2012.04.20

この夏を乗り切るために私たちがすべき10のこと

山口浩 ファィナンス / 経営学

社会 #原発#東日本大震災#再稼働

昨年から予想されていた通りではあるのだろうが、点検のため停止している原子力発電所の再稼働問題が大きな論点となってきた。日本に全部で50基ある商用原子力発電所(4月19日に福島第一原発1~4号機が廃止になったため54基から減少した)のうち、現在、稼働しているのは北海道電力泊原子力発電所の3号機だけとなっている。3号機の定期点検入りは当初の予定から延期され5月上旬になった。政府としては、電力需要のピークとなる夏を控え、また「原発ゼロ」の状態は避けたいとの思惑もあるのだろう。ここへきて、関西電力大飯原子力発電所3、4号機の再稼働へ向けた動きを加速させているようにみえる。

「経産相 大飯原発再稼動、福井に要請」(読売新聞2012年4月15日)

http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120415-OYO1T00119.htm

枝野経済産業相は14日、福井県庁で西川一誠知事や時岡忍・同県おおい町長らと会談し、関西電力大飯原子力発電所3、4号機(おおい町)の再稼働への同意を要請した。西川知事は、有識者でつくる県原子力安全専門委員会に諮り、県議会やおおい町の意見を聞くなど、再稼働の是非を判断する手続きに入ることを伝えた。近畿の知事らから再稼働に慎重な意見が出ていることを踏まえ、政府には「ぶれることなく、電力消費地から理解が得られるよう責任を持って対応することが必要だ」と求めた。

対立する意見、深まる混迷

この問題自体、どうなるかまだ不透明な状況のように私にはみえるが、仮にどうにかしてこの2機の再稼働にこぎつけたとしても、他の原発の再稼働にはそれぞれの地元の了承が必要だ。大飯原発再稼働問題をめぐるこのところの政府の動きに対しては、最初から再稼働ありきではないか、拙速である等の批判も強い。政府の意図に反して、今回のことでかえって原発全体への反発が高まってしまったようにもみえるから、これがきっかけになって今後どんどん再稼働が進んでいくとは正直考えにくい。その意味でいえば、少なくとも短期的には、日本はすでに事実上の「脱原発依存」を「達成」していることになるのかもしれない。

もちろん、これをどうみるかは、人によってちがうだろう。再稼働させないことを恒久的な脱原発への一歩とみる立場からは、このところの政府の動きは不安に、あるいはいらだたしく思われるにちがいない。実際のところ、再稼働やむなしとのムードづくりとしか思えない動きもちらほらみられるし、再稼働を認める前提との位置づけで行われている安全確認のための一連の手続きも杜撰としかいえず、これなら安心できると心から思える人などまずいないだろう。

中長期的に原発への依存度を減らしていくという「方針」もその本気度を疑われていて、2022年までに原発を全廃することを表明したドイツと比べて彼我の差を嘆く声はいろいろなところで聞かれる。産官学をまたぐ「原子力ムラ」は未だ健在であり、いわばこの「悪の枢軸」の面々がさまざまな手練手管に札ビラまで使って、原発「全面復活」の機会を虎視眈々と狙っているのではないか、というわけだ。

「社説:大飯原発再稼働 理解に苦しむ政治判断」(毎日新聞2012年4月15日)

http://mainichi.jp/opinion/news/20120415k0000m070101000c.html

これで国民に納得してくれというのは到底無理な相談である。再稼働に必要な条件は整っていない。それなのに、なぜ政府は、これほど関西電力大飯原発の再稼働を急ぐのか、理解に苦しむ。

 安全性については、再稼働の基準の決め方にも、中身にも、問題がある。本来なら、福島第1原発のような放射能汚染を二度と起こさないという決心のもとに、精査して作らねばならない。にもかかわらず、政府はたった3日間で基準を決め、その後1週間で大飯原発が適合すると判断した。あまりに拙速だ。

一方、電力需給を気にする人にとっては、この夏への不安はいや増すばかりだろう。この立場からみれば、反対派がいうほど再稼働は既定路線ではなさそうだし、そもそもこの夏に関していえば、仮に大飯原発が再稼働しても、稼働中の原発がほとんどないことは変わりない。2010年並みの猛暑でもし原発再稼働がなければ関西電力ではピーク需要に対して19.6%電力が不足するとの報道があったが、仮にそれほどでなかったとしても、程度の差こそあれ需給の逼迫は全国共通であり、電力会社間の融通などもあまり期待できないだろう。一瞬たりとも電力を止められない業種の企業、料金値上げにとどまらず再び休日操業や変則シフトなど無理を強いられるであろう企業などからすれば、いったいどうなるのだと不安に思うのは当然だ。

「関電、猛暑なら電力2割不足 官民で大飯再稼働急ぐ」(日本経済新聞2012年4月10日)

http://www.nikkei.com/news/headline/related-article/g=96958A9C93819481E2EBE2E6E78DE2EBE2E6E0E2E3E09C9CEAE2E2E2

野田佳彦首相らが関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働を急ぐのは、今夏の電力需給への不安解消が最大の狙いだ。政府は大飯原発が再稼働しないと、今夏の関電管内の電力は一昨年並みの猛暑だと19.6%不足、昨年並みでも7.6%不足する見通しを提示。官民協調で再稼働を急ぐ構えだ。

これは、どちらが正義か、という話ではない。いずれか片方がすべて正しくてもう片方がすべてまちがっている、という類の話でもない。どちらの側にも理由があり、問題点がある。どちらに転んでも、問題は残るのだ。たとえ再稼働がなくても、原発には電力を使って冷却し続けなければならない核燃料が残っているから、地震や津波に対して脆弱な状況は続いていて、再稼働の有無はリスク減少にはあまり寄与していない。一方、原発が運転停止した穴を埋めるために酷使されている火力発電所の故障リスクも高まっているだろうから、当面懸案の大飯原発3、4号機が再稼働しても電力供給は綱渡りのままであって、再稼働さえすれば電力安定供給は万全というわけでもない。いかに見ないふりをしても低く見積もっても、多少上下はするだろうが、リスクそのものが消えてなくなるわけではない。

こうした現状は、客観的なよしあしや個々人の好みはどうあれ、私たちがこれまでの間に社会全体の総意として選択してきたことだ。今後私たちがどうするかによっていろいろ変わっていく部分はあるはずだが、少なくともこの夏についていえば、今から状況を抜本的に変えることは難しい。大飯原発のある福井県の近隣自治体である京都府と滋賀県の知事が第三者委員会の設置などを盛り込んだ要望を出したと報道されたが、それ自体の是非はともかく、もし実現すれば、それなりに時間がかかるであろうことはまちがいない(それを狙っているふしもある)。そうやってあれこれ議論しているうちに時間切れとなって、概ね現状のまま夏に突入することになるのだろう。

「「脱原発依存」へ共同提言=工程表、第三者委設置要望-政府に迫る・京都、滋賀知事」(時事通信2012年4月17日)

http://www.jiji.com/jc/c?g=eco&rel=j7&k=2012041700183

関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働をめぐり、京都府の山田啓二知事と滋賀県の嘉田由紀子知事は17日午前、京都市内で記者会見し、「国民的理解のための原発政策への提言」と題した政府への要望を発表した。老朽化した原発の廃炉計画など「脱原発依存」へ向けた工程表の提示や、今夏の電力需給を検証するための第三者委員会の設置など7項目を求めた。

私たちがすべき10のこと

以上をふまえて、当面、この夏に備えて私たちができること、すべきことは何かについて、10ほど考えてみた。

(1)猛暑にならないよう祈ること

現時点での長期予報によれば、この夏の気温は全国的に、平年より高い可能性が4割、平年並みである可能性が4割くらいであるらしい。当然ながら、電力の需給は、気温によってまったくちがった話になる。昨年のような猛暑でなければ当然ピーク需要も下がるし、余裕も出てくるかもしれない。逆に冷夏となるとまた農作物の作柄が心配になってきたりもするので難しいところだが、ちょうどいい程度というのがきっとあるのだろう。

いずれにせよ、天気任せの部分が大きいことは誰にも否定できない現実だ。長期予報もはずれることはよくあるから、安心はできない。まさに神頼みということになる。杉並の高円寺に気象神社なる神社があるそうで、お天気を司る神様が祀られているらしい。この夏は暑くなりすぎないよう、お参りしておくといいかもしれない。

(2)大きな地震が起きないよう祈ること

東日本大震災の後、日本周辺では地震活動が活発になってきているらしい。もともと、いつ起きてもおかしくないとされる東海・東南海・南海地震や首都直下型地震を始め、日本は地震リスクから逃れられない運命だ。日本付近で大きな地震が起きれば、その近くの原発は揺れや津波による被害を受けるおそれがある。もちろん福島第一原発が再度大地震に見舞われたらということもあるが、他の原発についても懸念はある。この点に関しては、原発が稼働していないことは、必ずしも安心材料にはならない。先日、津波の想定が改訂され、それまで想定していたよりずっと高い津波に襲われるおそれがあることがわかったわけだが、これまでのところ防災対策もさして進んでいないから、少なくとも今夏についていえば、福島第一原発で起きたような全電源喪失に起因する放射能漏れ事故のリスクに私たちはさらされていることになる。

大飯原発再稼働問題においても、安全対策として求められている免震事務棟や防波堤のかさ上げ、常設の非常用発電機やフィルタ付きベント設備などは今後整備することになっているわけで、少なくともこの夏はそうしたものがない状態が続く。仮に大地震が起きたとしても、必ず原発のある場所で大津波が起きるとは限らないが、リスクはまちがいなくある。江戸時代には大地震の後に鯰絵が流行したそうだが、現代の私たちも、震災後、画像投稿サイト「pixiv」に投稿された数多くの鯰絵のご利益にすがらなければならないようだ。

(3)火力発電所が大きなトラブルを起こさないよう祈ること

2011年8月13日、関西電力堺港発電所2号機(出力40万kW)は、ガスタービンの羽根の一部が損傷したため運転を停止した。その後、点検、原因究明を経て、大急ぎで補修を行ったが、運転が再開されたのは10月25日だった。1年でもっとも暑い時期に丸ごと使えなかったことになる。火力発電所が何らかのトラブルによって運転停止すること自体は必ずしも珍しくはないが、昨年の8月は、電力不足による過負荷がたたってか、故障が多く発生した。8月3日には九州電力苅田発電所新第1号機(出力36万kW、復旧は8月30日)、8月10日には中国電力三隅火力発電所1号機(出力100万kW、9月10日に運転再開。7月にも運転停止している)、8月16日には東北電力秋田火力発電所2号機(出力35万kW、運転再開は8月19日)、8月18日には四国電力で、最新鋭のコンバインドサイクル発電システムを備えた坂出火力発電所1号機(出力29.6万kW)の運転が停止(運転再開は8月27日)、といった具合だ。

定格出力の数字だけを見て電力需給に余裕があるという主張をする人がいるが、この種の設備はある程度の余力をもって運転するのがむしろ当然であり、何か不具合があれば運転を止めて点検することもまた必須だ。もちろん需給が切羽詰まればフル稼働させるだろうし、今夏は整備にもひときわ気を使うだろうが、無理を重ねれば故障のリスクはまちがいなく高まる。火の神様といえば愛宕神社あたりであろうか。各地にあるようだから、お手すきの方は手分けしてお参りなどするとよいと思う。

(4)大きな台風が来ないよう祈ること

自然災害ということでいうと、もちろん台風もばかにはできない。地震とちがって毎年ほぼ必ずくるし、風で送電線が切断されたり、豪雨で水力発電所が止まったり施設が浸水したりと、さまざまな被害をもたらす。2011年も9月初めの台風12号が、関西電力や東京電力の管内で発電所等に大きな被害をもたらした。原発も、こと原子炉建屋が爆発で破壊された福島第一原発に関しては、台風の直撃などあまりしてほしくないところだ。

日本に台風がやってくるのは9月が多いが、8月に上陸してくる台風も珍しくはない。岐阜県には風神神社というのがあるらしいが、雨の方はどこにお参りすればいいのかわからない(雨乞いならあちこちにありそうだが、大雨が降らないようにお願いするのはどこなのだろうか)。とにかく天にでもお祈りするしかない。

(5)福島第一原発が安寧に推移するよう祈ること

2011年12月16日、野田首相は、福島第一原発の事故収束に向けた工程表のステップ2(冷温停止状態の達成)の終了を確認したとして、「発電所の事故そのものは収束に至ったと判断される」と事故収束を宣言した。しかし、ことばの定義にもよるのだろうが、少なくとも一般人の感覚からして、「原発事故」が「収束」した、ととらえる人は多くはないだろう。事故発生直後のような大規模な放射性物質の漏洩やら放出やらは起きていないようだが、小規模な漏洩は何度も起きているし、「冷温停止状態」にしても、盤石なものとはとてもいえない。そもそも、現場がどのような状況になっているかすら、まだ詳細はわかっていないというのが現状なのだ。

復興にせよ風評被害の解消にせよ、このような状況が大きな足かせになっている。このあたりはとにかく、東京電力をはじめ関係会社の現場の皆さんの奮闘と、調査やら研究やらに取り組む皆さんの尽力に期待するしかない。この夏に限った話ではないが、これ以上福島はじめ周辺の方々を苦しませる事態にならないですむよう、全力でお祈りしたい。

(6)中東情勢が緊迫しないよう祈ること

原発がほとんど稼働していない現在、日本の電力は火力発電に頼る部分が大きくなっている。となれば、化石燃料の需給や価格が気になるところだが、日本が石油や天然ガスの相当割合を調達している中東地域の情勢が、ここへきて緊迫の度を増している。イランでは2012年3月の国会議員選挙で、反欧米色がもっとも強い反アフマディネジャド大統領派が多数を占めることになったし、アメリカでも同11月の大統領選挙を控えて、強面の対応を求める声が強くなってきている。「海峡封鎖」だの「空爆」だのといった物騒なことばも、ポーズではすまない重みを持ってきているわけだ。「物騒」ということでいえば、このところイランで核開発に関わる科学者や要人などが何人も殺されているという話もある。これについてはイスラエルの関与を疑う声があり、これに対してイランからの報復の動きもあるらしい。

こんな状況では、少々原油が増産されても、価格が下がる方向とはちょっと考えにくい。原油高は当然、電力価格にはね返る。万が一本当にホルムズ海峡封鎖ともなれば、備蓄のある原油はともかく、天然ガスはすぐさま底をつくだろう。他国の話であり、日本の神様に祈ってどうにかなる問題とも思えないが、神様同士のよしみで、とにかく変なことにならないよう、ぜひよろしくと頼んでおいてもらいたいところだ。

(7)景気が好調に推移するよう祈ること

供給量にせよ価格にせよ、電力に関する制約は経済の足をひっぱる。日銀の金融経済月報(2012年4月)をみると、日本経済は「なお横ばい圏内にあるが、持ち直しに向かう動きがみられ」るのだそうだが、長期的にみれば低成長に苦しんでいる状況に変わりはなく、また財政建て直しのための増税も取り沙汰されているわけで、楽観できる状況ではない。経済悪化の影響は、原発事故のリスクと比べて軽くみられがちだが、決してあなどれない。それは確実に誰かの職を奪い、収入を減らし、どこかの企業を淘汰する。結果として、間接的に人の命を奪ったり縮めたり、あるいは苦しめたりすることとなるわけだ。

経済を悪化させる要因は他にもあるではないかと反論する人がよくいるが、他の要因があるからといって、電力供給制約や電力価格上昇がもたらす経済への負の影響そのものがなくなるわけではない。つまり私たちが早急に脱原発を志向するということは、原発事故による被害のリスクを減らすために(この夏に限っていえば、あまり減っていないようにも思われるが)、失業その他もろもろの理由によるリスクの増加を受け入れることを意味する。認めたくないだろうが、私たちが迫られている選択はこうした類のものだ。

もちろん、上記の通り、経済の悪化によるリスクの増加は、他の要因によって経済が悪化しなければ、避けることができる。だから祈ろう。電力料金が上がっても増税が決まっても、あるいは次の大地震が起きたとしても、私たちがこれまでと変わらず、いやこれまで以上に積極的に消費し、輸出も伸びて、景気が好調に推移(あまり好調になりすぎて電力需要が増えるのも問題ありそうだが)してくれることを。

もちろん政策対応も求められよう。公共事業や補助金などの財政政策に期待する人もいれば、いわゆるリフレ政策など金融政策に期待する人もいる。また大胆な規制緩和を望む人もいるだろうし、それらの組み合わせも当然ありうる。専門外なのでそれぞれの適否はわかりかねるが、少なくとも、専門家の間でも意見が割れているということは、確実とあらかじめわかっている策は存在しない、と理解するのが適切かと思う。その意味ではやはり神頼みの部分は残るわけだ。商売繁盛の神社は全国にたくさんあるので、皆で手分けしてお参りするといいだろう。

ここまで、祈ることばかりを7つもあげてみた。若干「ネタ」的要素があるが、必ずしもそれだけではない。要するに、私たちの社会がこの夏をうまく乗り切れるかどうかは、かなりの部分、偶然の事情によって左右されるということだ。何かのリスクを減らそうとすると、たいてい他のところでリスクが増える。どちらの方策が得かは、私たちのコントロールが及ばない他の要因の影響を受ける。私たちの選択がどうあれ、私たちは何らかのリスクと共存していかなくてはならない。だからこそ、いろいろ知った上で、社会の総意として決めていく必要があるということだ。

そのために、「この夏をどうするか」という観点から、祈る以外にも私たちがより主体的にできることがある。

(8)節電しつつその弊害を減らすよう工夫すること

朝日新聞が2012年4月14、15日に行った世論調査では、政府や電力会社の電力需給見通しは信頼しないと答えた人の割合が66%だった。どうせ「彼ら」は原発再稼働のために需要を過大に見積もっているにちがいない、という考えだろうか。もちろん、いざフタをあけてみたら、電力不足は生じなかったということもあるかもしれないが、それはあくまで結果論だ。これまでも毎年、夏になると電力不足は生じていた。それが抜本的に改善したという事情は、今のところない。少なくとも、ギリギリであるにはちがいないわけで、ならばリスクを減らせる部分は減らした方がいいのは当然だ。「最悪の事態を想定して備えよ」という教訓を、私たちはあの震災から学んだのではなかったか。自分の望む方でだけ楽観的な見通しを採用するのはご都合主義だ。

産業用電力への制約は、経済への影響だけでなく、間接的には生活への影響も大きい。昼間のピーク時を中心に、家庭用電力重要の節減を昨夏以上に進められないか、もっと知恵を絞るべきだ。朝日新聞も、脱原発の論陣を張るのであれば、くだらない政局報道に紙面を割くより、家庭向けのさらなる節電キャンペーンなどを行なってはどうか。

もちろん、その弊害を減らす努力は同時に行う必要がある。昨年の夏は猛暑だったこともあって、熱中症患者が平年に比べて多かった。中には節電のため冷房を止めていて熱中症となってしまったケースも少なからずあったろう。今年の夏は昨夏ほどではないかもしれないが、リスクはある。こうした悲劇を少しでも減らすよう、人の集まる場所等に「クールスポット」を作って、暑さのピーク時にはそこですごすよう促す等の対策をとるべきかと思う。商業施設をクールスポットにすれば、消費拡大に資する部分もあるのではないか。その他、節電のコツや事例紹介、熱中症対策など、しつこく伝えるべき情報は山ほどあるはずだ。

※参考:「「クールスポット」をつくろう

(9)学び続けること

知識は合理的な判断の十分条件ではないが必要条件だ。人間のやることに誤りはつきもので、必ずしも恥ずべきものではないが、明らかな誤りはやはり避けるにこしたことはない。科学ではわからないこともあるということをもって、科学では何もわからないかのような主張をする人がしばしばいるが、それは大きなまちがいだ。もちろん、すべてを一から学ばなければならないというのでは、時間がかかりすぎる。通常の社会生活を送っている人だったら、周囲に誰かしら、ある程度の知識をもった人がいるだろうから、そういう人に聞くのもいいと思う。簡単な解説書を買い求めるのも悪くない。もちろんネットであれば、直接専門家の意見に触れることもできよう。ポイントは、いろいろな情報に接することだと思う。多様な視点、多様な考えに触れることで、全体像がみえてくることはよくある。

たとえば、電力需給の見通しについても代替エネルギーの可能性についても、あるいは地震の発生確率についても原発の安全性についても、それぞれの分野には専門家がいる。よくそうした専門家に素人考えで「論争」を挑んでいる人をツイッターなどで見かけるが、専門家の知見を侮ってかかるのはあまりおすすめできない。失礼であるのはもちろんだが、単純にもったいない。素人からみれば、いずれも知識や情報の宝庫だ。よりよく知れば、リスクの源自体を消すことはできなくとも、よりうまく対処することができるかもしれない。専門家の間にも意見のちがいがあるから、いろいろな専門家の意見に触れるとよい。仮に当該専門分野の話が理解できなくても、最低限、他の専門家に対する評価は参考になると思う。

(10)異なる意見に耳を傾けること

意見が対立する問題について、自らが一方的に正しく、相手が一方的にまちがっているといった主張をする人は少なくない。もちろん実際にそうである場合もあるのだろうが、少なくともある程度の賛同が得られ、支持する専門家も少なからずいるような主張が、完全にまちがっているといったケースは、必ずしも多くはないはずだ。

異なる主張にはたいてい、それぞれ別の前提があったり、ものごとのちがった側面を見たものであったり、価値観や優先順位の違いが根底にあったりする。立場や利害がちがう場合も当然あろう。政府や電力会社が悪者ばかりということはないし、一般の人々が愚か者というわけでもない。そのあたりがわかれば、接点をさがすこともできよう。少なくとも、考えのちがう相手を罵倒したり揶揄したりする言論からは、生産的なものは何も生まれない。すぐに決めつけたりせず、相手が何を考えているのか、なぜそのような主張をするのか、相手の立場になって、もっと耳を傾けるべきだ。

そもそも、経済か安全かというのはゼロサムの選択肢ではない。再稼働賛成派は経済を優先して命を犠牲にしているといった主張は、私たちが同じ土地に住んでいて、同じ経済発展の果実と原発のリスクを共有しているというシンプルな事実を無視したものだ。また、電力が足りないのは昼間のわずかなピーク時だけだという主張も、電力が一瞬でも途絶えると大損害を被る業種の人からすれば、あまりにも能天気にみえるだろう。逆に、再稼働反対派の抱くおそれは非合理的なもので取るに足らないという主張は、人間がときに非合理的な判断をしがちな性質をもつという、人間に対する合理的な理解を欠いたものであるといえる。また、中には、原子力そのものより、それを扱う人たちが信用できないことからくる恐れを抱いている人も少なからずいよう。だとすれば、必要なのは、啓蒙より相互理解だ。罵倒や嘲笑などでは断じてない。

社会の「主人公」になろう

こうして並べてみると、運任せになっている部分の大きさと比べて、私たち自身ができることはあまりにも小さいことが改めて実感される。そして、あげたうち(9)と(10)は、当然ながら再稼働問題にも電力需給問題にも、直接的には寄与しない。どんなに見ないふりをしても、私たちをめぐるリスクは厳然としてそこにあり、一部を減らすことはできるかもしれないが、多くはどうやっても消すことはできない。私たちは、リスクと共に生きていかざるを得ないのだ。

しかしそれでも、私たちがこの夏、なすべきこと、できるはずのこれらのことを実際にやるかどうかには、大きな意味があると思う。私たちは今、ゼロリスク幻想から脱し、リスクと共存していることを自覚する「チャンス」を得た。今度は、そのリスクをよく知り、その上で、社会のあり方を自ら選び取っていく経験を積むべきときだ。めんどうくさいし、識者や有力者、声の大きい人たちに任せておけばよい、という考え方もわからなくはないが、それではあまりに悲しい。誰かに任せておけばよいという態度こそ、今批判されている専門家の「暴走」を生んだ背景だからだ。

一方、政府や電力会社、御用学者は信用できないとばかりにすべて否定してしまうのも、よい結果を生まない。彼らの、何かにつけ情報の開示をいやがる現在のリスクコミュニケーションのスタイルに対しては批判が強いが、少なくとも一部には、それが私たちの無知や無思慮な行動への彼らなりの対処という要素があることを理解する必要がある。そのような対応がリスクコミュニケーションとして総体的にはマイナスであるとしても、現実に、情報を率直に伝えることの弊害が風評被害などにおいてみられることは事実だ。情報の開示によっていわれなき被害を蒙るおそれがあるのが彼ら自身ではなく他者であるとすれば、そしてそれが私たちの行動に起因しているとすれば、情報開示を渋る彼らを責めるばかりではいられないはずだ。

つまり、この夏、私たちがしなければならないことは、リスクの存在を認識し、リスクと共存していくことを理解したうえで、社会を支えていくため、自ら社会に主体的に関わっていくということだろう。それは言い換えれば、私たちが、私たちの社会における「主人公」の1人となる覚悟があるかどうか、ということなのかもしれない。

プロフィール

山口浩ファィナンス / 経営学

1963年生まれ。駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授。専門はファイナンス、経営学。コンテンツファイナンス、予測市場、仮想世界の経済等、金融・契約・情報の技術の新たな融合の可能性が目下の研究テーマ。著書に「リスクの正体!―賢いリスクとのつきあい方」(バジリコ)がある。

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