わたしたちは何を見ているのか――写真とサイエンス 視野を拡張するビジュアル表現

SYNODOSとSYNAPSEのコラボ連載の第3回です。

 

SYNAPSEは様々な異分野と出会うことでサイエンスの情報が流れる新しい回路を構築することをその設立の目的としています。そのため、前回のレポートのように主体となってイベントを開催するだけでなく、他のメディアとコラボして科学にまつわるイベントを開催することもあります。

 

このことで、SYNAPSEだけでは届けることが出来ない層まで私たちの考えを届けることができます。そこで、今回は他メディアとSYNAPSEがコラボしたイベントをレポートしたいと思います。

 

Living with Photographyをテーマに、 様々なフォトグラファーによる展覧会の紹介や、写真のあるライフスタイルの提案など、写真にまつわる情報を幅広く発信するIMA CONCEPT STOREにおいて、SYNAPSE Lab. メンバーである塚田有那が中心となって、連続トークイベント「写真とサイエンス−視野を拡張するビジュアル表現−」が開催されました。

 

最先端の天体望遠鏡が捉えた天体写真から、顕微鏡が映し出すミクロの世界、物理学や数学者の見る数式が紡ぎだす高次元、はたまたヒトの脳が作りだす仮想世界。科学が取り組むイメージの世界に注目し、多彩な科学者と、同じく様々な領域でビジュアル表現に挑むアーティストを迎え、写真やイメージのあり方を両者のクロストークから探るという趣旨の全4回の連続講義です。

 

IMA イベントページ

Exiteismイベント概要

 

それぞれの回で登場する科学者とアーティストからどんなビジュアル世界が垣間見えたのか、 まずは各回をおさらいしながら、レポートをしつつ、裏テーマとして見えてきたものについても論じていきたいと思います。各回のゲストは以下の方々です。

 

第1宇宙編(天文学)

福士比奈子(国立天文台4D2U)、小阪淳(アーティスト)

第2細胞編(生物学)

田尾賢太郎(脳科学者)、高木正勝(音楽家/映像作家)

第3超次元編(物理学)

橋本幸士(物理学者)、山口崇司(映像作家/d.v.d)、鳴川肇(建築家)

第4回 SR編(代替現実)

藤井直敬(脳科学者)、湯浅政明(アニメ―ション監督)、森本晃司(アニメーション監督)

 

今回はあえて、どんな科学的な知見をレクチャーしたかということよりも、ゲストのアーティスト側から、科学者側に投げかけられた問いに焦点をあててお話したいと思います。このような問いを投げかけてもらえるからこそ、研究者でもあるSYNAPSEメンバーがこのような活動を続けていると言っても過言ではありません。

 

 

第1回:宇宙編「宇宙のランドスケープ」

 

科学を発展させた1つの強い欲求とは何か。それは「見えないモノを見たい」という想いであろう。宇宙にまつわる研究の発展は、まさにそのような過程を辿っていると言えそうだ。

 

シリーズ初回で、様々な望遠鏡がとらえた宇宙の写真を題材に、宇宙について語って下さったのは国立天文台の福士比奈子さん。対談のお相手は「一家に1枚宇宙図」の制作を手がけ、今なお宇宙図をアップデートしつづけているアーティストの小阪淳さん。

 

望遠鏡には可視光をとらえるものの他に、我々人間にとっての可視光以外の光である、様々な波長の電磁波を捉える電波望遠鏡やX線望遠鏡などがある。当日はまず、それら望遠鏡によって撮られた写真、それによって分かった新しい宇宙の知見について福士さんが解説してくれた。

 

遠くの微弱な光をはっきり捉えるためには、大きな望遠鏡を作らなければならない。そのためには、光を集める大きな反射鏡もさることながら、集めた光を画像として取り込むための高感度なCCDカメラの開発など、様々な技術の進展が必要だった。それらが成し遂げられたことによって、肉眼では見ることの出来ない遠くの星をみることが可能になる。

 

さらに「そこにあるはずだが可視光で見えないモノ」を観測するために、電波望遠鏡などの様々な波長の電磁波に対応した観測機器が使われる。これによって、より詳細に天体の動態を見ることができる。例えば、星が生まれる様子や死んでいく様子が、より詳しく映し出されるようになった。

 

 

photo1

Credit: ALMA (ESO/NAOJ/NRAO)

アルマ望遠鏡が見つけた不思議な渦巻き星 – 新たな観測でさぐる、死にゆく星の姿ALMA望遠鏡について詳しくは こちら

 

 

このように観測されたデータの蓄積によって、現代では宇宙全体の様子を再構築することが可能になっている。

 

そして、その観測データや理論モデルによって描かれた宇宙の全体像を、国立天文台4次元デジタル宇宙プロジェクト、通称4D2Uが開発をするMitakaというソフトウェアで私たちも体感することが出来る。

 

また、国立天文台三鷹キャンパスの4D2Uドームシアター(立体視のデジタルシアター)に赴けば、大きな空間の中で、専門家によるナビゲーションとともにMitakaが映し出す宇宙を体験することも可能だ。

 

イベント当日は、立体視メガネをお客さんにかけて頂き、可搬式の立体視システムで投影されたスクリーン上の映像を楽しんでもらった。テレビゲームのコントローラで操作される画面は、地球を出発してあたかも宇宙を旅するかのようなインターフェースになっている。

 

小阪さんからは「一家に1枚宇宙図」の解説と、古代から近代に至るまで世界各国に存在した「宇宙図・宇宙観」について話をしてもらった。その上で「Mitakaで描かれる宇宙に対しての異論」も大胆に披露してくれた。要点は次の通りだ。

 

宇宙はその誕生以来、膨張し続けている。光の速度は有限であるから、天体からの光が地球に届くまでには時間がかかる。1万光年離れている星というのは、光の速さで1万年かかる距離の分だけ地球と離れているということなので、今見ているその星の光は1万年も前に星から発せられたものになる。

 

つまり、遠く離れた星の姿ほど昔のものになる、ということ。Mitakaで「宇宙旅行」をする場合も遠く離れた星は、空間的に遠くに存在するように描かれている。ここで、はじめの宇宙の膨張の話を思い出して欲しい。

 

宇宙は誕生以来膨張し続けているので、逆に言えば昔の宇宙ほど小さかったと言える。遠くにある星の光ほど昔のものなので、その当時の宇宙は今よりも小さい。にも関わらず、遠くの星に向かうほど(過去に戻るほど)宇宙が広がっているように見えるMitakaの描き方はおかしいのではないか。これが小阪さんの指摘だ。

 

この矛盾は、宇宙があまりにも広大なので、人間の日常的感覚から離れ過ぎているためにおこる。時空間の変化を、「今」という一つの時空間におさめて描画するというのが非常に困難だからだ。仮に正確に描画できたとしても、理解が難しいものになるかもしれない。

 

実際は日常でも、今目の前で話している人の姿も言葉も、それらが伝わるのにかかる時間の分だけ自分が感じているよりも少し昔に生み出されたものだが、私たちはそれを認識できない。

 

小阪さんのMitakaに対する前述の指摘から「一家に1枚宇宙図」は生まれた。このことからも観測データの描画、表現の仕方、その答えは必ずしも一つとは限らないということがよくわかる。もしくは、その表現の仕方には、観察者や解析者の恣意性が入り込む余地があるということは、科学者も常に注意を払わなければならないことであると言える(自戒)。

 

最近は、アートやデザインの領域においてもなんらかのデータ(例えばエクセルやCSVファイルに記載された行列)を変換し、それを描画、立体化、映像化することで作品が作られることが増えている。

 

データを元にプログラミングによって作品を作る人々が増えたため、データ処理という点で、科学者とクリエイターの間に共通言語が産まれつつある時代ではないかと最近では感じている。

 

この宇宙図の作成は、天文学者とクリエイターが同じ土俵にたったことで可能になったのではないかと、思わずにはいられない。

 

 

第2回:細胞編「ミクロのワンダーランド」

 

続く第2回では、理化学研究所脳科学総合研究センターの田尾賢太郎さんと映像作家で音楽家の高木正勝さんがゲスト。当日は、まず序論として2014のノーベル化学賞の話も含む顕微鏡の歴史から田尾さんがレクチャーしてくれた。第1回の望遠鏡同様、顕微鏡の話も「見えないモノを見る」、その技術的挑戦の歴史と言える。

 

ただし、望遠鏡がより遠くのもの、広大な宇宙を見ようとするのに対し、顕微鏡観察はより小さなもの、微細な構造を見ようとする逆のベクトルの行為になる。

 

そして、可視光では見えないものを望遠鏡では電波の検出によって可視化したのに対し、生物学の世界では、特定の物質に特定の色素を結合・融合させることで可視化するという歴史を辿ってきた。その色素も、肉眼で見えるものから蛍光フィルターを介して特定の波長の光を検出するものまで様々である。

 

近年では「1分子レベルで見る」ための分解能と感度への挑戦が続いている。当日最初の話題は、1906年ノーベル生理学・医学賞受賞者でもあるラモン・イ・カハールのスケッチの話だった。

 

田尾さんが、カハールが如何にありのままの脳の形態を観察し、スケッチすることに腐心したか、そして次世代ではどのような技術革新が試みられ、どこまで詳しく、そして正確に見ることができるようになってきたかを、様々な画像と共に解説してくれた。

 

この序論部分が終了した時、高木さんからある質問が投げかけられた。「ありのままに見る・撮るとは、どういうことか。そもそもそれは可能なのか?」。さらに話が進み、特定のものを如何に可視化するか、その先端技術とそれによって明らかにされた知見の話になると「あぁ、見たいモノに特化してるんね~」と高木さんが言う。

 

これらの質問には、冒頭から科学者としても突き刺さるものがあった。現代の生物学では、物質レベル、分子レベルで生命現象を可視化し、そのメカニズムや意義を理解しようとする時代になっている。すなわち、ミクロなレベルで見つけ出した物質の動態から、マクロなレベル、つまり生命現象の全体像を説明しようとしているのである。

 

しかし、実際には、細胞の中でうごめく物質の種類は何万、何十万とあるにもかかわらず、一つの研究で見ることができるのはせいぜい数種類である。

 

仮説に基づいて、現象の原因と思われる物質に焦点を定め、観察をしても、果たしてそれは生物全体としての「ありのまま」を見ていると言えるのであろうか。 あまりにも、捨象しているものが多いのではないか。髙木さんはそう直感したのだと思う。「ありのままを見る」とはどういうことなのかを注意深く考える必要があるだろう。

 

たとえば、現在では、ある程度の厚みがある生体試料を何層にも区切って画像を撮影し、再度重ね合わせることで奥行きのある画像のほぼ全ての位置でピントが合った画像を撮影することができる。

 

共焦点顕微鏡というシステムが一般的だが、例えば、木の陰が奥行きの質感を保ったまま壁や地面にくっきり投影されているところを想像してもらうと、日常的感覚で理解してもらえるだろうか(実際には影と違い、色の濃淡も撮影される)。

 

 

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共焦点顕微鏡で撮影したマウス歯状回顆粒細胞(提供:田尾賢太郎)

 

 

この画像によって、立体情報の「あるがまま」を二次元に落し込むことができる。しかし、我々人間の視覚は、奥行きのあるものを、全ての位置にピントが合った状態で見ることが出来るだろうか。

 

単に、自身の中心視野にあるものに自覚的になっている(ピントを合わせている)に過ぎず、周辺視野は常にぼやけているのではないだろうか。それにもかかわらず、そんな像を見ても、我々は何も違和感を感じていない。

 

科学の様々な手法は、見えない何かのあるがままの姿を見ようとしているというよりも、観察者である我々人間が認識できる範囲内に見えないものを見えるように落し込んでいる、と言った方が良いのかもしれない。そこに落し込む過程で、何段階かの”フィルター”を介して、変換を行っているのだ。

 

もちろん、そのようにして得られた情報には価値があり、様々な現象を解明する手段になった。その一方で、髙木さんが投げかけた疑問は、その観察も「一つの視点からの観察に過ぎない」ということを示唆している。例えば、神経細胞の活動を色の変化で表した「イメージング動画」を見て髙木さんが言った例はこうだ。

 

「この会場のお客さんにみんなで歌を歌ってもらい、それを写真で撮影してみよう。確かに、みんな歌っているように見えるだろう。でも、もしかしたら中には口パクしているだけの人もいるかもしれない。」

 

たしかに口パクは、その会場の歌声には寄与していないにも関わらず、写真だけで判断すると口パクしている人を歌声の「構成因子」であると誤認してしまう。逆に、口は小さくしか開いてなくても、声は出していて全体の歌声に貢献している人もいるだろう。このような現象を、科学の用語に言い換えるなら、擬陽性と言って良いだろう。

 

確立された科学的手法には、確固たる価値がある。しかし、そのフォーマットに安住してしまっては、存在し得る他の可能性に目を向けられなくなる。そんなことを、トークを聴きながら、自戒を込めて思ったのだった。

 

その他にも、田尾さんの写真は数種類の色を使って情報を重ね合わせたものが多かったため、レイヤーの話しにも及んだ。

 

髙木さんの代表作である girls 。この映像では、明度によって映像を何段階かに分け(8 bitのソフトウェアでは2の8乗で明度を256段階に区切ることが出来る、もしくは256段階の濃淡で表現されている)、そのレイヤーごとに色を着けて重ね合わせているといった制作にまつわる話しや、普段聴いている音にも、主に聴こえている主音の他にも、色々な音が混ざり合っているということを、髙木さん自らがホーミーの実演によって披露した。

 

さらに会場全体でホーミーを練習したことで、物の見え方や聞こえ方が手法によって大きく変わり得るということを参加者全員が実体験を伴って体験できたことだろう。

 

 

第1回、第2回を通して、小阪さんと髙木さんはともに、観察者の視点、その視点のレイヤー、そして解釈といった行為に対して、より広い可能性があることを指摘していたように思える。

 

情報を分解してから組み立てるといった行為には、その方法論において科学とアートに差違がある。 しかし、そのような行為を通して同じように世界のあり方を眺め、世界を記述・表現してきたということには多くの共通点がある。お二人からの問いかけはそれ故のものであり、同時にエールだったように思う。【次ページにつづく】

 

 

 

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