民主党が失ったもの ―― 党内デモクラシーの実践

野田新内閣が発足した。海外メディアでは「5年で6人目の首相」という常套句が流されている。菅前首相の辞任を受けての民主党の代表選をめぐっては、前原前大臣の意向や小沢グループの動向やその処遇などに注目が集まり、付随して各候補者の増税や野党協力などの姿勢がフォーカスされたように思える。

 

しかし、ことは一国家の新たな政治リーダーを選出することにあったということを強調しておく必要がある。たしかに、どのような候補者がどのような立場でもって代表選に臨むのかを知ることは大切である。しかし、こうした「本質論」と並んで、「どのように選出されるのか」という「形式論」が蔑ろにされていた感は否めない。つまり、内閣総理大臣の座に就くことになる民主党という政党の代表が誰によって、どのようにして選出されるべきなのか、という点である。

 

 

政党内デモクラシーの無視

 

今回の代表は菅前首相の辞任記者会見から、代表選挙までわずか3日のあいだで決められ、投票権は両院の民主党所属議員にかぎられた。そのプロセスで、各県の支部や党員が介在する余地はなかった。たしかに、いまの経済社会の状況からすれば、あまりにも長い政治空白は許されない。さらに、民主党の党規約は、代表が任期途中で辞任した場合、両院議員総会で新代表を選出できるとも定めている。しかし、民主党はもともと、「党派」に拠らない、開かれた党組織を目指して、議員・党員以外(「サポーター制度」)にも代表選での投票権を認めた、さきがけ的存在だったことを忘れてはならない。「裾野の広いデモクラシー」という観点からは、今回の代表選のあり方もまた、大いなる落胆だった。

 

民主政治の担い手のひとつである政党の内部のデモクラシーをどのように担保するかは、昔から、理論的かつ実践的な関心だった。有名な「寡頭制の鉄則」という言葉は、そもそも20世紀初頭に、ドイツSPD(社民党)党員だった社会学者ミヘルスが党内組織を観察して残した言葉だ。彼は、構成員の平等を謳う社民主義政党が、保守政党と同様に実際には少数エリートによって支配されていることを実証した(彼はその後、党員がより平等なイタリアのファシズム運動に参画する)。その後、政党は自らを組織化する際に、いかに構成員間の平等を確保し、自発的な参加意識を引き出すのかにずっと苦慮してきた。ドイツの緑の党が、発足当初、党員間の徹底した平等を可能にし、政治の素人と玄人と区別しない組織設計にこだわったのも、こうした背景がある。「寡頭制の鉄則」をいかにして回避するのか、多くの、とりわけ左派政党は試行錯誤を繰り返してきた。

 

政党の国際比較では、日本を含め、90年代に入って先進国の政党の何れもが、諸組織の民主的実践を政治的価値として認めるようになり、政党そのものにおいても、一般党員あるいはその他一般有権者によるリーダー選出が60年代から徐々に慣行として定着してきている。つまり、組織としての政党をなるべく開かれたものにし、多くの人間がリーダーを選ぶための一票を持つことで「裾野の広いデモクラシー」を実現させ、権力の偏向を防ごうとするのが、参加型のリーダーシップ選出を正当化する論理のひとつである。

 

 

 

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