてトリヴィアルなことと「ホステスとして働くこと」。一見かけ離れたシチュエーションではありながら、じつは、「秩序」と「規範」が成立している場面を見出すことができるという意味では共通しています。

このように、「秩序」と「規範」が見いだすことのできる場面や状況であればなんでも「社会学」になりうるのですから、結果的に、社会学が研究の「対象」とするものは、とてつもなく多様になります。このように、社会学研究の対象フィールドの多様さもあわせて示したいということも、本書を作る際の目的のひとつでした。

ちなみに、今は日本社会学会──日本国内でもっとも大きな社会学の学会だと言えます──の大会開催プログラムは、すぐにネットで見ることができます。ご関心あればぜひアクセスしてみてください。社会学者が実際に取り組んでいる問いや研究対象の幅広さが実感できるかと思います。

(編著者集合写真:左から木下氏、秋谷氏、前田氏、朴氏)
(編著者集合写真:左から木下氏、秋谷氏、前田氏、朴氏)

町に出るなら、この書を持って

――どのような人にこの本を読んで欲しいですか? おすすめの読み方はありますか?

木下 この本は、「ちゃんと社会調査がしたいけど、どうしたら良いのか分からなくなってしまった人」に読んで欲しいと思って作りました。ただ、そうした人だけでなく、「人文社会科学系の本が好きな読書家」にも、面白く読んでもらえる本だと思うんですよ。

この本の面白いところは、プロのフィールドワーカーたちが、自分達の仕事の進め方を振り返った、ある種のドキュメンタリーとして成立してる点にあります。この本には、学術論文ができるまで、調査が成功するまでのプロセスが書かれている。だけどそれって、できあがった論文には書かれない、これまでは秘密だった内容なんです。だから、集まってきた原稿を読んでいても、各章が読み物として、普通に面白いんですよ。

ただ、この本は面白いだけじゃありません。「ちゃんと社会調査がしたいけど、どうしたら良いのか分からなくなった」ときに、この本は誰よりも、力を貸してくれます。例えば、「こう進めていけば良いんじゃない?」と背中を押してくれたり、あるいは逆に「そっちに進むとヤバいぞ!」と踏みとどまらせてくれたり、そんな最強のパートナーになってくれるんです。私たちが分身してみなさんのところに飛んでいくことはできませんが、本なら増刷できますからね。

前田さんも言っていたように、質的調査って「いきなりはじめられる」分、はじめた後にどう進めばよいのか、迷ってしまうことが多いんですよ。そうなると、せっかく始めた調査が面白くなくなったり、自信がなくなったりする。だけどそういう状況って、ちょっとしたアドバイスで変わりうる。

だから私たちは、この本を読むときに「拾い読みのススメ」をしています。前田さんや朴さんも言っていたことですが、読者のみなさんには、困ったときに、関連しそうな箇所から読んでもらえれば良いと思っています。ちょっとしたことで、調査が面白くて良いものになり、自信が湧いてくる。

この本を調査のときに持って出てもらえれば、きっと助けてくれます。私たちはこれを、「町に出るなら、この書を持って」と表現しています。幸い、ソフトカバーだから片手で楽に持てるんですよ。だから、好きなときに、好きな場所で、好きな章から拾い読みして下さい。

それと読むときには、ぜひこの光り輝く表紙を見せびらかしながら読んでもらいたいと思っています。そうすれば周りの人は、「あ、この人には最強の味方がついているんだな」と思ってくれるはずです。

私たちはとにかく、色んな人にこの本を読んで、最強になって欲しいと思っています。だから、表紙もド派手にしたし、特設サイトを作って執筆陣の論文へのリンクも一覧にしました。そして、何らかの障害を理由に紙媒体の本を読みにくい方のために、ナカニシヤ出版初の試みとして、テキストデータ引換券もつけました。

この一冊の本を通じ、より多くの方が社会学の、特に質的調査の面白さと意義に触れていただけると、幸せです。なんてったって、最強の入門書ですから。

プロフィール

前田拓也社会学

神戸学院大学現代社会学部 教員。関西学院大学大学院社会学研究科。博士課程後期課程単位取得満期退学、博士(社会学)。専門は、福祉社会学、障害学。主著『介助現場の社会学──身体障害者の自立生活と介助者のリアリティ』(生活書院、2009年)編著『最強の社会調査入門』(ナカニシヤ出版、2016)

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朴沙羅社会学

神戸大学国際文化学部講師。京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。専門は、移民・エスニシティ研究。ポルテッリ『オーラルヒストリーとは何か』(翻訳、水声社、2016年)、ほか。

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秋谷直矩社会学

山口大学国際総合科学部助教。埼玉大学大学院理工学研究科理工学専攻博士後期課程修了。専門は、エスノメソドロジー・会話分析。『ワークプレイス・スタディーズ――働くことのエスノメソドロジー』(編著、ハーベスト社、近刊)、『フィールドワークと映像実践――研究のためのビデオ撮影入門』(共著、ハーベスト社、2013年)、ほか。

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木下衆 社会学

 

日本学術振興会特別研究員(PD)。京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。専門は、医療社会学。『方法としての構築主義』(分担執筆、勁草書房、2013年)、『研究道――学的研究の道案内』(分担執筆、東信堂、2013年)、ほか。

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