2018.06.18

米国離脱後のイラン核合意と「イラン問題」

坂梨祥 イラン現代政治

国際 #イラン#核合意

2018年5月8日、米国のトランプ大統領はイラン核合意(JCPOA)(注1)からの離脱を表明した。トランプ大統領によれば、JCPOAはイランの核兵器開発を阻止するにはあまりにも不十分な合意であった。また、JCPOAは米国がイランの問題行動と位置付けてきたものすべてを、解決するものではなかった。

(注1)イラン核合意はその正式名称を、包括的合同行動計画(Joint Comprehensive Plan of Action)といい、JCPOAと略される。

イラン核開発問題は実際に、米国が「イラン問題」と考えるものの一部であった。米国にとって、1979年に革命を経て反米国家に転じたイランは、中東和平を妨害する「テロ支援国家」であり、大量破壊兵器の開発を目指し、イラン国民の人権を侵害する「ならず者国家」であった。2002年8月に発生した「イラン核開発問題」は、これらの数々の問題のひとつであるにすぎず、JCPOAは米国にとっての「イラン問題」を、一気に解決するものではたしかになかった。

しかし、オバマ政権がその他の問題は切り離し、JCPOAの成立を目指したわけは、核不拡散に関わる核開発問題を、まず対処すべきものと定めたからである。オバマ政権はそのような判断のもと、革命以降、外交関係は断絶したままのイランとの直接交渉に踏み切り、2015年7月にJCPOAを成立させた。JCPOAのもとで、イランは核関連活動を大幅に縮小させ、イランの交渉相手であった米国を筆頭とする6カ国(P5+1)(注2)は、核問題を理由にイランに対し科していた一連の制裁を解除した。

(注2)イランとの交渉に臨んだのは国連安保理常任理事国である米英仏ロ中の5か国にドイツを加えた6カ国であり、P5+1と呼ばれる。

つまりJCPOAは、「イラン核開発問題」の発生から13年という長い年月を経て初めて、すべての交渉当事者の合意を得て成立したことになる。交渉ごとである限り、各当事者は一定の妥協も強いられた。それでも合意成立の6日後に、JCPOAは国連安保理において決議2231としても採択され、オバマ政権のイニシアチブにより成立したJCPOAは、こうして国際合意となった。

JCPOAの成立以降、イランはこれを遵守してきた。しかしトランプ大統領は、JCPOAにまつわるこれまでの経緯を無視し、米国のJCPOAからの離脱と、JCPOAに基づき停止されていた対イラン制裁の復活を宣言した。オバマ政権があえて核問題に絞り、イランの核関連活動を大幅に制限する合意を成立させたのに対し、トランプ大統領は「そのアプローチがそもそも間違っていた」と主張したのである。

JCPOAの成立による対イラン制裁の解除を受けて、世界各国の企業は資源大国であり人口8000万の市場でもあるイランとの取引拡大を模索した。しかし、トランプ大統領は今回、これらの企業に対しては、「イランとの取引を180日以内に切り上げる(注3)」ことを強く促した。

(注3)英語の表現は、“wind down”

より正確には、トランプ大統領はJCPOAからの離脱に際し、「イランとの取引を続ける企業には米国が制裁を科す」ことを発表した。イランと取引をする第三国の主体を対象とするいわゆる「二次制裁」は、オバマ政権のもとで大幅に強化され、イランを交渉のテーブルに着かせることにもなった。JCPOAの成立を受けて、米国は二次制裁を停止していたが、トランプ大統領はこれらの制裁を、すべて復活させたのである。イランがJCPOAから受けつつあった経済的恩恵は、米国の制裁により阻まれることになった。

「イラン問題」

オバマ政権はJCPOAの成立後、「米政府はイランのJCPOA遵守にも資する対イラン経済取引の拡大を推奨する」というメッセージを、欧州諸国や日本に届けてまわった。しかしトランプ政権は、米国のそれまでの立場をいとも容易に覆した。JCPOAに基づきイランとの取引拡大を模索した世界各国の企業は、トランプ大統領の一声により、方針転換を余儀なくされた。

他方、イスラエルやサウジアラビアなどの国々は、トランプ大統領によるJCPOAからの離脱を歓迎している。トランプ政権が現在「イラン問題」と位置付けている問題の多くは、両国がトランプ大統領に対し、「イランの悪事」として訴えてきたものでもある。オバマ政権の政策全般にきわめて批判的なトランプ大統領の誕生は、これらの両国にとっては「宿敵」イランを追いつめる、絶好の機会となったのである。

米国が「イラン問題」とみなす諸問題は、突き詰めればイランの反米姿勢に由来している。革命前のイランは中東随一の親米国であったが、その体制を打倒した革命を経て、イランには米国の「帝国主義」や「傲慢」を糾弾する反米体制が生まれた。

革命後のイラン体制の認識では、米国は1953年に、CIAを通じたクーデター支援により、イランの石油国有化を推進したモサッデク民族主義政権を転覆させた。米国はまた、その後独裁色を強めた国王の、ゆるぎない後ろ盾であり続けた。また、1980年にサッダーム・フセインによるイラン侵攻で始まったイラン・イラク戦争では、米国はイラクを支援した。さらに、米国は今日に至るまでパレスチナ人の抑圧を継続する、イスラエルの最大の庇護者であり続けている。

他方、米国の認識では、冷戦の終結以降、「新世界秩序」を模索するなか、反米姿勢を維持するイランの体制は、(1990年にクウェートに侵攻したイラクとならび)、「封じ込められるべき」対象であった。米国はそのようなイランに対し、「大量破壊兵器開発」、「中東和平反対」、「テロ支援」、「人権侵害」などを理由に、ありとあらゆる制裁を科してきた。

ここでテロ組織とされているのは、イスラエルの占領に対し武装闘争を継続する諸組織である。たとえばその筆頭としてあげられるヒズボラは、レバノン南部に拠点を持つ反イスラエル武装組織だが、もともとは1982年にイスラエルがレバノンに侵攻し、レバノン南部を占領下に置いたことを受けて生まれた組織である。イランにとってヒズボラは、イスラエルの占領に対する正当な、かつ支援すべき抵抗勢力であり、他方、イスラエルはヒズボラを、テロ組織と呼んできた。

このように、イランと米国(およびイスラエル)の間には、ひとつひとつの事象をめぐり、解消しがたい認識の相違が存在する。イランの「誤った認識」に基づく「誤った行動」を正すための米国の制裁も、はかばかしい効果は上げられなかった。このようななか、オバマ政権は、イランによる核保有だけは阻止すべく、イランとの直接交渉に臨んだ。イスラエルはイラン国内でイラン人核物理学者たちを暗殺し、イランの核施設を対象とする高度なサイバー攻撃も実施していたが、イランによる核関連活動は続いていたからである。

トランプ政権のイラン政策

レバノンのヒズボラの例からも明らかなとおり、イランは自らを取り巻く状況の変化を受けて、それに対する反応として、様々な行動を取ってきた。米国のブッシュ大統領が2002年にイラク、北朝鮮、そしてイランを「悪の枢軸」と呼び、2003年のイラク戦争でサッダーム・フセイン政権を打倒して隣国イラクに駐留を始めたとき、イランには米軍が次のターゲットをイランに定めることを阻止する必要があった。

2011年に「アラブの春」がシリアまで波及したことをきっかけに、米国およびサウジアラビアを含む中東の親米国家たちが反イスラエル姿勢を維持していたアサド政権の転覆を目指すと、イランはヒズボラとの架け橋となっていたアサド政権の存続に向け、シリアに司令官や兵員を派遣した。また、「イスラーム国(IS)」によるイラクのモスル陥落に対しては、イランはイラクに司令官を派遣し、現地の民兵を動員し、IS掃討作戦に加わった。

イランのこれらの動きは、中東のいまひとつの大国であるサウジアラビアにとっては「受け入れがたいもの」と映った。イランがあたかも中東各地の紛争を足掛かりに、自らの勢力圏を着実に拡大させているかのように見えたからである。

サウジアラビアから見れば、米国が占領下のイラクで導入した「戦後民主化プロセス」は、イラクにシーア派政権を誕生させ、シーア派大国のイランを利するものであった。その後2010年末以降の「アラブの春」の流れのなかで、バハレーンやイエメンのシーア派住民が権利要求運動を拡大させたことは、「イランの差し金」でしかありえなかった。シリアではロシアとイランに支えられたアサド政権が結局は生き残った。IS掃討作戦へのイランの関与も、イラクにおけるイランの影響力を拡大させるものと映った。

だからこそ、イランに対して敵対的なトランプ政権の誕生は、サウジアラビアには大きな励みとなったのである。この点についてはイスラエルも同様である。サウジアラビアやイスラエルの訴えも聞き入れ、イランを徹底的に追い詰めようとするトランプ大統領の方針を追い風に、イスラエルは、シリア内戦期にイランがシリア国内に構築したとされる軍事拠点を、大規模な空爆により破壊している。そしてサウジアラビアのムハンマド皇太子は、イランのハメネイ最高指導者を繰り返しナチス・ドイツのヒットラーにたとえ、今日のイランがいかに「邪悪で呪わしい体制」であるかを、世界に向けても訴えている。

「イラン問題」の行方

イランの核兵器保有を阻止する枠組みであるJCPOAは、核不拡散という観点からは、一定の成果を上げたといえる。しかしJCPOAは、米国・イスラエル・サウジアラビアが問題視する、核開発以外のイランの行動を制約するものではなかった。実際のところ、「イラン問題」の根底をなすイランの反米・反イスラエル姿勢は、JCPOAの成立以降も維持されたままである。むしろ、トランプ大統領によるJCPOAからの一方的な離脱によって、「やはり米国を信頼すべきではなかった」という認識が、イランの体制内では深まっている。

トランプ大統領によるJCPOA離脱宣言後、ポンペオ米国務長官がイランに対して突き付けた「12か条の要求」は、トランプ政権が考える「イラン問題」を集約したものとなっている。トランプ政権は今日、「史上最強の制裁」をイランに科すことにより、米国が問題視するイランの行動を、力ずくで変えさせようとしているわけである。

すでに述べたとおり、イランは革命以降40年近くにわたり、米国による制裁にさらされてきており、トランプ政権による12か条の要求をただ受け入れるという保証はまったくない。とはいえ昨年末からイラン国内で広がった抗議行動の波からも明らかなとおり、イランは現在国内にも、様々な問題を抱えている。イランのイスラーム共和国体制はこれまで、数々の危機をいわば糧にして、生きのびてきた面がある。米国の離脱によるJCPOAの形骸化を、イランの体制がどう乗り越えていくのかが、目下の注目点である。

プロフィール

坂梨祥イラン現代政治

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究主幹。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻修士号取得・博士課程単位取得満期退学。在イラン大使館専門調査員などを経て、2005年日本エネルギー経済研究所中東研究センターに入所。2008年に在ドバイGulf Research Center客員研究員。2013年より現職。イラン現代政治が専門。最近の論考には、「イラン――イスラーム統治体制の現状――」松尾昌樹等編著『中東の新たな秩序』ミネルヴァ書房、2016年、「開放路線を選択したイラン国民――イラン大統領選挙」『世界』岩波書店、2017年7月号、などがある。

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