2016.08.05
ストリートファイトではなくウエイトトレーニング——「はかないことを夢もうではないか、そうして、事物のうつくしい愚かしさについて思いめぐらそうではないか。」展
東京・市ヶ谷のミヅマアートギャラリーで開催中の美術家・会田誠さんの個展には、「はかないことを夢もうではないか、そうして、事物のうつくしい愚かしさについて思いめぐらそうではないか。」という長いタイトルがついている。「なんなら今までの僕のファンが総取っ替えになっても構わない」という意気込みの新作は、ランチボックス・ペインティングと銘打たれた、小さな作品の群れだった。それは、ちょっと気の利いた社会批評を見せてくれるのではないかと無意識に期待したこちらの下心に、「僕は美術家ですよ」と真顔で返されたような感じでもあり……。(聞き手・構成/長瀬千雅)
美術のほうに閉じたくなった
——DMのイメージだけを見てギャラリーを訪れたので、不意をつかれたと言いますか、やられた、と思いました(笑)。
ねえ(笑)。誇大広告のようなプレスリリースで、社会に開いているような展覧会に見せておいて、完全に美術のほうに閉じている展覧会なんですけれども。
——これまでの会田さんの作品は、「日本の社会から生まれてきたものだなあ」と見る人にしみじみと思わせるものが多いと感じていました。実際に「論争」というかたちで社会の側に波紋を生じることもありました。だから「閉じる」というイメージがなかったのですが、今回の展覧会は、国会中継の安倍晋三首相のイメージを使用しているDMを除けば、わかりやすく社会を表象する要素は見られません。なぜ今、美術に閉じたくなったのでしょうか。
「抽象美術」と仮に簡単に言っておきますが、抽象美術に関係する作品はこれまでにもあります。《美術と哲学》シリーズと銘打って、ドイツ人やフランス人のふりをしてドイツっぽい絵やフランスっぽい絵を描いてビデオで撮影したり、ハイデガーの哲学書を読みながら絵を描いていくところを長時間撮影したりというような作品をつくりました。ただ、それは、なんならちょっと笑ってもらいたいような、お笑いビデオのフォーマットの中で抽象美術をやるようなものでした。今回の作品は僕がはじめて本腰を入れて抽象美術に取り組んだものです。
それでも、正々堂々とやるならキャンバスに油絵の具なのでしょうが、僕の性分としてどうしてもそういうわけにはいかなくて、弁当箱(使い捨てプラスチック容器)と発泡ウレタンを選びました。そこは僕のひねくれたところかもしれませんが、そう決めたあとは、真面目に取り組んで、より良きものをつくろうと、そのことだけを考えていました。
なぜ今かということで言えば、前からやりたかったことではあるのでタイミングはいつでもあり得るのですが、たしかに、去年の通称「こども展」*に、主に《檄》という作品を出して騒動になったことは、ひとつの理由ではあります。それはある程度僕の心を疲れさせました。
また、騒動もあって《檄》の写真が今でもネットに貼られていますが、見てのとおり、白い布に黒い墨で文字が書かれている作品で、色彩的にはかなり禁欲的です。造形的にも、家族3人の下手くそな毛筆だから味わいがあると言えばあるのかもしれませんが、それでも字は字ですから、造形美術としての潤いはあまりない。そして、言葉というのは意味や主張が乗っかる媒体です。そのイメージが、去年自分がつくったものの代表的な作品として出回っているわけです。その反動で、意味がまったく乗っからない、色と形だけのものがやりたくなったんです。
*東京都現代美術館の企画展「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」(2015年7月18日〜10月12日)に会田家(会田誠、岡田裕子、会田寅次郎)として参加。「社会はだれのもの?」と題されたパートで、学校や社会を批評精神をもってとらえる作品を出展した。しかし会期中、美術館と東京都が《檄》を含む2作品の撤去・改変を要請。会田さんは不当だと抗議、要請は撤回された。
初期は頭を抱えていました
プレスリリースでは、これまでの僕のイメージを根底から覆すと書きました。見た人の中には「いや別に会田っぽい」と言う人も多いわけですが、僕は今まで1点1点においては具体的なネタがあり、意味の読み込みがあって面白いという作品をつくってきたと思います。今回の作品も支持体に弁当箱を使っているところは意味性だと思いますが、それを無視して画面を見れば、意味はありません。意味に頼らず、色と形だけで、自立して、良いと思われるような状態がつくりだせるのかという、僕なりのチャレンジでもあるんです。
——挑戦ということは、完成形というか、これぐらいのものにはなるだろうという目論見があって始めたわけではないのでしょうか。
全然、どうなるかわかりませんでした。最初はとにかく、ひとつの塊について1色だけを同じ調子で塗るというやり方だったので、絵画としての魅力というものがなかなか出なくて。初期は頭を抱えていたのですけれど。
——そうなんですか?!
「目指せ“絵画”」でしたので。絵画になっているものがどれほどあるか。
——ある程度まとめて形をつくっておいて、あとでまとめて塗るんですか。それとも形をつくるのと色を塗るのは同時進行ですか。
それは分かれていますね。形をつくったのは、千葉にある、昔買ったボロい家のリビングです。1回に20個ぐらい並べて、気が向いたときに発泡ウレタンをぐにゅっと絞って、しばらく置いて眺めて、というのをしょっちゅうやって、もういいなというものから外していきました。それを東京の自宅に持って帰って、ちまちま色を塗る。
——どっちが楽しいですか。形と、色と。
基本的にはどちらも苦しいんですが、形ができていて、どういう色にしようかと睨んでいるときがある意味で唯一クリエイティブな瞬間です。うんうん唸りながらですが。やはり絵画と同じように、一発で決まるわけではありません。塗っていく間に、あるいは全部塗り終わったあとも、こっちをもっと暗くしようとか、赤と青を逆転させようとか、塗り直しは多いです。具象であっても、絵を描くときは、背景をもっと明るくしようかなとか、ここにアクセントが必要だとか考えますよね。それと同じです。詰め将棋のように、フィニッシュするときは細かい調整が必要なんですね。
人類は「観賞するための平面」をつくってきた
実際に手を動かしたのは3カ月くらいですが、今回やりたかったことは、古今東西の人類がつくってきた「絵画」、というより「平面ビジュアルもの」の「図鑑」みたいなものがつくりたかったんです。弁当箱というフォーマットの中で。
いろんな地域、いろんな時代、いろんな個性……いろいろありますが、その「やり口」みたいなものはある意味有限だと思うんですよね。パターンで分析すればもしかしたら50ぐらいにおさまるかもしれない。
僕は美大受験の予備校生のころから、個性的な画風を確立するということに興味がありませんでした。ゴッホ風とかセザンヌ風とか、絵描きは普通自分の絵の「売り」があるものですが、「会田風」をつくりたいということはずっと昔から思ったことはありません。「会田風といえばあれ」と思っている人もいるかもしれませんが、僕としてはそれはないつもりなんです。
そういう奴ですから、自分の個性を確立することよりも、人類のつくってきたビジュアルものを分類してみたいということのほうが、僕の情熱をかきたてるんですね。
人類の歴史の中で、「鑑賞するための平面をつくる」ということにはいくつかのやり方があります。ものすごく簡単に言えば、静的/動的とか、明るい/暗い、細かい/大胆といった性質を選択してゆくわけです。で、僕がやりたいのは、「俺の素敵な色彩感覚を見てくれよ」ということではなく、「人類が使う手ってだいたいこれぐらいじゃない?」というのが出尽くすまでやってみたいんですよね。
——子どもっぽい感想で恐縮ですが、私は、見ているうちにだんだん、「これひとつ欲しいなあ」という気持ちになりました。小さいし。実際には買えないんですが、そういう目で見始めると、「あれよりこれのほうが好き」という好みも出てきまして。
なるほど。でも僕はなるべく自分の好みの外側にいようと努めました。色を考えるとき、古今東西、自分がこれまでに見てきたものを、ファジーなコンピューターである僕の脳みその中でランダムに検索する感じです。その中には美術作品だけでなく、民芸品やイラストやテレビの画面なんかも入っています。
なんなら人から愛されちゃうものを
——作家自身としては、「これは成功している」「こっちはイマイチ」みたいな作品ごとの差ってあるんですか。
やはりここに飾られているものは、僕の中では平等ではなくて。そうですね……冗談ととられても構わないのですが、僕としてはこのシリーズは、「目指せ国宝」という態度でやっています。ですから、自ずと僕の主観の中で、比較的うまくいったものと、うまくいかずに途中で止まってしまったものがあります。僕が気難しい陶芸家のような人間ならそういうものは壊して捨てるのかもしれませんが。壊しはしないまでも出さなかったものはいっぱいあります。
——これは聞くのも野暮かもしれませんが、気に入っているのはたとえばどれでしょう。
たとえばあの上段のとかは(と目で示す)、3色だけだから味わいは少ないけれど、形だけでは水色の部分と黒の部分がああいうふうに分かれる必然性はなく、こう塗り分けるとよかろうというのが奇跡的にうまくいったと思っていて、僕の中で高評価なんですが……何言ってるかわからないですよね(笑)。
——いえ、こちらが役不足で申し訳ございません……。あの、参院選の投票日の前日に、東京藝大の学生さんを中心とした小さなトークイベント*に、ゲストで出られましたよね。冒頭で会田さんは、「アーチストの卵が来ていたら、『色と形』の話をしようと思っていた」とおっしゃっていました。結局客席に作家がいなかったので別の話になっていきましたが、もしあの場にアーチストの卵がいたら、どんな話をされたのかなと思うんです。
*「政治と芸術……まあことはそう簡単じゃないですが…」というイベントが、7月8日、東京・北千住にあるマルチスペース「特火点 tochka(トーチカ)」で開かれた。
そうですね、たとえば、少し前に、若いアーチストのトークショーを聞いたりしましてね。丸木美術館という、丸木位里・俊夫妻が描いた《原爆の図》を中心に展示している美術館が埼玉のはずれにあって、そこで開かれた企画展の関連イベントだったのですが、アーチストにとって社会的メッセージはどう発すべきかということがテーマでした。
——丸木美術館は成り立ちから言ってもそこで社会派な展覧会が行われるのは不思議ではないですが、世の中全体の流れとして、やはり社会情勢に反応するような作品や展覧会が増えているのではないかということは感じます。
みんな熱く語っていたのですが、客席にいた僕に話を振られたんですね。それで無理やり答えたのが、ちょっと誤解を生むことを言うかもしれませんが、社会に対して自分が善だと思うことをやりたいと思ったら、社会的な作品をガシガシつくるのもいいかもしれないけれど、それと同じくらい、美術作品として人気が出る、なんなら人から愛されちゃうものをつくって、自分も愛されて、作品も売れたりして、表現活動が継続的にできるようになることに力を注いでもいいのではないか、といったことをしゃべりました。
だから、美術家としての思想の部分だけではなく、色と形とか、そういうものの訓練をしてレベルを上げるのも大切じゃないかな、ということを言ったりしたんです。そういう考えがベースにあって、今回の作品になっているところはあります。……長いわりにたいした話ではないのですけれど。
——全然そんなことないです。
選挙が終わったばかりじゃないですか。普段から思うことですが、選挙や国会や、こういう局面になるたびに、美術の、ましてや現代美術の、その中のそこそこのポジションでしかない僕なんていうものの、存在の小ささを、ひしひしと感じるわけです。東京の片隅のこんなところで展覧会をさせていただいて、オープニングにもたくさんの人が来てくれたけど、やっぱりまた自民党が圧勝するような日本全国の中に置いたら、ほんの小さなことなんですよね。美術なんて微塵も社会を動かしたりできないという実感はあるわけです。
そんな中でも、色と形、こればかりは自分たちの専門領域です。もちろん社会問題とか憲法とか、美術作品はそれをテーマにしてもいいし、僕もするときはするけれど、ここは一回、自分の専門領域だけで小さく、濃厚に、自閉的にやってみたくなったんですよね。また力を蓄えて別のテーマの作品もすぐにつくると思いますが、自分なりに美術の中に自閉するとどれぐらいまでいけるのかということに、このタイミングで一度挑戦してみたくなった。ということなんです。だからこの展覧会自体は問題性はそんなに含んでいなくて。もともと意味なし、言葉なしの世界をやろうとしているので。こういうインタビューに向いてない展覧会ですね。《戦争画RETURNS》で「なぜニューヨークが火の海になっているのですか」というような質問のほうがまだ答えやすいのですが。取材に来ていただいたのに申し訳ないです(笑)。
——いえ(笑)。でも、ステイトメントでも「《みんなといっしょ》シリーズと対になっている」と書かれていますが、会田さんの制作の歴史の中に今回のような作品群があることが重要なんだなと思いました。私は、「ネタがある」とか「意味で読み解ける」ことを「会田風」だと思っていたのかもしれないな、と。
芸術を愛する気持ちを、岡倉天心先輩にあやかって
——「はかないことを夢もうではないか、そうして、事物のうつくしい愚かしさについて思いめぐらそうではないか。」という展覧会のタイトルには、どこかこう、とても美しいのだけれど、厭世的な感じもありますよね。今、会田さんはそんな気分なのでしょうか、ということはやはりうかがってみたくなります。
先ほどから言っていることと多少絡みますが、美術なんてしょせん社会の中では小さい存在という「いじけモード」でもありますが、でも、いじけはいじけだけど、プライドを持ったいじけでもあるつもりなんです。そのようなプライドを持ったいじけみたいなものの代表的な態度として、ふと、昔読んだ岡倉天心の『茶の本』の一節が思い出されたんですね。
*『茶の本』はもともと英語で書かれ、1906年にニューヨークの出版社から刊行された。岩波文庫版に寄せたはしがきで、天心の弟、岡倉由三郎は、「(編注:兄は、アメリカ滞在中のさびしさなどもあって)茶事の物語にことよせて大和心(やまとごころ)のやさしい動きをイギリス文字に写し試みたのが……『茶の本』であったのだと思われる。」と記している。
言ってみれば、二人の人間が小さな部屋に入ってお茶をすするだけのことですが、その中に充実した、素敵な価値を、詰めようと思えば詰められる。それは歴史や政治と比べれば小さなことかもしれないけど、そういうことにプライドを持って価値を見出そうとする人々がいる。それが芸術を愛好する人の気持ちだということだと思いますが、今回、弁当箱という小さい器を選んで作品をつくるにあたって、千利休や岡倉天心という大先輩にあやからせてもらった、ということです。
今回の作品は、持つとわかるんですが、すごく軽いんですよ。発泡スチロールぐらいの軽さで。
——その軽さに、DMのイメージと相まって、表層的な今の世の中への風刺を読み取る人もいますね。
そうですね。無意識でつくるところはありますから、国会中継に代表されるような今の日本社会から感じるものとのシンクロはあってのいろんな選択だと思います。ただ、さあこれによって現代社会を批評するぞとか、皮肉を言うぞ、という順番ではありません。
今回はストリートファイトではなくウエイトトレーニング
——「ランチボックス・ペインティング」のシリーズはもう少し続けられるんですよね。瀬戸内国際芸術祭でもつくられるとうかがいました。
ええ、100個ぐらい組み合わさった大作をつくろうと思っています。
——つくっているところを見ることはできますか。
ええ、全部床に並べてぐずぐずとやったり、色を塗ったりすると思います。*
*瀬戸内国際芸術祭 昭和40年会男木学校『会田誠 公開制作』(8/25まで)
——弁当箱ひとつを見ればミクロですが、100個集まるとかなりの面積になりますよね。それだけの面積を色の塗り分けだけでつくっていくと、どう見えるんだろう……。色と形の専門家の批評が待たれます。
純粋な造形要素のことだけ語る評論家は本当は多いんですけどね。美術の世界では、20世紀以降、具象をやるのは本当は邪道であるのと同じように、社会問題をベースに美術批評をするのは本当は邪道だったりするんです。でも純粋造形のことだけの評論はやはり、ちょっと専門的になりがちで地味ですね。
このシリーズをやりたかったのは、そして、やってみてやはり苦労して、今後もきっと苦労し続けるだろうというのは、必ずしも名作にならなくてもいいのですが、できれば芸術になってほしいんですよね。アートに。そして、アートとアートじゃないものの境目というのは非常にわかりにくくて。
僕の主観と、世間や評論家や、長い目で見れば歴史のジャッジとは、たぶんイコールになるわけではありません。でも自分の中の納得として、「この弁当箱はまだ芸術じゃないけど、これは芸術になった」とかいうことを、ぶつくさと心の中で思いながらやっているんです。
美術にはもともと大理石でつくったり、ブロンズでつくったり、キャンバスと油絵の具でつくったりという、素材の歴史があります。だから、ちょっと下手でも物質とスタイルだけで芸術になったような気になる。ですが、弁当箱と発泡ウレタンだったら、よほどのことが起きないと芸術になった感じにならないですよね。だからなおよい。
鑑賞するときも、弁当箱というのは、邪魔というか、現実に引き戻されてしまうものじゃないですか。いつも昼メシを食う使い捨ての食器だということを思い出してしまうとこれは芸術ではなくなってしまうのですが、でももしこれが芸術になっていたら、その瞬間、これが弁当箱であることを忘れると思うんですよね。逆に言えば、弁当箱であることを忘れさせるぐらいまで芸術にしなくてはいけない。それを色分けだけでできるか。
やっていてわかるのが、芸術の芸術らしさって、混ざっていたり、かすれていたり、濁っていたりするニュアンスに宿ることが多くて、パキパキの塗り分けだけではデザイン(平面構成)止まりになってしまいがちで。芸術にするのは難しいなと実感しています。
——あそこ(写真=よみ)のはグラデーションになっていたりしますね。
あれは実験のようなつもりで、いっそこうやったらどうかなと。途中なんですが、途中もあってもいいかと思って。あっちの肌色っぽいやつ(写真=りせ)は、色を塗っていないですからね。こんなのがひとつあってもいいか、と。たとえば今後トライするのはああいう塗りの微妙なニュアンスを活かした世界観ですね。……こんな話が記事になるかどうかわかりませんが。
——正直に言いますと、昨年都現美で会田家作品の撤去要請騒動があり、それをきっかけのひとつとして美術評論家連盟のシンポジウムが開かれたりして、美術に限らず表現への政治的な圧力の、ある意味象徴的な位置にいらっしゃる感じがしていました。でも、当の会田さんは色と形の訓練をしていたというのは、面白いです。
昨今、何か、美術活動に対して抑圧的な何かがじわじわと来ているような空気感はあるわけですが、それに対して戦いの狼煙を上げるのが熱いアーチストなのかもしれないですけれど、僕は、少なくとも今回は、はっきり言って逃げ、逃げの一手ですね(笑)。
具象であっても、絵を描くときに悪戦苦闘するのは結局ほとんど色と形の要素なわけです。それを、意味ゼロで、ちょうどウエイトトレーニングのようにやってみたらどうなるか。ウエイトトレーニングって、健康のためにたまにやるんですが、運動としてすごく抽象的というか、純粋ですよね。だから今回は、ストリートファイトとは違う、純粋にここの筋肉、ここの筋肉というように、うまく言えないですが、そうやって鍛えている感じなんです。
プロフィール
会田誠
1965年新潟県生まれ。1991年東京藝術大学大学院美術研究科修了。美少女、戦争画、サラリーマンなど、社会や歴史、現代と近代以前、西洋と東洋の境界を自由に往来し、奇想天外な対比や痛烈な批評性を提示する作風で、幅広い世代から圧倒的な支持を得ている。小説『青春と変態』(ABC出版、1996年/筑摩書房、2013年)、漫画『ミュータント花子』(ABC出版、1999年/ミヅマアートギャラリー、2012年)、エッセイ集『カリコリせんとや生まれけむ』(幻冬舎、2010年)、『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』(幻冬舎、2012年)など著作多数。近年の主な個展に「天才でごめんなさい」(森美術館、東京、2012〜13年)、「考えない人」(ブルターニュ公爵城、ナント、フランス、2014年)、「世界遺産への道!!~会いにいけるアーティストAMK48歳」(霧島アートの森、鹿児島、2014年)、「ま、Still Aliveってこーゆーこと」(新潟県立近代美術館、2015年)など。8月1日(月)から25日(木)まで男木島(香川県高松市)にて公開制作。9月3日(土)から韓国・釜山ビエンナーレに参加。