投票というギャンブルで「負け」を取り返そうとする人々――安倍政権・トランプ支持の背後にあるもの?

現在世界中で、何かを失ったと感じた人々が、その「負け」を取り戻すために投票というギャンブルに興じている。筆者は、こうしたギャンブルを好む人々の存在が、アベノミクスや安保法制など大幅な現状変更を掲げる安部政権へ有権者の支持、2016年アメリカ大統領選挙でのトランプの勝利、さらには大阪都構想の住民投票での接戦、イギリスのEU離脱派勝利など、近年話題となっているさまざまな政治現象の背後にあると考える。

 

そもそも選挙での投票をギャンブルにたとえるのはそれほど新奇なことではない。ハーバード大学の政治学者ケネス・シェプスリは40年以上前の論文ですでに、「投票するという行為は、ギャンブルや保険の購入といった行為と同様、『リスキー』な選択肢にまつわる行為である」と論じている(注1)。

 

選挙での選択肢としての候補者や政党は、それぞれが当選した結果どのようなことが起きるかわからないという意味で多かれ少なかれ不確実性をもつ。たとえば大胆な改革を掲げる候補者や政党は、選挙に勝ってその改革が実行され意図通りに成功すれば大きな成果をもたらすかもしれないが、改革が失敗すれば単なる混乱やそれにかかったさまざまなコストだけが残り、現状よりも悪くなるという意味で不確実性が高いと言える。一方、現職の候補者や政党は、選挙に勝っても現状が維持されるだけであり、良い方向にも悪い方向にも触れ幅はある程度予測可能であるという意味で不確実性は低い。

 

このように不確実性の程度の異なる候補者や政党に選挙で投票することは、候補者間の選挙戦が競馬に例えられることからも示唆されるように、本質的に馬券を買うことと同じである。いわば大して儲からなくても勝てる見込みの高い馬に賭けるのか、それとも当たれば大きいが勝てる見込みの低い馬に賭けるのか――これと同じ思考が投票の際には働くと考えられるのである。

 

 

ギャンブルが好まれるとき

 

どのような場合に有権者はより不確実性の高い候補者や政党に賭けようとするのか。これについて考える際には、著名な社会心理学者のダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーが行った有名な実験結果が非常に参考になる(注2)。たとえば次のような2つの選択肢が示されたとしよう。1つは確実に5,000円がもらえるという選択肢。そしてもう1つが、サイコロを振って奇数が出れば10,000円がもらえるが、偶数が出れば何ももらえないという選択肢。この場合、多くの人は確実に5,000円をもらうことを好む。つまり確実な+5,000円の利得と、不確実な期待値+5,000円(+10,000円×0.5+0円×0.5)の利得とを比較した場合、確実な+5,000円が好まれるのである。

 

しかし、次のような2つの選択肢が示された場合はどうか。1つは確実に5,000円を失うという選択肢。そしてもう1つは、サイコロを振って奇数が出れば何も失わないが、偶数が出れば10,000円失うという選択肢。この場合、多くの人は確実に5,000円を失うことよりも、サイコロを振ってギャンブルを行うことを好む。つまり確実な-5,000円の損失と、期待値-5,000円(-10,000円×0.5+0円×0.5)の損失とを比較した場合、何も払わなくて良い可能性がある期待値-5,000円の損失が好まれるのである。

 

これら2つの結果が示唆するのは、人々が不確実性を好む度合いは、意思決定の時点で確実な利益を見込んでいるか、それとも確実な損失を見込んでいるか、によって異なるということである。つまり、確実な利益を見込んでいる場合、人々は不確実なギャンブルによってその利益を失うことを恐れリスク回避的になる一方、確実な損失を見込んでいる場合、人々はその状態を確定させることを嫌い、そこから挽回しようとリスク受容的になり不確実なギャンブルを好むようになる。実際のギャンブルにおいて、負けが込んでくるとそれを取り返すために、どんどん大穴狙いの危険なギャンブルにのめり込む人がいることもこれで説明できる。

 

以上の議論をふまえて話を選挙に戻すと、いったいどのような有権者が大成功と大失敗の振れ幅の大きな不確実な候補者や政党を好むようになるのだろうか。それは、すでに「負け」を見込んでいる有権者、すなわちかつてもっていたもの、そして本来もっているべきものを「失った」という感覚をもつ有権者である。この失ったものには、金銭的利益のほか、名誉、権利(特権)など目に見えないものも含まれる。近年の社会の変化の中でこれらを「失った」と感じた人は、その確定しつつある「負け」を取り戻すために、大成功と大失敗の振れ幅の大きな不確実性の高い候補者に投票するというギャンブルを好むようになるのである。

 

 

リスク受容的有権者と安倍政権支持

 

たとえば現在の日本。日本は1990年代初頭のバブルの崩壊以降、失われた20年と呼ばれる低成長期を経て、2010年代に至るなど、長期間にわたる経済的停滞に見舞われている。この間、1世帯当たりの所得はほぼ一貫して減少しており、1994年の664.2万円であったのが2015年には541.9万円となっている上(注3)、世界における50年後の日本の一人当たりの所得水準の順位についても2014年の内閣府の調査で53.9%が「下がると思う」と答えるなど(注4)、将来の見通しも暗い(「上がると思う」は17.6%)。

 

また、安全保障面では中国の台頭が著しく、かつてアジアで圧倒的な軍事的優位にあった日本は、2006年には防衛費支出で中国に抜かれるなど(注5)、海洋進出を進める中国との間での緊張が高まってきている。2014年に実施された内閣府による別の調査によると、75.5%が現在の世界の情勢から考えて日本が戦争を仕掛けられたり戦争に巻込まれたりする危険があると回答しているが(注6)、これは冷戦期よりも高い数字である。

 

このように日本の有権者の多くが経済面でも安全保障面でも「損失」を経験し、かつ将来においてもこれが続くとの予想をもつ中、現れたのが経済政策、安全保障政策の面で大きな現状変更を掲げる安倍政権であった。経済面では、前例の無い規模での金融緩和をはじめとするいわゆるアベノミクスと呼ばれる一連の経済政策。そして安全保障面では、自衛隊の役割の拡大による日米同盟の強化。これらの政策は、いずれもいわばハイリスク・ハイリターンの不確実性の高い政策である。劇的に良い結果をもたらす可能性がある一方、劇的に悪い結果をもたらす可能性も高い。

 

アベノミクスの推進により、円高の是正、企業の業績の回復、ひいては労働者の賃金上昇の効果が期待される一方、円の貨幣価値が棄損され実質賃金の低下が起こる可能性も指摘されている。また2015年の安保法制では、自衛隊による米軍の後方支援を可能にすることで日米同盟が強化され、その抑止力が向上することが期待される一方、アメリカの戦争に日本が巻き込まれる危険が増すという可能性が指摘されていた。

 

このようなリスクの高い政策を掲げる安倍政権が選挙で勝ち続け、高い支持率を維持する背景には、経済面でも、安全保障面でも損失を挽回するべく、大胆な政策変更によるリスクをあえて引き受ける有権者の存在があると考えられる。すなわち、確実な損失が予見される現状維持よりも、こうしたリスクの高い選択肢を受け入れることを好む有権者、すなわちリスク受容的な有権者こそが安倍政権支持の中心である(以上の議論の詳細やデータ分析の結果については、昨年末に刊行された拙著『有権者のリスク態度と投票行動』(注7)をご覧頂きたい)。【次ページにつづく】

 

 

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