2015.08.31
「妊娠しやすい」年齢を教えることだけが性教育なのか
22歳が妊娠のピーク!?文科省が改訂した「保健教育」の高校生向け副教材で、女性の妊娠のしやすさと年齢による変化を表す折れ線グラフの表記ミスがあった。今回の騒動から見える、日本の性教育の現状について社会学者の永田夏来氏に話を伺った。(聞き手・構成/山本菜々子)
グラフの問題点
(文科省HP:「健康な生活を送るために」19家族社会・20妊娠出産(p38~p41) より転載)
――今回、グラフの数値が元のデータと大幅に違っていたことが問題になりましたね。
そうですね。基のデータを見る限り、20代前半、22歳と25歳とではほとんど値は変わらないように見えますし、30代になっても急激に落ちているわけではありません。「グラフを単純化して見やすくした」という範疇は超えていると思います。「改ざん」と言われても仕方ないかもしれません。
それ以上に、今回のグラフの最大の問題点は、出典がわからないことでしょう。(O’Connor et al. 1998)となっていますが、この論文で紹介されているのは違う論文のデータです。つまり、孫引きですね。
有村治子少子化担当相は「医学的、科学的に正しい知識を学校教育で伝えたい」との意向のもと、保健体育の副教材として導入したようです。しかし、「医学的、科学的に正しい」とされる知識の出典がよくわからないというのはおかしいでしょう。
最近は、インターネットを使って様々な検証が行われています。私の友人の研究者もどの論文からの引用なのか調べており、だいたいの見当はついているようですが、今回、データを提出したとされる吉村氏は、説明責任を果たすべきだと思います。
――そもそものグラフの数値についてはどうでしょうか。
このグラフは1989年の論文を基にしたものだと言われています。避妊をしていない女性がどれくらい妊娠しやすいのか調べたもののようです。
元の論文にもありますが、このグラフはセックスの頻度が情報として勘案されていません。また、文化や歴史的状況による影響を踏まえてとらえる必要があるデータです。端的に言うならば、20代前半だとセックスする頻度が高いけれども、年齢と共にセックスする回数が少なくなっているので、妊娠も少なくなってきているという程度のことを表しているとも読めます。
しかし、副教材での使われ方は非常にミスリードです。
グラフの横には
医学的に、女性にとって妊娠に適した時期は20代であり、30代から徐々に妊娠する力が下がり始め、一般に、40歳を過ぎると妊娠は難しくなります。一方、男性も、年齢が高くなると妊娠に関わる精子の数や運動性が下がり始めます。
と書かれています。保健体育の教科書であることを踏まえてこのグラフをみると、生理学的な事実として、妊娠のしやすさが22歳をピークに下がっていくように見えます。非常にミスリードです。
――多くセックスしている年代が、確率的に妊娠しやすい。「妊娠する力」と言われると、セックスすると何パーセントの確率で子どもが出来る……という話だと思ってしまうが違うと。
そうです。その意味の統計を取るならば、他の条件は同じでないとおかしいはずですし、妊娠だけではなく、どのくらいの確率で出産・流産したのかなども含めないと「医学的に女性にとって妊娠に適した時期」を示せないと思います。
――つまり、出典も明らかにされていないし、グラフは「改ざん」と言われても仕方がない。その上に、「妊娠しやすさ」というにはミスリードな数字であると。ちなみに、「妊娠しやすさ」のグラフがこれしかないというわけではないんですよね。
そんなことはないと思いますよ。他にデータを持っている産婦人科医もいるでしょうし、保健衛生や人口学の研究者も同様でしょう。
それにも関わらず、なぜセックスの頻度などをコントロールしていないデータなのか。しかも、1998年の外国の論文で、その上、出典のあやふやなものを使う必要があるのか疑問です。
今回のグラフが「手違い」とするならば事前に防げたはずです。産婦人科医だけでなく、関連領域の研究者が普段からきちんとディスカッションしていれば、「医学的に女性にとって妊娠に適した時期」を高校生に示すためにはどういうデータが適切なのか、おのずと決まってくるでしょう。
当たり前の「性教育」を
この騒動で私が感じたのは、医学的観点と社会科学的観点の両方を含んだ性教育の必要性です。
子どもをもったり結婚・出産したりという人生の流れのことをライフコースと言います。ライフコースを考える際には、医学的な知見だけではなく、社会的な背景も不可欠です。
たとえば、フランスでは日本でいう小学校6年生から性教育がはじめられます。その際に重視されているのは、生物学、愛情、社会的な側面のすべてを踏まえるという姿勢です。
妊娠と年齢の関係といった生理的な話からはじまり、出産計画や避妊、性感染症などの情報を示しながら時間をかけてカップル関係をつくることをフランスでは教育しています。自分が生活している社会状況の中で、いつ子供を産むのが自分にとって適切なのかについて考える力をつけるのが、本当の性教育でしょう。
現在の日本では、「妊娠しやすさ」のグラフが示す通り、医学的な観点からの声が大きく、社会的な観点があまり議論されない性教育になっています。
日本社会をみてみると、高度経済成長期の頃は20歳台前半で結婚して子供をもつ人が多くいました。そのころは「女の賞味期限はクリスマスケーキ」などと言われたりして、「25歳を過ぎたら賞味期限が……」なんていわれていたんですよね。
女性は、高校を卒業して就職、もしくは短大を卒業して就職し、2、3年働いてから結婚して専業主婦になって……というライフコースが可能でした。
しかし、21世紀の現在は大学に行く女性も多くなっています。さらに、共働き家庭が増え、女性も働くモデルになっています。そんな中で、大卒の女性が大学4年~社会人1年目の間にかけて出産するのはあまりにリスクが高い。ただでさえ、新卒で就職し損なったらその後の選択肢が狭まってしまう状況ですし、現在の若者はそうした現状をしっかりと自覚できていると思います。
ですから、仮に22歳が医学的に「妊娠しやすい」としても、それだけを高校生に伝えても「少子化対策」には到底なり得ません。
もし、どうしても22歳での妊娠・出産を推奨するのであれば、社会の方を変える必要があるでしょう。
子どもを育てられるような生活の基盤を、性別に関わらず20歳台前半で得られるようにするのは言うまでもないですが、他にも、出産、子育てをしながら大学に通えるようなシステムを整備する。年齢にかかわらず就職できる機会をつくる。考えるべき課題はいくらでもあるはずです。
今回の副読本をきっかけに22歳で出産しても大丈夫だと思える方向に社会を変えていこうと議論するのならまだわかりますが、そこまで考えてデータを出しているとは到底思えません。
今回の騒動では、グラフの数値の誤りを認めただけですし、それが意図的かどうかに主眼が置かれているように思います。しかし、ライフコースを考える上で、医学的知見が過剰に重視され、社会的な状況が無視されていることも見逃せない問題だと思います。
プロフィール
永田夏来
1973年生まれ。社会学者。早稲田大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了 博士(人間科学)。現職は兵庫教育大学大学院学校教育研究科助教。専門は家族社会学で、妊娠先行型結婚を中心とした若者の恋愛、結婚についての調査研究をおこなっている。