2014.07.21
「仮面ライダー」だけじゃやってけない!?――これからの生活困窮者支援
制度の枠組みを争う空中戦から、仲間を増やして繋がっていく地上戦へ。80年代生まれの3人が語り合う、これからの生活困窮者支援。(構成/山本菜々子)
本当に必要な人に届かない
大西 3人でそろって会うのは実ははじめてですね。中村さんは池袋で、藤田さんは埼玉で生活困窮者支援をおこなっています。自己紹介がてら、お二人はなにがきっかけで活動をはじめたのかお聞きしてもいいですか。
中村 高校生まですごく狭い世界で生きていたので、東京に出てきて世の中の広さにびっくりしました。とにかく、世の中でなにが起こっているのか知りたくて。たまたま知り合いが池袋の夜回りの活動に参加していて、一緒にいってみたのがきっかけです。
はじめは、なにを話したらいいのかわからなくて、みんなの後をくっついて歩くだけでした。でも、ずっと参加し続けていると、ホームレスの方たちも顔を覚えてくれてるようになりました。彼らの安否確認をするはずの活動が、「元気か?」と逆に心配されたりして。
その当時は、路上で亡くなる方も多くて、仲良くなった方も亡くなっていきました。炊き出しで会えると毎回、「会えて良かった」とお互いおもえます。それが自分にとっては強烈な体験でした。当たり前に人は存在しないというか。会えるだけで、奇跡だと。みんなと仲良くなってどんどんハマっていったという感じです。
当時は働ける年齢の「ホームレス」の人達は、生活保護を受けられないというのが通念になっていました。そこから、法的には認められるということを情報発信して、「ホームレス」の方と生活保護とを結びつける活動が活発に行われるようになり、支援団体の人もそのノウハウをもつようになりました。
そこでつながる人も出てきましたが、つながれなくて、路上に戻ってしまう人も多くいて。支援とつながれなかった人たちが亡くなっていくのを実際に目の前でみてきました。しかし、そんな人たちに対し「この人たちは支援に値しない」とか「やる価値がないから」という人もいて、それが悲しくて悔しかったんです。
そして、2008年と2009年に支援につなげても路上に戻ってしまう方達を対象に調査をおこないました。精神科医やソーシャルワーカーといったさまざまな専門性をもつ方に協力して頂き、路上生活をしている方の中には、精神または知的に障害がある方がいることがわかりました。
障害があることによって、自分の望んでいることや求めていることをうまく表現できなかったり、生活を計画的に送るのがすごく難しい。多様な生きづらさを抱えている人に対して、紋切形の就労支援であるとか、100件以上も案件を抱えているケースワーカーがサポートするのは無理があることを調査では示せました。さまざまな障害やニーズがあることを基に、今の活動をやっています。
藤田 私は2002年から活動をはじめました。もともと社会福祉学部の学生でした。当時は、介護保険ができた流れで、高齢者が好きな人は福祉学部へという流れがあったんです。おばあちゃん子だったので、自然と福祉の道へ進路を決めました。授業では「社会福祉はうまく機能している」と教えられ、それに疑問も抱くこともありませんでした。障害のある人も、失業している人もケアされているんだとおもっていました。
ある日たまたまホームレスのおっちゃんと道でぶつかり、それがきっかけでお話をするようになります。彼は銀行の支店長をし、出世街道を歩んでいたのですが、激務で鬱病を発症してしまいました。しかし、失業保険も適用されないし、労災も適用されていない。それで路上生活になってしまったと。
「生活保護は使わないんですか」と当時学んだ知識を基に聞いたら、「『若いから働け』といわれる」という答えが返ってきました。ですが、そもそも鬱病だから働けないし、住所もないから働けないんですよね。
基本的に社会福祉はホームレス状態を容認していないので、理論上は存在しないはずです。しかし、目の前には社会福祉から漏れてしまった人がいました。本当に必要な人に機能してないんじゃないか。ここから社会福祉の見かたが一変します。
社会福祉士の本来の役割は、支援が必要な人達と社会福祉をつなぐことです。しかし、当時は、ホームレスを対象にするという人は殆どいませんでした。多くの人達が高齢者や障害のある方にしか関わりません。でもここに社会福祉のやるべき課題があるとおもって活動をおこなうようになったんです。
ハウジングファースト
大西 中村さんも藤田君も「住まい」の問題、特にケア付きの住居にも取り組んでいますね。既存の制度では、一人でアパート生活をするために、その準備としてワンクッションおけるような場所、特にきちんとした生活支援をおこなえるところが少ないんですよね。一方で、「無料低額宿泊所」といわれる生活保護の方が入居する施設などがありますが、これらは、個室じゃなかったりと環境がよくないところが多いんです。貧困ビジネスも問題になっていますよね。
ほとんどの福祉事務所では、ホームレス状態など、住まいのない方が生活保護を申請しようとすると、「まずは施設に入ってください」などといわれます。でも、法的には「居宅保護の原則」というものがあって、その人が望めばアパートなどの安定した住まいが確保できるとされています。しかし、実際にはすぐアパートに入居させずに、まず施設に流すというのを暗黙のルールでやっています。
中村 「ホームレス」の方にとっても「生活保護」と聞くと、酷い環境の施設に入れられてしまい、搾取されてしまうようなイメージが定着してしまっています。でも、支援側からすると、「ここで耐えられないお前が悪い」となってしまいます。耐えられる能力がある人がアパートにいけて、耐えられないんだったら支援を受ける資格がない、それが現在の私たちの周りの福祉事務所で起こっている実情です。
でも、私は、それは逆だとおもっていて、そこで耐えられない人に対してはより環境の良い場所で手厚く保護すべきです。きちんと丁寧に関わっていくと、どんな人でもどんどん変わっていくのを私は見て来ました。だから自分たちで支援を始める段階で、ケアつきの住宅をつくりました。
大西 どうしても、最低限の「生存」のラインだけを考えがちです。でも「生存」でラインを引くと「生活」はできないんです。寝る場所があるといっても、隣の人と手がぶつかる距離にいたら、それは「寝れた」といえるのか。そういった施設で、例えば毎食からあげ弁当やインスタントの食品を食べて、それは「食べた」といえるのか。たしかに、生存は可能かもしれませんが、その人が社会の中で生きていくためには、逆に大きなハードルになってしまうんですよね。
中村 そうですよね。私は「ハウジングファースト(Housing First)」モデルを積極的に日本に広めたいとおもっています。これはアメリカで始まった支援モデルです。アメリカでは70年代からホームレスの増加が問題になり、80年代に彼らを収容するシェルターがつくられたんです。でも、それはシェルターに収容しただけなので、問題の解決にはなりませんでした。そこで出てきたのがハウジングファーストです。
それまでの支援モデルは、まずシェルターに入れ、就労支援をし、それができたらアパートにいきましょうというものでした。なにかの課題をクリアしたら良い環境を与えるというものです。
しかし、ハウジングファーストはどんな状態であろうと、本人が望めばすぐ家に入居してもらい、地域で支えていきます。そうした方が、費用対効果も高く、定着率も高いんです。アメリカではかなり成功しているモデルです。ヨーロッパでも取り組みが広がっています。
藤田 本当に成果が上がりますよね。家にまず入れることで、周辺の社会資源を整備できますから。一方、シェルターは入ってもすぐ移動してしまいます。なかなか社会資源を整える事はできません。
日本でも2004から2006年にかけて「ホームレス地域生活移行支援事業」というのがありました。月額3000円の家賃でホームレスの人に東京都の借り上げアパートを提供するという施策でしたね。東京都が福祉団体に委託したものです。賛否両論あるとおもいますが、アパートに入れた方が地域生活や就労の定着率が上がったのは確かです。
中村 一方で、その制度は生活支援も十分になく、期限付きだったという問題点もありましたね。
大西 これからは、単に「住まい」を確保するだけではなく、「生活していく」という視点にたって支援を継続していくことが求められていくのでしょうね。
入口ばかりが増えていく
大西 藤田さんは現在特別部会(「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会審議会」)の委員もされていますよね[*1]。
[*1] 本稿は2013年7月1日配信「α-Synodos vol.127」からの転載です。
民主党時代から、当時は「生活支援戦略」という名前で、2020年までの間に、生活困窮者支援の新しい枠組みを体系化しましょうという議論がありました。その中の一番の目玉事業が各自治体に総合相談窓口をつくってワンストップ(一括)で相談を受けようというものです。そこだけ聞くとすごくいいかなとおもったりするんですが、藤田さんは「福祉事務所が結局は入口で、ワンストップの役割を担っているんだから、そこを強化するべき」と発言していましたよね。
藤田 福祉事務所って、稼働年齢層というだけで生活保護を受けさせようとせずに突っぱねたり、生活保護受給世帯に、ちゃんと訪問していないところが多いんです。機能していないから、支援から漏れてしまう人がいるわけです。
そもそも福祉事務所が機能していないことが問題なのに、失敗しているから別の新しいものをつくろうとしています。失敗から反省せず、新しいものをつくることで解決した気になっている。本当は、反省をして問題点を改善していくという方向に舵を取らなければ、また同じ問題が出てきてしまうだけですよね。
中村 福祉事務所では、ケースワーカーも2・3年で変わってしまうので、どんなに信頼関係をつくってもすぐリセットされてしまいます。それに、個人差もすごくあります。熱意がある人もいれば、仕方なく来た人も沢山いて。やる気のない人がケースワーカーになってしまうのはお互いにとって不幸です。
そんな中、窓口を増やすことが実態を反映しているとはおもえないですね。総合相談窓口もいいんですが、入口ばっかり増えても……。それこそ、社会資源をつくっていくということも並行してやらないと、いき先がないと意味が無いようにおもいます。
大西 新しいものがすごく良くても、結局は既存のものにヒモづけられてしまうわけだから、既存のものが良くならないと動きがどうしても鈍くなりますよね。その辺のことが整理されないまま、進んでしまうんでしょうね。
藤田 そもそも、予算が絶対的に少ない。日本の相対的貧困率は16%あるんですよ。これに対して本気でなくしていきたいと考えるのであれば、介護保険並みの予算をつけて支援していかないと、成果は出ないとおもっています。
大西 今回はモデル事業で約30億の予算がつきますよね。
藤田 どの程度かは未確定ですが、相当少ない予算額です。本当ならば私たち支援者も「予算をつけるとこういう効果が出ます」と財政面も含めてデータを示しながら、予算をつけることの意義と、支援の意義を可視化していかないといけません。今は、社会保障は無駄遣いで、支援してもしょうがないでしょ。と、なっている風潮がありますから。
部会でも寄り添うように支援する「伴走型支援」をしていこうと話しているにも関わらず、結局は就労中心の自立支援をゴールにしていることに疑問をもちました。
生活保護を受けている稼働年齢層の多くがすぐには働ける状態でないことは、データを見ても明らかです。就労ありきで進めていくのは不可能です。半分就労、半分福祉だとか、いろんな自立の形態を模索しないといけないんだけれども。結局は、生活保護からの脱却や廃止を目標にすることが掲げられてしまっているように感じます。
大西 「生活保護受給者が怠けている」というのは、データに基づかない印象論の議論ですよね。
居場所をつくる
大西 中村さんは池袋での炊き出しを続けられていますよね。
中村 炊き出しは月に2回やっていますが、命をつなぐというよりは、居場所づくりの機能が一番大きいですね。ご飯を食べるわけではないけど過去に路上生活をしていた方も、仲間やスタッフに会いに来てくれます。
藤田 うちでは「いこいの会」というものをやっています。孤立してしまう人の居場所をどう作っていくのかは課題ですよね。生活保護に結びつけてゴールではなく、むしろここからがスタートなんです。
アパートに入ったあと「健康で文化的な」生活が出来ているわけではありません。おっちゃんたちを見ていると、ずっとテレビを見ていたり、夜になると寂しくなって、不安になる方もいたり。そんな人が多いですよね。
やっぱり、生活保護を受けているというだけで、社会参加を抑制されてしまいがちです。後ろめたさもあってなのか、人との関わりに躊躇してしまう。当然ですけど、喫茶店に行けばお金がかかるし、映画館に行けばお金がかかる。社会参加ってお金がかかるんです。だからお金がかからず、差別も受けないで集まれる居場所が必要なんです。
中村 東京プロジェクトでも、平日は料理教室だったり、ミーティングをいったり毎日集まれる場があります。週一回、地域のパン屋さんを借りて、パン作りをやっているんです。このパンを夜回りの時に配ります。おじさんたちも、自分の仲間のためにつくり、役にたっているという実感があって、ピアサポートのような側面もありますね。いっぱいつくって、余ったものを自分で食べても美味しいし(笑)。
大西 地域のパン屋さんの協力によって、新しいつながりもできるし、まちづくり、コミュニティデザインにもなりますよね。
中村 貴重な出会いです。パン作りも地元の主婦の方が手つだってくださって、だんだん盛り上がってきました。さらに並行して「子ども食堂」もオープンしました。孤立しているような地域の貧困家庭の子ども達を呼んでいます。一人でもごはんを食べにこれる場所をつくりたいなって。おじさん達がパン作りをしている傍らご飯をつくって、みんなでいっしょにご飯を食べています。いろんな支援がぐちゃぐちゃに混ざっています(笑)。
藤田 昔の長屋のような場所ですね。今はそんな場所は少ないですよね。
中村 そうなんです。「子ども食堂」という名目でやったら、近所のおじいちゃんおばあちゃんが「子どもがいないと駄目なんですか」と来て、今度は「じじばば子ども食堂」になっちゃった(笑)。
大西 ホームレス状態の方の支援をしているようで、実際は地域のまちづくりとして、いろいろな人の居場所作りになっているんですね。
中村 私たちも、元路上生活者を自分達だけで支えるのは難しいとおもっていました。地域の人達や仲間通しでつながる場があれば、近所ですれ違う時に「元気ですか?」と声かけができるようになります。
大西 80年代ごろから路上生活者が可視化されて、90年代から炊き出しや夜回りが盛んになりました。2000年代になって、ホームレス自立支援法による事業や生活保護を使って、支援を受けられるようにサポートをしようという活動が広がっています。でもそれだけじゃ難しい。
最近はそういった「生存」のレベルから、いかに地域のなかで生活していくか、またその生活をどう支えていくのかという視点が重要になってきています。既存のコミュニティーをどうつなげたり、新しくつくったり、どうデザインしていくのかが、2010年代の大きなテーマになってくるのかなって。
藤田 埼玉の郊外でも、コミュニティーの力を失っています。周りで支え合ったりすることもなくて。コミュニティーの再生や、既存の見守りや声かけを高めないと、また相談に来られるかたが増えるんじゃないかとおもいます。
ホームレス状態になる手前で、誰かが相談を受けていれば、路上生活を避けられることって多いとおもうんです。家賃滞納であったり、ガス代や電気代が払えなくなったりといった、明らかな生活困窮を地域が見過ごしてしまっているんです。その時に気づいて少し声をかけるだけで、貧困が未然に防げる部分もあるとおもうんですよね。
仮面ライダーだらけ!?
大西 藤田さんは、埼玉で家屋を借りてグループホームを開設していますが、一体どうやって家を借りたんですか。我々はやりたくてもお金がなくて難しい。
藤田 一番初めは支援活動している際に出会った資産家の人に支援してもらいました。
大西・中村 えー!すごい!
藤田 たまたまそういった人達に巡り合えたので、モデル的には進めることができました。
大西 良い出会いだね。
藤田 それは本気度だとおもうんです。本気でこの問題を解消していきたいとおもったら、周りには、助けてくれる人が集まってくれるとおもいます。
中村 私たちもお陰さまで沢山の方に支えられています。パン屋さんにもお世話になっています。
藤田 協力者って必要ですよね。この問題って身内で固まりがちになるんですけど。
大西 自分達でやれることって少ないから、仲間を捜していくことも重要ですよね。炊き出しなどは、はじめて来る方でもハードルが低く、参加者も比較的多いのですが、次のステップのよりコミットした相談業務などの活動になってくると、だんだん先細りになっていきがちです。
藤田 でも興味がある人はけっこういますよね。
大西 そうなんですよ。勉強会などにも多くの人が関わってくれるのですが、継続的に関わってくれる方っていなくて。特に学生さんだと、就活がはじまるとどうしても難しくなっちゃったりとか。そもそも、支援の現場がなかなか仕事にならないじゃないですか。将来の事を考えたら続けられないという人も多かったりもする。
ボランタリーが変に美化されているんだけど、やりがいだけで続けられないこともありますよね。社会化してきちんとお金を集められたり、事業として運営できるしくみをつくっていくことは課題だとおもいます。
藤田 ぼくは、スーパーマンがスーパーマンじゃなくなることだとおもっていて。大西さんも、中村さんもある意味ではスーパーマンなんですよ。どんなことをしても食っていける。じゃあ、スーパーマンだけが突っ走っていいのかというとそういうわけではない。事業化しながら誰でもできるようなシステムにしなきゃいけない。
大西 まあ、食っていけるかは危ういですが(笑)。ただ、本当にスーパーマンがいっぱい出てきても意味がないんですよ。それって無理な話だし。
ぼくはスーパーマンでなくて「仮面ライダー」という言い方をしています。「改造されちゃった人達」ってよくいうんだけど。
中村 なるほど~(笑)。私は自分には、スーパーマンっていう自覚はないんですけどね……(笑)。
大西 仮面ライダーはいっぱい生まれるわけじゃないし、それだけじゃ支えられない。ショッカーがいっぱい来たら絶対無理だから。だから、なかなか社会は変えられない。
藤田 ずっと戦い続けられるわけでもないしね。
大西 どこかで倒れてしまいます。今までは個人の頑張りだけでどうにかやってきた部分があるとおもうんです。
藤田 責任をもって事業化して、仮面ライダーでなくても関われるようにならなくちゃいけないですよね。とはいえ、一時的には補助金を申請して、事業化をするまでは回していくしかない。それと、相談者に知的障害や精神障害があるとわかったら、合意を得て、障害者手帳を取るなど、既存の制度に乗せていくことがある程度必要だとおもっています。
これからの生活困窮者支援とは
大西 ぼくが生活困窮者支援に関わったのは派遣村以後なんです。だから、まだまだ新参者です。お二人は、派遣村以後、私たちをとりまく情勢、現場の空気感は変わったとおもいますか。
中村 変わったとおもいます。生活保護につなげて支援していこうという流れができてきましたよね。
藤田 先輩達がとりあえず生活保護という入口を開いた。次の世代のぼく達は、生活保護利用は当然として、これをどう社会資源に結びつけたり、支援体制をよりよく構築できるかが問われているとおもいます。そして、うまく次の世代に回せるかだよね。
大西 「生存」が担保されるようになって、次は「生活」をどうするかというフェーズに入ってきています。それは逆にいうとシンプルな議論から、一人ひとりの状況にあった支援をいかにつくっていくか、つなげていくかという話です。複雑な局面でさまざまな戦いをしないといけなくなりました。
藤田 先輩達って手あたり次第ケンカしてきたじゃないですか。そうして権利を勝ち取ってきたんですよね。
大西 まさに仮面ライダーと怪人の争いのような、普通の人が議論に参加するのが難しいようなバトルという面もありました。
藤田 それはそれで必要なことでしたが、次は福祉事務所と手を結びながら新しい社会支援をつくっていく番なんだよね。
中村 そうですね。福祉事務所の人もそれを待っているように感じます。
大西 敵ではなくて、彼らも困っている。支えたい気持ちがあっても、福祉事務所の構造の問題でやれないというのが大きいから、一緒にやれる部分は協力してやっていきたいですよね。既存の制度を使えるものは使いつつ、使えないものは自分達の創意工夫で新しいことをやっていき、きちんと政策提言に続けていく。
その一方で、いかに委託だのみにならずにやるのか、ということもぼく達に問われています。上の世代の人達は、権利を勝ち取って制度をつくり、委託を受けて事業所を開設し支援をおこないました。しかし、それらは委託ありきの事業になりがちでした。行政にコミットして、枠組みに近づいてしまうことは、さまざまなリスクを負います。もともとは枠組みから漏れた人のために支援をおこなっていても、いつの間にか本来の目標とはかけ離れたことをやってしまうという危険性がありますよね。
これからは、行政と関わり、対話を続けながらも、本来必要な支援や事業の在り方、本人に対してなにが必要なのかということを、少し冷静に丁寧に考えていかないと、次の世代には渡せないのかなって。けっこう頑張りどころだよね。
中村 うちも委託はとっていないかな。
藤田 去年まで、県の自殺対策相談事業の委託を受けていたんですけど、やっぱり対象を選別するんだよね。相談する回数を決められてしまったり。行政とコミットすることは、対象を決めることとイコールです。利用しながら、対象外の方も支援していくような運営モデルが問われています。利用しつつ取り込まれないという気持ちをもっていたいですね。
大西 また、外に向かっては、社会のコンセンサスを得るために、発信していかなければいけないですよね。お二人は特に力をいれている活動はありますか。
藤田 学生へ働きかけています。社会福祉から漏れている人がいること伝えると、それに答えてくれる学生って多いんですよ。ホームレス支援は社会福祉のメインストリームにのっているわけではないのですが、現状を伝えるだけでも、関心をもってくれる学生はいます。気づきを与えるだけで全然ちがうんですよね。
中村 私たちは、精神保健の分野でホームレス問題について考えてほしいと力を入れています。行政の中で、障害者福祉とホームレスは別々のものとされていて、障害者福祉の担当者はホームレス問題に無関心でした。でも、現場レベルでは関係性の深さが実感として伝わってくるし、理解されやすいです。だから、精神保健分野とホームレスの関係性についてもっと知ってほしいと、講演をやったり寄稿したりしています。最近では少しずつ手ごたえを感じていますね。
藤田 それぞれが責任放棄して、たらいまわしになってしまうということはありますよね。いろんな問題が絡んでいるからしょうがないんでしょうけど、それぞれの問題として捉えて欲しいですよね。
大西 行政の人に限らず、一般の人達も、どうしても他人事だとおもいがちです。自己責任的におもっている人もいるし、当の本人も自分の責任だとおもっている。おもわされているといってもいいのかもしれません。でも、必ずしも本人だけの問題ではないんですよね。
藤田 たぶんしつこくしつこく同じことを繰り返していくしかないんだろうね。大切な事ってしつこくいうのが大事だから。何度も何度も取り上げていかないといけない。
その点では、自民党のある議員さんがけっこう優秀なんですよ。「生活保護の人達は怠け者だ」としつこくしつこくいっている(笑)。今のところ、彼らの方が完全にしつこさが上ですよね。それに対抗するには「自己責任とはいえないんだ」とこっちもしつこくしつこくいうしかない。
発信力って大事だよね。中村さんにもどんどん発信してもらわないと。アイドル化して売り出してもいいくらい。AKBに入るとかね(笑)。
中村 ホームレス支援アイドル?ゲゲっ(笑)。
大西 強面の人じゃなくてもやれるというイメージは大事かもしれないけどね。
藤田 恐くてもいいんだ、活動なんだ、という感じてやっちゃうと、周りはどんどん離れていってしまいがちですからね。
中村 たしかに。本当は魅力的なフィールドなのでとにかく楽しんでもらいたいですよね。
大西 楽しければ、人もモノもカネも集まるとはおもいます。これからお二人がやりたいことってありますか。
中村 ハウジングファーストを日本でも広めていきたいです。フランスでは先行モデルとして、行政が4つの都市でやっています。支援モデルの実績をどう伝えていくのかがこれからの課題になるとおもいます。
藤田 私は後輩育成ですね。仮面ライダーが相談を受けてきたけど、それを誰でもできるようにする。相談って、ある種職人芸的なところがあるじゃないですか。
大西 だんだん複雑化・高度化していますよね。
藤田 自分ができるからって、ちょっと若い人に教えたらできるわけではないですよね。研修システムをNPOでつくっていきたいですよね。
大西 最近考えているのは、相談だけじゃなくて、お互いのノウハウをシェアするしくみをつくれたらいいなと。これからは、制度の枠組みについての激しいバトルのような空中戦から、仲間や賛同者を地道に増やしていく地上戦も必要になってくるとおもいます。なんだか、「活動家」って感じではなくなっていくのかなと。
藤田 たしかに、「活動家」っていわれるのにはすごい抵抗ある。ソーシャルワーカーでいいとおもいます。
中村 私も、「ちがいます」って答えちゃいますね(笑)。
藤田 社会を変えることに主眼をおくよりも、必要な支援をしていくことを大事にしたいですし、その結果社会を変える方向に動けばいいとおもいますね。個別支援というミクロ実践から社会変革というマクロ実践への連動を意識して、相談者と向き合いたいです。
大西 ぼくはなにが必要か当事者の方と一緒に考えて、悩みながらやっていきたいですね。僕たちにできることは小さなことかもしれないし、社会を変えるなんて大それたことは恥ずかしくていえない。でも、こうやって同じような問題意識をもっている仲間がつながって、本当に小さなところからでも、できることを積み上げていければとおもいます。
社会は少しずつ変わっているし、これからも変わっていく。僕は希望をもっています。
中村 本当にそうですね。これからも活動を続けていきたいとおもいます。
プロフィール
中村あずさ
世界の医療団 東京プロジェクトコーディネーター。2000年より、路上生活者支援に携わる。社会福祉士。
藤田孝典
特定非営利活動法人ほっとプラス代表理事。1982年茨城県生まれ。社会福祉士。ルーテル学院大学大学院 人間社会学研究科社会福祉専攻 博士前期課程修了。2004年から、さいたま市内で野宿生活を余儀なくされる方々を定期的に訪問するボランティア活動を展開。2009年3月からは、反貧困ネットワーク埼玉代表。2011年5月から特定非営利活動法人ほっとプラスを設立。生活困窮者の地域生活支援に取り組む。2012年から生活保護法改正案や生活困窮者自立支援法の新設を議論する厚生労働省社会保障審議会「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」の委員を務める。
大西連
1987年東京生まれ。NPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事長。新宿での炊き出し・夜回りなどのホームレス支援活動から始まり、主に生活困窮された方への相談支援に携わる。東京プロジェクト(世界の医療団)など、各地の活動にもに参加。また、生活保護や社会保障削減などの問題について、現場からの声を発信したり、政策提言している。初の単著『すぐそばにある「貧困」』(ポプラ社)発売中。