2013.06.02
生活保護とクィア
生活保護改正
「生活保護」とは、すべての人が「健康で文化的な生活の最低水準を維持する」という理念にもとづき、それを実現するためにつくられた制度です。
生活するために必要な服や食べ物にかかるお金、光熱費、義務教育を受けるためのお金、家賃など住む場所にかかるお金、病院にかかるときにかかるお金、介護にかかるお金などなど、わたしたちは、いつもつねに自力で用意することができるとは限りません。近年の就職難で仕事を失うという経験は、誰にとっても身近なものとなりました。リストラにあったとき、契約を更新されなかったとき、派遣を解除されると同時に雇用関係も切られたとき、わたしたちが自分の「健康で文化的な生活の最低水準を維持する」ためのお金を自力で調達するのは非常に難しくなります。
ある程度の給料の仕事がすぐに見つかればいいでしょう。しかしそうなるとは限りません。また、病気になったりケガをしたとき、ストレスやメンタルヘルスの問題を抱えて仕事することが難しくなったとき、生活費が調達できなくなることもありえます。そうでなくとも、たとえば自分ができる限り働いて、それでも「健康で文化的な生活の最低水準」を送るには給料が少なすぎるとき、一体どうしたらいいのでしょうか。そういうときのために、生活保護の制度があります。
しかし、すべての人に与えられるとされる「健康で文化的な生活の最低水準を維持する権利」は、事実上、生まれもって持っている権利としてではなく、国や自治体によってその都度、「与え」られたり「与え」られなかったりするものとして、運用されています。「水際作戦」という言葉があります。岩永理恵さんが「生活保護法改正案への反対意見」https://synodos.jp/welfare/4071 で詳しく説明していますが、これは、生活保護を申請する窓口において職員が、さまざまな方法を用いて申請の受け取りを拒否する行政のやりかたのことを指します。
こうした実態がありながら、ある時期からメディアは、生活保護が受けられず困っている人の話をおろそかにしてきました。この背景には、自民党の議員に目をつけられた芸能人の母親の生活保護問題がきっかけとなり、生活保護受給者バッシングの世論が作り出されたことがあります。
しかしこのバッシングに非常に不合理なものが多数含まれていることは、「生活保護基準引き下げのどこが問題? STOP!生活保護基準引き下げ」https://synodos.jp/faq/601 で指摘されている通りです。そんななか、自民党安倍政権が正にこのバッシングの流れを利用することで生活保護法改正案を閣議決定したのが、5月17日のことです。この改正案の内容は、大西連さんの「生活保護法改正法案、その問題点」https://synodos.jp/welfare/3984 にて詳しく説明されています。これは、水際作戦を合法化することによって、もともと非常に高い申請のハードルをさらに引き上げようとするものです。
貧困とクィア
さて、このような生活保護制度、あるいは生活保護論(バッシング)は、クィアにとって何を意味するのでしょう。
「クィア」という言葉は、もともと「奇妙な」という意味が転じて「変態」「性的に倒錯している」といった意味で使われ出した英語の “queer” を、日本語風に読んだものです。 “queer” は、とくに男性同性愛者に対しての非常に強い侮蔑語で、言われたときのショック度で言えば日本語の「キモいホモ野郎」と同じくらいにはショックな言葉です。しかしあるときから、この言葉をあえて自称のために使う人たちが現れました。その背景には、1980年代米国のエイズパニックがあります。
当時エイズは “gay cancer” (ゲイのガン)と呼ばれ、政府が責任を持つべき公衆衛生上の問題ではなく、ゲイ男性のライフスタイルの問題・自己責任の問題であるとされていました。周りで毎日のように死者が出ているのに何もしてくれない政府に対し、HIV感染の危険が高かったゲイ男性や黒人、貧困層の人々や売春に従事している人々たちが、エイズ運動を起こします。エイズ運動は、「レズビアン」や「ゲイ」といった個々の集団ではなく、人種、階級、職業をまたいだ連帯を可能にしました。この結果、すでに多くが命を失ったあとですが、1987年にようやくレーガン政権がこの問題に着手し始めることになります。
「性に関して少数派の位置に置かれていることで、国や地域、家族、友人などから見殺しにされるのはおかしい」―― そういう思いが、米国の性的マイノリティを中心として広がって行きました。そんななかで、性に関する規範がときには人を殺してしまうということに意義を申し立てる態度として、「クィア」という言葉が使われるようになります。「変態」で何が悪い、「変態」なら何もかも自己責任なのか ――「クィア」という言葉には、政府を始め、社会に対するそのような強い抵抗意識・異議申し立ての思いが込められています。
「LGBT」という言葉が、日本でも性的マイノリティの運動の場やメディアで頻繁に使われるようになりましたが、「クィア」は性に関する規範によって排除されていたり、排除される可能性がつねに身近にある人々を指す、より大きな意味の言葉です。ここにはもちろんレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの人々が多数含まれますが、これらのアイデンティティを持たない人々もまた、クィアでありえます。
一方で「LGBT」という言葉は、徐々に経済的な意味を持ち始めています。「国内市場5.7兆円」「LGBT市場、狙う企業」「巨大市場『LGBT』」「手つかずの巨大市場」―― 昨年からそんな言葉が、経済系メディアの見出しを賑わせています。性的マイノリティをテーマにしたパレード(俗に「プライド」と呼ばれます)にも企業の協賛が入るようになって来ました。米国や英国を始め欧米諸国の多くでは、すでにこの「LGBTの商業化」が起きており、プライドの企業中心主義、いわゆる「ゲイタウン」の白人化、中流階級化、ジェントリフィケーションなど、さまざまな問題が指摘されています。
こういった最近のメディアでの「LGBT」の取り扱われ方を見て、「クィアは経済的に余裕があるんだろう」と考えるかもしれません。しかし、そもそも人口の15.7%(2007年)が貧困状態にあるという現実があります(正確には「相対的貧困」という状態です)。貧困状態にある15.7%のなかにクィアが入っていないということは、考えにくいことです。「LGBT市場がある」ということと「クィアには貧困が多い」ということは同時に存在することであり、同時に考えなくてはならない問題です。
クィアのなかには、異性との婚姻関係を結んでいる者もいますが、多くの場合、婚姻制度を利用していません。国が調べる「世帯」の種類では、「単身」「母子家庭」「父子家庭」「高齢単身」「その他」にあてはまることが多いでしょう。2007年の単身者の貧困率は、男性で25%弱、女性で35%弱です。「母子家庭」になると55%を超えます。父子家庭では30%弱です。「高齢単身」世帯は男性が40%弱、女性が50%強となっています。「その他」の世帯でも、男女ともに20%を超えています。全体の貧困率が15.7%であることからも、婚姻関係を結んでいない世帯は、それだけで貧困に陥る割合が高いということがわかります。また、男女の数値を比較すると、行政に「女性」と区分されている人は、「男性」と区分されている人よりも貧困に陥る確率が高いこともわかります。
クィアであることと婚姻関係を結びづらいことは関連しており、婚姻関係を結んでいない世帯が貧困に陥る確率が高いということは、クィアであることが(少なくとも間接的に)貧困に陥ることと関連していることを意味します。また、クィアであり、かつ行政に「女性」と区分されている人は、そのなかでもさらに、貧困に陥る確率が高いことになります。
また、クィアには日本国籍を持たない者も多数います。生活保護を受けている外国人世帯のうち、単身世帯はその60%を超えています。生活保護を受けている全世帯の約55%が単身世帯ですから、「単身で暮らしている」ことだけでなく、「外国人である」ということがさらに貧困を身近なものにしていることがわかります。さらに、生活保護の対象は「日本国籍保持者」(大分地方裁判所)や「一定範囲の外国人」(福岡高等裁判所)に限定されるとする判例があり、すべての外国人が生活保護を受けられるわけではありません。
クィアであることは、婚姻関係を結びづらいことだけを意味するのではありません。雇用の問題、医療の問題なども、わたしたちクィアの生活に大きな影響を及ぼしています。
クィアの多くは、異性愛ではない性的な指向(どのような性別を性愛的に求めるか)だったり、生まれ育つなかで医師や行政、その他周囲の環境によって決められた性別に不当に求められている行動・振る舞いの規範に合致しない行動・振る舞いをしたり、したいという希望があるといった点で、社会のあらゆる場面で、不当な扱いを受けたり、不当な扱いを受けるのではないかという不安を感じさせられています。
たとえば、仕事に応募する際に提出を求められることの多い、いわゆる「履歴書」に、性別を書き込む部分があること、そして写真を貼る部分があることを問題化している人がいます(たとえば諸葛やかさん)。仕事を探しているクィアにとっては、この他にも多くのハードルが存在します。一般的な就職の悩みはもちろんのこと、それに加えて、制服が決められているのか、男女で仕事内容が分けられた職場なのか、職場のトイレはどうなっているのか、職場の上司や同僚は理解ある人間なのか、面接に行くときの服装はどうすべきかなど、さまざまなことを考えてしまうクィアは多いです。
その不安から、応募することをあきらめることもあります。雇用の機会はそもそも、大卒か高卒か中卒か、女性か男性か、障害者か健常者か、高齢者か現役世代か18歳未満かなど、さまざまな点において不平等ですが、クィアであることもまた、雇用の機会を狭めるひとつの要素になっています。
さらに、職場の嫌がらせやセクハラを受けるなどのケースも、クィア、とくに女性として就労している人には、身近なことです。企業に少しずつカウンセリング制度や相談窓口が設置されてきているとはいえ、それらの制度を利用すると職場にいづらくなる、相談窓口の人間がそもそもハラスメントを行う、派遣先企業のそういった制度を利用することが派遣労働者には許されていないなどの状況に加え、わたしたちクィアには、窓口の人間やカウンセラーに自分の性的な指向や性別のアイデンティティ(あるいは行政管理上の性別)を明かすなどする負担があったり、そうすることで自分の立場が不利になるかもしれないという不安があったりします。
クィアとメンタルヘルスの問題についても、「LGBT」という枠組みだったり「ゲイ男性」に特化した統計だったりしますが、少しずつ調査がされてきています。日高庸晴さんの調査によると、10代のゲイ・バイセクシュアル男性が自傷行為をしたことがあると答えた割合は17.0%であり、首都圏に住む男子中学生全体のうち自傷行為をしたことがあると答えた割合(7.5%)よりも二倍以上大きい数字が出ています。また、異性愛男性が自殺未遂をする確率よりも、ゲイ・バイセクシュアル男性が自殺未遂する確率は約6倍も多いことがわかっています。
米国の調査では、レズビアン女性も同じように、異性愛女性よりも高い割合で自殺未遂をしているようです。さらに自殺で死亡した若者の約3割が同性愛者であるという調査もあります。また、メンタルヘルスは、決して自傷行為や自殺だけの問題ではありません。精神的につらいとき、それまでと同じような生活を送れるひとはあまりいません。仕事をしていても、行けなくなってしまうかもしれない。ましてや精神的なつらさの原因が職場にある場合は、それに耐えながら出勤することは大きな苦痛でしょう。
自ら休職や退職を選ばなくても、メンタルヘルスについて企業の理解がまだ浸透していない現状では、仕事を休みがちになったり業務に支障が出ることなどを理由に解雇されることだってあります。メンタルヘルスの問題を抱える人は誰しもこういった困難に直面していますが、メンタルヘルスの問題を抱える確率が高いクィアにとって、こういった困難はさらに身近なものとなっています。
クィアにはさらに、ホルモン治療や性別再指定手術などを受ける者もいます。しかしこれは、健康保険の適用外のため、全額を自分で負担しなければいけません(戸籍変更後のホルモン補充療法は適用となります)。現在、健康保険の対象を拡大するよう求めている団体もありますが、現在は、ホルモン治療や性別再指定手術を望む場合、自分で費用を払える状態になるまで待たなければいけないという状況です。生活のために劣悪な労働環境を我慢している人は世の中にたくさんいますが、ホルモン治療や性別再指定手術を望む人たちにとってはさらに、貯金をしないと自分の本来望むあり方での生活ができないという理由が上乗せされています。
そもそも健康保険という制度自体が、クィアにとって望ましい運用をされていません。健康保険とは、毎月一定の額の保険料を払うことで、病院にかかったときに医療費の7割を免除されるという制度です。個人で国民健康保険に加入することも可能ですが(「国民」とありますが、過去1年以上日本に滞在している外国人も加入可能です)、勤め先で週にフルタイムの人の4分の3以上の時間働いていれば、社会保険(健康保険と厚生年金のセット)に加入することになります。社会保険料は企業と本人で半分ずつ負担することになります(そのため、社会保険に入れる就労状況であるにもかかわらず、それを労働者に伝えずにいる企業もたくさんあります)。
社会保険の場合、自分だけではなく扶養している子どもや配偶者、親や兄弟なども健康保険を利用することができます。さらに、自分の年金料を一定期間以上、毎月払うことで、配偶者も将来年金を受け取ることができるようになります。これは制度ができた当時、専業主婦や兼業主婦を守るためにできた制度ではありますが、健康保険に限らず、社会保障の制度が「異性愛の男女がつくる家族」を前提としていることから生じている問題です。
健康保険や年金、生活保護などの社会保障の制度は、いわゆる「家族」を前提としています。現在法律で認められるかたちの「家族」は、そうでない世帯と比べて、健康保険や年金の面で有利になるようになっています。また、「家族」による自助努力(自分たちで頑張ること)を前提とし、それをいま法改正によって強制しようとしていることは、クィアにとって非常に大きな問題です。
もちろん現行の健康保険制度は、クィアでないからといって問題がないわけではありません。たとえば個人で入ることのできる国民健康保険と国民年金も、在日コリアンにとっては、1965年(韓国籍)もしくは1970年以降(「朝鮮」籍))に健康保険加入が可能となり、1982年に年金加入が可能になるまで、利用することはできませんでした。しかし1982年の時点ですでに36歳以上だった在日コリアンは、「60歳までのあいだに25年以上年金料を払えない」ことを理由に年金から排除され、今でも無年金の高齢者となっています。生活保護を受けている外国人世帯で在日コリアンの割合が大きいのは、こうして年金制度から排除された在日コリアンが高齢者になって生活に困難を来しているという背景があります。
この他にも、たとえば滞在権の問題があります。「日本人の配偶者等」「永住者の配偶者等」「家族滞在」などの在留資格を持つ外国人は、結婚していることなど、家族が日本で滞在権を持っていることを前提に滞在権を付与されています。このなかで、「家族滞在」の就労資格を持っているひとは、就労するために入管の許可が必要で、許可の内容も「週に28時間以内の就労」に限定されています。
また、「配偶者」としての在留資格の場合は、同居していることが要件とされ、さらに6ヶ月間以上「配偶者としての活動」がない場合は、在留資格を失うことになります(暴力がある場合など事情によっては、「短期滞在」や「定住者」に切り替えることが許可される場合もあります)。これは、「日本人の配偶者等」「永住者の配偶者等」「家族滞在」などのビザがいかに不安定な在留資格であるかを表しています。そしてこれは、そのようなビザで滞在している外国人に、自由意志で離婚や別居などをさせない機能を持っています。
いわゆる「家族」というものにこれだけの機能がまかされているということは、「家族」をつくることを非常に困難にさせられているクィアにとって、そしてクィアであるかそうでないかに関わらず日本国籍を持たない人にとって、現行の仕組みがとても不便に、不平等にできていることを意味します。そのなかでも行政に「女性」と区分される人にとっては、さらにもっと不平等なつくりになっています。
クィアに「フレンドリー」である議員、とは誰のことか
「生活保護問題」が大きな注目を集めるなか、自民党安倍政権では「自助」(自分でなんとか頑張ること)を基礎とする方針を打ち出し、大きな支持を受けています。個々の議員もまた、「現金支給と現物給付」という現行の組み合わせから「現物給付」への移行をうたい、「自助」を全面に打ち出しています。
東洋経済オンラインで『国内LGBTに訪れた大きな“うねり” 自民党議員が!為末大さんが!』という記事が掲載され、自民党の議員にセクシュアル・マイノリティに協力的になりつつある人がいることが報じられました。そこでは、セクシュアル・マイノリティに関する新しい会を立ち上げようとしていたり、当事者団体と交流をし始めている議員たちが紹介されています。ここでは、この4名の他の政策や方針を紹介します。
●牧島かれん議員
・生活保護は現金支給から現物給付へ、もしくは購入制限がかけられるカード使用に移行する
・生活保護においては、就労支援と、チェック機能の強化をする
・法人税を国際水準にあわせ、現役世代の負担を軽減する
・健康保険の適用範囲を厳格化する
・憲法で自衛隊の位置づけを明確にし、武力攻撃に対応できるような条項をつくる
・「離島における防衛力を強化」する
●馳浩議員
・「日本の未来に責任を ―― 子を育て 妻をいたわり 親守ろう」(スローガン)
・「生活保護の不正受給は許さない」
・生活保護は現金支給から現物給付に移行する
・「自助を基本に共助・公助のバランスが必要」
・「対中国への脅威を共有し、国際社会として連携した、毅然とした対応」を取る
・「4月28日[…]主権回復の日…政府主催式典が、今までどうして開催されなかったのか[…]外交権を回復した、国家の独立を考える、歴史的な一日に、すべき」(このブログには、知り合い男性を強引に見合いさせた様子も書いてあります)
●福田峰之議員
・「現在2歳の二人が縁あって出会い、結婚し、30歳になった時の社会を、絵でイメージ[…]そのために、私たちは10項目の政策を具現化」
・「『自助>共助>公助』の原則」
・「生活保護の水準を基礎年金給付額以下に引き下げ、現物給付と『購入品目制限付きクレジットカード』を併用」する
・「軽症の保険適用除外、高額先進医療への適用厳格化」を行う
・「相続税の廃止」をする
・「集団的自衛権の行使を認め[…]自衛隊を憲法上明記する。日米安全保障体制をさらに深化させ、特にアジアの安全保障における日本の役割を拡大」する
・「領土・領海侵犯に対し、実力を持って排除できるよう国内法や組織・機関の整備」をする
・「ODAは国益に直接資するか否かを基準とし、戦略的に運用」する
●橋本がく議員
・「生活保護の見直し:現物支給の拡大、就労支援」をする
・「生活まで無条件で国が補償する制度は、必ず人を堕落させる」
・「自主憲法の制定:自衛権の明記・自衛軍の位置づけ」をする
・「我が国の主権と領土を守る外交・安全保障」をする
社会を変えて行きたい ―― そう思ったとき、現政権の自民党の議員にアプローチするというのは現実的なやり方ではあるでしょう。さまざまな議員にアプローチするなかで自民党の議員にもこういった働きかけをするというのは、信念のある活動家が行っていることで、無下に否定できるものではありません。また、「LGBT」の生活をよりよくするために動く議員が増えること自体は喜ばしいことです。
しかし一方で、記事で名前をあげられた4名全員が生活保護を厳しくすることを政策にあげていることや、保険適用範囲を狭めようとしている議員もいることを考えれば、「セクシュアル・マイノリティにとっての味方」であるか否かというのは、「LGBT」に直接関連する法律への賛否ばかりでなく、複合的に考えなくてはいけないことが分かります。
生活保護法の改正案では、わたしたちが生活保護を申請したことを「扶養義務者」(配偶者、親、子、兄弟姉妹、そして場合によっては姪・甥、祖父母、孫、曾孫、おじ・おば、曾祖父母まで)に通知し、さらに「扶養義務者」に収入等を報告させ、それが本当の額なのかどうか調べることができるようにする案です。これが実現すれば、親族らに「あなたは扶養義務者です。扶養してください」「収入を報告してください」という要請がいき、さらに市役所や税務署、年金事務所にその報告を裏付けるための調査が入ることになります。
しかしクィアは、生まれ育つなかで決められた性別に求められる服装や立ち居振る舞いをしていなかったり、「異性」との性愛関係を結んでいなかったり、結ぼうとしていなかったりするなかで、自分の望む生き方と周囲の「こうあるべき」という規範とのあいだに挟まれています。そうしたなかで、わたしたちのなかには、家族と良好な関係を築き、維持できているわけではないという人がたくさんいます。
家族がつねに自分を理解してくれるわけではないのはクィアだろうとそうでなかろうと皆多かれ少なかれ同じだと思いますが、地元から離れて暮らしているクィア、親子の縁を切って独立しているクィア、家族の冠婚葬祭に出ることをあきらめているクィア、自分の望む生き方を隠しながら家族と住んでいるクィアなどがたくさんいるのも事実です。
クィアであることだけが原因ではないかもしれませんが、自分の服装や立ち居振る舞い、性愛関係の結び方や欲望のありかたが、親など家族との関係を悪くしてしまった、という人はたくさんいますし、そうなるのではないかという不安から、悩んでいるクィアがたくさんいます。実家を出て単身都会に出たものの、仕事がなく、困窮しているというクィアもいます。
そんなクィアにとって、生活保護の水際作戦は、これまでも非常に「有効」なものだったでしょう。家族に連絡するぞと言われて、クィアはその職員にどう自分の状況を説明できるでしょうか。親とは、兄弟姉妹とは、良好な関係にありません ―― そう言って「あぁそうですか、わかりました」と引き下がってくれる職員はなかなかいないでしょう。
「俺はトランスジェンダーで、親に勘当され、それ以来連絡を取っていません」「わたしはレズビアンで、家族に反対されたまま今のパートナーと同居し始めたので、連絡はしないでほしいです」―― 事情を説明するために、窓口でカミングアウトが必要だというのでしょうか。しかも、そこまで説明すれば「厚生労働省令で定める事情」にあたると判断され、通知なしで生活保護申請ができるという保証も、まったくないのです。
「家族」規範とクィア、同性婚
「家族」はこうあるべきだ、「家族」になるべきだ、という規範は、国の社会保障制度を始めあらゆる制度の基盤になっています。家族とは助け合うものである。たしかにそうかもしれません。わたし自身家族に助けられてきましたし、親類同士の助け合いを切実に必要とする文化に生きてきました。
しかし扶養義務者に収入の報告をさせ、その裏付けまで取るという今回の改正案は、自民党安倍政権が社会保障を縮小させ、まさに「自分のケツは自分で拭け、自業自得だ。もし自分で拭けないなら家族でやってくれ」という方針をおしすすめようとするなかで出てきた改正案です。
過去を振り返ると、1929年に(当時は「救護法」)制定されてから1950年まで、扶養義務者が扶養できる場合は生活保護の対象としないという内容の法律がありましたが、これは「民法の認める扶養義務者がいるのに国が救護してしまうと家族制度(イエ制度)が破壊されてしまうから」(生活保護問題対策全国会議, p.13)という趣旨であったと言われています。今回の改正案は、実質的に扶養を強制するという点で、この古い考え方に回帰しようとするものです。
これはクィアにとっては、たとえば同性婚を法的に認めたときに、多少改善される部分もあるでしょう。年金料を一定期間おさめた人の配偶者が将来年金受給できるという仕組みは、同性婚が実現すれば、たしかに同性のパートナーを持つクィアの老後をマシにするでしょう。共働きであれば、世帯収入も大きく変わるでしょう。しかし、上で書いてきたようなことをすべて考えると、同性婚を実現することは、むしろ「結婚」に多大な機能を任せ「自助」を強制しようとしている自民党安倍政権のもくろみに、加担してしまうことにもなりえます。
クィアと一言で言っても、その立場は様々です。同性婚が法的に認められれば十分だと思う人、生活保護を受けないと生活ができないひと、家族が借金を抱えている人、母子家庭で育ち母を扶養しながら契約社員として働いている人、メンタルヘルスの問題を抱えて仕事を失いそうな人、親が年金をもらっておらず財産もない人、日本国籍を持っていない人、病気や障害があるが保護対象となっていないため生活が苦しい人、子どもを高校や大学に行かせるお金のない人など、さまざまな人がいます。つまり、「これをすれば、LGBTにフレンドリーである」という政策は、それ自体が多様性を単純化することにもなりえます。
もしかしたら多くの人は、クィアが同性愛者の権利を求める運動や、差別禁止法の制定を求める運動ばかりに全力を注いでいると思っているかもしれません。しかし、女性の貧困の問題についてずっと活発に運動に携わってきたレズビアン女性、トランス女性などがいることも事実です。
また、最近世論をにぎわせた「女性手帳」は、子どもを生み育てやすい経済的・社会的基盤を形成することに力を注ぐのではなく、女性を対象にした「啓蒙」「教え」に力を注ぐことで、少子化の原因があたかも女性の無知や無理解にあるかのような問題のすりかえをし、女性の自己決定/自己責任の問題に矮小化しようとしています。この女性手帳配布のニュースや生活保護法の改正案が出てきたなか、クィアのなかにもこういった「自助」重視の流れに不安を感じている人たちがたくさんいます。
わたしは、生活保護の問題、そしてその他多くの社会保障制度の問題が、クィアにとって身近な問題であることを、もっと多くのクィアが認識しなければいけないと思っています。わたしもまた、社会保障の問題がクィアにとって大きな問題であることに気づかず、別の問題だと思っていた時期があります。しかし、社会保障の問題がわたしたちクィアの多くの生活に影響を及ぼしていることは、ちょっと調べ、ちょっと考えてみれば、明らかなことでした。
「家族」規範からこぼれ落ちるのは、クィアだけではありません。シングルマザー、シングルファザー、その子どもたち、そして「婚外子」と呼ばれる、結婚した夫婦のあいだに生まれたわけではない子どもたち、認知されず父親不在の子どもたち、外国に家族を残して出稼ぎ労働をしている外国人、既婚者との性愛関係にある人などは、さまざまなかたちで、社会保障の対象から外されていたり、不十分な支援しかなかったり、割の合わない仕事を選ばざるを得なかったりしています。そしてもちろん、そのなかにも、クィアがいます。
欧米のクィアの主流の運動が同性婚や差別禁止法を中心に動いているいま、国政や地方政治への積極的な介入を含め「LGBT」運動の主流化が日本でも始まっています。しかし、多様な社会的・経済的立場にいるクィアたちの生活を全体的に改善していくためには、一見関係ないようにみえる社会保障制度について、わたしたちクィアも声を上げて行く必要があります。また同時に、「LGBT」主流の運動の一環として同性婚の実現を求めるのであれば、それが現行の社会保障制度および今後の社会保障制度の変化のなかで、どのように利用される可能性があるのかを、本当に慎重に考えなければならないでしょう。
たとえば「自助」の観点から同性婚を認め、「生活困難者の同性愛者は結婚して扶養してもらえばいい」という風潮をつくろうとする議員は、今後出てくるでしょう。その議員を、わたしたちクィアは応援するでしょうか。応援すべきでしょうか。あるいは、「そんな目的ではなく、同性愛者の権利の観点から同性婚を認めてください」と働きかけるべきでしょうか。
どのような観点から実現したとしても、政府が社会保障を削ろうとしつづける限り、同性婚はそのような汚い目的のために利用されることでしょう。その結果、わたしたちクィアの一部は苦しめられることになるかもしれません。そのとき、同性婚の実現を求めたクィアたちは、自分たちの運動を振り返って、誇らしさを感じることができるでしょうか。
いまは、クィアも、そしてクィアの生活や人生に関心を寄せる多くの人々も、生活保護法の改正案に反対するべきときです。それは、誰よりも自分のために、他のクィアのために、今まさに貧困状態にあるクィアのために、いつか貧困状態になるかもしれないクィアのために。そして、クィアであるかもしれない貧困者のために、いつかクィアになるかもしれない貧困者のために。
参考文献
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・朝日新聞デジタル『母子遺体発見の室内にメモ 「食べさせられずごめんね」』2013年5月27日
http://www.asahi.com/national/update/0527/OSK201305270013.html
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http://gid.jp/html/GID_law/index.html
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http://ga9.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-a32f.html
・厚生労働省社会・援護局保護課長『暴力団員に対する生活保護の適用について(通知)』
http://www.kobe-fuyu.sakura.ne.jp/060421/003.pdf
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http://region.bz/region/baggage_ace/ishikawa/0000000783/doc/00026.pdf
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・諸葛やか『【意見】履歴書規格(JIS Z 8303)様式例の改定を求めます。』
http://yaka1224.seesaa.net/article/354817509.html
・全国信用保証協会 厚生年金基金『基金の年金・一時金』
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・生活保護問題対策全国会議「間違いだらけの生活保護バッシング——Q&Aでわかる生活保護の誤解と利用者の実像」2012. 明石書店.
・生活保護問題対策全国会議『与野党5党による生活保護法改正案の修正合意をふまえての見解です』
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・総務省『平成22年被保護者全国一斉調査』
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・内閣府男女共同参画局『男女共同参画白書(概要版)平成22年版 』
http://www.gender.go.jp/whitepaper/h22/gaiyou/html/honpen/b1_s05.html
・日本弁護士連合会『Q&A 今、ニッポンの生活保護制度はどうなっているの? 〜生活保護のことをきちんと知って、正しく使おう〜』
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/publication/booklet/data/seikatuhogo_qa.pdf
・はせ浩オフィシャルブログ「はせ日記」『お見合いの極意~4月30日~』
http://ameblo.jp/hase-hiroshi/entry-11521711001.html#main
・日高庸晴×荻上チキ『セクシュアルマイノリティと自殺リスク』
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・「ふくだ峰之の政治の時間」『ふくだ峰之の選挙公約』
http://fukudamineyuki.com/fukudamineyuki.html
・「ふくだ峰之の政治の時間」『僕の政策』
http://fukudamineyuki.com/seisaku.html
・ホワイトリボンキャンペーン『Gay-Lesbian-Bisexual-Transgendered YOUTH』
http://ww35.tiki.ne.jp/~yossyossy/reference1.html
・牧島かれんウェブサイト『政策提言』
http://www.makishimakaren.com/convictions/
・「夢でっかく!はせひろしのホームページ」『中国の海洋政策に関する質問主意書』
http://www.incl.ne.jp/hase/seijikatudou3/shitumon/180354.html
●ブログ「包帯のような嘘」: http://ja.gimmeaqueereye.org/
プロフィール
マサキチトセ
貧困生まれフェミニズム育ち。気がつけばオネエでブッチな中流階級ジグザグバイセクシュアル。好きになるのは男だけ。捨てまくったアイデンティティはゴミ箱がひっくり返って散々な有り様。セックスに自分の下半身は使わない。1985年北関東生まれ。主な関心領域はクィア理論、障害理論、公衆衛生、文化人類学、文化史。主な問題意識はクィア史、貧困とセックスワークの歴史、移民の歴史、シングルマザーの生活、労働者の権利、ドメスティック・バイオレンス(DV)、依存症、家族。ツイッター @cmasak