2015.08.26

軍事権を日本国政府に付与するか否かは、国民が憲法を通じて決める

木村草太『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』から

社会 #集団的自衛権#集団的自衛権はなぜ違憲なのか

本日は、貴重な機会をいただきありがとうございます。今回の安保法制、特に集団的自衛権の行使容認部分と憲法との関係について、意見を述べさせていただきます。(※1)

(※1)本稿は、2015年7月13日、衆院平和安全法制特別委員会中央公聴会で意見陳述した内容である。

1 結論:日本への武力攻撃の着手のない段階での武力行使は違憲

まず、結論から申しますと、日本国憲法の下では、「日本への武力攻撃の着手」がない段階での武力行使は違憲です。ですから、「日本への武力攻撃の着手」に至る前の武力行使は、たとえ国際法上は集団的自衛権として正当化されるとしても、日本国憲法に違反します。

政府が提案した存立危機事態条項が、仮に「日本への武力攻撃の着手」に至る前の武力行使を根拠づけるものだとすれば、明白に違憲です。

さらに、今までのところ、政府は「我が国の存立」という言葉の明確な定義を示さないため、存立危機事態条項の内容はあまりにも漠然不明確なものになっています。したがって、存立危機事態条項は、憲法9条違反である以前に、そもそも、漠然不明確ゆえに違憲の評価を受けるものと思われます。

また、維新の党より提案された武力攻撃危機事態条項も、仮に「日本への武力攻撃の着手」がない段階での武力行使を根拠づけるものだとすれば、憲法に違反します。

逆に、「武力攻撃危機事態」とは、外国艦船への攻撃が同時に日本への武力攻撃の着手になる事態を意味すると解釈するのであれば、武力攻撃危機事態条項は合憲だと考えられます。

以下、詳述します。

2 日本国憲法の下で許容される武力行使の範囲

まず、日本国憲法が、日本政府の武力行使をどう制限しているのか説明します。

(1)憲法9条とその例外規定

日本国憲法9条は、武力行使のための軍事組織・戦力の保有を禁じていますから、「外国への武力行使は、原則として違憲である」と解釈されています。

もっとも、例外を許容する明文の規定があれば、武力行使を合憲と評価することは可能ですから、9条の例外を認める根拠となる規定は存在するのかを検討する必要があります。

従来の政府および有力な憲法学説は、憲法13条が「自衛のための必要最小限度の武力行使」の根拠となると考えてきました。憲法13条は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は「国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定めており、政府に、国内の安全を確保する義務を課しています。個別的自衛権の行使は、その義務を果たすためのもので、憲法9条の例外として許容されるという解釈も可能でしょう。

他方、「外国を防衛する義務」を政府に課す規定は日本国憲法には存在しませんから、9条の例外を認めるわけにはいかず、集団的自衛権を行使することは憲法上許されない、と結論されます。

 

(2)軍事権の不在

また、自衛のための必要最小限度を超える武力行使は、憲法9条違反とは別に、政府の越権行為としても違憲の評価を受けます。

そもそも、国民主権の憲法の下では、政府は、憲法を通じて国民から負託された権限しか行使できません。そして、日本国憲法には、政府に「行政権」と「外交権」を与える規定はあるものの、「軍事権」を与えた規定は存在しません。憲法学説は、このことを「軍事権のカテゴリカルな消去」と表現します。

憲法が政府に軍事権を与えていない以上、日本政府が軍事権を行使すれば、越権行為であり違憲です。

では、自衛隊は、どのような活動をできるのでしょうか。

まず、「行政」権とは、自国の主権を用いた国内統治作用のうち、立法・司法を控除したものと定義されます。「自衛のための必要最小限度の武力行使」は、自国の主権を維持する行為なので、「防衛行政」として行政権に含まれるとの解釈も十分にあり得ます。

また、「外交」とは、相互の主権を尊重して外国と関係を取り結ぶ作用を言います。武力行使に至らない範囲での国連PKOへの協力は、「外交協力」の範囲として政府の権限に含まれると理解することもできるでしょう。

これに対し、他国防衛のための武力行使は、日本の主権維持作用ではありませんから、「防衛行政」の一部だとは説明できません。また、相手国を実力で制圧する作用なので、「外交協力」とも言えません。

集団的自衛権として正当化される他国防衛のための武力行使は、「軍事権」の行使だと言わざるを得ず、越権行為として憲法違反の評価を受けます。

3 自衛のための必要最小限度の武力行使

では、「自衛のための必要最小限度の武力行使」とは、どのような範囲の武力行使を言うのでしょうか。

法的に見た場合、日本の防衛のための武力行使には、「自衛目的の先制攻撃」と「個別的自衛権の行使」の二種類があります。

前者の「自衛目的の先制攻撃」は、日本への武力攻撃の「具体的な危険」、すなわち「着手」がない段階で、将来武力攻撃が生じる「可能性」を除去するために行われる武力行使を言います。

他方、後者の「個別的自衛権の行使」は、日本への武力攻撃の「具体的な危険」を除去するために国際法上の個別的自衛権で認められた武力行使を言います。武力攻撃の具体的な危険を認定するには、攻撃国の武力攻撃への「着手」が必要であり、着手のない段階での攻撃は、「必要最小限度の自衛の措置」に含まれません。

先ほど見た憲法13条は、国民の生命・自由・幸福追求の権利を保護していますが、それらの権利が侵害される具体的危険がない段階、すなわち抽象的危険しかない段階で、それを除去してもらう安心感を保障しているわけではありません。したがって、「自衛目的の先制攻撃」を憲法9条の例外として認めることはできません。

「自衛のための必要最小限度の武力行使」と認められるのは、「個別的自衛権の行使」に限られるでしょう。

4 合憲論からの反論とその批判

これに対し、集団的自衛権が行使できる状況では、既に外国に武力攻撃があり、国際法上は「他国防衛のための措置であり、先制攻撃ではない」との反論が想定されます。

しかし、国際法上の適法違法と、日本国憲法上の合憲違憲の判断は、独立に検討されるべきものです。

外国への武力攻撃があったとしても、それが日本への武力攻撃と評価できないのであれば、仮に国際法上は、集団的自衛権で正当化できるとしても、憲法上は、違憲な先制攻撃と評価されます。

また、政府は、最高裁砂川事件判決で、集団的自衛権の行使は合憲だと認められたと言います。

しかし、砂川判決は、日本の自衛の措置として米軍駐留を認めることの合憲性を判断したものにすぎません。さらに、この判決は、自衛隊を編成して個別的自衛権を行使することの合憲性すら判断を留保しており、どう考えても、集団的自衛権の合憲性を認めたものだとは言えません。

以上より、日本国憲法の下で許容されるのは、「日本への武力攻撃の着手があった段階でなされる自衛のための必要最小限度の武力行使」に限られます。このため、集団的自衛権の行使は、憲法違反になります。

ただし、日本と外国が同時に武力攻撃を受けている場合の反撃は、国際法的には、集団的自衛権でも、個別的自衛権でも正当化できます。このため、同時攻撃の場合に、武力行使をすることは憲法違反にはならないでしょう。

5 存立危機事態条項について

では、今回の法案の存立危機事態条項について、どう評価すべきでしょうか。

皆様もご存じの通り、「存立危機事態」という概念は、今回初めて登場した概念ではありません。昭和四七年の政府見解は、「わが国の」「存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない」としており、存立危機事態で自衛の措置をとることを認めています。

昨年7月1日の閣議決定も、「外国への武力攻撃によって存立危機事態が生じたときには、昭和四七年の政府見解とは矛盾せずに日本は武力行使できる」という趣旨の議論を展開しています。形式的にはその通りでしょう。

昭和四七年見解は、存立危機事態を認定し「わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」と明言しています。つまり、「我が国の存立」が脅かされる事態だと認定できるのは、武力攻撃事態に限られる、と述べているのです。

そもそも、近代国家とは主権国家ですから、法学的には、「我が国の存立」が維持されているかどうかは、「日本が主権を維持できているかどうか」を基準に判断します。

国家間の関係のうち、「外交」は相互の主権を尊重する活動、「軍事」は相手国の主権を制圧する活動ですから、「国家の存立が脅かされる事態」とは、軍事権が行使された状態、武力攻撃を受ける事態だと定義せざるを得ないのです。

そうすると、昭和四七年見解と矛盾しない形で「存立危機事態」を認定できるのは、日本も武力攻撃を受けている場合に限られるでしょう。

しかし、現在の政府の答弁は、「我が国の存立」という概念についてほとんど明確な定義を与えていません。むしろ、「存立危機事態」は日本への武力攻撃がない段階では認定できないという説明を避け、石油の値段が上がったり、日米同盟が揺らいだりする場合には、日本が武力攻撃を受けていなくても存立危機事態を認定できるかのように答弁をすることもあります。

「我が国の存立」という言葉を、従来の政府見解から離れて解釈するのであれば、存立危機事態条項は、日本への武力攻撃の着手がない段階での武力行使を根拠づけるもので、明白に憲法違反です。

以上の見解は、著名な憲法学者はもちろん、歴代内閣法制局長官ら、憲法解釈の専門知識を持った法律家の大半が一致する見解ですから、裁判所が同様の見解を採る可能性も高いと言えます。これまでの議論を見る限り、存立危機事態条項の制定は、看過しがたい訴訟リスクを発生させます。

存立危機事態条項が日本の安全保障に必要不可欠であるなら、そのような法的安定性が著しく欠ける形で制定すべきではなく、憲法改正の手続きを踏むべきでしょう。

また、そもそも、現在の政府答弁では、「我が国の存立」という言葉の意味が、あまりに漠然としています。明確な解釈指針を伴わない法文は、いかなる場合に武力行使を行えるかの基準を曖昧にするもので、憲法9条違反である以前に、そもそも、曖昧不明確ゆえに違憲だと評価すべきでしょう。

さらに、内容が不明確だということは、そもそも、今回の法案で、可能な武力行使の範囲に過不足がないかを政策的に判定することはできない、ということになります。

どんな場合に武力行使をするのかの基準が曖昧不明確なままでは、国民は法案の適否を判断しようがありません。仮に、法律が成立したとしても、国会は、武力行使が法律に則ってなされているか、判断する基準を持たないことになるでしょう。

これでは、政府に武力行使の判断を白紙で一任するようなもので、「法の支配」そのものの危機です。

6 武力攻撃危機事態条項について

さて、日本への武力攻撃の着手がない段階で、武力行使を認めることが憲法違反になるという法理は、維新の党より提案がありましたいわゆる武力攻撃危機事態条項にもそのまま当てはまります。

もし、維新の党の提案が、日本への武力攻撃の着手のない段階での武力行使を認める条項であるとの解釈を前提にしたものであるなら、憲法違反です。

したがって、武力攻撃危機事態条項について、「これまでは認められてこなかった個別的自衛権の『拡張』である、ないし集団的自衛権の行使容認である」といった説明を行うことは不適切であり、避けるべきでしょう。

ただし、維新案における武力攻撃危機事態条項は、米艦など他国への攻撃が、同時に日本への武力攻撃の着手になる場合に武力行使を認めたものと解釈するのであれば、また、そう解釈する限りで合憲と言えます。

もっとも、外国への攻撃が同時に日本への武力攻撃の着手になる事態であれば、現行法でも武力攻撃事態と認定でき、個別的自衛権を行使することが可能です。この点は、1975年10月29日の衆議院予算委員会における宮澤喜一外務大臣答弁、1983年2月5日の衆議院予算委員会における中曽根康弘首相、角田法制局長官の答弁でも確認されています。

したがって、維新の党の皆様よりご提案のあった武力攻撃危機事態条項は、武力攻撃事態条項の内容の一部を「確認」する条項だということになるでしょう。

このような従来の法理を「確認」する条項は、法の内容を明確にするという点では、意義があります。これまでにも、従来の政府解釈や最高裁の判例法理を明確に確認するために立法が行われた例は多くあります。

逆に、維新案の内容を拒否した場合には、政府案が、日本への武力攻撃の着手がない段階での武力行使を行う内容であることが明確になるでしょう。対案の提示は、政府の考え方を明確にする一助になるという点でも意義があるものと言えます。

7 まとめ

以上述べたように、集団的自衛権の行使は憲法違反となります。もちろん、存立危機事態条項が違憲であるという事実は、集団的自衛権の行使容認が、政策的に不要であることまでを意味するものではありません。

集団的自衛権の行使容認が政策的に必要なら、憲法改正の手続きを踏み、国民の支持を得ればよいだけです。仮に、改憲手続きが成立しないなら、国民が、改憲を提案した政治家、国際政治・外交・安全保障の専門家、改憲派の一般市民の主張を「説得力がない」と判断したというだけでしょう。

先ほど強調しましたように、国家は、国民により負託された権限しか行使できません。軍事権を日本国政府に付与するか否かは、主権者である国民が、憲法を通じて決めることです。憲法改正が実現できないということは、それを国民が望んでいないということでしょう。

憲法を無視した政策論は、国民を無視した政策論であることを自覚しなければならないはずです。

※本稿は木村草太著『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』から「軍事権を日本国政府に付与するか否かは、国民が憲法を通じて決める」を転載したものです。

プロフィール

木村草太憲法学者

1980年生まれ。東京大学法学部卒。同助手を経て、現在、首都大学東京教授。助手論文を基に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を上梓。法科大学院での講義をまとめた『憲法の急所』(羽鳥書店)は「東大生協で最も売れている本」と話題に。近刊に『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)『憲法の創造力』(NHK出版新書)がある。

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