2016.12.20

9.11から15年、世界はどうかわったのか

酒井啓子×荻上チキ

国際 #荻上チキ Session-22#9.11#同時多発テロ

今年、私たちはアメリカ同時多発テロ(9.11)から15年目を迎えた。この15年間で、世界はどう変わったのだろうか。現在までつづくイラクの混乱、過激派組織ISILの誕生、中東で続くテロの連鎖、欧米を中心に蔓延するイスラム教に対する嫌悪=イスラモフォビア――「9.11」がその後の世界に残したものとは。国際政治学者で、千葉大学教授の酒井啓子氏が解説する。2016年9月20日(火)放送TBSラジオ荻上チキ・Session22「911から15年。世界はどう変わったか?」より抄録。(構成/増田穂)

 荻上チキ・Session22とは

TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホームページはこちら → http://www.tbsradio.jp/ss954/

9.11により開かれたパンドラの箱

荻上 今日のゲストをご紹介します。国際政治学がご専門の、千葉大学教授・酒井啓子さんです。よろしくお願いいたします。

酒井 よろしくお願いいたします。

荻上 同時多発テロから15年を向かえたこの時期に、ニューヨークでは連続爆発事件も起こりました。28歳のアフガニスタン出身の男が逮捕され、アメリカCNNなどは「2001年の同時多発テロを想起させる」と伝えました。今回の事件について酒井さんはどのようにお感じになっていますか?

酒井 まだ詳しいことはわかっていませんが、逮捕された青年の父親はちょうどビンラディンと同じくらいの世代なんですね。ちょうど、ビンラディンがアフガニスタンでソ連に対する抵抗運動を終えてサウジアラビアに戻った時期に、この一家はアメリカに逃れてきている。ビンラディンが抱えていたような、アメリカに対する鬱屈とした、複雑な感情を抱えていたのかな、という印象はあります。

この青年がアメリカでどのような暮らしをしてきたのか、どういった価値観を身につけてきたのかは、これから捜査しないとわからないことですね。

荻上 そうですね。周りのイスラムに対する無理解や反発に悩まされて、裁判沙汰を起こしていたという話も伝えられています。アフガニスタンを逃れて自由の国アメリカに来たと思ったら疎外された。ある種パリの移民の人々と共通するような鬱屈を抱えていたのかな、とも想像できますね。

9.11は、こうした各国での移民に対する寛容さを浮き彫りにした出来事でした。15年前の事件の日、酒井さんはどうしていらっしゃったんですか?

酒井 勤め先から帰宅してテレビをつけたらまさに2機目がビルに突っ込むところでした。最初は「映画の撮影か資料映像か何かかな?」という印象で、実際に起こっているなんて信じられなかった。とにかくショックで、すごいことが起こっている、と思いました。

そこからアフガニスタン戦争、イラク戦争など、各国を巻き込みながらアメリカは急速に変貌していきます。

あのような形でアメリカが直接ターゲットになることも、テロに対してアメリカが戦争で応えるということも、これまでにないことでした。パンドラの箱を開けるような出来事だったと思います。これまで何とか抑えてきたことが、全部噴出してしまった。たぶん誰も予想していなかったと思います。

荻上 しばらくして「Remember 9.11」といったフレーズが一人歩きするようになりました。「Remember アラモ」や「Remember パールハーバー」など、「Remember」という言葉には「このことを絶対に忘れるな」という復讐心をこめた強い語気が感じられますね。

酒井 9.11で1番大きく変わったのは、まさに今言われた復讐心があらわになったことだと思います。復讐心で暴力をふるってもいいんだ、という風潮が定着しました。復讐をしてもいいという背景にあるのは「自分たちのほうが相手より犠牲を払った」という認識です。「アメリカのほうがイスラム世界の住民より多くの犠牲を払ったのだ」というアメリカの認識に対して、イスラム世界では「イスラム教徒の方がもっとひどいことをされてきたんだ」という、ある種犠牲の大きさを競うような、不毛な競争が続いていると思います。

荻上 リスナーからメールが来ています。

「私はアメリカ在住で、9.11事件の日もニューヨークにいました。印象的なのは、事件以後、それまでなかったオフィスビルでの入館検査の義務付けなどが始まったことです。こうした変化は、自由を重んじるアメリカ人にとって非常に厳しい事態でした。愛国心旋風が巻き起こり、「(イスラム教徒と同じように)ターバンを巻いている」というだけでインドのシーク教徒までもが差別されるなど、人種的な軋轢も深まったように感じます。その上、近年ISILの台頭でこうしたイスラム教徒への無理解や恐怖心はいっそう煽られています。9.11がなければ、トランプのような大統領候補は出てこなかったのではないでしょうか。」

9.11を契機に、アメリカは大きく変わりました。まず、それまで掲げていた「自由」という原理と矛盾するような監視社会化が進みました。さらに、黒人差別の撤廃などを後押しした従来の人権意識が侵され、ムスリムや、ムスリムでなくても身なりの似たような人たちをひと括りにして差別をするような風潮が高まってしまった。

それまでリベラルな知識人は、「少なくとも理念の上ではみんな平等なんだ」「外国人と共存しなければならないんだ」と言っていました。日本でもそうですが、この前提が9.11によって一気に覆され、「外国人を見たら疑え」というような世界になってしまった。すごく居心地の悪い社会になったと思います。

酒井さんは同時多発テロをパンドラの箱を開けた、という風に表現されましたが、これはどのような箱だったのでしょうか?

酒井 それまで「テロ」は犯罪でした。最近ではなんでもテロと言っていますが、基本的に犯罪は、警察権力によって取り締まるべきものです。しかしそれを戦争によって対応してしまった。逆に言うと、テロを戦争のレベルまで引き上げてしまったんです。加えて、これまでどこかにあった「共存する」というアメリカ人の精神が、今や他人を排除してでも自分たちの安全を確保する、という意識に変わってしまった。

そして1番大きなパンドラの箱は、その後のアフガニスタン戦争とイラク戦争だと思います。「外国の手によって政権がひっくり返されるんだ」という恐怖や、逆に「外国の手によって自分たちの厄介な政権を倒してもらえるんだ」という認識を生んでしまった。シリア内戦が起こったのも、こうした状況の延長線上にあると思います。

今のイラクやアフガニスタンの復興がなかなか進まないのも、「自分たちが選んだ政権ではない」「アメリカが勝手に作った政権だ」というところで正当性がない。国の根幹であるべき「自分たちの政府は自分たちが選んだ」というところが崩れていってしまったんです。これがいわゆる対テロ戦争、9.11以降の戦争の1番衝撃的なところだったと思います。

荻上 9.11以降、終わりの見えない紛争が増えていますよね。

酒井 「誰かが勝った」という自覚がないですよね。内戦でも戦争でも、長くかかってもいい。自分たちで努力して民意をまとめて勝敗が決まった、というのであれば、負けたほうも納得いくかもしれません。でも、「ある日突然アメリカが来て追い出された」というのでは、納得がいかないのは当たり前です。そういう人たちが、例えば「イスラム国」になったり、アルカイダに入ったりすることで、紛争が長続きしてしまうわけです。

荻上 アメリカだけでなく、国連を含め、世界中が個別のテロを抑止していくためには、根本的な政治の安定、貧困抑止など、しっかり向き合っていかなければならない問題が山積みです。実際に国連では、単に戦争を抑止するだけでなく、戦争の根本である差別や貧困、人権の問題を解決していこうとオペレーションを実行しています。9.11以降は、ある意味でその枠組みを拡大し、異なるフェイズに突入させたとも言えます。

9.11以降のジハード主義

荻上 リスナーからはこんなメールもいただいています。

「9.11以降世界は大きく変わりました。というより、9.11以前の世界を思い出せません。事件以降混迷を深める昨今の状況で、何をどうすればいいのか、一個人としては見当もつかないのが本音です。」

そもそもテロというのは、9.11以前も頻発していたのでしょうか。

酒井 呼び方が変わったんだと思います。以前は「ゲリラ」という言葉の方が多かった。民族運動や脱植民地運動などで軍隊ではないけれど戦っている人たちは、支配者からすればテロだけれど、一般にはゲリラと呼ばれていたんです。それが90年代、湾岸戦争くらいから「テロ」という犯罪行為として一本化されていきました。

荻上 冷戦期、社会の価値観は二元論でした。しかしソ連の崩壊以降、自由主義が前提となっていく中で、価値観は一元論化していった。それに伴い、「今の秩序とは別の秩序を求める人との対立」という意味を内包する「ゲリラ」という言葉は使われなくなってしまったわけですね。

酒井 冷戦期のイデオロギー的対立だと、相手の主張を認めはしないけれど、自分たちとは違う考え方があり、その大義のために戦っている人がいるという認識は共有されていました。しかし「テロ」という言葉には、「非合理的な発想で暴力を振るっている人たち」というイメージがある。どうやらイスラムという宗教的な理念に基づいているようだけれど、要求の内容も主張もよくわからない。わからなくても関係ない、という認識になってしまっている。

荻上 「テロ」の語源は「恐怖」です。恐怖によって政治的な要求を通そうとするわけですから、秩序に対する攻撃や挑発であることは確かですが、報道などで「テロ」という言葉が乱用され始めると、「それを営む側には営む側の合理性がある」という発想が薄れていきますよね。

酒井 9.11以前は「テロ」という言葉が使われてもテロリスト側の論理は理解されていました。例えばレバノンで、イスラム勢力がアメリカの海兵隊が駐屯地を攻撃して何百人もなくなった事件は、アメリカにとってはテロだけれど、攻撃した方からすれば不当に自分たちの土地にいるアメリカ人を追い出すための、ある意味正当な攻撃だったと理解されていました。目の前にある、直接自分たちの生活に関わる問題に対しての行為だった。

9.11のようにアメリカまで飛んでいって、相手のシンボルを破壊するというのは、同じ恐怖を駆り立てる行為だったとしても意味合いが異なってきます。そういう意味においても、9.11によってテロの性質は変わったと言えます。

荻上 9.11以降中東のイメージが強くなった「テロ」「ゲリラ」といった言葉ですが、酒井さんは以前論文で、かつては中東ではなくほかの地域で頻発していたものが変化したのだ、と指摘されています。これはどういった意味なのでしょうか。

酒井 80年代まで、世界で最もテロが多発していたのは中南米でした。独裁政権の多かった中東では、テロリストや犯罪者はむしろ抑えられていました。9.11のような犯人を出したのはサウジアラビアやエジプトといった親米政権の、しかも欧米の情報が自由に入ってきていた国です。反米で情報統制の強いイラクやシリアにはしっかりした独裁者がいたから、テロは少なかった。中東でのテロは、フセイン政権が倒れた2003年以降、テロを抑止していた独裁政権が倒れてから急激に増えました。

荻上 中南米での国内でのテロから、対アメリカ的ジハード主義のようなテロへと変化し、テロの持つ意味合いもずいぶん変わってきましたね。ひとつの攻撃により大きな意味を持たせる、9.11以降はそういった傾向が見られます。

酒井 それが「テロとの戦い」の問題でしょう。テロを戦争に格上げしたことで、私怨のような攻撃や暴力でも、「アメリカを相手に戦っている」というような箔がつく。そういうヒロイズム的なところが、人をひきつけている部分もある。

荻上 最近はローンウルフ型やホームグロウン型など、テロ組織とは直接関係のない人がISILなどに思想的共感を持ち、独自に犯行に及んでいます。それに対してISILが「彼らは同志だ」というような声明を出す構図は、それまでであれば犯罪として扱われたであろう事件を、ひとつ別のレベルに持っていったことになるわけですね。

酒井 宗教とは何の関わりもなく犯罪を犯した人が、「ジハード」の一言で正当化される環境を作ったという点で、ISILの存在は非常に大きいです。世界の全ての犯罪に正当性を与える口実を作ってしまったのです。

世界中に蔓延するイスラモフォビア

荻上 テロの手法についても質問が来ています。

「9.11同時多発テロ以降、自爆テロなど、警備が難しい、未然に防ぐことが困難なテロが増えたのではないでしょうか」

これはいかがですか?

酒井 『自動車爆弾の歴史』という本があります。世界で最初の自動車爆弾は20世紀初頭にアメリカで使われました。馬車の中に爆弾を積んで、ロバにつっこませた。こうした手法が多用されたのはスリランカ内戦などで、決して中東のオリジナルではありません。確かに自爆テロは中東で起こりましたが、それはあくまで戦略的な合理性です。確実に相手をしとめるために、最後の瞬間まで、運転手ごと突っ込むという手法になった。自爆というのはあくまで効率的な選択のもと行われています。当然、運転席に乗ってくれる人を見つけるための口実に、イスラム的に「自爆すれば天国にいける」といった正当化の要素は絡みますが、それは後付けです。

荻上 近代的な装置や兵器など、他に攻撃の手段があるならばそちらを使う。しかし限られた武器で確実に攻撃するためには、警備されにくい古典的な方法で、ソフトターゲットを狙う。こうしたことが9.11以降伝播していったのですね。

酒井 そうですね。しかし実際のところ自爆テロは数としてはそんなに増えていません。相変わらず銃で撃つような攻撃方法が一番多いです。ISILなんかだとテクノロジーが高まっていて自爆なんかしなくてもいろいろな方法でやれるわけです。

荻上 各国でも、相変わらず自動小銃で乱射をするようなものが多いですね。自爆だと目立つから注目されるけれど、手法としては実は変わっていない。しかしその価値が変わった、と。

酒井 「イスラム国」と同じで、無理やり自爆させるわけではなく、宗教的な正当性をつけてその手法を使う。そういう意味では大きい変化だと思います。

荻上 9.11以前と以降で言うとイスラモフォビア、イスラム教に対する偏見や攻撃などは、世界で変化があったのでしょうか。

酒井 多くなったと感じます。外国人と見れば怯えるような風潮が、9.11以降非常に増えました。シーク教徒がイスラム教徒と間違えて撃たれたことや、ロンドンの地下鉄爆破事件のとき、走って逃げていったように見えた人がひげをはやした浅黒い肌をしていたというだけで、イスラム教徒と間違えられて警察に撃たれてしまったという事件を考えても、やはり世界中でイスラモフォビア的なものは蔓延したと思います。

荻上 日本でもモスクに通っているというだけで個人情報を収集したり、ムスリムを特別視する傾向は、捜査機関にも浸透しているといえそうです。

酒井 ヨーロッパでは建前上、宗教によって差別はしないことになっているので、本来であれば統計で誰が何教かなんて聞いたりしないはずなんです。でもイギリスでは、そういう統計を取ってる。こうしたことが差別につながる懸念はありますね。

荻上 アメリカ大統領選のトランプ候補など、ある種イスラモフォビアを利用することで、それまで弱かった右派的政党の人気を高めるような変化も起きていますよね。

酒井 そう思います。やはり排外主義が強くなったのは9.11以降の非常に顕著な傾向かな、と。

テロ組織が人々を惹きつける要因

荻上 改めて、9.11とはなんだったでしょうか。あの事件が誰のどういった犯行なのか、という点から教えていただけますか。

酒井 オサマ・ビンラディンが率いるアルカイダが背景にあって、実行犯は15人のサウジアラビア人、エジプト人など、ということになっています。なぜアルカイダがアメリカにあのような攻撃を仕掛けるようになったのか。その点に関してはいまだに解明されていません。

一番直接的な原因としてよく言われるのは1979年のソ連のアフガニスタン侵攻です。ソ連を追い出すために、アメリカやサウジアラビアが世界中のイスラム教徒に向けて義勇兵を募りました。しかしアメリカは途中で手を引いたわけです。ソ連がアフガニスタンから撤退した後は、かつての傭兵たちが用無しになり、結果としてならず者になって、アルカイダとしてアメリカに恨みを持つようになった。非常に簡単に言えばそういうことだといわれています。

荻上 アメリカは単に兵士を集めただけでなく、武器の提供などさまざまな支援を行いました。その中で、アメリカへの恨みが浸透していた背景は何だったのでしょうか。

酒井 難しいですね。ただ、考えられるのは、義勇兵たちはずっとアフガニスタンの将来のために戦ってきた。それなのに、ある時突然、雇い主が手のひらを返して「おまえたちはテロリストだ」というような言い方をしてきた。それが一番大きかったと思います。

特にビンラディンに関しては、サウジアラビア出身ということも大きな要因でしょう。彼がアフガニスタンから帰って来たのはちょうど湾岸戦争の時期、サウジアラビアでは、アメリカ軍が我が物顔で軍事行動をとっていました。ビンラディンにしてみれば、それまでアメリカと協力しながらアフガニスタンで戦ってきたのに、帰ってきたら本国はアメリカに従属する形で国防を任せきってしまっていた。母国に対する情けなさのような不満もあったのではないかと言われています。

荻上 9.11も含め、テロの標的として欧米的な価値観を象徴する場所が狙われていることで、イスラム教との価値観の対立として認識されがちです。実際そういう側面もありますが、発端は必ずしも価値観の対立ではないわけですね。

酒井 そうです。9.11以前、中東での紛争といえばパレスチナ問題一色でした。パレスチナ問題は、目の前にある土地がもともと住んでいたパレスチナ人のものなのか、ヨーロッパで迫害されて移住し住人を追い出して独立を宣言したイスラエル人のものなのか、どっちのものなのか、具体的な目的のある紛争です。相手を倒すことで自分たちの生活が良くなる。その土地をどうするのか、直接目の前にいる相手と交渉をせざるをえない状況でした。

一方で9.11は、それをしたからといって自分たちの生活が直接的に改善されるわけではない。交渉なんてすっとばして敵のシンボルを攻撃する。やっつけて気持ちがいい。そういう点でパレスチナ問題とは大きく異なります。

荻上 テロを成功させると注目を集める、プロモーションになって資金源にもなる、そうした循環を生んだ側面もありました。

酒井 アルカイダやISILなどさまざまですが、テロ組織のサポーターは千差万別です。社会の中で鬱屈を抱えた人々が組織に入ってしまうこともあるし、アメリカをやっつけてスカッとしたいというだけで、気持ちだけでも応援しようと寄付する人もいるかもしれない。ISILに加わった人の中には経済的な問題などで祖国で結婚できず、ISILに入ったという人もいます。いったい何が人々をISILに引き寄せるのか、まだはっきりとは分かりません。

中東研究者の保坂修司さんが、面白いことを指摘しています。意外にも、ISILに入る人たちは、イスラムのことを知らないそうです。ISILが新参者の兵士に行ったアンケートの結果を見ると、彼らのイスラムに関する知識は初等レベルしかない。推察するに、それまでの自分たちの生活で鬱屈を抱えていていた人たちが、単に暴れるだけでは犯罪になるから「イスラム国」に入って暴れようとするわけです。こういう人たちが二元論的な過激なイスラム思想を受け入れてしまうのではないかと懸念します。

荻上 なるほど。テロが拡散していく現実と、それを防ぐために各国で監視社会化が進む状況に加えて、イラン・アフガン戦争やアラブの春以降、権力の空白化により不安感が蔓延している。こうした中で、さらに鬱屈した感情が溜まりやすい、テロの生まれやすい土壌が拡大しているわけですか。

酒井 アラブの春では政治的には民主化しても、経済や生活は改善されませんでした。民主化が何をしてくれたんだ、という気持ちになったのかもしれません。

あの時の選択は正しかったのか

荻上 リスナーからのメールです。

「9.11以降、暴力と憎しみが蔓延する世界に変貌してしまいました。わたしたちがこの15年で学んだことは、武力に頼ってもテロとの戦いでは憎しみや恐怖から逃れられない虚しさではないでしょうか」

「9.11以降、全てのことでテロの危険性や安全保障が、まず頭に浮かぶようになりました。とても息苦しくなったと感じます。テロ対策のためならなんでも許される。反対する人は非難される。日本でも9.11がなければ安保法制や秘密保護法はなかったのではないでしょうか。今世界で起こっている争いももっとゆっくりだったと思います。」

「もしもあの時、別の選択をしていたら」と考える人は多いですね。

酒井 イラク戦争がなければISILの台頭はなかっただろうと、ブレア元首相もはっきりと認めています。ただし、イラク戦争がなかったらベストな状況が続いたのか、といえば、そうは言えない部分もあります。独裁政権が安泰な状況だったわけですから、世界は安定していたかもしれない。しかし、そこに住む人々にとってはつらい日々が続いたはずです。選択が正しかったのかどうかは別問題ですが、いずれにせよ、戦争によって外から政権をひっくり返したことで生じた弊害は、計り知れません。今のすべての厄災の根源がそこにあるとも言えるでしょう。

荻上 ビルマやチリなどの軍事政権は経済的な状況によって、内側から徐々に変わっていきました。もしかすると中東でも、そうした内からの力による変化の可能性があったかもしれませんね。

酒井 政権が変わること自体は問題ありません。しかし、それが外部の手によって行われると、新しい政府も正当性に欠けることになるのです。追い出された政権側も民衆から否定されたという意識がないわけですから、自分たちがどの時点で戦争を終えたのかという合意もありません。したがって、「戦後」になっても人々の気持ちは変わらず、前に進めないという状況になるわけです。

荻上 以前のように国と国との戦争ではなくなり、その国の統治機構をめぐる戦争になってくると、まず合意をする主体が必要になってきます。しかし、外からの介入が起こるとその主体性そのものが失われてしまうのですね。

9.11以降の社会については、アメリカでも自分たちがどうなってしまったのか、総括ができてないという話もあります。

酒井 アメリカに限らず、9.11以降の先進国の問題だと思います。ブレア元首相に対するチルコット報告書でも、イギリスがいかにイラク戦争に参入したのか、それが間違いだったのか、「失敗した」ということは繰り返されていますが、じゃあどうしたらいいのかについては書かれていません。今後どうするのか、考えていかなければならないと思います。

特に、シリア内戦といった今まさに起こっている問題もあります。過去を振り返るだけでなく、そこから学ぶことが重要でしょう。

荻上 シリア内戦に関しては、まずは停戦を実現すること、ISILなどのテロ組織に対応していくこと、そしてそこに住む人々がしっかり自治を獲得できる仕組みを作り、政権が安定するように進めていかなければならない。壮大なプロジェクトが待ち構えていますね。

酒井 まずは現地がどうなっているのか、知ることが大切です。問題が起こってから、にわか知識でとりあえず収めようとすると、後々しこりが残ってしまいます。

荻上 中東の現状や9.11以降の歩みについて知っておく。そうすることで、いざ世論が誤った方向に沸騰してしまったときに、長期的な目線で未来を見定めることができるような指導者を選べるようになるわけですね。酒井さん、本日はありがとうございました。

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プロフィール

酒井啓子イラク政治史、現代中東政治

1959年生まれ。82年東京大学教養学部教養学科卒業。イギリス・ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所入所後、在イラク日本国大使館専門調査員、在カイロ海外調査員、日本貿易振興会アジア経済研究所参事、東京外国語大学教授を経て現職。専門はイラク政治史、現代中東政治。著書に『イラクとアメリカ』『イラク 戦争と占領』(岩波新書)、『フセイン・イラク政権の支配構造』(岩波書店)、『イラクは食べる』(岩波新書)、『〈アラブ大変動〉を読む-民衆革命のゆくえ』(東京外国語大学出版会)、『中東政治学』(有斐閣)、『〈中東〉の考え方』(講談社新書)、『中東から世界が見える』(岩波ジュニア新書)、『移ろう中東、変わる日本:2012-2015』(みすず書房)など多数。

この執筆者の記事

荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

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