2016.08.02

障害者をケアする母親に生じる貧困と不平等

田中智子 社会福祉学

福祉 #障害者の母親

当然のことではあるが、障害があること(後天的な障害も含む)、さらには障害者の家族になるということも、偶然によるものであり、選択が介入する余地はなく、本人の責任に帰することはできない。

それにもかかわらず、障害があって生きるということ、そして障害者の家族であるということは、現在の日本では、様々な社会的不利をこうむり、人生設計の変更を余儀なくされる要因となる。特に、母親にとっては、性別役割分業規範と結びつき、自分の生活や人生は脇において、ケアの専従者となることが求められる。

ゴールの見えない“親なき後”

先日、ある裁判を傍聴した。被告は、長年、入所施設を利用している障害のある子どもを、一時帰省中に殺害した母親だった。裁判の中で、母親は「この子を残しては死ねない」「(殺害したのは)仕方がなかった」「後悔はしていない」という言葉を繰り返した。

障害者家族のあいだには、昔も今も「親亡き後」という言葉が存在する。一般的には、親亡き後の子どもの行く末を憂いてのことを指す言葉で、「子どもより一日だけ長く生きていたい」というのは偽ることのない親の本音であろう。そんな親の思いに応える解決策の一つとして当てにされているのが、終生施設としての入所施設である。

しかし、今回の事件もそうだが、これまでの同様の事件を見てみると、子どもの終生に渡る生活が保障される見込みがあっても(中には、特別養護老人ホームに入所する子どもを手にかけた例もあった)、子どもを手にかけてしまっている。

このことから、入所施設という社会資源を準備するだけでは、親たちにとって「親亡き後」問題は解決しないのだということが分かる。なぜ、親たちは日常的なケアを社会に委ねた後、さらには、終生にわたる子どもの生活の見通しが立った後にさえも、子どもを手にかけてしまうのだろうか。どのような手立てがあれば、本当の意味での「親なき後」問題は解決するのだろうか。その答えを社会は見つけなければならない。

“親”を超える“障害者の親”役割

親にとって「親亡き後」問題がどのような意味を持つのかを考える上での手がかりとして、母親のケアへの専従化ということがある。現在の日本では、障害のある子どもをケアする母親には、通常の親としての役割をこえた様々な役割を担うことが社会的に要請される。それは母親にとって「障害者の親」という属性の一側面を肥大化させて生きることとなる。

第一に、「介助者」としての役割がある。日常的なケアはもちろんのこと、経済的にも(障害者に支給される障害基礎年金の支給額は生活保護水準を下回る)幼少期から成人期に至るまで支えることが求められる。その経済的支援は、家族からの離家を契機に終わるとは限らず、障害当事者の暮らしは親の経済力とケア力に規定されると言っても過言ではない。

次に、「準専門家」としての役割があげられる。障害者の親は、幼少期から母子通園や母子入院などの機会を通じて、専門的なリハビリを親自身が施すことができるようにトレーニングされる。そのような場面では、母親が専門家から「この子が歩けるようになるかどうかはお母さん次第ですよ」と言われたことがあるとしばしば耳にする。そうすると、必死になって子どもの訓練を中心とした生活を送ることとなる。

また、最近になって福祉職や教員ができるようになってきた痰の吸引や経管栄養などの医療的ケアも、昔から親は可とされてきた。現在でも、専門性のある職員が不足する療育や教育の場に、日常的に立ち会うことを求められるケースも珍しくはない。

さらに、「コーディネーター」としての役割があげられる。障害者のケアのコーディネート、さらに各機関・施設への申し送りなどは素人である親が担っている場合が多い。

例えば、福祉サービスに関する情報を提供しているWAMNETで、「東京都新宿区」で「知的障害者」の「居宅介護」を検索すると247件の事業所が該当する(2016年5月1日現在)。その中から、自分の子どもにあった(実際には多くの事業所が障害特性に応じて、対応の可否が分かれる場合が多い)適切な事業所を素人が選択するのは至難の業である。また子どもの状態に応じた適切な社会資源が不足する場合、親自らが担い手となって運営することもしばしばある。

このようなコーディネートは、生活全般にわたって、まさに「親なき後」のことまでが含まれるのである。

最後に、「代弁者」としての役割も見過ごせない。親たちは、幼少期からの日常生活の中で、家族だけがわかる‘あ・うん’の呼吸みたいなもので本人の意思をくみ取り家族外の他者に伝えるということから、社会に対して、障害者問題を啓発するという幅広い役割を代弁的に担っている。

多くの家族会の要求運動の中で、「障害者の豊かな暮らし」をということは全面的に掲げられても、「家族にも豊かな人生を」ということになると声が小さくなりがちである。親=ケアラーであることが自明視される日本において、「親にも豊かな人生を」という声は社会には届かない。

このことを、児玉真美(2012)は『海のいる風景―重症心身のある子どもの親であるということ』(生活書院)の中で、障害者の親としての自身の体験を通して「私は『娘の療育担当者』だとか『介護者』という『役割』とか『機能』そのものになってしまって、もう一人の人ではなくなってしま」い、「私たちはSOSの悲鳴を、自分でも気がつかないほどしっかりと封印するしかないところに追い詰められているんじゃないか」と表現している。

以上のように、子どもの誕生から親亡き後に至るまでのケアの第一義的責任を担うことを求められる中で、母親たちは、自分自身の仕事や友人づきあい、趣味などの多くを、あきらめることを積み重ねることとなる。家族を「資産」として位置づけたうえで、補足的なケアを社会資源が担うという現状においては、親たちの役割が軽減される見通しは見えてこない。

母親に生じる不利

上述したような親としての以上の様々な役割を生きる母親たちには、当然、生活の様々な面での不利益や同年代の女性と比べての相対的剥奪が生じる。その側面について、以下、それが生じる要因をケアと合わせて整理をしていく。

まず、障害者をケアする家族に生じる経済的貧困については、看過できない状況にある。特に知的障害のケアをする場合、シングルインカムによって財産を形成する時期がない(お金を貯める時期が無い)という収入の面と、特別な出費が発生するという支出の面の双方から貧困に陥るリスクを抱えている。

低収入になる要因として、家計がシングルインカムによって支えられていることが挙げられる。障害児者のライフサイクルに応じた社会資源が適切に整備されていない中、多くの場合、母親にはケア役割への専従化が求められる。知的障害の子どもをケアする場合は、出生直後あるいは幼少期に障害が発見されて以降、通院・リハビリ、母子入園・通園、施設・学校への送迎・付き添い等に多くの時間を割かなければならず、フルタイムで継続的な就労をすることは困難である。

また知的障害という特性上、ケア費用の同定は困難であるが、様々な追加的費用への支出が求められる。近年、ガイドヘルパーや放課後活動など、障害児者の社会参加の機会は確かに拡大してきた。一方で、所得保障の水準は依然として低位に据え置かれたままである。つまり、障害者の社会参加の拡大は、家族からの経済的支援なしには、成り立ち得ないと言えよう。

親たちの稼働期の低収入は、高齢になった際の年金水準へと反映される。親が高齢になった世帯では、家計のうち障害のある子どもの障害基礎年金が占める割合は少なくない。昨今、親が子どもの障害基礎年金を無断で使用することが問題視されているが、その行為自体は当然批判されるべきものであるものの、そうせざるを得ない家族側の状況の根本的解決が望まれるところである。

次に、関係的貧困ともいえる状況に陥っていることも見逃せない。障害者をケアする母親は、家族の内外の関係性において、様々な不平等状態におかれていると言える。家族内のことで言えば、これまで多くの先行研究で、就労所得と夫婦間のバーゲニングパワー(交渉能力)の関係が指摘されてきた。つまり、夫婦間において、就労による所得が相対的に低い場合、意思決定や資源配分の問題において、不利な状態に置かれるのである。

また家族外に目を向けると、障害者のケアの専従者である母親は、仕事や地域、自分の余暇などの関係が限定的にならざるを得ない。個人の人格形成を考えるとき、家庭内の役割以外にも、就労や友人関係、地域などの多様な関係性は重要な意味を持つ。同年代の女性と比べても、障害者をケアする母親には、それらをとり結ぶ機会が剥奪されている。

これらのことが、母親自身のアイデンティティに揺らぎをもたらすことは容易に考えられる。生活や人生における諦めの連続の中で、自己の存在や生きる目的などがぼやけてしまうことが危惧される。

自分のことは脇に置いて、常に「良き母」「頑張る母」であることを求められる母親たちの状況を考えたとき、冒頭の子殺し事件は、親が自分の高齢化などでケア役割を担えないと感じたとき、あるいはいつまでケア役割を担うのかという終わりがみえない心情に陥ったとき、自分だけでその役割を完結しようと子どもを手にかけざるを得なかったのかもしれない。結局のところ、ケアの自己責任化が招いた悲劇であると言えよう。

ケアされる子どもからみた家族

ここまで、母親に生じる不利について考えてきたが、最後に、ケアされる側に位置づけられてきた「障害のある子どもからみた家族」という視点に言及していきたいと思う。ある知的障害者のワークショップで「家族」をテーマに取り上げた際に、参加者の一人が発言した内容である。​

お母さんは、弱いけど、優しい人です。優しいのは、なんでも気にしてくれるからです。体調が悪いと、病院にも連れて行ってくれます。子どものとき、学校でもめ事があると、すぐ学校に来てくれて、心配してくれます。……お母さんは優しいけど、優しさが前に出すぎます。前にお母さんを「弱い」と言ったのは、子離れできていないからです。

例えば、仕事が終わる18時過ぎに、「仕事終わった?」「どこにいるの?」「何時に帰る?」と毎日必ず電話がかかってきます。他のメンバーはそんなことはありません。「またAくんのとこ、電話かかってきた」と他の人が思っているかもしれないし、恥ずかしいです。「僕のことより、自分のことを気にしたらいいんと違う?」と思います。僕はそこまで気にされなくても大丈夫です。

……お母さんが子離れできたときが、一人暮らしをする時と思います。本当はさみしいと思うけど、お父さんがいるから、お父さんに任せたらいいと思います。さみしい気持ちも我慢してもらわなあかんと思います。お父さん、お母さんが何も言わなくなるのは、本気で僕にひとり立ちしてもらわなあかんと思った時だと思います。今はいろいろ言ってくるので、まだその時じゃないです。今は家族で、仲良く、喧嘩をしないで暮らしたいです。

お父さん、お母さんには、何でもしてくれるのではなく、陰で支えてほしいです。まだ元気でいてほしいです。親はずっと頑張ってきたし、感謝しています。お金を貯めて、温泉でも連れて行ってあげたいと思います。

筆者自身の反省でもあるが、障害者のケア(高齢者ケアや子育ても同様に)を家族の内部で担うことについては、それを負担としてのみ捉えて議論が展開されてしまうことが多い。しかし、このような議論は、家族にずっと「負担」として捉えられている当事者の側にはどう映るであろうか。親が自分の人生を脇に置いてまで自分のために生きてくれていることを知ったとき、自分の側に自立の条件が整ったとしても、実行することを躊躇する気持ちが芽生えてしまうのかもしれない。

“家族であること”の幸せのために

これまでのことから、ケアの自己責任化に由来する貧困や不平等という問題は、そこに生きる親子双方にとっての逃げ場をなくす。つまり親は親役割から降りることができず、一方で子どもは「ケアされる」役割を演じ続けなければならないのである。母親に生じる貧困と不平等の解決は、障害のある子どもの年齢に応じた活動や関係性の拡大、それに伴う親子同士の距離感の確立と一体のものである。

社会が生み出した本問題の解決は、当然、社会全体で考えなければならない。障害者のケアに関する社会の第一義的責任を明確に位置づけ、適切な社会資源を障害者本人のみならず、家族にも同年代の人と同等の生活を保障するという“家族のノーマライゼーション”という観点からも整備することが求められる。それが実現することで、障害のある子どもの親であっても、過度の役割を担うことのない“親”として生きることができ、緩やかな親子の関係の成立が可能となる。

家族であることが相互の人生を規定しあう関係ではなく、家族であることの幸せ(当然のことながら、家族を形成しない自由も尊重されるべきであるし、法で定められた家族だけに限定しているのではない)を実感できる社会の実現が求められる。

プロフィール

田中智子社会福祉学

広島大学大学院社会科学研究科・佛教大学大学院社会福祉学研究科退学。2008年4月より佛教大学社会福祉学部・講師。2013年4月より准教授。研究テーマは、障害者家族の生活問題・貧困問題。

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