現代労働問題の縮図としての原発 ―― 差別の批判から、社会的基準の構築へ

福島第一原子力発電所での事故を受けて、原発における被曝労働に、かつてないほどの注目が集まった。ひとたび事故が起こると、誰かが命をかけてしか止めることができないという非人間的な装置。「対処」を求めることが、誰かの「被曝」を要求することと同義となってしまうジレンマ。原発が惹起する残酷な現実に、多くの人がとまどわずにはいられなかったのではないだろうか。

 

ところが、事故のはるか前から、「原発労働」は悲惨な労働問題として、その存在を知られてきた。原発は事故による大規模な汚染が生じなくとも、日常的に労働者を「被曝」させ、多くのガン・白血病患者を生み出してきたからだ。事故によって改めて焦点が当てられた被曝労働は、実は平穏な日々に隠れた「裏側の日常」であった。

 

3月11日からの数日間、原子炉の冷却作業が一進一退するなかで、私自身は、事例の研究と運動の支援のために派遣・請負労働問題の裁判に出向いていた。派遣労働問題はこの数年来もっとも注目を集めた労働問題の一つであり、POSSEが課題として取り組む中心的なイシューでもある。

 

私は出身が仙台であることもあって、「いつものように」現代の労働問題に向き合いつつも、内心は震災の被害や放射能の汚染について気が気でなかった。しかし、考えれば考えるほど、原発がもたらす今日の被害は「労働問題」なのである。裁判を傍聴しながら、報告会に耳を傾けながら、そうした思いが込み上げてきた。

 

第一に、原発労働は親企業が下請企業に危険な労働を押し付けることによって、初めて成り立っている。このことは製造業の派遣労働者や、下請企業に従事する建設日雇い労働者が、危険な労働や生きていくことの難しい低賃金労働を強要されてきたことと同じ構図である。派遣労働者が「派遣切り」で自殺や貧困に追いやられたとしても、実際に不安定労働を利用した企業は「無関係」を装ってきた。実際に労働者を利用する企業の責任をあいまいにする「間接雇用」の蔓延は、雇用される者の生存を十分に脅かしてきたといってよい。

 

第二に、原発労働はまさに「死をも含みこんだ労働」を必要とするが、これは今日の過労死問題と通じている。どの程度まで危険な労働、過酷な労働を社会的に許容するのか。この点を問うてきたのが過労死・過労自殺訴訟であり、原発の被曝労働についても同じことがいえよう。

 

すなわち、間接雇用について、より強い規制が敷かれていれば、そして過労死訴訟をつうじて、人間の生命と経済活動の自由のあいだの線引きが、より人間の側に引かれる社会となれば、(直接的にではないにせよ)原発における被曝労働は許容されないのではないだろうか。少なくとも、より労働者に配慮した設計がなされただろう。世界に冠たる技術大国として、原発事故に対応するロボットを30億円をかけて開発していながら、実用化されないまま廃棄されていたことも明らかになっている。労働者の命の軽視にも程があろう。日本でこれまで原発を稼動できたのは、あるいは原発を稼動して大きな利益を生むことができたのは、こうした社会の設定する労働基準が低かったためである。

 

以上のような労働問題の視座にたって、本稿では第一に、原発における労働がどのように危険であり、それをどのような人々が引き受けてきたのかを考察する。第二に、そうした危険にもかかわらず原発労働が維持されてきた構図を、労働力供給と「差別(レイシズム)」の観点から考察する(危険の隠蔽)。そして最後に、これを是正していく社会的なプロセスについて考えたい(リスクの政治)。

 

 

「死を前提する」原発労働

 

放射線の毒性については即座に影響の現れる急性障害(確定的影響)と、経年して発症する晩発性障害(確率的影響)とに二分して考えられる。前者については比較的因果関係の特定が明瞭である一方、後者については今日でもなお、影響の全容が把握されていない。

 

そのため、放射線の晩発性の危険については「ここまでが安全」であり、「ここからが危険」という「しきい値」は存在しない。統計が教えてくれることは、放射線被曝にはどんなに低くとも「確実なリスク」が存在するということである。これまでの研究によれば、微量の放射線であっても人体に影響を及ぼすことが明らかになっている。

 

このように「しきい値」がなく、総被曝量が増えれば増えるほど、障害発症者数は増加すると見込まれるにもかかわらず、原発における労働は一人当たりの被曝量を管理し、一定以上にならないように交代(人海戦術)で行われる。基準値に到達することが「ノルマ」とされることもあり、「被曝量」が売り物であるとさえいわれる。

 

この結果、危険性は除去されるわけではなく、拡散しながら増加し、絶対的な疾病数が増大していくのである。原発労働は一定の「死の可能性」を前提し、「死」それ自体が堆積していく労働なのである。

 

「危険」としての原発被曝労働

 

ところが、こうした「死の可能性」(実際には「死の堆積」)は、これまで許容可能な「リスク」として扱われてきた。そこでリスクについて考えることが重要となる。

 

社会学では予見可能な危険を「リスク」とよび、予見不可能なものを「危険」としてこれと区別する。原発での被曝労働を「リスク」として把握した場合には、その「リスクの評価」(労働災害の認定)をめぐる政治が、「危険」として把握した場合には、これを隠蔽する抑圧の構図(下請、間接雇用)が見えてくる。そして、原発における低いリスク評価(労災認定の政治)と危険の隠蔽(下請、間接雇用)の双方は、まさに現代労働問題の縮図である。

 

 

konno

 

 

 

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