2014.07.29

永住外国人生活保護訴訟最高裁判決を読む――あらわになった日本社会の姿

山口元一 弁護士

社会 #生活保護#永住者

在留資格「永住者」を有する外国人が、生活保護法に基づく生活保護の申請をしたところ、大分市福祉事務所長から申請を却下する旨の処分を受けたとして、却下処分の取消し等を求めた事件について、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は、2014年7月18日、これを認めた福岡高等裁判所の判決(福岡高判平成23年11月15日判タ1377号104頁)を破棄し、外国人は生活保護法に基づく生活保護の受給権を有しないとの判断を示した。

最高裁判決は、背景も含めて検討すると、生活保護法、行政事件訴訟法の解釈にとどまらず、日本における外国人の権利を考えるうえで重要な示唆を与えるものであるが、判決に至る経緯に関する正確な知識と一定の法的なリテラシーがないとやや理解に難しい面がある。筆者は、本稿を書くにあたり、インターネット上の判決に対する反応を少しながめてみたが、生活保護受給者、外国人に対する根強い偏見も手伝ってのことか、不正確なとらえ方をする向きも少なくないようである。そこで、以下、この判決の背景、ロジック、判決によって明らかになった課題について、できるだけわかりやすく解説を試みよう。

争点の所在

「処分の取消しの訴え」(行政事件訴訟法3条2項)にいう「処分その他の公権力の行使」について、判例は、公権力の主体である国または公共団体が行う行為のすべてを指すものではなく、「その行為によって、直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが法律上認められているもの」をいうとしている(最判昭和39年10月29日民集18巻8号1809頁)。

したがって、行政庁に対して諾否の応答を求めて「申請」をした場合であっても、それが法律上の権利ではない場合は、「申請」は任意の行政措置を求める趣旨に過ぎず、これに対する行政庁の応答も処分としての性格を持たない。そこで本件では、外国人に対する生活保護制度の適用について、法律上の根拠の有無が問題となった。

踏まえておくべき前提知識

それでは、戦後の生活保護制度は、外国人に対して、法律上どのような態度をとってきたのであろうか。簡単にその歴史を振り返ってみることとする。

1946年に成立した旧生活保護法は、「生活の保護を要する状態にある者」の生活を、国が差別的な取り扱いをなすことなく平等に保護すると規定し(同法1条)、その適用対象を日本国民に限定していなかった。しかし、生存権(憲法25条)を保障した日本国憲法の成立を経て、1950年に施行された現行生活保護法は、憲法25条の理念に基き、国が生活に困窮する「すべての国民」に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障し、自立を助長することを目的とする旨定め(同法1条。さらに2条も参照)、生活保護受給者の範囲を日本国籍者に限定した。

ところが、新法施行直後に、「放置することが社会的人道的にみても妥当でなく他の救済の途が全くない場合に限り」外国人を保護の対象として差し支えない旨の通知がされる(昭和25年6月18日社乙92号)。さらに1954年5月8日、厚生省から各都道府県知事に宛てて、外国人は生活保護法の適用対象ではないとしつつも、生活に困窮する外国人に対しては日本国民に準じて必要と認める保護を行い、その手続については不服申立の制度を除きおおむね日本国民と同様の手続によるものとする通知が発せられた(「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について」昭和29年社発第382号厚生省社会局長通知。以下「昭和29年通知」という)。

昭和29年通知は、「当分の間」とあるとおり、サンフランシスコ講和条約を機に法務省民事局長が出した通達(「平和条約の発効に伴う朝鮮人、台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」(昭和27年4月19日民事甲第438号法務府民事局長通達)による旧植民地出身者の国籍剥奪を背景に、在日コリアンを中心とする多くの在留外国人が差別と貧困に苦しんでいたことに対する応急措置であった。しかし以後、予定されていたはずの抜本的な改正はされないまま、現在までこの通知に基づいて外国人に対する生活保護の措置が行われている。

1976年、世界人権宣言を発展させた「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(以下「社会権規約」という)」と「市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「自由権規約」という)」」が発効すると、日本でも民間レベルでこれらの規約の批准を求める声があがった。

日本政府はこうした声におされるようにして、1979年にいずれの条約も批准した。社会権規約2条2項には、規約に規定する権利について「国民的若しくは社会的出身」によるいかなる差別もなしに行使されることを保障する旨の条項があり、公共住宅関係法の運用に存在していた国籍制限を撤廃させるなど国内法制に少なからぬインパクトを与えた。また、批准に際して、保護の対象を日本国民に限定していた生活保護法も、同規約9条が「社会保険その他の社会保障」について、11条が「自己及びその家族のための相当な食糧、衣類及び住居を内容とする相当な生活水準」「生活条件の不断の改善」について、いずれも「すべての者」の権利を認めていることとの関係が問われた。

当時の国会審議で、政府委員は、規約9条に関して、社会保障について外国人を差別してはならないという趣旨の回答をしたうえで、生活保護法と9条、さらに11条との関係については、昭和29年通知を根拠に、支給される保護の内容、保護の方法は、すべての点で国民の場合と同じ仕組みで保障されている(したがって社会権規約には必ずしも反しない)と答弁した。

さらに、支給内容が同一であっても、権利として構成されておらず、不服申立の制度を欠く点が、社会権規約の精神に反しないかという質問に対しては、「人権規約の……精神面に着目いたしますると、そういう法の方向に沿った御検討を願いたい」(外務省委員)「外国人に対しましても……実態的な面につきましては、いささかもその待遇につきまして変わるところがないかと思うわけでございますが、確かに形式的にはいま御指摘の問題があろうかと思います。今後とも、十分に検討をしてまいりたいと思います。」(厚生省委員)と答えている(第87回国会参議院外務委員会会議録13号・1979年5月28日)。

1975年4月、ベトナム戦争の終結にともなって大量のベトナム人が国外へと避難した。当初日本は、避難民に対して一時的な在留しか認めなかったが、こうした排他的な態度は内外から強い批判を浴び、1978年には、日本定住を認めるように方針を転換する。こうした流れの中で、日本は1981年に「難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という)」に加入するのだが、「締約国は、合法的にその領域内に滞在する難民に対し、公的扶助及び公的援助に関し、自国民に与える待遇と同一の待遇を与える」と定める同条約23条と、社会保障関連法中の受給資格を日本国民に限定する、いわゆる国籍条項の関係が問題となった。

結果として、国民年金法や児童手当3法に規定されていた国籍条項は削除されたのに対して、生活保護法の改正は見送られたのだが、国会審議において、政府委員は以下のように答弁している(第94回国会法務委員会、外務委員会、社会労働委員会連合審査会会議録1号・1981年5月27日)。

「生活保護につきましては、昭和25年の制度発足以来、実質的に内外人同じ取り扱いで生活保護を実施いたしてきているわけでございます。去る国際人権規約、今回の難民条約、これにつきましても行政措置、予算上内国民と同様の待遇をいたしてきておるということで、条約批准に全く支障がないというふうに考えておる次第でございます」

「すでにもう昭和20年代に、外国人に対する生活保護の適用ということで明確に通知をいたしております。かつまた、予算も保護費ということで、国内の一般国民と同じ予算で保護費の中で処置をいたしておるわけで、特にそれを改める必要はないわけでございますが、こういった難民条約の批准等に絡めまして、一層その趣旨の徹底を図るという意味での通知、指導等はいたしたいと考えておるところでございます」

1989年、バブル経済に伴う人手不足を吸引力とするアジア諸国からの出稼ぎ労働者の増大等、日本社会における外国人のプレゼンスの増大を背景に「出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という)が改正され(施行は翌90年)、現行法へ引き継がれる在留資格制度の基礎が作られた。さらに1991年には「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」が施行され、在日コリアンを中心とする旧植民地出身者とその子孫について、新たに制定された「特別永住者」としての地位が保障された。

このような状況のなかで、1991年10月25日、厚生省社会局保護課企画法令係長の口頭指示により、生活保護の対象になる外国人が、入管法別表第2に掲げられた者(「永住者」、「定住者」、「日本人の配偶者等」、「永住者の配偶者等」)に限定された(以下「平成2年口答指示」という)。この指示は、高度な専門知識を有する者としておおむね一定以上の収入をともなう仕事に就くことが在留の条件とされている別表1に該当する外国人について、自立助長を旨とする生活保護の対象に含めないこと、さらに非正規(不法)滞在者を生活保護の対象から除外すること(昭和29年通知は外国人の範囲に特に限定をくわえておらず、通知後に作成された問答事例によると、外国人登録をしていない外国人が退去強制手続に付された場合であっても仮放免許可証による住所の認定に基づき保護を実施することとされていた。昭和57年1月4日社保第1号による改正参照)を意図していた。

厚生労働省による2012年度被保護者調査によると、日本の国籍を有しない被保護世帯数は1ヶ月平均で45,855世帯、被保護実人員のそれは74,736人(ただし相当数の日本国籍者が含まれている)とされている。

福岡高裁と最高裁~それぞれのロジック

以上の前提知識は、歴史的事実であり、福岡高裁、最高裁ともその認識に異なるところはない。それではどうして二つの裁判所で異なる結論が導かれたのであろうか。

福岡高裁は、生活保護法が「少なくともその立法当時」は生活保護受給権者の範囲を日本国民に限定していたことを前提に、昭和29年通知以来、外国人に対する生活保護が日本国民とほぼ同様の基準、手続により認められてきたことを踏まえ、難民条約加入及びこれに伴う国会審議を契機として、一定の範囲の外国人に対し日本国民に準じた生活保護法上の待遇を与えることを立法府と行政府が是認し、これによって生活保護を受ける地位が法的に保護されるに至ったものと構成し、外国人も生活保護法の準用による法的保護の対象になると判断した。平成2年口頭指示の内容が、自立助長を旨とする生活保護法の趣旨に沿ったものであったことは、同法の準用を前提としたからこそであるとしたのである。

しかしながら、本来立法で解決すべき問題が、行政庁の通知や政府委員の国会における答弁、果ては担当係長の口頭指示で処理されることと「法律による行政の原理」の関係もさることながら、一連の経緯を、生活保護を受ける地位を生活護法に基づいて保障したと読むことはできるのだろうか。むしろそこからあきらかになるのは、立法による解決の必要性を認識しながらも、問題を先送りにし、時代により大きく変化する外国人の状況に、場当たり的に対応してきた姿ではなかったか。

かくして福岡高裁のロジックは最高裁を説得するところとはならなかった。最高裁は、現行の生活保護法が制定された後、現在に至るまでの間、保護の対象を一定の範囲の外国人に拡大するような法改正は行われておらず、保護の規定を外国人に準用する旨の法令も存在しないこと、昭和29年通知は、外国人に対し、生活保護法が適用されず、法律上の保護の対象とならないことを前提にしていることを指摘し、難民条約等に加入した際の経緯を勘案しても、外国人は生活保護法に基づく保護の対象とはならない、としたのである。

形式的には、最高裁の解釈に分があるのは認めざるを得ない。生活保護法が「国民」と規定し、昭和29年通知も外国人は保護の対象ではない旨明示している以上、法令の文言を字句通りに解釈すれば、外国人を生活保護法の保護対象として認める余地はないはずである。

しかしながら、福岡高裁が、「適用」ではなく「準用」、「法的権利」ではなく「法的保護」という語を用いてまで、このような解釈をした趣旨には注意を要する。日本は条約批准等を通じて「外国人に対する生活保護について一定範囲で国際法及び国内公法上の義務を負うことを認めた」(福岡高裁判決)にもかかわらず法改正を怠り続けてきた。現在、外国人に対する生活保護の実態は、日本人のそれに対するものと変わらず、いったん受給が開始された場合の指導・指示に従う義務や、これに従わない場合の保護の廃止(生活保護法27条、62条)、支給された保護費の返還(生活保護法63条)や不正受給に対する制裁(生活保護法78条、刑法246条)も日本人の場合と異ならない。社会的な認識として、支給する側の「権力性」を完全に否定することは困難で、現在の実務は、本来対等な私人間で行われる「贈与契約」(福岡高判の原審である大分地判平成22年10月18日参照)で説明しきれるものではない。

本件の原告(被上告人)は、1932年に日本で出生して以来、日本で教育を受け、日本で結婚し、日本で生活をしてきた女性である。国籍国である中国には一度も行ったことなく、中国語も知らない。そんな彼女が、義弟の暴力によって着の身着のままで自宅を追い出され、いわゆる社会的入院状態にあったことから、自立した生活を送るために生活保護を申請したのである。単に外国人であるというだけの理由で、彼女の生存権に関わる利益を法の保護の枠外におくことは、果たして妥当なのか。福岡高裁判決の不合理や矛盾を指摘することは、さほど困難な作業ではないが、現行生活保護法に、裁判所が苦しい解釈をしてまでも解決しなければならないと考える程の問題点が存在することも、また認識しなければならない。福岡高裁の判断について解釈の限界を超えると批判する者は、こうした現実をどう解決すべきかという問題に答えなければならないのである。

残された課題

最高裁判決により、外国人が生活保護法に基づく保護の対象ではないことは法律上確定した。しかしながら、生活保護法に基づかない行政措置として、外国人を日本人に準じて生活保護の対象としつつ、それを法律上の権利として扱わない現在の構成が、社会権規約2条2項、9条、11条、難民条約23条の規定に適合するか否かについては未だに決着がついていない[*1]。

[*1] なお、国民年金法の国籍条項削除については、自由権規約に関して、規約委員会から、不遡及であることが規約26条の差別禁止規定との関係で不十分であるとの指摘を受けている。「規約第 40 条に基づき締約国から提出された報告書の審査-国際人権(自由権)規約委員会の総括所見」パラグラフ30。

条約批准時の答弁からもあきらかなとおり、社会保障における外国人に対する差別が原則として禁止されること、少なくとも一定範囲の外国人に日本人と同様の生活保護を認めることが条約の要請で、これを剥奪することが条約違反にあたることは、条約批准当時から日本政府によっても認識されていた。しかしながら、支給内容が同等であっても、不服申立の手段がない点は、窓口における違法な生活保護申請拒否がめずらしくない現状では、決して見過ごすことのできない不利益である[*2]。

[*2] 生活保護開始申請の却下を違法とする近時の裁判例として東京高判平成24年7月18日平成23年(行コ)第399号、大阪地判平成25年4月19日平成22年(行ウ)第35号・平成22年(ワ)第3293号、大阪地判平成25年10月31日平成21年(行ウ)第194号など。なお今後外国人については非申請型義務付け訴訟を検討する余地はあろう。

国際人権条約の保障する社会権は、条約批准のみによって直ちに具体的な請求権となるものではなく、2条2項が規定する差別禁止規定が直ちに履行しなければならない即時的義務であるとしても[*3]、在留外国人には出生地、滞在期間の長短、在留資格の有無、日本における生活歴や家族的結合の有無、本国とのつながりまでさまざまな社会的・法的地位があり、いかなる範囲の外国人に生活保護を認めるのかは、立法に委ねなければならない要素が多い。法による保障がなき現状は、平成2年口頭指示がそうであったように、いかにそれが条約違反であったとしても、行政担当者の見解次第で享受していた利益が直ちに剥奪されかねない危険もはらむ。

[*3] 社会権規約委員会は、一般的意見3において「規約は漸進的実現を規定し、利用可能な資源の制限による制約を認めるが、即時の効果をもつさまざまな義務をも課している。……このうちのひとつは、……関連の権利が『差別なく行使される』ことを『保障することを約束する』ことである」とし、さらに一般的意見20でも「無差別は、規約の中でも、即時かつ分野横断的義務である」「国籍という事由は、規約上の権利へのアクセスを妨げるべきでない」としている。なお「開発途上にある国」にのみ、外国人に対する経済的権利の別扱いを認める2条3項も参照

最高裁判決によってあらわになったのは、条約批准等を通じ、外に向かって、あるいは国内の事情に通じない層に対しては、日本国民と外国人の平等原則を掲げながら、外国人が享受すべき生活上の利益を「権利」として構成することを拒み、あくまでも恩恵にとどめようとする、日本社会の姿である。最高裁判決は、問題を最終的に解決するものとはならなかった。わが国の政治部門、さらには社会が取り組むべき課題を示したのである。

(参考文献)

「賃金と社会保障」(旬報社)1561号、1562号掲載の各論文。

社会保障における国籍要件とヨーロッパ人権条約14条の差別禁止の関係については Gaygusuz.v. Austria, 16 September 1966, Reports 1996-Ⅳ

最高裁判決全文については http://www.tbsradio.jp/ss954/2014/07/post-299.html

サムネイル「exposed brick」Kristin Wall

http://www.flickr.com/photos/kwdesigns/4832728787/

プロフィール

山口元一弁護士

1965年東京生まれ。一橋大学卒。日興證券株式会社、アーサーアンダーセン・アンド・カンパニー等を経て1998年より弁護士。著書として「ブエノス・ディアス、ニッポン」(ななころびやおき〔ペンネーム〕・ラティーナ、2005年)、関与した裁判例は最判平成20年6月4日判タ1267号92頁(日本国民である父と日本国民でない母〔フィリピン人〕との間に出生した後に父から認知された子について届出による日本国籍取得を認めていない国籍法3条1項が、憲法14条1項に違反するとした例)など。その他の著書、関与した主な裁判例は http://d.hatena.ne.jp/Genichi_Yamaguchi/about

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