2018.07.02

トランプ政権を支える「福音派」の素顔――「エルサレム大使館移転」を実現させた宗教的世界観

藤本龍児 社会哲学、宗教社会学

国際 #福音派

分かりにくい「トランプ支持者」像

トランプ政権についてよく分からないことの一つに、その支持者はどんな人びとなのか、という問題がある。トランプ支持者を突き動かしているものは何か、という問題といってもよい。国内外でさんざん批判をあびているのにもかかわらず、それでもトランプを支持しているのは一体どんな人びとなのか。

通俗的な見方をすれば、でたらめなトランプ政権を支持しているのだから、トンデモない人びとに違いない、ということになるだろう。支持者の実態に迫ろうとする現地レポートなどでも、興奮した支持者の様子や熱狂した集会の情景が切り取られる。一見して分かりやすいし面白いが、特徴が誇張されていたり一面的だったりするのではないか、という懸念がぬぐえない。

一方、統計調査やルポルタージュを通して明らかなってきたのは「白人労働者の中間層」という支持者像であった。じつは、あとで見るように、福音派にまつわる「混乱」を理解するためには、この白人中間層についても、いくらか把握しておかなければならない。トランプを支持する白人中間層が形成された背景には、アメリカ、ひいては世界における大きな産業構造の変化がある。

アメリカでは1970年頃から、それまでの経済構造の中心であり、かつ中間層が従事していた製造業が衰退していった。例えば、鉄鋼業などで潤っていた地域は、工場の海外移転などで荒廃していき、いわゆる「ラストベルト(錆びついた地帯)」が生じた。

また、製造業の代わりに中心となったサービス業でも中間層は没落していった。高度な専門知識や技能を身につけグローバルな市場に対応できるエリートと、単純労働に従事しローカルな領域にとどまるしかない一般大衆とに分かれ、格差が広がっていったのである。より問題なのは、格差が固定化されるようになったことである。「だれでも努力次第で生活を向上させられる」というアメリカン・ドリームが抱けなくなってきた、と言ってもよい(注1)。

(注1)トランプ政権成立の背景を、経済的観点のみならず思想的観点からも論じたものとして、会田弘継『破綻するアメリカ』(岩波書店、2017年)が参考になる。

同時に、マイノリティの尊重が追求され、文化の多様性が徹底されるようになったことも大きく作用している。白人文化の優位性は失墜し、むしろ自分たちこそマイノリティになった、という意識をもつようになってきたのである(注2)。

(注2)藤本龍児「トランプ支持者のアメリカ観:「移民の国」をめぐる文化戦争」『US Report』国際問題研究所、vol. 11。https://www2.jiia.or.jp/RESR/column_page.php?id=266

かくして白人中間層は、グローバリズムや多文化主義を推進するエリートへ反発し、またエリートに優遇されるマイノリティや移民を敵視するようになってしまった。そのような人びとは、共和党であれ民主党であれ、既存のエリートから裏切られ続けてきた、という思いがある。そうした思いを巧みにすくい上げたのが、ドナルド・トランプであった。

トランプ支持者は、たんに狭隘なイデオロギーの持主というわけではなく、グローバリズムや多文化主義の趨勢によって、底辺に追いやられるようになってきた白人なのである。この白人中間層については、ある程度は理解されるようになってきた。それに対して、トランプ政権のもう一つの強固な支持層である「福音派」については、ほとんど皮相な理解にとどまっている、と言わざるをえない。

識者は、トランプ政権やエルサレム大使館移転について解説するにあたり、それらと福音派のつながりについてはまったく触れないか、言及してもあまり深く論じていない。たんによく知らない場合もあるだろうが、不可解なことが多いので慎重に言及を避けている、と言った方がよいだろう。

では、福音派の素顔とは、どのようなものなのか。福音派は多様な相貌をもっており、てっとりばやく知ろうとしても、先にみたような一面的な理解に陥ってしまう。ここでは、福音派が注目されたエルサレム大使館移転の問題を題材として考え、そのうえで歴史的かつ思想的な観点から福音派の多様な側面を素描してみよう。

「エルサレム大使館移転」をめぐるヴィジョン

2016年の選挙中はほとんど伝えられなかったにもかからず、トランプ政権が成立してからはにわかに、「福音派」という宗教勢力が政権を強固に支えている、と言われるようになった。いよいよ報道が増えたのは2017年12月6日、トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定し、そこに米国大使館を移す、と表明してからである。

エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの聖地がある「東エルサレム」と、1948年のイスラエル建国後に発展した「西エルサレム」からなる。三つの宗教の聖地が集中している東エルサレムの旧市街は、わずか一キロメートル四方の広さしかない。そのため、それが誰のものか、という帰属をめぐる争いが、十字軍の昔から千年以上ものあいだ続いているのである。

イスラエルは、1967年の第三次中東戦争で東エルサレムを占領し、1980年には全エルサレムを「不可分で永久の首都」と宣言した。それに対してパレスチナは、東エルサレムを将来の首都であると主張し、その奪還を目指している。しかしイスラエルは、ユダヤ人の東エルサレムへの入植を進め、2002年からは入植地を囲む分離壁の建設を進めている。

国際社会は、エルサレムをイスラエルの首都とは認めないまま、和平交渉を見守ってきた。両国家が共存できるように、当事者が交渉する「二国家解決」を方針としてきたのである。ところが、今回の首都認定と大使館移転の表明は、その和平交渉の方針をご破算にした、と言われた。

アラブ諸国が加盟する「アラブ連盟」はすぐに、決定の撤回を求める声明を出した。国連総会も、日本を含め128国という圧倒的多数で撤回要求を決議した。そのように世界各国から批判を受ける宣言を、なぜトランプ大統領はおこなったのか。

支持率の低下やロシア疑惑にたいするなりふりかまわない「目くらまし」のためであるとか、正統派ユダヤ教徒の娘婿クシュナーによる進言であるとか、多くの解説がトランプ大統領のパーソナリティやトランプファミリーの影響力を理由として挙げた。それ以外の理由として挙げられたのが、ユダヤ・ロビーの歓心を買うため、そして福音派の要請に応えるため、というものであった。2018年11月の中間選挙をにらんだ国内向けの政策ということである。

こうした流れのなかで紹介された福音派が、トランプ大統領のキャラクターや、ユダヤについての俗説と重ねられ、非常識であるとか陰謀論といった負のイメージをもたれたであろうことは想像にかたくない。これまでもアメリカの宗教は、たいていキワモノ扱いされてきた。しかし、エルサレム大使館移転をめぐるその後の経緯には、そうしたイメージを反省するための契機が含まれている。

中東情勢にかんするトランプ政権のヴィジョンは非常識極まりなく、アラブ諸国のなかで孤立を深め、和平交渉の仲介役ができなくなった。もし、大使館移転を実施すれば、第五次中東戦争が勃発する可能性すらある。であるからには、今回の宣言は口先だけにすぎず、実施はされないか、されるとしてもずいぶん先のことだろう。それが大方の分析であり予想であった。 

ところが、早くも年が明けた2018年1月にはペンス副大統領がイスラエルに訪問し、移転時期を2019年中と特定した。さらに2月には、移転の日取りを前倒しし、2018年5月14日に決定してしまった。この事実は、トランプ政権の分析や予想の方が当たっていたことを示している。つまり、アラブ諸国の反応が「予想どおり大きくなかった」ということである。

アメリカは、中東にたいする最大の支援国にほかならない。サウジアラビアやエジプト、ヨルダン、UAE、カタール、バーレーンなどは、アメリカから軍事支援を受けている。とくにサウジアラビアは、イランとの中東における覇権争いを激化させており、後ろ盾であるアメリカから離れるわけにはいかない。

本気なのは、イランやトルコ、シリアぐらいである。しかしシリアは、2011年の「アラブの春」以降、内戦が続き、パレスチナを支援する余裕はない。つまり中東のほとんどの国は、表では強く批難しても、具体的な対抗策をうつことはない。じつは、口先だけなのはアラブ諸国の方であり、孤立感を深めているのはパレスチナの方なのである。であるからには、第五次中東戦争はおろか、国家単位での反抗はないだろう。

もちろん、アラブの民衆は、アメリカに依存している各国の支配層とは違い、反米感情を高まらせるにちがいない。そのぶん、非国家単位でのデモやインティファーダ(民衆蜂起)、そしてテロの可能性は高まるだろう。ただし、それは、アメリカやイスラエルに向けられるだけでなく、アメリカに追従し堕落したと見られる中東諸国の政府や支配層にも向けられる。その意味で中東は不安定になるが、それでも和平交渉は、イスラエルに影響力のあるアメリカを通じて進めるほかない。

そうしたヴィジョンをトランプ政権はもっており、事実、トランプ大統領の宣言の内容も、今後の和平交渉に余地を残すよう配慮されたものになっていた。大統領選挙中とはちがい、エルサレムを「不可分にして永遠の首都」とは言わず、境界の画定については、当事者同士の交渉によるとして、二国家解決の方針を維持しているのである。

エルサレム大使館移転の宣言は、そうしたトランプ政権なりの読みや、それに基づく対策があってはじめて成されたものであった。トランプ大統領はともかく、上級顧問にして中東政策担当のクシュナー、そして福音派の代表者たるペンス副大統領は、そうしたヴィジョンをもっており、今回はそちらの方が的確だった、と言わざるをえない。

以上のような認識をふまえておかなければ、エルサレム大使館の移転は、無知な大統領と特殊なユダヤ・ロビー、そして反知性的な福音派による無謀な政策、とみなされておしまいになる。もちろん、アメリカが大きくイスラエル側に寄ったことは確かであり、中東政策に大きな変更を迫ったことは間違いない。しかし、そこにこそ、福音派の本領を問う意義が見えてくるのである。

福音派の形成

現在メディアでは、福音派だけでなく、宗教右派、原理主義者、キリスト教右派、キリスト教保守など、さまざまな呼称が整理されないまま用いられ、混乱を生じさせている。アメリカの宗教を理解するには、まず広く「宗教リベラル/宗教保守」という区分で捉えるのがよいだろう。二つのうち、宗教保守の中心にいるのが福音派にほかならない。

もともと福音派(Evangelical)は、基本的にプロテスタントと同義語であった。聖書の権威を第一とし、人類の罪はキリストの十字架によって贖われた、という良い報せ(福音)を信じる。そして、そうした信仰のみを根拠にして魂の救いを求めるのである。

アメリカでは、18世紀前半から繰り返し起こっている信仰復興運動を経て、ヨーロッパのプロテスタントとは違った特徴をくわえていく。ただ、今回のテーマである現代の福音派を理解するうえで重要なのは、南北戦争後に、アメリカのプロテスタントが、近代思想にたいする評価をめぐってリベラル派と保守派に分裂していった、という点である。この二つが、現代の「宗教リベラル/宗教保守」の源流となる。

南北戦争後のアメリカでは工業化の進展がめざましく、その基礎となった科学的思考などの近代思想をどう評価するか、ということが神学においても問われるようになり、対立が生じたのである。この対立が進展するなかで保守派は、発行していた雑誌The Fundamentalsにちなんで「原理主義者」と呼ばれるようになった。それぞれの思想の要諦は、リベラル派が「聖書批評学」を採用し、「進化論」を認めたのに対し、保守派は「聖書無謬説」を信じ、「千年王国説」を唱えた、というように整理できる。

「聖書批評学」とは、聖書を客観的に捉え、批判的に研究する学問であり、聖書は「神の言葉」ではなく、歴史的な文献・資料の一つであると考える。それに対して「聖書無謬説」は、あくまで聖書を「神の言葉」として理解し、聖書に誤りはない、と主張する。

「進化論」は、聖書を教育の拠り所としているキリスト教徒からすれば、家族の絆を引き裂き、家庭を壊すものにほかならない。ゆえに、神学だけでなく教育や家族の問題となり、裁判にまでなって全米の関心を集めた。しかし、これ以降アメリカで「原理主義」といえば、科学などの近代的な考え方を認めない「時代錯誤で反動的な考え方」という見方が広がっていった。

そうしたイメージを払拭すべく1940年代には、保守派内部で刷新運動が起こる。その際に、長老派、会衆派、バプティストといった教派を越えて連帯した人びとが、現代の「福音派」にほかならない。1950年代からは伝道師ビリー・グラハムの活躍もあって、福音派はさまざまな垣根を越えて広がっていく。

1960年代になると、性の解放やドラッグなどのカウンターカルチャーによって、アメリカ社会は荒廃し、1970年代には「公立学校における祈りの非合法化」や「中絶の合法化」といった判決が出され、急進的にリベラル化が進んだ。福音派は、そうした道徳的荒廃や世俗的人間中心主義に対する反感を背景にして70年代から勢力を伸ばし、教会を超えて社会にまで影響力をもつようになっていったのである。

福音派に確固とした条件はないが、宗教的な体験に基づいて精神的な生まれ変わりをする経験、すなわち「ボーン・アゲイン」の経験をもつことが特徴として挙げられる 。現在では、リベラル派に分類される教派やカトリック信者のなかにも福音派を自称するものが出てきた。

これらのことを踏まえると、第一に、福音派と原理主義者を同一視することには問題があり、第二に、所属する教会や教派、組織によって福音派を規定することは難しい、ということが分かるだろう。現代の福音派とは「保守的な信仰理解を共有する教派横断的集団」のことなのである。

福音派の政治化と多様化

1976年の大統領選では、ジミー・カーターが大統領候補として初めて「ボーン・アゲイン」を公言した。これにより福音派から支持をうけ、下馬評を覆して勝利したので、タイム誌はこの年を「福音派の年」と呼んだ。1980年の大統領選挙では、福音派がレーガンの勝利に大きく貢献した。

この時、教会の礼拝によく出席する人は共和党に投票し、あまり出席しない人は民主党に投票する、という「ゴッド・ギャップ」が生じ始めている。これ以降、共和党内では、福音派を味方につけなければ大統領候補になれない、という状況が生じた。

しかし、こうした宗教勢力については、なかなか把握しづらい状況が続いていく。宗教についての偏見が基本的な原因であるが、積極的に政治活動をするようになった福音派の一部を「宗教右派」と呼ぶようになり、また「原理主義者」とも呼んだので、混乱が生じた。しかも、そうした勢力は、めまぐるしく盛衰を繰り返していったからである。

1980年代には「モラル・マジョリティ」という最大の組織が活躍する。指導者のジェリー・ファルウェルは、テレビで福音を伝える「テレヴァンジェリスト」であり、ラジオやテレビを通じて伝統的な家族の重要性を説き、反中絶、反同性愛、公立学校における祈りの復活などを強く主張した。

十代の妊娠や、貧困にあえぐシングルマザーが増えていたこともあって、道徳的健全さを取り戻すべきだ、という主張には共感が広く集まるようになる。支持者は、福音派を中心に、カトリック、ユダヤ、モルモンの保守派にも広がっていった。このような広がりが「宗教保守」である。

ところが、モラル・マジョリティは過激な主張をくりひろげるようになり、ロビー活動の経験や技術に乏しかったこともあって、1980年代後半になると支持者を減らしていった。それもあって1992年の大統領選では、民主党のビル・クリントンが勝利し、「宗教右派は終わった」と言われた。

にもかかわらずその後、やはりテレヴァンジェリストであるパット・ロバートソンが率いた「クリスチャン連合」が勢力を拡大していく。中央政界に働きかけるロビー活動よりも、各地でセミナーを開催して政治活動家を養成し、地方選挙や教育委員会の選挙で大きな影響力を発揮するようになっていった。

また、選挙ガイドを配布し、争点にかんする候補者の判断を明らかにして、誰に投票すべきか、ということを分かりやすく示した。公立学校における祈りの復活や反中絶、反同性愛といった点では、他の宗教右派の主張と変わらないが、強硬路線はとらず、家族の絆や教育の向上、治安の維持や減税など、他の保守層でも共感できる主張を前面に出した。かくしてクリスチャン連合は、1994年の中間選挙で、共和党を大勝に導いたのである。

ところが、その頃には共和党でも中道化の流れが生まれて穏健派が息を吹き返し、クリスチャン連合からは距離を置くようになる。1996年の大統領選挙と1998年の中間選挙では民主党が勝利し、また「宗教右派は終わった」と言われた。

にもかかわらず、2000年の大統領選で勝利したブッシュは、就任後に宗教色を鮮明にし、改めて宗教右派の再組織化を目論んだ。これが功を奏し、2004年の大統領選に貢献したので、ブッシュの再選は「福音派の勝利」と呼ばれたのである。

しかしながら、イラク戦争に疑問がもたれるようになる頃からは、従来の基本思想をもちながらも、地球温暖化や貧困問題、エイズ問題にも積極的に取り組んでいくグループが出てきた。もともとあった福音派の多様性が顕在化し、2008年の大統領選の際には、自分たちの支援する統一候補を決められない、という状態に陥ってしまったのである。

一方、宗教勢力の大きさを認識していた民主党は、2004年以降、宗教票の獲得を目指すようになっていた。そしてオバマは、同性婚や中絶に反対する考えに理解を示すことで、福音派の一部を取り込むことに成功したのである。そのグループが「宗教左派」などと呼ばれ、近代主義を認める宗教リベラルまでもが含められ、リベラル派から期待された。しかし、歴史的経緯と基本思想をふまえれば明らかなように、それらがまとまることは難しく、事実ゴッド・ギャップが解消されることもなかった。

これを認識したオバマ大統領は、2012年5月、「同性婚」への賛成を明確に表明した。リベラル派の支持を固めるために福音派を切り捨てたのである。続いて2015年6月には、連邦最高裁がすべての州で「同性婚」を認める判決を出した。さらに2016年の大統領選では、ヒラリー・クリントンが、中絶問題などについて、急進化な世俗的人間中心主義による見解を示した。

そのように2012年以降に急進化したリベラルな思想に対して、急激に危機感を高めたのが福音派、ひいては宗教保守層であり、その危機感を巧みにすくい上げたのがトランプだったのである(注3)。

(注3)大方の予想を覆してトランプと福音派が結びついたことについては、藤本龍児「トランプ現象の震源:反グローバリズム?/文化戦争/宗教復興」『平成28年度外務省外交・安全保障調査研究事業 国際秩序動揺期における米中の動勢と米中関係 米国の対外政策に影響を与える国内的諸要因国際問題』 公益財団法人 日本国際問題研究所、2017年。http://www2.jiia.or.jp/pdf/research/H28_US/15_fujimoto.pdf

こうした展開は、1960年代から1980年代にわたる経緯の縮図になっている、ということが分かるだろう。福音派がトランプを支持した背景には、1970年から続く「急進的リベラルへの懸念」があるのである。

イスラエル支持の背後にある宗教的世界観

「宗教右派」は盛衰を繰り返しているものの、その母体となる福音派の存在は一貫しており、1970年代以降の大きな流れは続いている。エルサレム大使館の移転も、その流れのなかで生じたものにほかならない。しかし、なぜ福音派は、イスラエルをそれほど支援するのか。

その理由としては第一に、すでに確認した「聖書無謬説」という基本思想が挙げられる。例えば、聖書の「創世記」12章3節には、「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う」とあり、これが、ユダヤ人を支援しなければならない根拠とされる。

また「創世記」17章8節には、「わたしはあなたと後の子孫に、あなたの宿っているこの地、すなわちカナンの全地を永久の所有地として与える」とあり、これはユダヤ人とエルサレムのことを指していると考えられている。しかも、ある調査では、これを信じているユダヤ人は40%であったのに対し、プロテスタントは64%で、白人福音派になると82%であった(注4)。じつは、イスラエルの支援を強く打ち出しているのは、ユダヤ人よりプロテスタント、とりわけ福音派なのである。

(注4)More white evangelicals than American Jews say God gave Israel to the Jewish people, Pew Research Center,OCTOBER 3, 2013.

ただし、こうした点にばかり目を奪われていると、第二に挙げられる「イスラエルが中東における唯一の民主主義国家だから」という世俗的理由が見えにくくなってしまう。福音派であっても、当然ながら一般国民として暮らし、多くの社会通念や政治信条を共有している。また、宗教だけでなく、経済や文化の問題も合わせて重視する。じつは、福音派の多くは、さきに見た「白人中間層」に属しており、両面の理由からトランプ支持しているのである。

にもかかわらず、大統領選挙中に福音派の支持が高まってきた際にも、その支持の理由は白人中間層としてのものであり福音派としてのものではない、と多くの専門家が考えた。ゆえに選挙中は、ほとんど福音派のことがとりあげられなかったのである。しかし、就任後のトランプが、福音派向けの政策を次々に打ち出しているからには、福音派についてのヴィジョンが軽視されていた、と言わざるをえないだろう。

そして第三には、「対テロ同盟国だから」という理由が挙げられる。とくに9.11以降は、この点が強く意識されるようになり、2016年の大統領選挙でも、白人福音派の89%が選挙の争点としてテロリズムを重視していた。福音派を突き動かしているものには、世界的な宗教の動向やグローバル・テロリズムの進展という大きな変化もあるのである。そうした背景についても留意しておかなければならない。

なおイスラエル支持の理由として、千年王国説が挙げられることがある。これは、すでに見たように、宗教保守の源流の一つにある思想で、終末が訪れる前に千年続く王国が実現する、と考える終末論の一種である。この実現には、イスラエルの再建が欠かせず、1948年のイスラエル建国は、まさにその第一歩だと受け止められ、福音派を湧き立たせた。さらに1967年の東エルサレム奪還は、いよいよ聖書の預言が成就されつつある証拠だと考えられた。キリスト教シオニズムの特徴として取り上げられることも多いが、一般人には信じがたく、福音派が狂信的な人びとだと見なされる理由の一つになっている。

ただし、この説の捉え方は多様であり、影響の仕方は定かではない。事実、福音派の指導者たちは、イスラエルを支援する理由として終末論を挙げることはほとんどない。もちろん、一般信徒の捉え方はまた違うと考えられるが、ある調査結果では、福音派がイスラエルを支持する理由の割合は、神学が35%、民主主義が24%、対テロ同盟国が19%であった(注5)。ことさら千年王国説を採りあげるのは、福音派への理解をゆがめてしまう、と言えるだろう。

 

(注5)The Tarrance Group, American Christians and support for Israel, October 11, 2002. http://www.imra.org.il/story.php3?id=14013

さらにいえば、アメリカでイスラエル支持が強い理由を福音派の存在だけに求めることにも問題がある。今回のエルサレム大使館移転に際しては、反トランプ一色と言ってよいアメリカの大手メディアも、他の問題に比べて、また日本やEU各国と比べても、批判のトーンが明らかに低かった。

今回の移転は、なにもトランプの発案ではなく、1995年、民主党のクリントン政権下で圧倒的多数により可決された「エルサレム大使館法」を実施したにすぎない。クリントンをはじめ、その後の大統領は、中東情勢に配慮して半年ごとに実施を先送りしてきたので、もちろんトランプの決断は大きい。

ただ、歴代大統領も選挙期間中はそれを認めてきたことは事実である。2018年6月5日には、米上院が大使館移転を促進する決議を90対0で採択していた。このように長年続く超党派的動向のことまで考えなければ、今回の背景説明としては不十分だろう。

その背景にあったのは、よく言われるように、ユダヤ・ロビーの影響力だけでない。本稿で見てきた福音派の歴史のなかに、1995年のエルサレム大使館法を置いてみれば、背景の広がりが見えてくるだろう。前年の1994年におこなわれた中間選挙では、福音派が圧倒的な存在感を示したのであった。つまり背景には、連綿とした「ユダヤ-キリスト教的伝統」が続いているのであり、歴代大統領もそれに配慮し、議会は実際に動いている、と考えなければならない。また、その伝統にもとづいた長年の中東分析とヴィジョンが、今回のエルサレム大使館移転の実施を踏み切らせたのである。

注意しなければならないのは、ユダヤ-キリスト教的伝統は、程度の差こそあれ「宗教リベラル/宗教保守」に通底している、ということである。アメリカでは、いまだに神を信じる国民が90%近くいることにも表れているように、宗教がさまざまなかたちをとって広く深く浸透しており、それに基づく社会的影響も日本人が思うより遥かに大きい。これは「市民宗教」や「公共宗教」と呼ばれ、アメリカ理解の大きな要素として論じられてきた(注6)。しかし、それを考えるためにも、まずは福音派について理解することから始めるのがよいだろう。

(注6)藤本龍児『アメリカの公共宗教:多元社会における精神性』(NTT出版、2009年)。

プロフィール

藤本龍児社会哲学、宗教社会学

1976年、山口県生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。京都大学人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。社会哲学・宗教社会学を専攻。現在、帝京大学文学部社会学科准教授。単著に『アメリカの公共宗教――多元社会における精神性』(NTT出版)、共著に『現代社会論のキーワード――冷戦後世界を読み解く』(ナカニシヤ出版)、『宗教と社会のフロンティア――宗教社会学からみる現代日本』(勁草書房)、『聖地巡礼ツーリズム』(弘文堂)、『宗教と公共空間――見直される宗教の役割』(東京大学出版会)、『よくわかる宗教学』(ミネルヴァ書房)、『米国の対外政策に影響を与える国内的諸要因』(公益財団法人日本国際問題研究所)、『基礎ゼミ宗教学』(世界思想社)、『50州が動かすアメリカ政治』(勁草書房)など、翻訳にホセ・カサノヴァ「公共宗教を論じなおす」『宗教概念の彼方へ』(法藏館)所収。

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