「もやもや」を大事に――災害から参議院選挙を考える

6月22日公示、7月10日投開票の第24回参議院議員選挙。選挙権年齢が18歳以上に引き下げられてから最初の投票となります。シノドスでは「18歳からの選挙入門」と題して、今回初めて投票権を持つ高校生を対象に、経済、社会保障、教育、国際、労働など、さまざまな分野の専門家にポイントを解説していただく連載を始めます。本稿を参考に、改めて各党の公約・政策を検討いただければ幸いです。今回は、災害対策の視点から永松伸吾さんにご寄稿をいただきました。(シノドス編集部)

 

 

災害世代の皆さんへ

 

この文章を今読み始めた高校生の皆さんは、多かれ少なかれ「防災」という言葉に関心を持っていることと思います。実際、皆さんの世代には、災害を直接間接に経験している人がかなり多いと思います。

 

例えばつい最近、熊本や大分で大きな揺れを経験した人もいるでしょう。鬼怒川の水害で自宅が浸水した人もいるかもしれません。もう少し遡ると、2011年の東日本大震災が発生した頃、皆さんは中学生になったばかりだったと思いますが、あの地震で亡くなった1万8000人あまりの方々の中に、自分の大切な人が含まれていたという人もいるでしょう。少なくとも、地震の揺れに恐怖を感じた人は、東日本の広範な地域にわたっていたはずだと思います。

 

また、あの震災以降、西日本での巨大地震の発生の可能性が強く意識されるようになりました。「被災者」ではないけれども、これから確実に被災するという覚悟を強いられた「未災者」の方もいるかもしれません。

 

最近は学校でボランティアを義務付けているところも多いようですから、実際に被災現場に行って災害に触れる機会があった人もいるでしょう。そう考えると、皆さんはたぶん他のどの世代よりも、災害を身近に感じる機会の多い世代だと言えるかもしれません。

 

そして、上記のいずれかにあてはまる皆さんの多くは、自分自身の被災体験に複雑な感情を持っているのではないでしょうか。一般的な「防災」という言葉では捉えきれない、なにかもやもやっとした、つかみどころのない漠然とした問題意識と言った方がいいかもしれません。

 

 

「もやもや」を大事に

 

皆さんに伝えたいことの一つは、災害に接して感じた「もやもや」した感情を大事にして欲しいということです。私は大学の教員という立場上、たくさんの若者達の災害現場での「もやもや」を観察してきました。

 

「自分があのときどうすれば彼を救えたのだろうか」「なぜ自分だけがこんなつらい目に遭わなければならなかったのか」「自分がどうやったらこの人を元気にすることができるのだろうか」「なぜ大人達は地域の復興を巡って対立するのだろうか」「なぜ自分が生まれ育ったまちの風景がこんなにも変わってしまうのだろうか」など、それぞれの被災体験によっていろんな問題意識があるでしょう。

 

なぜそれで「もやもや」するのかというと、その理由の一つは、それらの問題に対する回答が簡単には見つからないことにあると思います。

 

 

「もやもや」の正体

 

私が出会ったある女子学生の話をしましょう。彼女は仙台市の沿岸部で中学生の時に被災し、津波で父親を失いました。父親は一旦家族と避難したものの、行方の分からない弟を探しに、再び自宅に戻って津波にのまれてしまいました。実際には弟はすでに避難していて無事だったのです。

 

震災後、彼女の元の自宅があった地域は、次の津波に備え、より安全な場所へと集団移転することが決まったそうです。彼女にとってその地域は、自分のふるさとでもあり、何より父親との思い出が詰まった大切な場所でもありました。そして、それまでは仲の良かった地域の大人達が、移転の方針を巡って激しく対立する姿を、彼女は目の当たりにすることとなりました。

 

この話を彼女から聞いたときの彼女の「もやもや」は相当なものでした。彼女はこれから防災の大切さを訴えたいと語っていたのですが、実際何を伝えるべきなのかとなると、答えに窮していたのです。

 

彼女の経験から得られる教訓とは何なのでしょうか。津波の怖さを事前にもっと勉強しておくべきということでしょうか。より高度で正確な津波の情報が必要だということでしょうか。一家は一度は避難していたわけですから、これらは必ずしも当てはまらないように思います。

 

それでは、その父親が再び自宅に戻らないように警察が規制すべきだったのでしょうか。そのようなことは地震発生直後およそ不可能でしょうし、仮に規制していたとしても、父親はそれを振り払ってでも自宅に戻ったのではないでしょうか。

 

では地震の前に視点を変えてみましょう。例えばより強力な防潮堤を事前に建設しておくべきだったのでしょうか。彼女の住んでいた地域は、美しい海や松原で知られた地域です。彼女のふるさとへの愛着はそうした風景があってのものです。彼女自身、防潮堤で囲まれた町で暮らしたいと思ったことはないはずです。

 

そもそもそのような危険な場所に住むべきではなかったのでしょうか。彼女の育った地域は江戸時代から人々が定住していた歴史を持っています。美しい風景や海運の利便性と引き替えに、そうしたリスクを背負うことを人々が選択し、そしてまちが形成されていったのです。その歴史を簡単に否定することはできないでしょう。

 

彼女の「もやもや」の正体の少なくとも一つは、こうした堂々巡りにあったように思います。命はもちろん大事だけれども、人間はそれだけで生きているわけではありません。経済活動やコミュニティの人間関係、土地への愛着なども、時には命と同程度に大事なものに感じられることもあるでしょう。

 

防災とは、単純に命だけを守れば良いというものではありません。災害の危険性に直面してもなお、私たち一人ひとりが尊厳をもって、幸福に暮らせるような社会のありようを問うことが防災の本質なのです。

 

ちょっと話が大きくなってしまいました。でもこれが本当なのですから、皆さんが「もやもや」するのは当然です。逆に言えば「もやもや」するのは、それだけ問題に真剣に向き合っている証拠でもあります。ですから、その「もやもや」は大事にしてほしいと思います。

 

 

災害は政治に利用される

 

ずいぶん回りくどい話をするなと思われるかもしれません。投票先を決めるためには、自分の中に確固たる意見がないといけないと思っている人に「もやもやしろ」とはどういうことかと、困惑している人もいるかもしれませんね。

 

あえて、こうした話をしているのには理由があります。それは、防災や災害というのは、政治家に都合良く利用されることが多いからです。

 

一つの例をお話しします。皆さんはまだ生まれていなかった1995年の阪神・淡路大震災では、地震直後に5500人以上の命が失われました。当時の日本政府にはこうした巨大災害に対する緊急対応の体制が整っておらず、それは被災県である兵庫県も同様でした。

 

当時の兵庫県知事の貝原俊民が自衛隊への派遣要請を行ったのは、地震発生から4時間以上経過した午前10時でした。これは、当時の行政の危機管理体制の弱さを示す象徴的な出来事として、様々な場面で語られました。

 

それから12年後の2007年に行われた東京都知事選挙で3選を果たした石原慎太郎氏は「阪神・淡路大震災では知事の判断が遅かったから3000人余計に死んだ、自分が知事ならそういったことはない」といった趣旨の発言をしました。

 

彼はそれまでの在任中に、自衛隊を市中に展開した大規模な防災訓練を実施していました。また、2年前の2005年には政府による首都直下地震の被害想定において、最悪で11,000人の死者が出ると発表されていました。このため、防災対策に対する都民の関心が高かったこともあり、石原氏は災害時のリーダーシップを強調する戦略で都民の支持を拡大していったのです。

 

しかし、石原氏の発言は全くの事実誤認です。およそ5500人の死者の9割は家屋の倒壊による圧死でした。いかに知事の判断や自衛隊の派遣が早かったとしても、劇的に人的被害を減らすことは難しかったであろう、というのが災害研究者の共通認識なのです。政治家が自らの支持を拡大するために、科学的な事実がねじ曲げられて利用されることには、学者として憤りを禁じ得ません。【次ページにつづく】

 

 

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