2017.07.11

南米・ベネズエラでいま何が起きているのか?

坂口安紀×荻上チキ

国際 #荻上チキ Session-22#ベネズエラ#チャベス#マドゥロ#反政府デモ

世界最大の石油埋蔵量を有し、南アメリカ大陸の最北端に位置する国・ベネズエラ。ここでは今、マドゥロ政権に対する抗議デモが激化し、死者は80人以上に達している。なぜこのような事態になったのか。ベネズエラの経済・地域研究がご専門、ジェトロ・アジア経済研究所地域研究センター・ラテンアメリカ研究グループ長の坂口安紀氏にお話を伺った。2017年4月25日配信TBSラジオ荻上チキ・Session22「反政府デモの激化で死者20人以上…南米・ベネズエラでいま何が起きているのか?」より抄録(構成/大谷佳名)

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ベネズエラってどんな国?

荻上 今日のゲストを紹介します。ジェトロ・アジア経済研究所、地域研究センター・ラテンアメリカ研究グループ長の坂口安紀さんです。よろしくお願いします。

坂口 よろしくお願いします。

荻上 坂口さんは普段どのような研究をされているのですか。

坂口 もともとはベネズエラの経済を中心に研究を行っていましたが、最近は経済面・政治面ともに流れを追いつつ、ウェイトとしてはベネズエラにおける政治対立や政権の政治運営を詳しく見ています。というのも、チャベス政権下になってからは、社会全体が経済の論理ではなく、政治の論理で動くようにシフトしていったからです。

荻上 今日は、ベネズエラで反政府デモが激化している状況や、これまでの経緯などについて伺っていきたいと思います。その前に、そもそもベネズエラとはどのような国なのでしょうか。ベネズエラの基本情報を整理してみましょう。

正式名称「ベネズエラ・ボリバル共和国」は、南アメリカ大陸の最北端に位置し、コロンビア、ブラジルなどと国境を接し、カリブ海と大西洋に面する国。一説では、スペインの征服者たちがかつてこの地にやってきたとき、最大の湖・マラカイボ湖で先住民が水上で生活しているのを見て、イタリアの水の都・ヴェネツィアに見立てて「小さなヴェネツィア」(Venezuola)と名付けたことから、ベネズエラと呼ばれるようになったとされている。1498年、コロンブスがベネズエラに到達すると、翌年にはスペインが征服。各地に植民地が建設されていった。18世紀後半からスペイン本国の植民地政策に反発し、独立の気運が生まれ、19世紀前半、シモン・ボリバルを中心に独立戦争が行われた。そして、1819年、ベネズエラとエクアドルを含む大コロンビア共和国の樹立を宣言。1829年には、ベネズエラ共和国として分離独立した。

坂口 ベネズエラの人口は3000万人ほどなので、日本の約4分の1です。面積は日本の3倍弱ですが、その多くをギアナ高地やアマゾン、アンデス山脈の山々が占めるため、人々が暮らしている地域は北部に集中しています。

このような豊かな自然に囲まれているベネズエラは、原油の埋蔵量世界一を誇る産油国として知られています。また、OPECの設立国でもあります。石油以外にもさまざまな天然資源に恵まれており、ボーキサイト、鉄鉱石、天然ガス、ダイアモンド、金などが産出されます。しかし、チャベス政権、それに続く現在のマドゥロ政権下で、それらの産業および製造業なども非常に疲弊してしまいました。

荻上 資源が豊富な国や地域は、資源に縛られてしまうがゆえに他の産業が成長しないという問題が多いですよね。やはりベネズエラもそうなのですか。

坂口 その通りです。しかもベネズエラの場合は、石油収入は国家に入り、国家によって分配されるので、その分配や補助金に社会全体が依存する形になってしまっています。

荻上 そうすると、特定の人々が富を独占する構造が代々受け継がれていくといったことが起きているのでしょうか。

坂口 その傾向は確かにあります。しかし歴史的に見ると、ベネズエラは1920年代に石油経済へ転換した時に輸出農業が一気に崩れ、同時に大土地所有制度が崩壊したため、それまでの格差の構造は一旦リセットされています。また、20世紀に入り1980年ごろまでは石油生産による長期的な経済成長があり、社会全体が底上げされて階層移動が起こりました。そのため、世代を超えて固定化された格差構造というのは、ベネズエラではラテンアメリカの他の国ほどは強くなかったと思います。

しかし、1980年代以降は経済危機が長期化し、格差構造がふたたび硬直化していたといえます。そこで生まれた不満がチャベス政権誕生の背景であるともいえます。

荻上 日本との経済関係はいかがですか。

坂口 1970年代ごろから日系企業の進出が始まりました。国有化されていた石油部門への進出は遅れたのですが、石油以外にもボーキサイトや鉄鉱石などの豊かな天然資源がありますので、アルミニウム精製、製鉄などの資源加工のほか、自動車産業、家電組立てなどの日系企業が進出し現地で生産していました。石油や天然ガス部門には1980年代以降に日本の石油企業や商社が参画するようになりました。しかし、チャベス政権下で企業活動に対する国家の統制・介入が拡大し、経済状況が厳しくなってからは現地での事業継続に多くの困難が伴うようになり、事業縮小や撤退を余儀なくされる日系企業が相次いでいます。

治安の悪化と長期的なインフレ、モノ不足

荻上 リスナーの方からメールが届いています。

「私は2011〜2015年までベネズエラの地方都市にある現地法人に海外赴任していました。当時から治安問題や外貨規制に伴う物価上昇により現地での生活は大変でしたが、現在はさらに状況が悪化しているとベネズエラ人の友人から聞いています。今回の大規模なデモが功を奏し、マドゥロ大統領が退陣し、民主的な政権に交代したとしても、原油収入に頼りきって国内産業が衰退してしまった今の経済状況では、治安の問題や物不足は解消できず、市民の不満や社会の混乱は続くのではないでしょうか。」

治安の問題やモノ不足など、生活する上での不満が反政府デモにつながっている側面もあるのでしょうか。

坂口 はい。モノ不足やインフレが進んでいる背景には、経済政策の失敗があります。そのため、政権を交代させて経済政策を変えなければ、この問題は解消できないという認識が広がっています。

また、治安も非常に悪化しています。ベネズエラは伝統的に、ラテンアメリカの中ではそれほど治安が悪くない国でした。しかし、チャベス政権が誕生したころからだんだん悪化し、直近のデータでは殺人事件の発生件数が人口10万人あたり90件を超えています。治安の悪い国としてよく挙げられる南アフリカやコロンビア、ブラジルでも20~30件ぐらいなので、世界的に見ても非常に厳しい治安状況にあることがわかります。

私のまわりでも、お世話になった大学教授、大家さん、仕事仲間の息子など、知人やその家族が8人も誘拐されて殺されています。また「エクスプレス誘拐」といって身代金目当ての誘拐も多発しています。

アウトサイダーへの期待

荻上 リスナーの方からこんな質問も届いています。

「ベネズエラといえば、チャベス大統領がアメリカの悪口を言っているというイメージです。あの頃は国民の支持率も高いというニュースを見た記憶があります。チャベス氏が死亡してから現政権は支持率が低いようですが、チャベス政権のころと現在のマドゥロ政権下では政治や経済などの状況はどう変わったのでしょうか。」

まず、チャベス政権が誕生する前のベネズエラはどんな状況だったのですか。

坂口 ベネズエラ政治は90年代までは30年以上にわたり長期的に安定していました。アメリカのような二大政党制で、定期的に5年ごとに選挙が開かれ、その結果に基づく政権交代が行われるという意味で、民主的な政治運営が行われていたのです。しかし、90年代以降はそれが揺れ始め、チャベス政権誕生によって完全に崩壊しました。

荻上 どのような流れでチャベス政権は誕生したのですか。

坂口 当時の二大政党制は、安定性をもたらす一方で、新たに生まれてきた社会セクターを排除する側面もあったのです。伝統的二大政党やそれと結びつくセクターによる政治支配があまりにも強固であったため、特に貧困層は政治的意見を反映することができませんでした。そのため80年代後半ごろから、既存の政治体制に対する不満が生まれてきたのです。同時に、汚職が蔓延した政治家たちに対する反発も高まり、伝統的政党やその政治家たちが「石油収入を支配している」という不満も強まっていきました。

そして90年代に入ると、既存の政治家ではない、伝統的政党出身ではないアウトサイダー政治家に対する期待が高まります。1998年の大統領選挙での有力候補はいずれもアウトサイダーであり、チャベスもその一人でした。チャベスは、政治体制を変えたいと願う国民の期待に応え、憲法改正を公約に掲げて選挙戦に出馬し、支持を集めました。

チャベス政権の誕生については、当時ラテンアメリカ各国で左派政権が誕生した時期でもあるため、「新自由主義(ネオリベラル)経済改革への反発である」とよく言われます。確かにそうした側面がないわけではありませんが、それよりも国民に政治の変革を期待させたことが一番の要因だったと私は考えています。

というのも、チャベス政権誕生前のベネズエラはラテンアメリカの中でも新自由主義経済改革がもっとも進んでいなかった国だからです。また、チャベス大統領が就任直後に真っ先に取り組んだのが政治改革であり経済政策については2年ほど手を付けなかったことも、それを示していると思います。組織的な政治基盤をもたない新参者の大統領が、新政権を安定させるために最初に着手すべきは、彼を政権に押し上げた有権者がもっとも求めるものであるはずだからです。

荻上 なるほど。チャベス氏が国民から注目されるきっかけとなった出来事は何だったのですか。

坂口 チャベスは1992年、当時新自由主義経済改革を進めていた政権に反発してクーデターを起こしました。これによりそれまで無名の若手将校であったチャベスが初めて政治の舞台に登場し、国民の注目を集めました。結局、クーデターは失敗して逮捕されてしまうのですが、その時に国民に向かって潔く自分が首謀者であることを認めたんです。そうした行動が、これまで責任を取ろうとしなかった既存の政治家たちと比べると、国民にはとても新鮮に感じられたんですね。

クーデターでは失敗してしまったのですが、その結果チャベスは武力よりも選挙で政権を取るほうが容易だと判断し、戦略を転換します。恩赦を受けて自由の身になった後、全国を行脚して支持を集め、1998年12月の大統領選に出馬し当選しました。1992年のクーデターが失敗して投降した際にチャベスはテレビカメラに向かって「ポル・アオラ」、つまり「今は身を引くけれども……」と発言し、将来的に帰ってくることを国民に対して示唆していました。その通りになったのです。

「ボリバル革命」と政府系ギャング

荻上 一時期はヒーローのように取り上げられていたチャベス大統領ですが、どのような政策を行っていたのでしょうか。

坂口 最初の2年間、チャベス大統領は政治体制の変革に注力し、経済政策についてはほとんど手をつけませんでした。「反ネオリベラル」と口では言いながらも、実際には前政権の経済政策を修正・変更することなくそのまま踏襲していました。アメリカを訪問しベネズエラへの投資を呼びかけたり、通信分野を外資に開放するなどしていました。その間に一方では、公約に掲げた政治体制の転換に取り掛かり、1年目の終わりには新憲法を制定しています。

荻上 憲法の中身はどう変わったのですか。

坂口 一つは、大統領への権力集中です。二院制から一院制にするなど立法府の権力を抑える一方で、大統領の任期を長くしたり、大統領府を強化したりしました。チャベス大統領はその後の憲法改正によって大統領の再選回数制限を廃止して半永久的に大統領職にとどまる道筋をつけるなど、大統領の権力集中とともにその長期継続を可能にしています。

新憲法にはまた、参加民主主義という新しい概念が導入されました。日本でも、選挙で議員が選ばれた後は、われわれ有権者は政治に対してほぼ何もできないですよね。チャベスは「それでは選挙が政治エリートの道具になってしまう」と考え、選挙以外でも国民が直接的に政治に参加できる仕組みを作ろうと、対話集会や国民投票などを憲法に盛り込みました。

また、市レベルのコミュニティにおいてどのようなプロジェクトが必要か、インフラで必要なものはないかなどを、コミュニティごとに意見を集約し、それらの代表同士の話し合いで予算配分を決めるという仕組みも設けました。

荻上 議会とは別の意思決定プロセスを設けたのですね。政権ができた最初のうちはそういった政治体制の改革を行い、その後に経済政策に手をつけたのですね。

坂口 はい。彼自身は当初より自らが行う政治経済的変革のことを「ボリバル革命」と呼んでいましたが、それがいったい何をめざすものなのかは明言しませんでした。ただ、価格統制を徐々に強めるなど、経済活動における国の介入を徐々に強めていきました。

そして、2005年にはじめて「ボリバル革命は社会主義国家の建設を目指すものだ」と明かしたのです。当時は石油価格が高水準を推移し、その恩恵で経済成長率も高く、政権の支持率が高かったため、このタイミングで宣言したんですね。そして実際に大きく動き始めたのが2007年からです。1000を超える国内外の資本の民間企業や農地を強制的に国有化したり接収するなどの政策をどんどん行っていきました。

荻上 価格を統制して国有地化を進めていくことになれば、当然ながら市場経済の力も弱まりますよね。そうなると需要と供給のバランスが崩れるタイミングで、経済の自動的な調整が効かなくなり、インフレが止まらなくなる恐れがあります。

坂口 価格統制は、貧困層の生活を支えるために、主食のトウモロコシ粉などの基礎的食料、石鹸などの基礎生活財や医薬品などを中心に、公定価格を低く設定しました。しかし、採算がとれないレベルで政府が価格を設定するため、生産者は生産すればするほど赤字になる。そのため、基礎生活物資ほど国内生産が縮小し、モノ不足が深まるというジレンマが続いているのです。

また多くの会社が強制的に国有化されてしまったのをみると、自分たちの工場も同じ目に合うのではないかと考え、工場への投資が抑制されますよね。農業も同じです。多くの農地が接収されているのを目の当たりにすると農業セクターも種まきや農業投資をしなくなる。このようにして、すべての生産部門が弱まっていってしまったのです。

荻上 そのような状況の中で、法外な値段で日用品や食べ物などを売る闇市なども生まれてきたわけですね。それだけ経済状況が不安定だったにもかかわらず、金融政策は行われなかったのでしょうか。

坂口 行われませんでした。チャベス政権や現マドゥロ政権にとってもっとも重要なのは社会政策です。貧困層の方々に向けた社会的な手当てを一番に重視しています。例えば低所得者用のアパートを建築する、無料の医療サービスや教育プログラムに力を入れる。

しかし、政権は経済政策、とくに財政規律に対する認識が弱いため、十分な石油収入があるにもかかわらずそれを上回る支出をしてしまうわけです。石油価格が1バレル100ドルを超えている時期でさえ財政赤字が拡大していました。こうしたことによってベネズエラのマクロ経済はますます歪みを蓄積し、インフレやモノ不足が深刻化していきました。

政治面では国民の不満を抑えるために、反政府派メディアや政治リーダー、市民への抑圧が強化されました。それらの結果、政権への支持率は低下していったわけです。

荻上 政府系ギャングが自治的に市民を取り締まっているという話を聞いたのですが、これはどういった集団なのでしょうか。

坂口 「コレクティーボ」と呼ばれる、インフォーマルに政権に取り込まれているギャング集団です。一つの集団ではなく、あちこちのスラム街や貧困地域に存在しています。組織ごとに特色は異なるのですが、ほとんどはチャベス政権に対して非常に強いロイヤルティーを感じています。そのため、チャベス政権の集会があったときの動員にも使われますし、選挙のときに反対派を抑圧する際にも利用されています。

たとえば今回のデモも、非武装の反政府派の人たちが平和的に集会や行進を行っていたのに対して、政府系ギャングが発砲して多くの人が命を落としました。コレクティーボは政府から資金や武器を得ており、政府が直接的には手を下しにくい威嚇行為などを行い、その見返りとして麻薬売買や殺人事件などの違法行為を見過ごしてもらっているとも言われています。

政権交代の可能性は?

荻上 2013年にチャベス氏ががんで亡くなり、マドゥロ政権に変わります。マドゥロ氏は、チャベス政権の政策を基本的には継いでいると考えてよいのでしょうか。

坂口 はい。しかし、彼はチャベス大統領のようなカリスマやリーダーシップを持ち合わせておらず、弱いリーダーです。チャベス派の政治リーダーや市民の間でもマドゥロ大統領への支持は低く、「チャベス派だがマドゥロ支持ではない」という人々は多いです。チャベス大統領が進めてきた革命を、マドゥロ大統領の稚拙な政策運営が危機的状況に陥れているとしてマドゥロ大統領に対して強い不満をもつチャベス派支持者も少なくありません。

しかし誤解してはいけないのは、マドゥロ大統領はチャベス政権から政策路線を変えていないということです。むしろチャベス政権の経済政策を愚直なまでに死守し、強化しようとしています。つまり、マドゥロ政権期の経済危機は、チャベス大統領が作った経済モデルに原因があると考えるべきです。

荻上 マドゥロ政権に変わり、より権力を集中させるために議会の権限を奪うような指示を出していますよね。

坂口 はい。2015年12月に国会議員選挙があり、そこで野党が圧倒的な勝利を収めたので、2016年の年明けから議会は反政府派によって完全に支配されました。反政府派はどんどん新しい法律を作ろうとするのですが、それをマドゥロ大統領が次々に潰しているわけです。直接は手を下せないので、チャベス派が支配をしている最高裁を使って潰してきました。具体的には、議会が作った法律をすべて最高裁に送り、そこで違憲であり無効としています。

荻上 司法の独占を通じて立法を奪っていくわけですね。野党はどのようにして大統領に対抗しようとしてきたのですか。

坂口 大統領罷免の国民投票の実施を求める署名集めをする、遅れている地方選挙の実施など、マドゥロ政権が今まで反故にしてきた民主主義の制度をまずはきちんと実施するように求めています。また、重要な反政府派政治リーダーや反政府デモに参加した学生や一般市民の多くが政治犯として獄中にありますが、彼らの釈放を求めています。

マドゥロ政権が最高裁や選挙管理委員会を使って、国会を実質上無効化しています。そのため反政府派は、市民に対して街頭での反政府デモへの参加を呼びかけ、その結果、連日全国各地で大規模な反政府抗議集会が続けられています。また米州機構、国連、欧米各国政府・議会など国際社会に対しても、民主主義が抑圧されている現状を訴えて、支持を求めています。

荻上 大統領を罷免する国民投票を行おうと提案したら裁判所に止められたのですか。

坂口 裁判所ではなく選挙管理委員会です。選挙管理委員会のメンバーは5人のうち4人がチャベス派で、歴代の選挙管理委員長はのちに副大統領に任命されているなど、まったく政治的に中立ではありません。

反政府派はマドゥロ大統領に対する不信任投票の実施を選挙管理委員会に強く求めていましたが、政府寄りの選挙管理員会は様々な理由をつけてそれを遅延してきました。最終的に昨年秋にようやくそのプロセス開始を認めたものの、直前になって選挙管理委員会がそのプロセスを中止したのです。

荻上 マドゥロ政権に対する反発が続く中、それに対して強権的にどうにか回避しようとしている現状、これからどのようになっていくと思われますか。

坂口 大変な状況はしばらく続くと思われますが、予定では今年の前半に地方選挙があり、来年の12月に大統領選挙が行われる予定です。ただし、また同じようにキャンセルされてしまう可能性も否定できなくなってきました。もし、選挙が行われればチャベス派が負ける可能性は非常に高いですが、マドゥロ政権がその結果を認めるかどうかはわからない。認めなかったら、今以上の政治的な混乱に陥ると思います。もし、負けを認めて政権交代になったとしても、経済状況がこれだけ深刻な状態であり、政治的・社会的対立も厳しいため、短期中期的には非常に危うい状態が続くと考えられます。

荻上 そうなるとさらに反発が起こり、反チャベス派内部で分裂したり、世論が離れていく可能性もありますね。また、そのような反政府側の動きに対して、軍もしくは政府系ギャングなど、どんな組織が台頭してくるか分からない。

坂口 はい。選挙が行われるか行われないかに関わらず政権交代の可能性があるとすれば、考えられるのは軍を含めてチャベス派から離反者が増え、内部から崩れていくことです。

実際に、今回3月末に最高裁が国会の権限を剥奪したことに対しては、チャベス派有力リーダーの一人であるオルテガ検事総長が「憲法秩序を破壊する行為だ」と批判してその撤回を求めました。彼女の発言は、マドゥロ大統領やチャベス派リーダーに大きな衝撃を与えたと思います。政権運営が厳しくなればなるほどマドゥロ政権は強権化しており、チャベス派の中でもそれに対して彼女のように批判的な人も出てくるでしょう。またマドゥロ政権の継続性が危ういと認識して、保身のために離反する人も出てくるでしょう。

2018年に予定されている大統領選挙が公正に実施されるのかが危ぶまれる中、そのような動きは注視していく必要があると思っています。

荻上 なるほど。今後のベネズエラ国内の動きに注目していきたいです。坂口さん、今日はありがとうございました。

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チャベス政権下のベネズエラ (アジ研選書) 
坂口 安紀 (著)

プロフィール

坂口安紀ジェトロ・アジア経済研究所 地域研究センター ラテンアメリカ研究グループ長

ジェトロ・アジア経済研究所 地域研究センター ラテンアメリカ研究グループ長。国際基督教大学(ICU)卒、カリフォルニア大学ロスアンジェルス校(UCLA)ラテンアメリカ地域研究学修士(MA)。1995~97年、2009~2011年の2回にわたりベネズエラで在外研究を行い、チャベス前とチャベス期のベネズエラ生活を経験。

この執筆者の記事

荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

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