なぜ沖縄の若者たちは、地元と暴力から抜け出せないのか?

沖縄の下層の若者たちは、剥き出しの暴力に支配された地元や職場からなぜ抜け出せないのか? それは生活様式や「文化」の問題ではなく、産業構造や経済の問題だと語る打越正行氏に話を伺った。(聞き手・構成/芹沢一也)

 

 

――打越さんの研究について教えてください。

 

私は、若者文化、なかでも暴走族、ヤンキーの若者の文化について研究しています。そうした若者たちと活動をともにし参与観察をしたり、彼らに生活史インタビューを行ってきました。

 

暴走族のバイク倉庫に通い、建築現場で一緒に汗を流しながら、彼らの生活と仕事について調べるんですね。そのなかで、彼らが建築業や風俗経営業、違法な就労などといった、厳しい生活や仕事になぜ就くようになるのか、つまり沖縄の下層若者の就労をめぐる再生産過程に関心を持ちました。

 

沖縄には「ゆいまーる」という、相互に友好的に助け合う「つながり」があるといわれます。ところが、調査を進めていくうちに、このような「つながり」は下層の若者たちの社会には存在しないか、あるとしても異なるかたちで存在しているという事実に直面しました。

 

そして、下層の若者たちの「つながり」の基盤には「地元」があること、この「地元」こそが、彼らの再生産を成立させるカギとなっていることがわかってきたんです。

 

ここでいう「地元」というのは、仕事はもちろん、生活や余暇、家族関係やお財布事情や交友関係など、あらゆるものが筒抜けで抱え込まれる社会です。その分、いろいろな意味でしんどいのですが、沖縄の下層労働(建築業、風俗経営業、違法就労)の再生産に適合的です。地元の後輩を丸ごと抱え込むことで、それらの業界はなんとか厳しい状況に対応してきたのです。

 

このように私の研究は、ポール・ウィリスの『ハマータウンの野郎ども』を、現代の沖縄で展開することといえます。ウィリスはイギリスのハマータウンで、製造業の息子たちが、一見不利に見える製造業に積極的に就くにいたった過程を説明しました。

 

同じように、現在の沖縄の過酷な下層労働の再生産過程を、沖縄の暴走族・ヤンキーの若者の生活に沿って読み取り、「もうひとつの合理性」として読むことのできるエスノグラフィを描くこと。これが私の中心となる仕事です。

 

 

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暴走族の「パシリ」になる

 

――2002年に広島市で調査を始められたとのことですが、20代半ばの大学院生が暴走族の少年たちに声をかけるときは勇気がいったのではないでしょうか。

 

2002年、広島市で、暴走族の少年らに声をかけ、調査を始めようとしました。最初のやり取りを『最強の社会調査入門』(ナカニシヤ出版)で、以下のように書きました。

 

 

筆者「すいません、暴走族に興味があってメンバーにして欲しいんですけど……。」

少年A「だめ!」

(その他のメンバーは笑う。)

筆者「(少年Aに対し、)なんで、だめなんですか?」

少年A「どうしてもだめ!」

筆者「はー、そうですか。(集会には)できるだけ参加しますし、決まりも守りますけどだめですか?」

(沈黙)

少年B「おもろいじゃん。」

少年C「ええじゃん、やらせてみようや。」

(沈黙)

筆者「だめですか?」

少年A「だめに決まっとるじゃろうが、年(が違うけん)よのー。ええかげんにせーよ、われ!」

筆者「すいません。」

 

 

最初に声をかけた暴走族には、残念ながら加入を断られました。仕方がないので、違う暴走族に、調査を目的として加入させて欲しいとお願いしました。すると、そのチームのリーダーがまず話をしてから判断するということになり、近くのファミリーレストランに移動することになりました。

 

そのとき、15、6歳の彼らは、私に原付バイクの移動を頼んできました。周囲には私服警官がたくさんいたので、運転免許証を持つ私が移動した方が、なにかと面倒なことが起こらないからだと説明されました。

 

私は素直に納得して、渡された鍵でバイクのロックを解除しました。その瞬間、私は私服警官に脇を固められました。「お兄さん、このバイクどなたのもの?」。バイクは盗難車でした。その後、警察署に移動し取調室で怒鳴り散らされたあげく、始末書をかかされました。ミイラ取りがミイラになるとはこのことです。これが私と暴走族少年らとの最初の出会いでした。

 

 

――洗礼を受けたわけですね。

 

はい。私の初めての調査は、このように失敗しました。今となっては、鍵を渡された時点で窃盗バイクの可能性を読み取れないのは、とても恥ずかしいです。そしてこの出来事は、当時の広島市の暴走族の間に一気に知れ渡りました。

 

ただこれをきっかけに、その後はどの暴走族に取材のお願いをしても、私は「捕まった人」と認知され関係性を築くきっかけとなっていきました。また「なにも知らない人」とのレッテルを張られることで、ことあるごとにいろいろと教えてもらうこととなりました。結果として、よいポジションで調査を進めることができたといえます。そしてこの経験が、その後の沖縄での調査にも生きました。

 

 

――沖縄にフィールドを移して、「パシリ」として調査をつづけていくのですね。

 

佐藤郁哉さんが『暴走族のエスノグラフィー』という本を書かれています。佐藤さんは1983年に、京都のある暴走族をカメラマンとして「取材」しているんですね。そこで2007年、沖縄・ゴーパチ(国道58号線)で、私も佐藤さんと同じカメラマンとして暴走族の少年らとともに活動しようと試みました。

 

しかし私はいつの間にか、暴走族のパシリになっていました。当時28歳だった私は、10代の少年に指示されて、おにぎりや飲み物の買い出しに行かされました。この他にもバイク改造の際の手伝いや、バイク倉庫の清掃を担当しました。

 

その結果、徐々にパシリとしての評価をえていきました。2017年現在、少しは認められるようになりましたが、私の活動内容はいぜんとしてパシリのまま変っていません。

 

 

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「隙」をもつ調査者として

 

――論文で書かれている「完成度の高いパシリ」という言葉がとても印象的でした。

 

パシリというのは、年齢による上下関係にもとづき、先輩の付き人のように身の回りの世話をする後輩の役割です。ただし私の場合は、暴走族での活動が短いため、いつまでたっても年下という設定です。

 

暴走族では先ほど述べたように、タバコや飲み物の買い出し、バイクのメンテナンスなどをパシリが担当します。いうまでもなく、頼まれたことを忠実に遂行することはパシリとして重要です。ただし、忠実に指示をこなすだけでは完成度の高いパシリとはいえませんでした。あくまでもパシリは先輩より下位に位置づけられた立場です。

 

ゆえに忠実でありながらもときどきは先輩に叱責されたり、バカにされることを通じて、「俺が教えてやらないと、何も知らない(できない)奴だ」と見なされ、指導を受けるくらいのパシリが、長い目で見ると先輩との関係を良好に保つことができるのです。これは失敗することで、後輩-先輩関係を確認したり、先輩のどんどん増長する無理難題を抑制することが、結果として可能となっているためではないかと思います。

 

 

――パシリであることは、調査の上でどのようなメリットがあるのでしょうか?

 

ひとつは、暴走族の社会を、新しいメンバーと同じ時間の流れに沿って知ることができるということです。パシリに「なる」には一定の時間を必要とします。そのため、調査者が知りたい対象者や社会について、調査者のペースで調べるのではなく、対象社会に生きる人々の視点を、彼らが時間をかけて獲得するようにアプローチすることが可能となります。

 

暴走族に入りたての中学生が、当初はこれといった印象もなく、なにも実質的に貢献できなかったとしても、そこに通うことによって組織内での地位が上昇し、いつのまにか先輩として後輩を厳しく指導するようになります。この成長過程のように、彼らが経験する時間の経過に沿って、私も地位を獲得しながら調査を重ねることができました。

 

また、パシリは調査過程における失敗をカバーすることが可能なポジションです。すべての失敗をカバーできるわけではありませんが、先ほど述べたようにパシリとは失敗することで先輩から叱責され、地位が安定する役割です。それゆえに調査対象社会の「常識」を備えていなくとも、パシリとして失敗を重ねながら先輩と良好な関係を築くことが可能となるわけです。

 

 

――パシリがもつ属性が、打越さんの調査を可能にしているのですね。

 

そうですね。パシリになることは、未熟な後輩や部外者の調査者が時間をかけて失敗を繰り返すことを通じて、自ら成長し調査対象社会の一員となることといえます。沖縄での調査を始めて10年近くたちますが、幸運にも失敗をもとに調査地で出入りが禁止になったり、対象者から関係を終わらされたことは、いまだありません。

 

むしろ、失敗を繰り返すことで、関係性が深まっていくケースが多いです。私は「人あたり」がいいとはいえず、「インタビュースキル」を持ち合わせておらず、世間知らずとよくいわれます。実際、調査を開始したときには実益をともなわない存在であるばかりか、その後も失敗を繰り返してきました。そのような私がパシリを続けることができたのは、調査者の「隙」によるものだと考えています。

 

昨年、調査の方法について書いた原稿を収録した本が刊行されました(『最強の社会調査入門』)。そこで、パシリというのは特殊な調査方法ではなくて、一般化できるという話をしています。調査者にある程度の隙があることが、調査をするうえで大切であるということ。向こうが補ってくれるというのもありますし、隙がなかったら教えることは必要ない。基本、参与観察って、隙があってはじめて成り立つ調査だと思います。

 

 

――調査者の「隙」というのは、具体的にどういうことでしょうか?

 

ひとつエピソードをお話しします。

 

上地くん(仮名)という暴走族の子と、現場も一緒、班も一緒、週末も仕事のあともぜんぶ一緒だったときがありました。そのときに、上地くんの家に泊めてもらったことがあります。上地くんからすると、家に来てくれることは大歓迎だったんです。「打越さんいつでもうちに泊まりにきて」と調査のときにいってくれていました。

 

だけど、その話をお父さんとお母さんとお兄さんに通してなかった。私は何度も事前に「わけのわからない内地の人間があなたの家にいきなり来て泊まるっていうのはありえないから、私ももちろん挨拶するけど、事前に話を通しておいてくれよ」っていっておいたんですが。

 

お父さんとお母さんは温和な明るい方で挨拶もできたんですけど、お兄さんがむずかしい方でした。暴力的で、お家のものを破壊したり。そういう怖いお兄さんなので、丁寧に挨拶しようと思ってたんです。だけど、上地くんは夜に彼女と遊びに行くので、ご飯を食べたあとひとりで帰ってといわれました。

 

それで上地くんの家に帰ろうとしたら、前から酔っ払ってタクシーから降りてきた男性がいました。家に向かって歩いていって、なぜかおなじ家にふたりで入るという(笑)。その方がお兄さんでした。

 

 

――ものすごいシチュエーションですね(笑)

 

もちろんお兄さんからしたら、「誰だ、おまえは!」ってなるじゃないですか。それで「もしかして上地くんのお兄さんですか。はじめまして、挨拶遅れましたが打越です。今日から一週間くらい家に泊まらせてもらう話聞いていませんか?」といったら、「おれは聞いてない、おれは認めない」ってブチ切れて、「帰れ!」と。だけど、なぜか帰らせてもくれなくて。

 

ちょっと玄関で話していたんですが、荷物もあるので上がらせてもらいました。お父さんとお母さんはお兄さんの支配下にあるので、そのあとも私はずっとお兄さんに怒られてたんですね。ただ、このお兄さんは、家ではすごく怖いんですけど、地元のヤンキーグループのなかでは、ランクは上位層ではありませんでした。私が建築会社で働いたときに、そのお兄さんの地元の中学の先輩たちと関係がうまくとれていたということもあって、「地元でちょっと働かせてもらってて、慶太さんとかほかにもいろいろお世話になってます」という話をしたんです。

 

そうしたら、その慶太さんがお兄さんのグループのなかでトップのほうだったわけです。その名前を出した瞬間に、お兄さんの態度が豹変しました。「慶太さん、いい先輩ですよね、やさしいですよね」ってお伝えして。まあ優しいのは一瞬でめっちゃ怖いんですけど(笑)。その名前を出した瞬間に、「そうか、おまえは慶太さんの知り合いなんだ」「泊まるくらいだったらいいよ、泊まってけ」って。そのあとはもう、意気投合できました。

 

 

――今のお話が調査とどう関連するのでしょうか?

 

お父さんとお母さん、そしてお兄さんに事前に確認をとれていない状態で、私は見切り発車してるんですよね。上地が事前にいってないことも十分想定できるのに、初日の晩から泊まるつもりで乗り込んでいます。いまとなれば、日中にまずは挨拶だけ済まして、了解をとれた段階で泊めてもらうかたちがよかったのかと思います。

 

そのような、ほんと隙だらけの手順でしたが、あの日お兄さんに一時間以上怒られていたとき、その最中お母さんはずっとテレビでドリフ見て爆笑されてたんですね。私からすると、「助けてよー」と心で叫んでましたけど。お父さんは酔っ払ってるんで、ときどき私が怒られているなかに入ってきて「まあ、いいさあね」といってくれるんですが……。ただ結果としてそれはお兄さんの怒りに火に油を注ぐことになって、そういうことをお母さんは知ってるんだとそのとき感じました。

 

お母さんはテレビを見ながら時間がたつのをじーっと待ってて、お兄さんと私が意気投合したころになってはじめて「よかったさー」っていってくれました。お兄さんのお家での様子が、お母さんのその生活に埋め込まれた作法のようなものから見て取れると同時に、お兄さんの地元社会での立ち位置とお家での立ち位置を目の当たりにすることができました。

 

私が隙だらけであるがゆえにお兄さんに怒られてしまったのですが、それゆえに見せてもらったことや教えてもらったことがあり、もちろん狙っているわけでは決してないんですが、その生活の仕掛けを見せてもらいとても感謝しています。

 

パシリという立場は、調査対象者との関係の長さや深さといった基準ではなく、調査者が調査対象社会や対象者とのやりとりに巻き込まれるか否かといった基準が重要だと考えています。この両者の出会い方こそが、調査の文脈を読み解くために重要になってくる。そして、その理解のためには調査者がそれらの文脈に直接に巻き込まれる余地としての「隙」が欠かせないように思います。

 

 

『暴走族・ヤンキー若者のエスノグラフィー』を書く

 

――博士論文を『暴走族・ヤンキー若者のエスノグラフィー』として書籍化すべく、現在、クラウドファンディング(https://camp-fire.jp/projects/view/22308)に挑戦中です。

 

博論では、暴走族の子たちがめちゃくちゃな先輩たちから、めちゃくちゃな暴力的仕打ちを受けているのに、なぜ地元に住みつづけるのかという話をしています。それを建築系と風俗系という、ある程度締めつけがないと回せない業界の仕事の構造から説明しました。鵜飼いのように地元の後輩との関係性をつくって、彼らを雇用するかたちが、沖縄の下層社会で定着しています。

 

その結果、仕事のまわし方が人間関係まで規定してしまうので、階層移動も社会移動もしにくい。独特な関係性が沖縄の下層社会に定着している。これは、都市部の貧困層のあり方とは対照的です。

 

たとえば内地の製造業だと、派遣労働に典型的に見られるように、雇い主は労働者を流動的に配置転換します。固定して雇うのは育てることが前提となりますが、ここではそうではなく、完成品を使い捨てることが起きています。そのために生活面では、個人が分断されていた方が適合的であるというのが、都市の製造業の実態です。そうした流動性や分断とは対照的に、雇用は固定的で生活も集団的なかたちが沖縄にはあります。

 

沖縄と内地とのこのような違いは、しばしばいわれるようには、沖縄の共同体のあり方や生活様式といった固有の文化によるものではありません。産業構造やそれに方向づけられる相互行為によるものなのです。こうした視点は、岸政彦さん(龍谷大)と上原健太郎さん(大阪市立大大学院)、上間陽子さん(琉球大)たちとの共同研究から示唆を受けました。

 

岸さんは沖縄研究でいろいろな立場があるなか、どれも沖縄の文化(生活様式)から議論を始めていることを指摘します。それに対し私たちの共同研究では、公務員の安定層、自営業者の中間層、建築業の下層といった階層から、共同体のあり方を描き直そうとしています。

 

 

――そもそも沖縄の下層の若者たちは、暴力が支配する固定的な関係からなぜ抜け出そうとしないのでしょうか?

 

内地と比較すると沖縄では、暴走族の若者の就労環境をめぐって大きな違いがあります。内地ではたとえば、電気や建築関係の仕事を紹介できる親戚のおじさんがいたら、暴走族を抜けるという選択肢が生まれます。沖縄の場合は、親も含めて就労環境が非常に厳しい状況にあります。そういう選択肢がほぼありません。あったら、その親がその仕事に就いていると思います。  

 

また、沖縄の男の子たちはちがう地域に行けば仕事があるとしても、生まれ育った地元以外の場所で、暴力を受け続ける関係に取り込まれることに抵抗があります。暴力を回避する見通しを持てないからです。

 

 

――地元の外だと、暴力の将来予測が不透明ということでしょうか?

 

そうです。日雇いの飯場のシステムとは異なり、たとえば建築会社では、若者たちは地元の人間関係をベースとして仕事に就いています。建築業では、先輩後輩の層じたいも暴力を含みこんでいるのですが、従業員は時間の経過とともに能力を身に着け、職場の人間関係が落ち着いていく見通しがある。

 

その見通しをより安定的にもつには、後輩として(不特定の先輩ではなく)特定の先輩につくほうが有効です。また使いまくる先輩も、後輩を意のままに使えることも含めて仕事を続けているので、地域間移動や転職はきわめて困難な状況です。結果として、地元とか、知っているところで探すほうが、相対的にましになっているわけです。

 

こうした理由から、私が見てきたような沖縄の若者たちは、そのような、よりましな選択肢をとらざるをえません。一見すると、心機一転、住む場所や仕事を変えるという選択肢があるように見えます。しかし、彼らの感覚からすると、建築業で転職するというのは相当むずかしいものなのです。

 

自分の地位や境遇などを求めて10年間おなじ現場でやってきたので、簡単に隣町の同業者のところで働けるわけではないんです。また、「兵隊」として動いてくれる後輩たちも込みで日々の仕事をまわしているので、個人で動くことはきわめて難しい状況にあります。ゆえに地元の人間関係で仕事に就き仕事をまわします。そしてそれは、この業界の再生産に寄与していることも事実です。

 

 

――きわめて狭く固定した人間関係のなかで、それとして合理性をもった世界のなかに生きているのですね。

 

私は4回ほど、建築現場で参与観察をさせてもらいましたが、剝き出しの暴力、過酷な上下関係がその世界の特徴でした。その暴力を正当化はできませんが、その行為の合理性をつかむことは必要なことだと考えます。それによって、沖縄社会の、とくに下層の人びとの生活の特徴やその変化をつかむことをつながるからです。

 

ある建築会社での話なのですが、沖縄の建築現場では、先輩たちが後輩たちを暴力でもってシゴくことが日常的に行われていました。とくに10代の従業員は失敗することが多く、ミスをおかすとやられます。30代の従業員はこの様子を以下のように語っていました。

 

 

「俺も若い時はやられた。ただ(10代の頃は)あと5年踏ん張ればこういうことがなくなると思ってふんばった」

 

 

ここからは、しごきという名の暴力は、10代の5年間程度で終わること。そしてそのモデルケースもあり、そのような将来への見通しを持って、10代の頃はしごきに耐えて今があると話してくれた。実際この従業員は5年踏ん張って殴られなくなっていました。

 

 

――そして、暴力による関係の構造化は「文化」ではなく、「経済」によるものなんだと。

 

彼らは中学時代の関係性のまま、年齢を重ねていきます。その過程で自分のステージを変えていく通過儀礼の機会が圧倒的にない。たとえば、仕事に就く、仕事に慣れて地位や給与が上がる、使っていた後輩にことあるごとにおごることで後輩から尊敬される存在となる、そして結婚や子育てをする、このような機会が通過儀礼として機能しないのです。

 

彼ら自身も、地元の後輩たちから尊敬されたいし、暴力以外のかたちで、多少マッチョですが継続的に支配下に置きたい。だけど、それができない。なぜなら、後輩におごることさえむずかしいお財布事情だからです。このような通過儀礼の機能不全が生じた理由は、沖縄的な生活様式、つまり文化によってではなく、ただ単純に沖縄の産業構造や経済、つまり先輩のお財布事情によって生じたものと、私は見ています。

 

彼らの多くは、沖縄的な「ゆいまーる」のつながりをもとうとしていますが、それがむずかしい状態にあります。仕事で稼いで、疎遠だった家にお金を入れたい。ビーチパーティをするときにつながりをたどって、血縁関係にない父親の製氷工場でくず氷を無料でもらって、「打越、ゆいまーるってわかるか。困ったときはおたがいさまよ」と話してくれる。ただし実際のビーチパーティは「ゆいまーる」とはほど遠いです。30時間ほどやってもほとんど後輩たちは来ません。来ても30分程度顔を出してすぐに帰ります。

 

こうした環境にあるために、沖縄の場合、暴走族から抜けることはあまりない。そのつながりのなかで、ちょっとずつ、いい意味で落ち着いていくのが、考えられる方向性だと思うのですが、それがむずかしい。そのつながり自体は強いものがあります。ただし落ち着いていくための資源が圧倒的にないわけです。

 

 

――打越さんは沖縄の下層若者の調査を通して、どのような気づきをもたらそうとしているのでしょうか?

 

暴走族やヤンキーの若者たちの生活や就労環境がしんどいことの要因を突き詰めると、沖縄社会における階層格差、沖縄の産業構造、とくに建築業における内地ゼネコンとの力関係、基地の存在、そして最終的には内地と沖縄の植民地主義的な差別構造に行きつきます。加害の立場にある内地生まれの私がどのツラさげて沖縄で調査してるんだという気持ちはつねにあります。

 

そのうえで、私がやっていることは、沖縄の若者たちの「しんどさ」を理解し、それを彼らが主体的に選ぶにいたる図式を抽出し説明することです。岸政彦さんは「他者の合理性の社会学」といっていますが、つまり、自分とは異なる他者の一見するとわけのわからない言葉や行動を、一般の人びとが理解できるように説明すること、その精度と質にこだわっています。

 

他者の行為の説明の精度と質が悪いと、別世界のビックリ話で終わってしまいます。「へー、こんなひどい世界があるんだ、かかわらないでおこう」と。それに対して、精度と質が高いと、そこに大きな歴史とか社会構造とかが必ず入り込みます。そして、一般の人びとに「もし私がその歴史と社会構造に存在したら…」という想像力が生まれます。

 

共同研究者の上間陽子さんが、沖縄の女の子のインタビュー調査をもとに書かれた『裸足で逃げる』は、その成功例です。女の子たちは基地について何も語りませんが、基地の存在が彼女たちの生活に間違いなく大きく刻み込まれている様子が読み取れます。そして多くの読者に、沖縄の女の子への想像力を生み出し、そういう女の子が実際に「いる」という感覚を提供しています。

 

私が進めたいことは、沖縄の下層の男の子たちの生活と就労世界が再生産される過程の説明です。読者の想像力を生み出せるようなエスノグラフィを書くこと、そこに懸けています。それが私の仕事だと考えています。

 

 

ご支援ください!

 

打越正行氏によるクラウドファンディング「『暴走族・ヤンキー若者のエスノグラフィー』を書く!」をどうぞご支援ください。⇒ https://camp-fire.jp/projects/view/22308

 

 

[付記]

このインタビューでの回答は、以下の文章にもとづいています。快くご協力いただいたナカニシヤ出版の酒井敏行氏、太田出版の柴山浩紀氏に感謝申し上げます。

 

打越正行,2016年7月25日,「暴走族のパシリになる――『分厚い記述』から『隙のある調査者による記述』へ」木下衆・朴沙羅・前田拓也・秋谷直矩編著『最強の社会調査入門』ナカニシヤ出版,86-99.

打越正行,2016年8月6日,「動く人(第8回)――暴走族のパシリになる」『atプラス――思想と活動』29: 110-127,太田出版.

 

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vol.218+219 特集:表現の自由とポリティカル・コレクトネス

<ポリコレのジレンマ―政治・芸術・憲法から見た政治的正しさと葛藤>

・第一部 テラケイ×荻野稔(大田区議会議員)

・第二部 テラケイ×柴田英里(アーティスト/フェミニスト)

・第三部 テラケイ×志田陽子(憲法学者)

<『裸足で逃げる』刊行記念トーク>

上間陽子×岸政彦「裸足で、いっしょに逃げる」

<連載エッセイ>

齋藤直子×岸政彦「Yeah! めっちゃ平日」

○シン・編集後記(山本ぽてと)