2015.11.13
異なることがうれしい――写真展『なにものか』オープニングトーク
写真家・齋藤陽道氏は2014年11月から1年間かけて、京都、広島、福島、高知の4つ(※)のアール・ブリュット美術館を巡った。
「そこにまつわる施設、ひと、食事、空気、土地に触れながら、ふくらんでいくばかりのわからなさと、そことは別のところでより明晰になってくる直感との間で共鳴するリズムにうながされるまま10体のなにものかを形にした。」
と書く彼は、いったい何と出会い何を撮影したのか――
2015年11月8日(日)~11月23日 (月・祝)、3331 Arts Chiyoda 1F〈3331ギャラリー〉にて、日本財団の主催により、日本財団アール・ブリュット美術館合同企画展「TURN/陸から海へ(ひとがはじめからもっている力)」関連企画として、齋藤陽道展「なにものか」が開催中だ。今回は、齋藤陽道氏と長津結一郎氏(TURN展事務局/NPO法人多様性と境界に関する対話と表現の研究所代表理事)による、オープニング筆談トークの模様を抄録した。(2015年11月8日、日本財団アール・ブリュット美術館合同企画展「TURN/陸から海へ(ひとがはじめからもっている力)」第3回東京フォーラム「ONE DAY TURN PARTY」より)
(※)みずのき美術館(京都府)、鞆の津ミュージアム(広島県)、はじまりの美術館(福島県)、藁工ミュージアム(高知県)の4館。
言葉よりも先に、『行ない』がある
長津 さて、今日は齋藤陽道さんの展覧会『なにものか』のオープニングおめでとうございます。
齋藤 ありがとうございます。一年越しのプロジェクトでした。4つのアール・ブリュット美術館をめぐっての滞在製作。初めての体験でした。どうにかなってよかったです……。
長津 よかったー。みなさんの中で、もう展示を見た人はどれくらいいますか?…ありがとうございます。半分くらい手が上がりました。さて、どこから話せばよいのか。
齋藤 今回は新作写真展というよりも、ぼくが写真を通して何をみたいのか、何を信じたいのか、その源泉にいたるための途中報告展、という思いです。
長津 展示を見せていただいた印象としては、すごく言葉が多かったり、いろんな出来事の痕跡が色濃くのこっている。写真を見ること、それ自体が製作のプロセスを追体験するような時間だなって思いました。
なので、まずは撮影をしている中でどんなことがあったのか、お話を聞かせてください。
齋藤 今回、特に印象的だったことが、京都のみずのき美術館での福村さんとの出会いでした。
福村さんは、みずのき美術館の母体になっている社会福祉法人が運営している福祉施設に40年間いる人です。そして今ぼくがこうして書いているような、言葉をもって……いない方です。こう言ってしまうのも何か違う気がして、とても迷いますけれどね。
福村さんは名刺を集めるのが好きだということで、ぼくにも名刺を求められました。でもその時、名刺を持っていなくて、手書きで書いた名刺を渡したんです。すると福村さんもご自分の名前を手書きで書いてくれたんですね。こんな感じで。
「t」や「T」の形に似ていて、でもそのどちらでもない文字。それをオレンジ、青、赤の3色で重ねて書かれたんです。ぼくらが普段目にする文字ではないけれど、確かな確信を持って書かれた字です。そのときの出来事がすごく印象的に残っています。
みずのきでは、タテ100センチはある大きな仮面の「なにものか」を制作しました。そのとき仮面の原型はできていて色塗りをどうしようと考えていたのですが、名刺のやりとりで直感がおりてきて、福村さんに色塗りをお願いをしました。このときの強い直感というのも、不思議です。繰り返し言いますけれど、言葉はまったく交わしていないんです。
どこから来たのだろうと思う。また、ぼくは何を見てそう感じたのだろうと思う。幾重にも色を重ねてぬっていました。その色を塗る流れを映像にもしています。スライドではなく、映像での作品公開は今回が初めてです。映像も奥が深くて、もっとやってみたくなりました。
いがらしみきおさんの『I(アイ)』というマンガがあるのですが…。そのなかでも印象的なエピソードがあってそのことを思いだしました。この「アイ」の字も実は主人公のただの落書きのような、でもたしかな確信をもって書かれた意味のない記号であって、それを見る側が勝手に意味を見いだす、というエピソードなんですね。
文字を見るときぼくらはそこから意味を見いだして……それがコミュニケーションすることだと思っていたけど、福村さんの名前の文字が書かれているのを見たとき、意味よりもまっさきにその「行ない」がくっきり見えたんですね。言葉の意味や理由よりも、まず最初にあるものは、人が人に向ける「行ない」だった。
普段、ぼくも聞こえないということで音や情報から取り残されるから、言葉じゃないものを信じたいといつも思いつづけていて。その願いと、「人と人との間にはまず最初に行ないがある」という気づきとが結びついたとき、嬉しかったです。
意味のしっかりした言葉を、しっかりと理解できることがコミュニケーションのすべてだと思ってしまうと、ぼくはなにもできなくなってしまいます。けれど、「行ない」のほうに焦点をあてることによって、ぼくにも声を見ることができるようになれると思いました。【次ページへつづく】
「異なることがうれしい」
長津 展覧会を見た方は、齋藤さんが書いたテキストもお手にとったかと思いますが、その中で、今齋藤さんが語っている話を「身体を通した声」と表現されていたのが印象に残っています。
また、テキストの結びに、「異なることがうれしい」という言葉も。これは、どんな出会いから生まれた言葉なのですか。
齋藤 「異なることがうれしい」というのは……、うーん、やっぱり異なるということを嬉しいと思えるようにならないと生きていけない、という実感からきています。こうして筆談トークできるのも、異なるから見出せた方法だし、それを楽しまなければ何にもならない。
長津 「異なること」という言葉と「うれしい」が組み合わさっているのが、すごくぐっときました。
齋藤 でも、けっこう単純なことですよ。たとえば……
これは京都市のみずのきで作られたさをり織りです。いろんな色があるネ。
これは鞆の津の……(「アーティスト」って言っていいのかな……うーん)くすばさんが切った切れはしの山です。ぼくもさっき気づいたことなんですが、これって適当に切っているんじゃなくて、ちゃんと文字を分けて切っているんですね。
カオスの中の秩序。うつくしいと思う。
ぼくの言う「異なることがうれしい」とは、そういう意味です。あまりにも言葉の意味だけを重視してしまうと、こういう行ないやふるまいは、意味を妨げるノイズとしてしか見えなくなってしまうと思っています。そういう、意味の通った言葉ではない、その人のリズムに隠された行ないを見いだすことは、時間がかかってしまうけれど、単純に楽しくて、うれしいことです。
そういう謎の可能性を残したまま世界に飛びこんでいけたら、わからないこともすこしは怖くなくなって、そのもののうつくしさも直に目に入ってくるようになる、と、思います。そうだといいです。そう願います。
長津 今回は4ヵ所で滞在しましたが、他の2ヵ所ではいかがでしたでしょうか。
齋藤 福島のはじまりの美術館でも、カラフルさがキーになりました。
はじまりの美術館ではアイロンビーズを使って、こういう風な「なにものか」が生まれました。利用者さんが作ったアイロンビーズの作品を組み合わせて、顔のようなものを作りました。どうしてこの顔のようなものがひらめいたのかは、ぼくもわからないです。その土地にいって、そこにいる人に会って、食事をして、それらをつなぐ細い線をたぐりつづけていったら、なぜだかそれが産まれてしまった。
作ったという思いは、まるでないんですね。そういえば、この感覚はぼくが写真を撮ったあと、出来上がる写真を見ると、自分の意図をまるっきり超えていることへの驚きと似ています。ぼくはコントロールしていないのですが、それはやってくる。別のところから。別の世界から。別の次元から。
高知の藁工ミュージアムでは、他の3館とは違って食に力を入れているんですね。藁って、ごはんの元ですよね。それと特別天然記念物である高知県原産のオナガドリという文化が結びつながって、このなにものかがやってきました。
ここでも思うことがたくさんありすぎて…言葉につまります。食を願う気持ちはやはり普遍だよな、と思いました……まる。
長津 本当に展覧会を見ていると、いろんな形の声、いろんな形の言葉があふれている場所だと思います。ぜひみなさんも、長い時間いてほしいなと思います。
「見る」ことは、自分の核に立ち戻っていくこと
長津 「異なることがうれしい」と、「みんなちがってみんないい」は、同じでしょうか、それとも異なるでしょうか?どのように?
齋藤 「みんなちがってみんないい」は、たぶん、言っている人の実感がこもってないですよね……。自分を納得させたいがための言葉のように思います。AとBがあるとしたら、その差異を言葉で…頭で埋めようとしている感じ。
「異なることがうれしい」は、さみしさがまず地盤にある。AとBの差異はそのまま。それでも、なぜか「うれしい」と思えるものを見いだせたときの神秘感が元になっている。
長津 今回は、写真展というより中間報告的なものだということですが、この先見たいものはありますか?
齋藤 この展示を通してよりわかってきたのですが、ぼくの言う「見たい」というのは、新しいものを切り開くことでもなく、表現することでもない。一個人の核に、立ち戻っていく方向にあります。
うーん。ぼく自身が見たいものはなくて。どうやったら人が人と出会うよろこびに立ち戻れるか。それを言葉を使わずに行いたい……とか。そこに潜りたいのだと今回の展示を通して気づいてきました。
長津 ありがとうございます。「異なることがうれしい」をテーマに色んな方向にお話を伺いましたが、もう終わりですって。
齋藤 あらあら。早い。今回写真展とは思わずに報告会という認識で、ぜひ、(展示会場で配布している)MAPとテキスト、読んで下さるとうれしいです。
長津 展示も!
日本財団アール・ブリュット美術館合同企画展2014-2015
「TURN/陸から海へ」(ひとがはじめからもっている力)関連企画
齋藤陽道展「なにものか」
会期:2015年11月8日 (日) – 11月23日 (月・祝)
時間:12:00 – 19:00(最終日は17:00まで)入場無料
会場:3331 Arts Chiyoda 1F 3331ギャラリー
主催:日本財団
協力:TURN展実行委員会(みずのき美術館、鞆の津ミュージアム、はじまりの美術館、藁工ミュージアム)、3331Arts Chiyoda
プロフィール
齋藤陽道
1983年、東京都生まれ。写真家。都立石神井ろう学校卒業。
長津結一郎
日本財団アール・ブリュット美術館合同企画展事務局、NPO法人多様性と境界に関する対話と表現の研究所代表理事、慶應義塾大学研究員、東京家政大学非常勤講師。1985年北海道生まれ、東京藝術大学大学院博士後期課程修了。専門はアート・マネジメント、社会包摂。障害者の表現活動をはじめとした社会包摂的な芸術活動を主たる研究対象とし、異なる立場や背景をもつ人々がどのように協働することができるのか、研究/実践の双方からのアプローチを試みている。主な活動に、医療・福祉分野を中心とした調査研究をもとに「生き抜くための“迂回路”」を探る「東京迂回路研究」(主催:東京都・アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)・NPO法人多様性と境界に関する対話と表現の研究所)がある。
(撮影:齋藤陽道)